今回の参詣は、足立区舎人に鎮座する舎人氷川神社(とねりひかわじんじゃ)へ。



当社は、埼玉県大宮の武蔵国一之宮氷川神社の御分霊を祀り、東京都最北端の氷川神社でもある。

創建は正治二年(1200)。


ここ舎人並びに伊興、入谷一帯では、古墳時代の祭祀遺物が豊富に出土し、古墳群や集落跡が発見されている。その伊興・入谷・舎人のそれぞれに氷川神社が鎮座するのが興味深い。







車を駐車場に止めてから氷川神社に向かいながら歩き出すと、「東京都」「足立区」と書かれた標識が視界に入る。ん?と思い、振り返ると「埼玉県」「草加市」の標識。舎人は県境の際の際だったかと気づく。








毛長川を渡って尾久橋通りを南に進むと、右手にひょっこりと鳥居が表れる。








緑が多く、明るく綺麗な神社。








手水舎


舎人周辺の神社は大概、手水に蓋がされていた。

この界隈ではかつて手水に何かやられた苦い経験でもあったのだろうか。







手水舎の屋根なのに、なかなか立派な彫刻が施されていて、すっかり感心。









親子の雙龍

しつこいけど手水舎でここまでやるかと思えてくるほど素晴らしい作品。








弁才天社


氷川神社の手水舎の向かい側に水の流れがあり、そこに一本の橋が渡され一社佇んでいた。









獅子と狛犬


右が阿形で、左も阿・・・、吽形だよね。持ち物はとくになし。







弁天社の中の御本殿。










弁天池御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載


弁天池の由来


この池の名前は弁財天を奉ったことにちなんで弁天池と呼ばれていました。

大きさは現在の二倍位あり、魚の形をしておりました。今日ではこの池にまつ

わる話が二つほど語り継がれております。

 一つは弁天様のお使いといわれる白蛇伝説です。

 昔この辺りに、白蛇が棲んでいました。たまにその姿を道路や田のあぜに現

しては「あっ白蛇様だ。」と村民に珍しがられていました。ところがたまにその

姿を現した後には決まって嵐などの天災に見舞われました。そこで、村内のど

こかで白蛇の姿を見かけると「白蛇様がお見えになったぞ。」とお互い知らせ合

い、雨戸を打ち付けたり天災に備えるようになりました。おかげで舎人村では

天災による被害は最小限に留められた様です。これも白蛇様のお告げによるも

のと白蛇に感謝し、弁財天のお使いとして大事に扱ったということです。

 もう一つは池に棲んでいた鯉と亀の話です。

 昔、村の子供たちが遊んでいるうちに、弁天池の鯉と亀を獲ろうということ

になり、何匹かの鯉と亀を捕まえました。獲ってみるとあまりに大きく美しい

ので、家にもって帰った所、数日の内に家の人々が原因不明の病にかかってし

まいました。そこで、「弁天様のたたりだ。」という噂が村中に広がり、名主様

の計らいで鯉と亀を池に戻した所、村人達はみるみる元気になったそうです。

その後、弁天様の亀を区別するために甲羅に目印をつけ、台風などで池から出

ていった時は村人達によって弁天池に戻されました。弁天様の御加護によって

舎人村には病人が出ることはなかったそうです。

 昭和三十五年に土地改良事業が始まり、農業用水が減ることによって池のみ

ずの循環が行われなくなると鯉や亀は棲めなくなってしまいました。そこで、

この度地域の皆さんの御協力と、公益信託あだちまちづくりトラストからの援

助によって、素晴らしい弁天池が蘇りました。これからも弁天池を大切に守っ

ていきたいものです。


 平成十年一月吉日

 弁天池を守る会










舎人氷川神社


正治二年(1200)の創建。当社では祭神名が明記されていなかったが、大宮氷川神社の御分霊であれば、須佐之男命か。誰によって創始されたかも不明。




御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載


当社の創建は古く、正治二年(一二〇

〇)鎌倉時代の初期に大宮の氷川神社を

勧請祭祀したと伝えられている。現在の

社殿は、天保七年(一八三六)の建築で、

総けやき造り、柾目の素材を集めて造営  ※柾目=まさめ

されている。唐様破風流れ造りの屋根が

大きく社殿を覆っている。その特徴は社

殿一面に施された彫刻美にある。向拝の

両柱の昇竜・降竜、正面扉の唐獅子や牡

丹、左側面の八岐の大蛇退治、裏面には

天の岩戸開き、右側面には天孫降臨の様

子が浮彫にされている。さらに、奥の両

袖の懸崖には親子の唐獅子が彫り抜かれ ※懸崖=けんがい

ている。獅子は子を千仭の谷へつき落し、 ※千仭=せんじん

子は自力で谷間から這い上がるという図

柄である。
 舎人は江戸時代には赤山街道の宿場と

して栄え、「ごぼうの市」に代表される市

場町としてもにぎわったところである。こ

の文化的・経済的な背景がすぐれた彫刻

を持つ社殿の建立につながったといえる。


 平成元年一月

 東京都足立区教育委員会







狛犬が見当たらなかったが、屋根瓦に狛犬像があった。

めずらしく右が吽形で左が阿形だった。






稲荷神社


氷川神社本殿左脇にある。境内社が複数あるので、時計回りに参拝してみた。





稲荷神社内の御本殿。

境内社はいずれも社号標がない。本殿(神札入れ)に「荷神社」としか見えないが、稲荷神社で間違いなさそう。









牛頭天王社


仏教色の強い「牛頭天王」の神社があるのは、都内でもかなり希少。




御本殿のとなりに抱き合った母子像にも見える石が一緒に奉納されていた。

天然の状態でこの姿かたちだったとしたら奇跡的。








多賀神社





御本殿に掲げられた社号は、いずれの神社も最初の一文字だけ読めないのだが、ここにきて困ったのは、「●賀神社」といったら「須賀」か「多賀」か、他県では「英賀」、「富賀」、「鈴賀」、「日間賀」までいろいろあって悩ましい。ほんの少し見える字の切れ端の形からすると「多賀」でいいんじゃないかと比定してみる。








八幡神社


境内社の最後は八幡さま。氷川神社の右手側にある。




御本殿





そしてなぜか縁の下に一匹だけ狐像が。しかも外の見て黄昏ているように見える。









あとは神輿庫。








氷川神社御本殿


境内社を撮影しながらふと見上げると、氷川神社の御本殿の彫刻の素晴らしさに目を奪われた。

こんなにもすごい彫刻は、滅多に見られるものではない。


本殿前の柱の昇り龍と降り龍、扉や頭貫、海老虹梁(えびこうりょう)までもギッシリ彫られている。









右側は天孫降臨の様子





背面は天岩戸開き。








そして左側面は八岐大蛇の退治


スサノオが剣を持ち一匹の龍と対峙している。群がる雲や迦楼羅焔(かるらえん)のようなものまで見受けられる。


どの彫刻も素晴らしい。

作者こそわからないものの、その意匠の優美さ、壮麗さに細緻な技巧は神社建築の中でも最高傑作ではないだろうか。








写真はすべて2015.5.30撮影


備考

社号 氷川神社ひかわじんじゃ

祭神 

創建 正治二年(1200)

祭日 九月中旬 三年に一度例大祭本祭(前回2013年催行)

末社 弁財天社・稲荷神社・牛頭天王社・多賀神社・八幡神社

社務所 あり但し常時不在か

所在地 足立区舎人5-21-34


※備考欄の内容は、当該社寺の公示又は典拠を基に記載し、不明瞭なものは空欄にしてあります。またこのブログ内の記事は、散歩としての見所やおススメポイントとして、私が感じた主観的な評価であり、当該社寺の格式や宗教的価値、ご利益等を評価したものではありません。






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