【狂猫抄】拾参 | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

【穴】に出会うまで、“男”はいつも憂鬱な気分だった。

自分の気の弱さが、全てに起因していた。

表に出れば、“男”はお追従と愛想笑いばかりをしなくてはならなず…そればかりか家に帰っても、家族にさえ本心を打ち明けられずにいた。

そんな“男”が唯一心情を吐露し、ストレスを発散できたのが、【穴】だったのである。


【穴】は、自室の壁にぽっかりと開いていた。
はじめは彼を苛める上司への、誰にも話す事の出来ぬ鬱憤を吐き出したくて、思いつく限りの罵詈雑言を【穴】に向かって喚き散らしたのがきっかけだった。

“男”の上司への罵詈雑言は、わんわんと反響し谺しながら、【穴】の奥へと消えていった。

その時になって初めて気付いたのだが…【穴】は、世界中にある【別の穴】と繋がっているようだった。

「行き場の無いもの」と思っていた彼の怒りが、世界のどこかで誰かの耳に届いているかもしれない…という思いが、“男”の気持ちを大きくさせた。


“男”は鬱憤の全て、苛立ちの全てを、毎日のように【穴】へ向かってぶちまけるようになった。

“男”の日常は、相も変わらずお追従と愛想笑いの連続だったが、そんな苦しみも【穴】さえあれば耐えられる気がした。


【穴】に向かって叫ぶ快感に毎日浸っていたくて、“男”はいつしか不満を探し求めるようになっていた。

不満はやがてパーソナルな領域を離れ、「社会への不満」や「政治への不満」、また「自分とは縁も所縁も無い人々への不満」へまで及んだ。


“男”は今日もヘラヘラしながら、お追従と愛想笑いの日常に、ひたすらジッと耐え忍んでいる。


“男”は心配していない。


気が弱く、お追従と愛想笑いに屈しなくてはならない「自分」という人間から束の間解放される【穴】というものさえあれば、“男”はいつだってハッピーでいられるのだから!


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