第2回:デニス・ベルカンプ | おらってのサッカーらよ☆彡

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本名:デニス・ニコラース・マリア・ベルカンプ

愛称:アイスマン、king of trap

国籍:オランダ

出身地:アムステルダム

身長:187cm

体重:81kg

ポジション:FW

利き足:右足

代表歴:1990–2000 79試合37得点


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<経歴>

12歳でアヤックスのユースに入ったベルカンプは、ヨハン・クライフに才能を見出され1986年、17歳でトップチームにデビュー。アヤックスで1990年から3年連続得点王に輝き、リーグ優勝、UEFAカップ優勝などに貢献。239試合に出場し、122ゴールを挙げた。

その後、インテルに移籍したが能力を発揮できず、1995年にアーセナルに移籍しチームの中心として活躍。97~98シーズン、01~02シーズンの二冠等に貢献。また、2003-2004シーズンには無敗でプレミアリーグを制するなど、一時代を築いた。1998年フランスワールドカップのアルゼンチン代表戦や01年プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッド戦など伝説的なゴールを数多く挙げ、パトリック・クライファートが2003年に更新するまでオランダ代表の最多得点記録も保持していた。

FIFAワールドカップには、94年アメリカ大会、1998年フランス大会の計12試合に出場し6得点を記録、アメリカ大会ベスト8、フランス大会ベスト4に大きく貢献した。前述の1998年フランスワールドカップ準々決勝アルゼンチン戦の見事なトラップからのゴールは、当時オランダの新聞によって、「まるでレンブラントの筆さばきのようだ」と同国の歴史的画家のタッチに例えて賞賛された。

05-06シーズン終了をもって引退を表明した。自身がプロデビューを果たしたチームであるアヤックス・アムステルダムとアーセナルの対戦で引退試合が行われ、オランダの往年の名選手であるヨハン・クライフ、元オランダ代表監督マルコ・ファン・バステン、元FCバルセロナ監督フランク・ライカールト、そしてジョバンニ・ファン・ブロンクホルストやパトリック・ヴィエラ、ティエリ・アンリ、デビッド・シーマン、エマニュエル・プティ、エドガー・ダーヴィッツなどが出場し、数多くのサッカー関係者がこの日のために駆けつけた。ベルカンプ本人も出場し、惜しくもこの試合ではゴールを決めることはできなかったが、随所で彼らしいイマジネーション溢れるプレイを魅せ、引退の花道を飾った。また、クライフとファン・バステンは当初スタンドから観戦していたが、後半から当時のアヤックスのユニフォーム姿で実際にピッチに立ち、ベルカンプとプレイしている。特にこの時のファン・バステンは現役時代さながらのプレイを披露し観客を大いに沸かせた。なお、この試合はアーセナルの新スタジアムのエミレーツ・スタジアムのこけら落としとして行われた。

2008-2009シーズンから古巣アヤックスに指導者として復帰し、コーチングライセンス獲得を目指すことが決まっている。 その際、アーセナルよりフロント入りのオファーを受けたが断って古巣アヤックスに指導者として復帰を選んだと本人が2010年5月31日放送の「すぽると!」にて語っている。


・1977年-1986年 ビルスクラハト/SNLアムステルダム
・1986年-1993年 アヤックス・アムステルダム ( オランダ)
・1993年-1995年 インテル( イタリア)
・1995年-2006年 アーセナル ( イングランド)
・2006年現役引退

wikiより


第2回は、これまた個人的に好きな選手。てか好きな選手しかでしか更新しないけど(笑)
アイスマンとかサイボーグとか言われてるクールなイメージだが、ことトラップの技術に関しては他の追随を許さない。あのジダン以上とも呼ばれているテクニックから生まれた芸術的なゴールは見る者を魅了してしまう。
特にニューカッスル戦の”ベルカンプターン”や98W杯アルゼンチン戦の超絶コントロールなんかは有名。







インテル時代はガラクタ扱いされたけどアーセナルでその才能を存分に発揮して活躍。
ちなみに初見はユーロ96だったような。でも98W杯で前述のプレーで鳥肌たったのを覚えてる。
飛行機嫌いじゃなければ02W杯予選勝ち抜いて日本でみれたかもねーって思うと悲しいね。
これからのコーチ、監督業に期待。しかし飛行機嫌いな監督ってどうするんだろ・・・・