糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。


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 加賀街道も天険を越え、外波の集落にまでくると少し落ち着きます。外波に続く歌地区までは、新幹線以外はトンネルもありません。高速道路や国道8号、旧道などが立体的に並び都会の交通網を想像させるものがあります。

           親不知の道路群↑立体的な並行道路↓



 海岸には「鬼蹴り岩」があり、海岸より離れた処に「投げ岩」があります。伝説によると、大国主命と地元の鬼が争って岩を遠くに投げたそうだが、大国主命が投げたのは沖まで飛び二つに割れました。鬼が投げた岩は海岸の近くに落ちて鬼の負けになりました。鬼は悔しがって自分の投げた岩を蹴り海に入りました。今でも鬼の足跡が残っているとのことですがよくわかりません。この当たりは工事中なのでなかなか近づくことができません。





     海岸近くの鬼蹴り岩と遠くにみえるのが投げ岩↑ 沖の投げ岩をピアパークから見る↓


 歌にある親不知駅は返り点の付いた駅で珍しい駅名です。糸魚川市には返り点が付くのが「親不知」と「子不知」「月不見池」です。昭和時代の中頃までは、信越化学社が石灰岩を近くで採取されこの駅から貨車で運び出されていました。


 
無人駅の親不知駅↑とジオサイトの説明板↓




 歌集落の入り口には文学者「水上勉」の碑があります。親不知は文学の上でも舞台になつていることが多く、天険親不知の断崖とこの歌地区は文学上でのメッカです。


天険の文学作品の紹介板↓




水上勉文学碑は小学四年生の関矢奈都さんの筆で人形劇の台本の語りの部分です。昭和40年に建てた碑です。水上勉作「越後つついし親不知」より。




        歌地区にある水上勉の文学碑↑と人形劇台本の一節↓



 

 駒返し(駒返り)付近は急峻の上、岩がゴツゴツしていて通行の難所でもありました。特に馬などの通行しづらい処でした。往時はここを馬で通るには難儀であったようですのでこの地点で馬を返した処です。


 古くは、聖徳太子が西方から羽黒山参詣の際にここで馬を下り馬子の跡見市兵衛に預けました。跡見氏はとうとうこの地に残り雲晴寺(真宗)を開きました。


    歌地区にある雲晴寺↓



聖徳太子の歌が残されていて、その後ここを通った親鸞聖人がそれに答えています。

 「萬代(よろずよ)と波はたち来て 洗えども 変わらぬものは水茎のあと」聖徳太子歌

 「水茎のあとも遠かれ歌が浜洗い流すな八重の白波」  親鸞聖人の歌

これが歌の地名のいわれとなっています。太子と親鸞が書いた岩は現在見当たりませんが、雲晴寺には碑になっています。




聖徳太子と親鸞聖人の歌↑と裏側には歌ヶ浜の由来が記されている。




駒返しには、源義仲(木曽義仲)軍が京都に攻め上る際にも、愛馬をこの地点で故郷に帰しています。

同じ源氏でも源義経なら通れたかもしれませんが。ヒヨドリ越えの話と比較しますと・・・・




        駒返しトンネル入り口↑と高野九蚶の句碑↓



更に、江戸時代に糸魚川の俳諧で活躍した高野九蚶の句が駒返しトンネルの入り口にあります。

 「岩角の蔦を手綱や駒返し」 トンネルには駒の絵が刻まれています。

この一帯も交通の難所でここから青海海岸までを子不知と称します。




  子不知海岸↑
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