今回の参詣は中野区江原町の須賀稲荷神社へ。


須賀稲荷神社としての創建は昭和に入ってからというものの、古くからこの地の

氏神として鎮座している神社なのだという。



当社は、太田道灌が江古田原で合戦するにあたり戦勝祈願をした神社でもある。






住宅街の一角にあり、神社の南側向かいには江原小学校。








珍しいほど、社殿の大きさと、境内の広さが似付かわしくない。

立派な神楽殿もあり、祭日用のスペースか、社務所が公民館を兼ねているので、

多目的スペースだろうか。







  


これまで見てきた中でも、かなりめずらしい流造で、破風が二重になっている。

御祭神の素戔嗚と宇迦神の二柱を合祀したことに由来していそう。







  


境内左手にあるのが公民館兼社務所。

境内右手にあるのが神楽殿。


どうも社務所は、常時不在の様。御朱印や御守りの有無は未確認。











御由緒(最新版)   句読点、改行などそのまま記載


 はるか昔から、中野区江原町三丁目十七番地(現・こぐま公園のある所)に

二つの小さな祠があり、それぞれ牛頭天王(ゴズテンノウ)と宇迦之御魂神

(ウカノミタマノカミ)が祀られておりました。

その祠の西側では清水がこんこんと湧きでて、細い流れをなしていたこと

から、土地の人々が五穀の豊穣と疫病除けを祈願して祠を祀ったものだと

伝えられています。悪疫の流行を防ぐ神として「じゅくじゅく天王様」と庶民  ※

から親しまれ、多くの信仰を集めてきました。

牛頭天王は悪疫を防ぐ神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一され、また

社名の「須賀」とは、天照大神の弟である素戔嗚尊が出雲の国の斐伊川の上流で

ヤマタノオロチを退治した時に「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と

述べ、宮居を創立したという故事にもとづき名づけられた名称です。

「宇迦之御魂」は、稲霊(イナダマ)の意で、「稲荷」の語源である稲成(イネナリ)、

つまり、稲の育つ様を言い表わした言葉から来たとされています。

 江原町は昭和三十年代になって、人口増加と東京オリンピック開催を契機に

道路整備が進捗し、目白通りの交通量が激増し、天王様の境内での祭礼、町の

諸行事の開催は危険な為、困惑しておりました。

地元有志の努力により現在地に二神を合祀して移転し、昭和四十二年二月

十三日に宗教法人須賀稲荷神社を設立、昭和四十七年一月に諸建物を

起工、同年六月二十五日に神社、社務所(公民館併設)、神楽殿が完成しました。

その後江原町公民館運営委員会や町会、若睦が管理運営を行ってきましたが

平成十七年五月二十九日「須賀稲荷神社氏子会」が発足され現在に至って

います。   (由緒書より)



※じゅくじゅく天王様の「じゅくじゅく」は、ミジャグジ(石神井・宿神などの賽の神)信仰から

ではないかと思われる。






須賀稲荷神社と江原町公民館建設の由来(昭和四十九年度版)

旧字体、句読点、改行などそのまま記載


ここ江原町一帯は、昔江古田村原と称し土地の人々は惡疫の

流行を防ぐ牛頭天王と五穀豊穣を司る稲荷社を祀り、原の天

王様と称して信仰があつかつた。例年六月二十四日に祭典を

行つていたが、都市化の進展に伴つて祭事も途絶えかちにな

り昭和三十六年頃町会役員と若睦の間に神社と公民館建設の

気運が高まり昭和三十八年十二月にこの敷地を買入れ天王様と

稲荷様を移した昭和四十年七月建設委員会を結成し昭和四十

二年五月新たに宗教法人須賀稲荷神社を建設し旧社地(現在こ

くま児童遊園のところ)を処分した資金をもつて昭和四十七年

六月に社殿、神楽殿及び公民館が竣工した。この神社は宇迦之

御魂命、素盞嗚尊を奉賛し地域住民の安泰を祈願する祭神

である。終りにこの事業達成の日を待たず他界した、堀野良

之助、高崎高光両氏の霊に報い冥福を祈りここに事業完成の

記念碑を建立する。

 昭和四十九年十月吉日





記念碑(大正十二年度版) 旧字体、改行などそのまま記載


帝都近時盆發展此地亦戸口日稠月密而車馬來往愈繁道路

新修之要起加之冬日霜雪融解泥濘不可行兒童上學往返頗

困之於是堀野熊太郎氏圖開通新路氏巳歿發起者諸氏繼其

遺志建議村會得刕贊奮然起工聞者皆醵金援之新路幅三間

長六百有餘聞鑿丘埋田架橋築塘鋪以砂礫便兒童上學且通

江古田中野兩驛今也竣工乃建碑誌其來由云爾

  維時大正十二年四月吉辰 應需 芳山磯村權作并書





社号 須賀稲荷神社 すがいなりじんじゃ 別名じゅくじゅく天王様・第六天社

祭神 素戔嗚尊 宇迦之御魂神

創建 文明年間以前

祭日 6月24日

狐像 無し

末社

社務所 あり 但し常時不在のよう

住所 中野区江原町1-44-2


写真はすべて 2014.4.20 撮影






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