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2012年02月29日(水) benjukuの投稿

スピーチは学問なのか?

テーマ:スピーチ


◆弁塾◆話し方で人生を変える!≪毎日更新塾長日記≫◆ “地位も名誉もお金も手に入れました。
でもスピーチだけは苦手なんです。
人並み以上、いや、それ以上の努力をしたつもりです。
それでもダメでした。

スピーチ以外のことであれば大概のことには自信があります。
でもスピーチだけはどうしても巧くならないんです。
これまで多くの学校で指導をしていただきました。
言われた通りの勉強を一生懸命したつもりです。
継続することの大切さも心得ているつもりです。
そして私は今63歳になってしまいました。

福澤先生、どうかよろしくお願いします。

ある生徒さんのつぶやきです。
こういう切実な声に身が引き締まります。

“平凡な才能”に恵まれた私自身、かつては話し下手な少年でした。

そんな私が専門家としてスピーチの指導ができるのは、天賦の才能などではなく、スピーチ・コミュニケーションという学問を修めたからに他なりません。


大切なのは正しい方法で勉強をすることです。学問は私たちを裏切ることはありません。

日本はスピーチやコミュニケーションの分野の研究が遅れています。指導者の数も圧倒的に足りません。

日本人が自信を持って生きていくためには、この学問の大衆化が急務です。

2012年02月28日(火) benjukuの投稿

大学入試の英作文③

テーマ:日本

入試問題を出題した側の大学が正解を公表しない理由、

それは、

正解に自信がないから。

この一言に尽きます。

異論が噴出して、

収拾がつかなくなることを恐れているのです。

“大学の先生ってそんなにバカなの?”

こんな声が聞こえてきそうですね(笑)。


大学の先生たちの多くは英語自体の専門家ではありません。

英文学や米文学、あるいは言語学を修める専門家なのです。

一般高校生との交流もなければ、

問題作成のプロでもありません。


そして、

どうするか?

問題作成を外注するのです。


大手予備校やその種の専門業者に問題作成を依頼するわけです。

採点基準一式から採点まで丸投げする大学もあります。

驚きですね。


正解を公表しなければならない、そんな時代が来るのだとすれば、その頃には記述式の英作文問題は入試から姿を消すことでしょう。


2012年02月27日(月) benjukuの投稿

大学入試の英作文②

テーマ:日本

“所詮、受験英語でしょう?

文法的にあっていればいいんですよね”
こういう開き直りがダメな日本の英語教育をますますダメにしていると私は思います。


私たちが英語を学ぶ意義、それは、

日本語ではコウ言うけれど、

英語ではソウ発想しないんだよね”。

この部分を抜きに英語は語れません。


こういう教育ができる人材が驚くほど少ない。本来、英語を教えるべき心材は民間企業にたくさんいます。彼らを教育の現場に招待したら現場は大混乱することでしょう。


さて、世間一般の人たちが考える以上に日本語と英語は異なります。日本語の成り立ち、日本人の思考回路は世界に類を見ないほどユニークです。英語という言語に機械的に変換できるものではありません。

だからこそ、日本の英語教育は大切ですし、同時に、日本語的発想を世界に“告知”できる人材の養成も大切なのです。


“文法的にあっている”英語が、実際はミス・ミュニケーションを引き起こす絶対要因なのです。

見かけは英語風。

でもメタリティーは和風。

こういう摩訶不思議な英語を身につけた人たちが外務官僚になって世界の舞台で英語を使う! なんと恐ろしいことでしょうか。

2012年02月26日(日) benjukuの投稿

大学入試の英作文①

テーマ:日本

「もし他人の心が読めたらどうなるか、考えられる結果について50語~60語の英語で記せ。複数の文を用いてかまわない。

今日、東大で出題された英作文の問題です。

素直な問題ですね。東大志願者に限らず、まともに受験勉強をしてきた学生なら書けるレベルだと思います。

「人間の性格は見かけよりも複雑なので、相手のことが完全に分かることなどあるはずがない。とは言うものの、初対面の人物とほんの少し言葉を交わしただけで、その人とまるで何十年も前からつきあいがあったかのような錯覚に陥ることがある。こうしたある種の誤解が、時として長い友情のきっかけになったりもする」

これが京大で出題された英作文の問題です。東大とは違い、昔ながらの和文英訳です。


入試問題とは、

“コレが解ければ入学を許可しよう!”

という大学側のメッセージです。その意味では、出題スタイルに個性があるのは当然のこと。それでも私が声を大にして言いたいこと、それは、

大学の側が模範解答を公開しない

ということです。模範解答、指針、あるいは採点基準等、すべてが闇の中なのです。どう考えてもおかしな話ですね。


週明けには大手予備校が“模範解答”らしきものを公開します。少し首をかしげたくなるような英文がネット上を飛び交います。これでは真面目に勉強してきた受験生が気の毒です。

2012年02月25日(土) benjukuの投稿

演説とスピーチの違い?

テーマ:スピーチ

演説とスピーチってどう違うんですか?
生徒さんからよく聞かれる質問ですが、実のところ、演説とスピーチは同義語です。私自身が日頃、演説とスピーチをごちゃ混ぜに使うため、疑問に持つ方が多かったようです。
演説という言葉を造ったのは福澤諭吉をはじめとする慶応義塾大学関係者らです。

“舌の字はあまりに俗なり、
同音の説の字に改めん”、
と演舌から演説という表記になったようです。
“演説とは英語にてスピイチと云い、
大勢の人を会して説を述べ、
席上にて我思ふ所を人に伝える法なり(『学問のすゝめ』十二編)”。


そもそも演説の概念すらなかった時代、多くの聴衆の前で自分の意見を述べる演説は試行錯誤をしながらの創造行為だったようです。討論、可決、否決などの言葉が造られたのもこの時代です。

さて、経済学や医学にも理論があるようにスピーチにも理論があります。アメリカ人は雄弁(eloquent)だと言われます。しかしこれは民族的性質というよりも教育システムが整っていることがその理由です。

古代ギリシャではレトリックと呼ばれる弁論術の原型が形成されソフィストによって弁論術が広められました。プラトン、ソクラテス、アリストテレスはその理論を構築した代表者です。アメリカでは建国後、これら古代ギリシャの弁論術を基にした教育が普及し実学的な演説教育が確立したのでした。

これが日本とは大きく異なる点です。演説を学問的に修める学者がいなければ指導者は育ちません。福澤諭吉がなぜ演説の学部(department)をつくらなかったのか、その理由は私にもよくわかりません。

2012年02月24日(金) benjukuの投稿

大学生はダメなのか?

テーマ:日本

大学生の24%が「平均」の意味を正しく理解していないなど、基礎的な数学力、論理力に大きな課題があることが、日本数学会(理事長・宮岡洋一東京大教授)が実施した初の「大学生数学基本調査」で明らかになった。(YOMIURI ONLINE)


こういうデータを突きつけて、

“だから今時の大学生はダメ”。

こう結論づけるのはいささか早合点だと思います。

理由は、

この種の調査は今回が初めて。

諸外国との比較データがない。

この2点です。


ゆとり教育導入以前にも、いわゆる“数学音痴”の人たちはいました。平均の概念はわかっていても、テスト形式になると拒否反応を示す人、あるいは、真面目に回答しなかった人もいたかも知れません。この種の調査は長期間、継続して、正しい検証をすることが大切です。


受験人口が今より多かった20~30年前であれば、今回、烙印を押された24%の若者は大学に入学できなかった人たちだと思います。大学全入時代到来によって学生の学力が低下したのは紛れもない事実でしょう。

今回のテストを大小含めた企業主に受験させたらどうなるか? 私にはこのことの方がずっと興味があります。


“年商100億の会社の社長さんが学力不足!”

もしかしたら、こんなことになるかも知れません。

2012年02月23日(木) benjukuの投稿

笑わす人はいい人なのか?

テーマ:スピーチ

欧米人はよくジョークを飛ばします。絶妙なタイミングで人を笑わせる彼らに私自身、劣等感を感じた時期もありました。

アメリカでの生活で私が知ったこと。それは、
彼らが
ジョーク集を買い込み、密かにネタを収集している

ということです。
あたかも今、この瞬間に思いついたかのようにジョークを飛ばすアメリカ人。彼らは日頃から仕込みを行っているのです。私も少しでも面白いと感じたことはすぐメモするように習慣づけています。

アメリカに限れば
“ジョークが上手い人=いい人”
という公式が成り立ちます。 大げさな話ではありません。
“笑わすことのできる人が信頼できる人なのだ”。
実に興味深い価値観ですね。


ジョークも言わずに価格交渉にだけ敏感に反応すれば大いに軽蔑されることでしょう。これがアメリカという国です。


日本人はジョークが下手だと言われますが、これは単に準備ができていないだけのこと。ユーモアのセンスがないわけではありません。居酒屋をのぞいてみれば明白ですね。


人は笑いに飢えています。笑いを求め、お金を払ってまでお笑いの会場に足を運ぶのです。



さて、大学生活で最も不満なのは講義だとか。分かるような気がしますね。大学の講義に欠けているのはユーモアです。 
2012年02月22日(水) benjukuの投稿

留年?

テーマ:社会問題

大阪市の橋下徹市長は22日、小中学生が目標の学力水準に達しない場合、進級を認めず留年させることを検討するよう市教委に要請したことを明らかにした。

 同日開かれる市教育委員との意見交換会で協力を求める。義務教育課程での留年は法的には可能だが、実際の運用はほとんどない。

 市役所で報道陣の質問に答えた。橋下市長は、教育評論家の尾木直樹氏が学力の底上げ策として、小中学校での留年を提案していることに賛同する考えを示し、「学んだかどうかに関係なく進級させることで、かえって子どもたちに害を与えてしまっている。理解できない子にはわかるまで教えるのが本来の教育だ」と述べた。

 義務教育での留年は、現行法でも学校長の判断で可能だが、学校現場からは「子どもへの精神的影響も大きい」との声がある。(読売新聞)

この報道をテレビで見た中二の息子がポツリ、

“留年させるなら、

飛び級もさせろよ”。

たしかにその通りだと思います(笑)。

わが子はとくに学力に秀でているわけではありませんが、地理が得意です。センター試験の地理の問題に楽しそうに挑戦していました。苦手なのが歴史。覚えるのが面倒なようで、試験ではいつも四苦八苦。こんな彼でも歴史が0点という理由で留年ということになるのでしょうか?(笑)。

“学校って超楽しいな!”

義務教育にはこういう側面も大切なのではないでしょうか。

試験では点が取れないけれど、その科目が好きだ、

あるいは、

やる気はあるけれど、少しだけ飲み込みが遅い。

こういうケースもあると思います。

学力だけを基準に義務教育を考えると現場が荒むのでは? こう危惧するのは私だけでしょうか。

留年はさせずに、夏季冬季に補習をさせる。

飛び級を推進する。

この方がより国益に寄与するような気が私にはします。


2012年02月21日(火) benjukuの投稿

美食家はスピーチ上手?

テーマ:スピーチ

◆弁塾◆話し方で人生を変える!≪毎日更新塾長日記≫◆

目がキラキラと輝いている人は心までもが輝いているように見えてきます。こういう人はスピーチで得をします。内容が乏しくてもついつい聞き惚れてしまうのです。目から発する印象は想像以上に大切です。

“旬(しゅん)のネタを瞬(しゅん)時に掴み、
春(しゅん)の気持でいざ出陣”。

話し手自身がワクワク・ドキドキできること。

これが春(しゅん)の気持です。

こういう気持は聞き手に伝わります。

“目で語る”ことができているからです。

“The eye is the mirror of the soul”
(目は口ほどにものを言う)。
心の中の真実はなかなか隠せないものですね。

人前で話すのは苦手。
でも仕事だから仕方がない。
こういう思いでスピーチやプレゼンをしてもなかなかうまくいきません。

目の輝きをアップさせるには夢中になることを見つけること。これがいちばん大切です。興味のあることに集中すると瞳孔が開いた状態になるからです。 アメリカの心理学者E.H.Hessの実験は有名です。女性のヌード写真を男性に見せると瞳孔が20%も開いたそうです。

私は生徒さんを積極的に食事に誘います。

“美味しい!”

と生徒さんが叫んだ、その瞬間の目の輝きを私は自分の脳に刻み込みます。この“データ”が指導に役立つのです。

美味しい食事と楽しい会話をしているときのアナタの目はキラキラと輝いているはず。
スピーチを成功させるヒントは実はこんなこところに隠されているのです。

2012年02月20日(月) benjukuの投稿

無駄な仕事?

テーマ:ビジネス

人からの依頼を無下には断らない。

断るにしてもやんわりと断る。

けっして相手の面子を潰さない。

これが古くから引き継がれている日本の伝統です。

私の体の中にもこういうDNAが刻み込まれています。
私は頼まれごとが大好きです。自分ができる仕事であれば依頼は必ず請けます。時間がなくても、たいへんでも、ギャラが安くても頼まれればその仕事は喜んでお請けします。

“福澤さんは人から利用されちゃうタイプですよね”。
こんなことを言われると少しばかり不機嫌になってしまいます。弁塾の仕事に特化して、“無駄な仕事”は一切請けない。その方がいいのかもしれません。

“福澤さんは見栄っ張りだから断れないんでしょう?”
ますます腹が立ってきます。余計なお世話です(笑)。

私はこれまで多くの“無駄な仕事”に関わってきました。
振り返ってみて思うのは、そういう“無駄な仕事”が今の私をつくり出してくれているということです。今の私があるのは“無駄な仕事”のお陰なのです。

自分が行った仕事に関する限り、無駄だと感じたことは一度もありません。それどころか私の能力を高めることに大いに寄与してくれたと思っています。“無駄な仕事”にもっと関わっていればよかった!

私の目指すところは、
“アノ人に頼めばどうにかなるかも知れない”。
こう思ってもらえるような仕事人になることです。

私自身、これまで多くのアノ人に支えられて生きてきました。数々のアノ人たちの愛情溢れる協力や叱咤激励によって今の私がある。だから私もアノ人になりたいのです。

“『断る力』を身につけましょう。
無駄な人とつきあうのはやめましょう。
無駄な仕事はやめましょう”。

こういう流行に私は興味がありません。

“無駄な仕事”は鬼ではなく福なのですから。

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