2012-01-28 11:31:40

日本語教師になったわけ

テーマ:ブログ

国立名門と呼ばれる中学校に通っていた。誰もが弁護士か会計士を目指す環境だったため、わたしは「中文大学の日本研究学科を第1志望にしている」ということを打ち明けることができなかった。聞かれるたびに「法律学科を選んでみた」という嘘をつき、みんなと「夢」を追いかけながら懸命に勉強した。


公開試験の成績がよかったので順調に中文大学に入学した。見事に会計学科に入った親友アイビに、「あきらめんな!試験落ちたけどもしかしたら将来日本語を生かしてビッグになれるよ」と励ましてもらった。わたしは何も言えず、ただただ、苦笑いしてた。


そんな中、わたしは中学校時代の親友達を離れ、日本語の世界に入った。そして、大学年の日本学生支援機構から奨学金を獲得し、名古屋一年間の短期留学をした。大学時代の日本語勉強、そしてこの1年間の留学を通して、日本語力を伸ばすだけに留まらず、香港とは異なる文化を体験し、国際視野を育てたと思える。卒業したら速攻で『良品計画』に採用されたのも、このおかげだと確信してます。


ある日、同窓会で久しぶりに中学校時代の友達に会えた。知らないうちに3人の公認会計士と、1人の会計検査官と、1人の投資銀行の投資顧問か何かわからない専門職に囲まれて座っている。席上では経済用語や業界の裏話ばっかりだった。


「今年景気よくないからボーナスが20ヶ月だけだよ」

「税金払ったらボーナスなくなるし」

「○○さんって同期でしょう?今度パートナーに昇進するって」

「パートナーが背負う売り上げっていくらだっけ?800USドル?」


金で人の価値が決まるわけではないが、資本主義社会ではある程度賃金や身分がその人の能力を表すのである。自分が就職してから6年目だけど月給が$14,450ということを考えると、さすがに早く帰りたくなった。


実際に帰ろうかなと思ったら、遅れてきた中学校時代の親友、アイビが入ってきた。アイビは私を見ると、「ハイディー!久しぶり!」と叫びながら私の手を取り薄暗い隅に引きずり込んだ。


「最近何してるの?」と聞かれた。

わたしは迷ったあげく、「日本語学及び教育学という修士課程を履修している」と唯一自慢(?)できることを言った。そう、コンプレックスで人にどう見られるのかが怖くて仕方がないわたし、中学校以来何一つ成長していない。


すると彼女は、「あの時何で嘘ついたの?」と言った。

えっ?嘘じゃないよ。わたしは本当に日本語を磨きたくて働きながら夜中文大学に通っている・・・ん?あの時?

彼女は、「わたし後で知ったのよ、公開試験の成績がクラスで2位だってこと。あの時香港大学の法律学科を選んだら余裕に入れたでしょ。」と話を続けた。


「でも、これから日本語教師になるよね」と中学校時代と変わらない笑顔で言われた。「わたし、言ったでしょ。日本語を生かしてビッグになるって!」


修士課程を始めたころは日本語教師になると思ってなかったけど、なぜかじーんとくるものがあった。


その次の日、わたしは城市大学の日本語インストラクターに応募した。まだ修士卒業してないのに応募したのはわたしだけ。そして採用されたのもわたし一人だけ。アイビの言葉には魔法がついてるのかな?


2007年の夏。


わたしは日本語教師になった。














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