糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。


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 浦本の間脇から東には鬼の付く地名が重なっています。間脇(マワキ)も本来は馬鬼→舞鬼→間脇へとなったと言われますし、鬼舞(キブ)は舞鬼を逆さにしたものです。鬼舞に続いて鬼伏(オニブシ)となり、両集落間は両鬼橋(リョウキバシ)が海岸沿いに走っています。

   浦本から崩れ山に到る海岸。国道8号線↑

 

 名称の言われにも諸説あるようですが、当地は古くから大陸からの渡来者が住み着いた所で、その容貌が土着の人々と異なっていたことから鬼のように見えたのでしょう。奴奈川姫伝説の中でも大国主命と土着の人々の争いがあり、この地方の鬼と言われる人々も関係しています。大国主命から妃の一人を貰って喜んで舞ったので鬼舞・舞鬼とか鬼を説き伏せたから鬼伏であるなどあるようです。この鬼というのが能生地区の海賊で夜星武だと言う説もあります。確かに能生には夜星岳と言う名の峯が鉾ヶ岳の一部にあり江星山などもあります。

 また、八幡太郎義家が当地の鬼と力比べをした伝説もあり、八幡社がこの地域に多くみられます。

 

  崩れ山の眺め↓

グーグルアースの空からの眺めでは崩れの状況がよく判ります↓

 

 浦本から木浦に到る海岸は浜まで山が押し出されています。昔の記録では永禄元年(989年)に浦本地域で大地震があり山崩れがおきたとの記録あり崩落した山肌がみられます。この地を崩山(クズレヤマ)とよんでいます。

この付近のコンビニ跡付近が広い台地になっていて、江戸時代後期には黒船対策に高田藩が台場を設置した場所でもあります。高見崎の御台場と言うものです。

 

 高見崎の西側の海岸縁には「順徳天皇御遺跡」碑があり、御霊がお帰りになつた時のお休み場所の一つです。碑には陸軍中将井戸川辰三謹書とあり大正13年4月16日昭和天皇の御成婚記念に建立したことが裏面に記載されています。

 この付近の海岸に見られる岩石塊には八幡様が当地鬼と力比べをした時、八幡様が竹光で石を切ってみせた八幡切り石や鬼の投げた大石などがありますがどれなのかよく判りません。付近には鬼が負けて逃げた鬼の背すり沢があります。

 

 

 高見崎の東部分には昔加賀藩や支藩の休憩所となった元の西性寺があったようですが、現在は鬼伏地区に移転されました。更にその隣の岩崎邸内の道路脇には明治天皇北陸巡幸の際のお休み所の碑があります。裏には史跡名勝天然記念物法により昭和12年7月文部大臣指定となっていますが戦後の現在では市の文化財にも指定されていません。この付近には明治時代に浦本の小学校もありました。

大正時代の崩山付近の地図(スタンフォードの古い日本地図より)↑

 

明治天皇のお休み場となった碑↑

 

 

 更に昔には鬼伏の番所があったものです。何処でも番所は難所にあって必ず通らねばならない場所を選んだようです。この地もそれに該当する場所ですが、天和か元禄時代に廃止となっています。海岸は絶壁で山が迫っている場所だからです。

 

 両鬼橋付近には面白い看板が立っています。「運転中の携帯はNO」此所は能生であると言う印です。センスのある看板の一つ。

 

 橋の下は鬼伏の漁港となっていて漁船が繋がれていました。この付近は江戸時代には北前船が活躍した地区で能生の中でも飛び抜けて多くの船がありました。宝暦11年(1761)頃の記録では能生の地域の中でも小泊が8、能生10,鬼舞27、鬼伏44船と言うようにこの付近が中心であったようです。この地域は昭和17年に浦本村と分村し木浦村となり、更に昭和29年には能生町となっていました。

  両鬼橋の下は漁港になつている↑ 昔からの加賀街道、鬼舞の街並↓

 

 この地域で面白いものに「鬼の墓」と言われる墓があることです。小高い丘の斜面に小さな墓がありますが風化がひどく殆ど何が書かれているのか読めません。西性寺の記録ではこの地域の三ヶ村の講の方々が経石を埋めその上に建立したもので聖徳太子の頌徳碑だとの見方もあります。西向きに「聖徳太・・・」裏の東側に「南無阿弥陀仏」とかかれているようでそのように見ればなんとなく字が浮き出てみえます。

 

 この地区には親鸞に由緒のある寺院が「鬼谷山西性寺」と言いやはり鬼が付きます。

この寺にも親鸞聖人が配流の際には浦本の海岸寺と共に度々訪れた寺で、門前には親鸞聖人旧跡の碑がありますが、これは浦本の海岸寺にあったものが此所に移されたものです。

 このお寺の歴史では現在の大阪城の地に石山本願寺があり、一向一揆と織田信長の戦い(天正4年1576年)の際にこの寺の淨当坊が出兵して勲功があり蓮如上人より寺号を頂いたとの事です。開基は浮願樹心(楠田出雲守源朝矩)亨保5年1720年に鬼伏から当地に移転。

 

 旧北陸線鉄道のあった敷地がところが廃線となり小高い丘に道路や自転車道が走っています。八幡社の脇にはツワブキで町おこしをした事を語る素晴らしい看板があります。この地区の方々の努力に敬意を表します。平成25~26年度に街造りパワーアップ事業の一環としてツワブキの里広場をつくり可憐なツワブキを保護・利用した街造りです。

 

 続いて五霊社(五社神社)がありますが、境内の石灯籠や鳥居などは北前船時代の名残でしょうか素晴らしいものが奉納されています。祭神は大物主命・伊邪那岐命・伊邪那美命・天目一箇命の他に市杵島姫命(弁財天)でやはり航海の神様も祀られているのは港町らしいところです。

近くには古くから北前船で活躍された「伊藤家」の標柱もみられます。

 

※ 能生物語・西頸城郡誌参照しました

 

 

 

 

 

 

 

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