これは、2005年に書いたものを編集して載っけています.

2005Be Greeeen2006Be Greeeen

1997.12.20、8年前の明日、桃がこの星に誕生した.

前から桃の誕生日には毎年、
日課となっているおやすみ前のご本を読む代わりに
桃が誕生した時のお話をしよう と決めていた.
今日はそのイブのお話...

桃がお腹にいると解った時、
私はメキシコのユカタン半島、カリブ海沿いの小さな街プレヤデルカルメンに住んでいた.
そこにはたくさんのルイナス(ピラミッド)があり、もともとはマヤの栄えた土地である.
桃のミドルネームであるIxchel イクシェルは、マヤの言葉で Moon Goddes(月の女神)、
その土地が本来持っていた地名から頂いた.

当時、メンドシーノの山に暮らしていた私は、5年間有効のビザが切れる直前で、
どのようにしたら、この国にまた暮らすことができるのか?と思案していた.
ラッキーが重なり手に入ってきたビザだったが、
独身の女の子に2度にも渡りビザが降りることは不可能らしい.
そんな時、半ばあきらめかけていた私に連絡が入り、日本に住む旅友達のマナに誘われて、
気分転換にとメキシコを南下する旅に出ることとなった.
その旅の途中、桃の父親であるトーマスと出会ったのが 、その街だった.

それまで一緒に旅していたマナがしばらくアメリカに戻って、
少しの間一人旅をしていたとき、私の人生を変える物語が幕を明けた.

突然そのタイミングで全財産を盗まれてしまうという事件がおこり
...途方に暮れることになったのだ.
日本から新しいカードが送られてくる迄の間、
私はその見知らぬ土地でなんとかサバイバルしつつ、待つしかなかった.
カードが届くには速くても1ヶ月ほどかかる.
といっても、その日に泊まる宿のあてもなく、お金もない.
スペイン語も片言の私の唯一の救いは数日前に知り合ったレゲエバンドのベーシスト
であるトーマスと偶然に道でばったりと出くわしたことだった.
彼とそのバンド仲間は、その隣り街に住んでいたのだが、
その時はライブがあったので、1週間その街のホテルにメンバーで泊まっているという.
事情を話すと、 とりあえずそこに泊まるようにと招待してくれた.救われた.
ボーカルのガールフレンドのフランス人の女の子が
フランス人の経営するホテルの受付をしていたので、
彼女の提案でフランス人観光客相手に指圧をしてサバイバルすることになった.

日本人でよかった.
昔ほんの少しだけ習ったレイキと祖母伝授の指圧をあわせて
自己流でにわかマッサージ師となったのだ.

偶然その付近には日本人が私くらいしかいなかったので、こんなにわか指圧師にも、
指圧を教えてほしいという人が現れ、気がつけば生徒が12人もいたのだから笑っちゃう.
隣の島にも週に一回船に乗って教えにいっていたくらいだから、
いざとなれば見知らぬ土地でもなんとかなるもんだ.

その街は冬になるとカナダのケッベク地方の人とか 、
ヨーロッパの観光客が寒さをしのぐため、
2~3ヶ月のロングバケーションに来る場所で、
とてもコスモポリタンで開放的な場所である.
毎年その時期になると顔なじみが集まってくるので、
不思議な感じの国際色豊かな村といった感じだ.
すぐに溶け込み、すっかり村の指圧の先生として暮らしていた時.
色々なバタバタのおかげかなにか、トーマスと電撃結婚となり、すぐに桃を身籠った.

ちょうどハニームーンでタイと日本とカリフォルニアへゆく予定をたてた頃に、
妊娠にきづいた.

日本へ行く前にメンドシーノの山に別れを告げたいとトーマスに話すと、
彼もその山でのコミューン生活に とても興味を示してくれた.
おじさんがメキシコでも有名なナチュラリストで,大学の教授の職を辞め、
バハカリフォルニアでインディジナスの人たちとコミューンを創り、
本も数冊書いているという.
親族の中では変わり者扱いだったらしいが、
じつは彼は青年期からそのおじさんの暮らしに憧れがあったという. 偶然はないのだろう.
そんな感じで、二人の気持ちはカリフォルニアのコミューンへと向いていたのだが...

トーマスはメキシコ人だったので、アメリカに入国するのはとても難しい.
一か八かの思いでメキシコのパスポートを持って
アメリカンエンバシーに入国ビザの申請へと向かった.

そしてうなだれて帰って来たトーマスが言うには、ビザの審査官が
君にはビザをあげることができないよといったというのだ.
アメリカ政府はメキシコ人にとても意地悪なことをきいていたので、愕然とした.
メキシコ人のトーマスと結婚した時点で、もしや...とは思っていたのだが、
どうしてもメンドシーノの山に住みたいという想いは、消えなかった.

一体どうして? と聞く私に...
彼が答えた....僕はアメリカ人だから、今すぐメキシコのパスポートを捨てるのなら
アメリカンパスポートをくれるといったというのだ.

what's happeneD ???

確かにトーマスはロサンジェルスにてアメリカ人の父と メキシコ人の母の間に生まれたので、
その可能性はあったが、 7歳の時にメキシコに移住し、そこで育っていた.
本人曰く20歳になった時メキシコ人として生きることを選択したと思っていたのだが、
何かの手違いで書類が まだアメリカ人のまま残っていたらしい.

もともとアメリカでの暮らしに憧れていたトーマスと話し合い、
私達はこの神様が仕組んだミラクルを受け取ることを選択し、
魔法が解けてしまう前にと、大急ぎでエンバシーに戻り、パスポートの申請をした.
そんなこんなで無事にアメリカ人となったトーマスともう一度結婚し直した私にも
自動的にグリーンカードが手に入ることになった.
おもしろいことに、メキシコには正式な結婚届と、テンポラリーな結婚届という2種類がある.
そこに暮らすビザをとる為に、簡単にできるテンポラリーな結婚をしていたので、
ことは簡単に済んだのだけれど、人生で同じ人と2度結婚してしまう奇妙な体験となった.

かくゆう成り行きで私達はカリフォルニアにまた暮らすことになったのだった.

桃を身籠った時にどうしても カリフォルニアに戻りたかったのは、
子供を出産するなら、 どうしても山で、と決めていたからだ.

そこは長野県程の大きさのメンドシーノ国有林の中、
所々にハンティングロッジがあるくらいで 、人が住めるような場所ではないのだが...
日本人の家族が3家族だけひっそりと、 その自然と溶け込むかのように暮らしていた.
元々は60年代のヒッピームーブメント前世の時期、
有名なレインボーランチが引っ越しを余儀なくされた辺り、
サンフランシスコやバークレーなどの
ヒッピー達が実験的に暮らしはじめた場所.
当時は世界中から入れ替わり立ち替わり集まる住民で大にぎわいしていたのだろうが、
今やそのブームも過ぎ、 ひっそりと落ち着いて住んでいるのは
なぜか日本人の2家族と私だけだった.

元々そこに住みはじめたのが、アレンギンズバーグやゲーリーシュナイダーなど
ビートニクスと時代を共にし、レインボーランチにも暮らしていたという、
知る人ぞ知る日本人ヒッピーの長老的存在である清香だったこともあり、
そこはメンドシーノの山奥にも関わらず... まるで、日本昔話の世界.

その山でのコミューン生活の先輩たちには、
現グリーンピース日本代表をしているプラブッタaka.星川淳など、強者たちが名を並べる.
有史以来、人が住んだことがなかったその地だが、
人を惹き付けてやまない不思議な力がある地でもあると思う.

彼の著書には、その当時の山での暮らしの風景の写真がいくつか載っているので、
興味のある人はみてみて下さい、な.
エルクバレーというコミューンの歴史の中でも、
かわらぬ景色や暮らしぶり...独特の空気が感じられるでしょう

そこにはこれからの時代に必要なたくさんのヒントがあり、
それらはそこで暮らす人々によって実験され、研ぎすまされ、
心地よさに満ちていてシンプルで循環する暮らし方を極めてきていた.
自然とともに生きていると感じられる暮らしが、そこにはあったと思う.

昔、清香のたっての希望で「わら一本の革命」を書いた自然農法の師、
福岡正信先生が訪ねてこられた時も、
ここはネパールかチベットの様ですねと言われた様な 不思議な場所.

私は92年から、そこに暮らしていたのだった.

そこでは皆、半自給自足の暮らし.
モンゴルのテント「パオ」の形を木で造った 「ヤート」と呼ばれる、丸い小さな家に住み、
(聞くところによると金星では 皆そういう家に住んでいるらしい)
薪を割り、薪ストーブと掘りごたつ、七厘を使い.
夏にはソーラーオーブンでクックして、パンやケーキまで焼いていた.
とても甘い湧き水を飲み、
家の外に置いた牛が水を飲むドラム缶を使っての 露天風呂まであった.

お風呂につかりながらなので、 冬の空の綺麗な時も天の川が移動するのを眺めたり、
フクロウやキツツキ、イーグルなどの鳥の鳴き声や カエルの合唱のみならず...
地球の回る音まで聞くことができた.

そんな暮らしぶりなので、
子供を自分たちの手で取り上げることも 、とても普通で自然な流れだった.

それでも、子供が産まれたことを認知してもらうには、
ドクターのサインが必要だったのだが、ありがたいことに...
私たちには強力な味方がいた.

40分くらいのダートロード(未舗装な山道)をガタガタと降りた
麓の小さな街アッパーレイクには、
セージとハーブの匂いがする不思議な病院があった.
その病院を営むドクターは山の住民の専属医師...と、いっても、
私たちは病院にお世話になることなく、
ほとんどを自分たちの身体はナチュラルメディスンでケアしていたので、
別になにを診察をする訳でもなかったが...代々、山で子供を自宅出産する
コミューンの住民の出産のときには快くサポートをしてくれる心強い存在だった.
子供を産んで戸籍を頂くには、妊娠しているという医師のサインがどうしても必要なのだ.

デッドショーやローリングストーンズのコンサートになると呼ばれ、
グレイトフルデッドのサポートドクターをながく務める彼は、
地元のコミュニティーである私たちの専属ドクターでもあった.

お金も保険もないわたしたち山の住民が、
ビールワンケース片手に訪れるといつも優しく出迎えてくれた.
彼だけでなく、受付をしているおばさんも...帰る時にウインクしてこういってくれた
「We love U 、Folks.」
代金なんかいらないよ、あなた達は私の仲間だから、ね.

社会の通常の在り方の枠にはまりきらない私たちの実験は、
そうして、自給自足というコミュニティーという在り方を目指す、
心あるさまざまな理解者によって、深い安心と心地よさをともなう循環の環の中で、
いつの時代においても、支えられ,育まれてきている.

独身の私もいつかここで子供を産むことになるだろうと 普通に夢見ていたのだ.

現代の都会の生活をしてきた私にとって、
それらはある意味マトリックスのように感じるくらいギャップがあるが、
私たちの頭とは別のところ、ハートの深淵に位置する意志が望むところには、
パラレルで存在する、さまざまな今という時代においての、
この星での存在の仕方のオプションが、星の数ほどもあり、
望みむところに優しく優しく差し出されるものだと、感じている.
そして、私たちにはいかなる在り方をも選択する自由と
それを生きるチャンスが無限に与えられている.

...波瀾万丈あったが、 こうして桃を、その山で誕生することになった.

今思うとそれは私の意志でもあったが...
子供はその子のありたいようにこの世に誕生してほしい、
私はその意思を尊重しお手伝いさせて頂くだけだと 強く思っていたので、
それは、桃自身の計画だったようにも、思っている.

桃とママ、二つの意思が紡ぎだす物語、なのだ.


つづく...

Lots of LOOOOOOOOOVE From Dairy of March 29 2008

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このお話は一個まえのEVEのつづきです.
とても長いものですが、よろしかったら、そちらから最初、読んで下さい、な.

2007Be Greeeen2008Be Greeeen


桃を身籠ったとき、私はメキシコに暮らしていたのだが、
妊娠というものをはじめて体験することとなった私の身体は、
フラフラでどこにも力が入らなかった為、きっと何かの病気だろうなんて思っていた.
数週間して妊娠が解る頃には食欲旺盛で、日頃フルーツとかを食べていた私が
朝から脂っこい炒め物とかを食べたくなり、一日そんな食事を食べ続けていたものだ.

その後,予定どうりのハニームーンで、久しぶりの日本の実家での数ヶ月を過ごし、
カリフォルニアの山に戻った頃には私も ちょうど安定期にはいるころだった.

出産まで残り4ヶ月、そんな状態で久しぶりに、戻った山...
シティボーイのトーマスにとって何もかもが初めましての山暮らし...が、待っていた.

薪の割り方、ストーブの火のつけ方 ...
当時その灰を畑に使っていた私達は、紙を使って火をつけないようにしていたので、
松ヤニのタップリしみ出している部分の木を
細く細く裂いてそれを火起こしのスターターに使ったり、松ぼっくりなどを使っていた.
それらの収穫や、きたる冬の山暮らしへの用意、薪の集め方,薪割り、積み方 .
露天に設けたドラム缶のお風呂の沸かし方、水の湧き出る水場に作った井戸の掃除.
雪が降った時の、山道の車の運転.
数え上げたらきりがない程のたくさんの初めてのことを
一生懸命覚えてくれたトーマスには感謝です.

寒い冬を選んで生まれてくる桃に温かい安全な場所を与える為に、
たくさんの薪を用意する為、森の中を歩き回った日々.

妊娠も出産も私にとっては初めてのこと.
ましてや近代の都会育ちのワタシ,子供がどのように産まれてくるのかなど
身近に感じることなく育っていることに、その時に気がついた次第だ.
たくさんの本を読み、お産婆さんになれるくらい勉強をした.
自分たちだけでのはじめての出産、頼りになるのは、私自身でしかないのだから...
日本にいた時には,お産婆さんでの何人かの出産に立ち会わせていただいたりもした.

アイヌのおばあさんの書かれたお産婆さんの本やら、
「アクティブバース」というとてもすばらしい本の中にちりばめられた
たくさんの心躍るインフォメーション、先人の体験から受け継がれてきた知恵...
それらが私においては、どのようにマッチしているだろうかと考えていた頃、
偶然にも、そのお産婆さん体験において、ちょうどその中で気になっていたことを
実際に観てしまうと云う場面に立ち会ってしまったことが、
私にはよいレッスンとなった....

上向きに横たわるような姿勢で出産していた人の赤ちゃんが、
出てきた瞬間に苦しそうにグヘッと言った...細い産道をクルクル回りながら、
新しい世界へと誕生した、瞬間だった.
ちょうどスクワッティングのポーズというのが、
排泄によいのだとしたら、分娩にもいいのでは?
と考えていた私は、その時、
私の時にはやはりスクワッティングのポーズがいいだろうと漠然と思った.
もちろん、その時々、人それぞれでしかないが...
本当に色々なポーズで子供は産まれてきていいのだし、
ママたちも積極的にそれを見つけていくことをお進めします.

そしてお産が長引いて朝方になっていた為か、
そのお産婆さんはでてきて間もなくに臍の緒を切ってしまったので、
その瞬間、赤ちゃんはフンギャアと苦しい悲鳴を上げたのだった.
長い旅をへて安堵の時にいるのだろうに...
その苦しそうな顔を未だ忘れられない.

お産婆さんというお仕事も人によって千差万別なのだと思った.
それを仕事として毎日マイニチそれらの機会に触れ、慣れているとはいえ、
一つの生命がこの星に誕生するその瞬間に立ち会うのだ、
その大切な瞬間の導き手としてお母さんから委ねられているのだから、
それはとてもとても聖なるお仕事だということを強く自覚していてほしいと思う.

...赤ちゃんとお母さんをつなぐへその緒には 、とても大切な役割がある.
産まれてしばらくの間もまだ肺呼吸になれていない赤ちゃんに 、
臍の緒を通ってたくさんの酸素が供給されている.
へその緒だけはどんなことがあっても、
ドクドクいっている間は決して切らないと、心に決めた.

時間がたつとコリコリしてドクドクいっているへその緒も 、
フニャとしたただの皮の袋のようになる.
そうなって始めて、デンタルフロスのような細い紐で二カ所をキュと縛り、
その真ん中を切ることが許されると思う.

10ヶ月にもわたる妊娠生活の間、勉強することはたくさん有れども、
学んだことを実生活の中で消化し、 最高のお産へと練り上げてゆくには
十分といえる時間が あったように思う.
そして、もう大丈夫と思えるだけ勉強し尽くしたら、
後は自分の直感やお腹にいる赤ちゃんの気持ちに波動を合わし、
一緒にどのように誕生したいのかを決めてゆくのみです.

桃がお腹にいる間は毎日お腹に手を当ててお話しをしてた.
その時、女の子で桃という名前がいいと 伝わってきたことがある.
桃にそういうと、こんな変な名前、自分でつけていないって 言われちゃったけど.
ママはなんてステキな名前なんでしょと、とても気に入ってるんだけど...な.
ミヒャエルエンデの「MOMO」は、大好きな本だし、
中国の古文書では桃は霊的なパワーを持つ聖なる果物としてとても大切にされている.

当時カバラの数秘術にこっていた私に、 桃はメッセージで産まれる日も教えてくれていた.
私の持つ22という数字と同じになる日に産まれて来ると いう.
二人は同じ役割を持ち、これからの人生を 一緒に働いてゆくことになるとのこと、
とてもうれしかった.
沙羅は11.これもまたいいバランス.父親であるトーマスは33.ぞろ目家族だ.

あくまでこれはすべて私が感じたということですが...
私はそれを信じることのみでなんとかここまでくることが できたのだから、
私にとっての...Sign なのだ.

カレンダーを見て数えると12月には22になる可能性の日は3日あった.
病院に行かずに産もうと決めていたので、いつが予定日なのかも定かではなかったが、
ただ当たり前のようにこの与えられた Sign は、宇宙のガイダンスだと感じていた.

桃が産まれた97年という年は、エルニーニョといって雨の多い年で、
10月11月12月と雨の降らない日は10本の指で 数えられる程だった.

桃を水中出産で産みたいと思っていたが、 私たちのお家のお風呂は露天.
さすがに12月の寒さの中、露天で産む訳には参りません.
ましてや雨の日ですと薪で火をおこして お湯を沸かすことも不可能だ.
ただひたすら雨があがるのを祈るのみです.

11月の末ごろから雨は雪に変わり...
桃を産む為の牛の飼い葉桶(牛がお水を飲む為のドラム缶)を買いに
街におりたかったが 、雪が深く山に閉じ込められているうちに、
12月に入り、いよいよ明日が最初の出産予定日という日.
朝起きるとお腹が少し痛く数滴の血が下着についていた.

新しい命がこの世に誕生するのにふさわしい場所となる様にと、
数ヶ月かけて大掃除をしてきていた.
必要なものも全てセットアップし、 窓の枠も何度もふき、
その窓という窓には何十にも虹色の薄いガーゼのカーテンを かけ、
赤ちゃんが産まれてきた後、少しずつこの世になれて頂く為に 一週間かけて一枚ずつ
カーテンをとってゆくことができるようにと用意は着々と整っていた.

なのに肝心のお風呂が用意されいません.

わたしは、お腹に手を当てて桃に言った.
あなたは今日産まれてきたいのかしら?
もし次の予定日でもいいのならそうして下さいますか?
ママのかってな話しですが まだ心と実際の準備が整っておりません.
でももし、どうしても今日産まれる必要があるのなら、 どうぞそうして下さい.

その時、今日は産まれてこないと..感じた.

その数日後、雪は雨に変わり少し溶けはじめたので 、思いきって街におりることにした.
数日かけて心の準備も整い、後は飼い葉桶さえくれば、空が晴れるのを待つのみだ.

大きなお腹をして雪かきをしつつ街へとおりた.
どこにそんな妊婦がいるでしょう.みんなが聞いたらけしからんと怒られそうです.
シャベルを持って車がスタックする度にタイヤの前を 雪かきしつつ、
やっとのことで街におりることができ、
完璧なかたちの桶を手に入れ無事に山に戻ることができました.

直径1メートル半程の丸い桶.
この桶が明日私達の聖なる場所になるのかと思うと待ちきれない想いだった.

夜の間中、相変わらず雨は降り続き...
朝、目が覚めると、はっきりと今日産まれてくるという感覚に 包まれていた.
雨も小降りでなんとかなりそうな予感.
トーマスにそれを告げると彼は雨の中なんとかお風呂に 火をつけようとがんばってくれた.
その時です. ..薄暗い空が割れてそこから一条の光が差し込んで、.
みるみる空が明るくなってゆき、
お腹の赤ちゃんが祝福された存在だという気持ちが 深く深く湧きあがってきた.

私は出産後の為の何日分かの食事の用意を急いでしはじめると、
その食事ができるかできないかくらいに陣痛がはじまった.
なんとか火がついてお湯が沸きかけていると 報告してくれたころにはかなりの痛みがあり、
隣のナオちゃんが様子を見に訪ねてきてくれて、背中をさすってくれた.
本当に今思うとギリギリのタイミングで沸いた お風呂のお湯を
お家の中に置いた飼い葉桶の中に バケツリレーで丁度運び入れ終わった頃、
陣痛もピークを迎えお湯の中へと入ることができた.

私と赤ちゃんの大切な瞬間をじゃましないようにと気遣って、
隣人のナオちゃんとヨッくんは離れたところに座って 見守っていてくれた.
何度か不安になり彼らをみるとウン大丈夫だよという顔で 頷いてくれ、ホッとして、
山奥に住んでいて本当に良かった、というくらいの大声を上げ痛みを逃し、
できるだけお腹の赤ちゃんに意識をあわせた.

手に頭の感触が感じられたので触っていると、
その直後の波とともに桃の頭が出てきた.
そして次の波とともにその小さな身体が 私の手の中に滑り出してきた.
喉や鼻のつまりものが流れる様、頭を下にして持ち上げるとオンギャアと一声泣いた、
肺呼吸に変わったサイン...
そのサインを聞いてホッとして 上を向けて抱きしめると、
こちらを見て微笑んでいるような表情をした、桃.
お風呂の脇にいたトーマスの方も見て微笑んだそう.

おっぱいを含ませるとスゴい勢いでごくごく飲みはじめた.
最初の一声以外は全く泣くことなくおっぱいを飲んでいた.
不思議だった、はじめてだろうにどうやっておっぱいを飲むのか知っているのだもの.
器用に舌で押しながら飲んでいる桃を観て、私たち人類の秘める野生の力強さを感じていた.

しばらくしてお風呂からあがり、
その後またしばらくして桃が眠りにつくのを待って
へその緒を切ったと同時に胎盤がすべりだしてきた.
桃はそのままスヤスヤと静かに呼吸を刻む寝息を立てて、眠っていた.うれしかった,な.

不思議なことにそれから年が明けるまでの10日間は、ポカポカと暖かい小春日和、
雨もいっさい降りませんでした.
鳥達が歌を歌い、 柔らかい光に包まれ、世界中から祝福されているように感じていた.

それでも私たちは一週間は表に出なかった.
一週間後に始めてお外に出て一緒にお風呂に入った時、
さすがお湯の中で産まれてきた子です...
それはそれは幸せそうにお風呂にプカプカと浮いていた桃が、
始めて見るお外の景色もウットリと眺めていたのを覚えてる.

桃が誕生してから数週間は私の意識もあの世とこの世を 半分半分行ったり来たりしている様.
心の中にはいつも光が射していて、細やかな波動に包まれていました.

桃ちゃん、私をお母さんに選んでくれてどうもありがとう!
桃ちゃんはママの宝物です.
これからもいろいろお手伝いさせて下さい. そして、色々教え育てて下さい.

   Happy Birthday Momo



たいへん余談ですが私の胎盤はあじさい色に光っていました.
そのプリプリしたプラセンタがたっぷりの胎盤を、
最初お刺身で頂き、残りはビーフストロガノフ風にして頂きました.
普通は病院がそれをお母さんの手に渡すことなく 化粧品会社に高額で売っているのです.
そんな貴重なものを頂かない訳にはいきません.
動物は普通産後その胎盤を頂くことによって、
子供を産むというたくさんのエナジーを使った身体を 癒しています.
私達人間も同じなのではないでしょうか.

Loooooooooove From Dairy of Dec. 21 2005

AD
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日だまりに座ってサラダを食べた.
hemp oil...たっぷりの green salad.....しあわせ

 

お家の電球を全部変えた.
太陽のフルスペクトラムと同じ七色光線の穏やかなピンクの光.
その上、かなり長い間使うことができる省エネ電球 ありがたい.
この星のグリーンシーンはひごと進化している.

近頃....ひごと募る思い. サスティナブルなライフへの気持ち、
じわじわを通り越した感じでグゥーングゥーンと引っ張り込まれていく想い.



weekend に、数年ぶりのお山に帰ってきた.
桃と沙羅が産まれた山、10年以上の時を過ごした山.

むかし住んでいた頃から、
床下には ラトルスネーク(ガラガラヘビ)の家族が同居していた.
その蛇は私が初めて山に住みはじめた時に、
家のすぐ近くにあるまん中に裂け目の入った大きな岩の中に住んでいて、
私の夢にでてきて、山の守り神だと告げた.
同じ蛇なのか、違うのかはわからないけれど、
私が家族をもったくらいから、 家の床下に住んでいて、時々顔を出す.

久しぶりの山の家は、草とブッシュで道なき道の奥、ネズミたちの住処とかしていた.
むかし住んでいた頃からの顔なじみたち....
1メートル半くらいの山の主、黒光りするラトルスネークも、
私たちの久しぶりの時間を出迎えてくれた


山に暮らしていた頃は、 半自給自足の暮らし....
そこは長野県くらいの大きさの森がシャスタ山までつづく、メンドシーノ国有林の中.

田舎暮らしをしているというわたしたちに会いにきてくれた友人は 口を揃えていう、
ここは country life じゃなくって、wilderness.
たくさんのネイティブアメリカンの友人ですらいう、
僕らもむかし昔はこういう暮らしをしてた、と.

でもね、そのたびに思っていたの. ここの暮らしは昔じゃなくって最新だってね.

わたしたちの住んでいたヤートは、
モンゴルのパオが木でできた6角形のまあるいお家だった.
角のない住処というものは、常にエネルギーや気が循環するので、
能率的だし、滞りがない.

噂によると、もうすでに5次元である金星では、
みんなまあるいモンゴルのパオに似たかたちの家に住んでいると 聞いたことがある.

小さなソーラーパネルで、毎日のほんの少しの電気をまかなっていたし.
最初の頃のケロシンとキャンドルの夕べもよかったけれど、
循環ということを考えると、 太陽の光で循環するライフというのはとてもいい.

森を散歩して薪をひろい、 ストーブにくべてパンを焼き、
その炭を七厘に移してご飯を炊いていた.




火をおこすのが大好きだった. ストーブに火をつけるときに、
決して紙を使うことがなかった.
松ヤニを見つけて、それを細く裂いたものをスターターにして、
松ぼっくりを使った.
風の流れを見極めて薪を微妙に並べるのが大好きだった
.自然の動きになれてくると、火はたちまち燃え上がる.

薪ストーブの炭は、 掘りごたつの中に置いた、セラミックで創った入れ物に移し、
冬の山小屋を足下から暖めてくれていた. 頭寒足熱....
その方法が、なによりのお気に入りだった.
気持ちよすぎて、コタツから出たくなくなるのが玉にきずだけど
.熱というものの原理は常に下から上に上がっていくので、
お家の中の一番下にある掘りごたつという日本の知恵にはすごいものがある.
縄文人も、半地下の住居に住んでいたらしいし.
コタツ布団の中、半地下の宇宙....では、
遠赤外線で暖められた、わたしたちの心臓から一番遠い足さんたちの中、
気持ちよくなった血液がぐるぐると身体を巡る.
炭が灰になったあとも、暖ためられたコタツ布団は夜じゅう、
わたしたちに暖かい余韻を残してくれる.

最後の炭が灰になると、 それを使ってお皿を洗ったり、歯磨きしたり
... トイレや畑にまいたり. 最後の最後まで循環する暮らしだった.

もちろんトイレは、お外にあって、穴を掘った中にバケツを入れて、
そこに2本の木の板を通し、そこにしゃがむ、日本式.
しゃがむというこのかたちは、排泄に抜群な効力発揮してくれる.
子供を産んだ時も、もちろん日頃から日々鍛えていた、このポーズだったし.
完全なオーガニックのすばらしい肥料は後に畑の肥やしとなる.

トイレはお家のお外、一番大好きな場所にあって、
最高のメディテーションな場所.
まわりを香りのよい ベイローレルの樹々に囲まれていて、
いつもベイのさわやかな香りに包まれている.

出かけるときに、それぞれがガラスのコンテナーに
お水を入れてもっていって、ようが済むとお水で洗っていたので、
トイレットペーパーフリーのうえ、とてもクリーンだった.
手動ウオッシュレットなのだ.


日のあたるデッキには、 ソーラーオーブンなるものがあったので、
お天気のいい日には、そこにお芋を入れておくと太陽熱で
おいしく調理されていた.ご飯も炊けるし、パンも焼ける.
 夏のストーブを使えない季節には、お世話になりまくった.

日本式の暮らしぶりだったので、
露天に牛が水を飲む為の大きなドラム缶を置いて、
薪で沸かして お風呂にしていた.
お風呂の横にちょこんと座って、 薪をくべながらポケッとしてる時が大好きだった.

だんだんと感というものが発達してくるのだが、 風がどう流れるのかを読みながら、
瞬間に次の薪をたしてゆくという遊びがなによりの大好物だった.

お風呂につかり、天の川から流れ落ちる流れ星を数えたり
地球の回る音を聞きながら、眠りについた日々.

そんなこんなで10年以上を暮らした山だったけれど、
沙羅が1歳半のときに、街に降りてきた.


久しぶりの山に戻って、源点(原点)に返った気がする.
それらは、長い間、魂の中、暖められてきたものでもある...
覚醒した星の文明.....

山に暮らしていた時に求めていたこの星全体での平和は、
今、街に暮らしながらも引き継がれている.

サスティナブル(永続可能/ちゃんと循環している)な、この星の在り方.


山から下りて、ここバークレーという街に暮らすいま、
もちろん暮らし方も、自然と変わる.

でも、その根底を流れるものは、変わらないから..
ここにこう暮らす時でも、暮らしはとてもシンプル .
いまさら複雑な暮らしは、とてもできない.

しゅんかん瞬間に、ここに居て、自分の動きや思い、
していることに意識的でいられない暮らしというのは、
生きているという感覚から遠く感じてしまうから.

今の街の暮らしの中でも、 ストレスフリーで地球と共に楽しめる 
life style を、日々、探求している.

その暮らしからはほとんどゴミが出ない.
今暮らしている街、バークレーは世界中で一番ゴミの少ない街



買い物はローカルのファーマーが集まるファーマーズマーケット.
週に3回、場所を変えて行われている



そこにゆく時はもちろんマイバック、 ヘンプでできた野菜ぶくろ持参でゆく.
プラスティックバックだって、洗って干して、使い回す..




野菜くずはコンポストにする. お肉は食べない.
誰かが作ってくれたときには、ありがたく頂くけれど.
基本的にお肉を食べるということが、
この星にどのように関わっているかを知ってしまったいま、
食べるなんて、考えられない.
お肉と一言で呼んでいるけれど、 もともとは生きている動物さん、
わたしたちの仲間.

その動物を食べる為に育てるのに必要な、今のシステムは、
実はガソリンをばらまいて走り回る車よりも、
もっともっと、この星の自然環境を痛めつけているのだ.

家畜を大量生産する為に与えるケミカル.
そのえさとなる穀物を大量に作らなければいけない為に、
大量に使われるケミカル.そのケミカルがこの大地に浸透してよごす土壌とお水.

むかし山でゴートミルクの為にヤギを買いたいと言ったときに、
山暮らしの先輩である清香がいった.
ヤギを一匹育てるのに、どれくらいの野菜を育てなくちゃいけないかを知ったら、
ヤギを飼うのをやめて、その野菜を食べようときっと思うよって、ね.
そして、そのとおりだと思った.

ガソリンを使わない為に車にのらないということより、
とても簡単に意識的に変化できるものに、食の転換、食の連鎖がある.


これは、そのシステムがわかりやすいので、ご紹介します.






戦争や核がこの星から無くなったら、ほんとにたくさんのことが変化して、
自由になることができるよね

そういうことが、少しづつ変化して、進化している今日この頃だけど、
できることは、まず家庭の中から...日々の暮らしの中から
....意識的になることから、はじまる

わたしたちは、みんなで一つだから. 小さな想いの一つ一つ、小さな動きの一つ一つが、
全体であるこの星の今を作っているのだもの.

ベジタリアンになることともう一つ...
気になっているのが、ヘンプという植物の持つ力.
ここ数年、ヘンプのオイルばかり食べているし、
お洋服も、タオルもシーツも、 全部ヘンプ....
とにかくこのヘンプのもつ波動がなんとも心地よいのだけれど.
実は他にも思うところがあるの.

このヘンプをもっとエブリデーライフの中に浸透させることによって、
この星がかなり楽に生きられるようになると云うこと.

本来のヘンプの持つ力というものは、 それだけで、
かなり自然にこの星が営まれるだけの恵みを包する.
聖なる波動もさながら、その育つ過程や創られる過程での在り方は、
たくさんの不自然なケミカルからも解放されて、母なる大地を癒してくれるのだ.
ヘンプシード、その種を使う、ヘンプオイル.
その茎を使うヘンプペーパー.ヘンプの衣料. 葉や種を使うヘンプの医療
ありとあらゆるものの代替えとなる可能性に飛んでいる.
代替えどころか、本来そういうものとして、 この星に与えられた恵みなのだもの.

そんなミラクルプランツには、土地の波動を浄化する力がものすごくあるらしい.
たった一本植えるだけで、その辺りの土の質から,
空気などの波動が大きく変化するという.
山から帰って来てから、 そこでヘンプを育てたいという気持ちがむくむくしてるの.
といっても法律を犯すわけにはいかないので、はやく解禁になってほしいものです.

Hemp is Hip, Hot and Happening

そんなとき、ちょうどいいなって思っていたご本があって、


大島に住む中山康直さんの書いたご本 「麻ことのはなし」(評言社)...お薦めです.


may peace prevail on earth


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ここ3日間の超ど級のハリケーンの被害で 、
メキシコのカリブ海にある私の家のあたりも
ほぼ全滅の被害にあった.
今日、心配してた、カリブの友人から連絡があった.
本当に大変だったらしいけど、 我が家は窓とドアがなくなっただけですんだ.
その友人も近くに家を持っていたんだけど吹き飛んで
子どもと一緒に私達のうちに逃げて小さくなって震えてたらしい.
今もそこに住んで無事でいるのを聞いて... ホッとした.

前に住んでいたメンドシーノの山が10年前の山火事で焼けた時の事を思い出した.
その時も5軒あったご近所の家のうち、 2軒の家は丸こげたが、
人が住んでいた3軒の家は丸焦げの中に、しっかりと残っていた
... 不思議な光景だった.
だってそのヤートと言ったら木で出来ていて 、
すぐに燃え尽きてしまいそうな小さな小屋だったから.
その時も大好きだった山や 、
100年以上生きているだろうって感じの見事な森が 、丸コゲになった.
それはそれは悲しかったけど、 こんな美しい人の住んだ事も無い森が、
轟々と燃え尽きるのをみて思った
きっとこの山がたくさんの人間のカルマを 、肩代わりしてくれたんだと.
だって、もし街があのような火事になっていたら、 本当に大変な事になってしまうから.

前に友人が話してくれたことを思い出す.本当に大切な事ってそんなに無いってこと.
本当に必要じゃないものを自分の生活や思いから削ってゆくと、
できるだけシンプルになってゆくと、
きっと、私達ってもっともっと今この瞬間を楽しく、
幸せで平和な気持ちで味わいつくせるんだって事.

私達の家が友人家族を守ってくれて誇りに思います.
本当に大切な事っていつもここにある.

Diary of 0ct 29 2005