糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。


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青海の街の西手前、字向山の落水(墜水)(おちりみず)付近には、小さな祠や碑が数々ありますが、あまり人が行かない場所ですので、昔を偲んで訪れてみました。いずれも峻険な地形が関係したことから設置されたものでしょう。まさにジオとの格闘が残されています。親不知の難所もここからが始まり歌地区までが子不知、歌から市振までが親不知、合わせて15kmの海岸道が難所でした。

   「人としておやしらずとは珍しや」岩田涼菟 (芭蕉の弟子)

 

勝山海岸は波がなければ通れます。↑ 落水の小さな滝↓

 海水浴後はシャワー代わりになります。

       「水落ちて糸を乱すやむら薄」 坡什

 

天下の剣と言われる交通の難所も立派な道となり北陸の大動脈が走るようになると、忘れられてしまった小さな祠が草深く埋もれてしまいました。

 

落水の上杉謙信軍神の祠

勝山登山口の海側の小高い丘にありますが、誰も訪れる人もなく、御神体も石ころが占領しています。昭和の昔、徴兵に当たり軍人となる方はこの祠にお参りして武運長久を祈願しました。

 

 謙信軍神祠の横には、落水不動尊がありコンクリートの箱で囲まれています。昔は、訪れる人も多かったものでしょうが、入り口すら判らない存在です。

草の中に辛うじて鳥居がみえます。↑ 祠の中↓

 

 更に勝山の下の海岸に出てみます。ここには花崗岩の崖が海岸の波打ち際までせまり潮の満ちている時や荒天で波の高い時には通り抜けが困難です。

この花崗岩の一つの岩に「無縁三界万霊供養塔」というのがありました。現在は波にやられたのか、基礎の石しか見当たりません。

勝山海岸から市振までの約15kmの東端であり、この海岸道で犠牲になった万霊を供養するものです。天保3(1832)年建立の碑は毎年8月27

日の盂蘭盆には清源寺住職が潮騒の中で追善読経をしているとの事

上の写真は青海町時代の「ふるさとの歴史」に載せられたものです。

 

ついでに勝山に上ってみますと、そこにも小さな祠があります。上杉軍の拠点城として狼煙台があつた処です。現在は山頂の広場にぽつんとこの祠だけがみられます。標高328.4m、秀吉と上杉景勝が会見し同名を結んだ場所と言い伝えがありますが、余りにも急峻な山城です。

 

更に勝山洞門付近では大正11年二月三日に大雪崩があり、除雪作業者を乗せた列車が直撃され90人からの尊い犠牲者がでました。その時に救出治療に当たった安藤俊夫医師の思いをついで子の安藤恒夫医師と安藤タカがこの慰霊碑を建立しました。この碑と勝山の旧洞門の脇には国鉄保線区が建立した慰霊碑があります。急峻な地形の災害を物語るものです。

雪崩災害救助に当たった安藤医師建立の慰霊碑↑

保線区が建立した慰霊碑には犠牲者全員の名が刻まれています↓

 

     勝山登山口にある勝山城跡の碑↓

 

勝山登山口の碑は元は順徳天皇の碑で名引にあったものを削り直して作成したものです。昭和12年に建立されました。  

 

 

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