Be Greeeen

カリフォルニア 、バークレーから.心地よく 循環して クルクルめぐる 日々の暮らし を綴ります.  sustainable life style of everyday life


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これは、じつのところ、とっても簡単なの.
ただ早起きしなくちゃなので、それは簡単じゃないの、かも.w
でもね、早起きって、気持ちいい.

太陽の光の中には、
今という時に大切な全てのインフォメーションがあるという.

毎日のその大切な情報が内包されている光を、
私たちの中に取り入れるのには、
太陽を真っ直ぐに眼で直視するのが一番だそう.

その光のパルスの中には、膨大なインフォメーションが内包されているので、
最初は1分からはじめて、毎日少しづつ増やしてゆく...
これが、とても大切なこと!

それで、最終的には15分もみていれば、
もうご飯食べなくってもいいぐらいの刺激になるそうな.

私はもうずっと長くやってるので、今は15分.
でも、食い意地のせいでご飯食べてます.

ただ、お昼間の強い太陽光線には、
直視すると眼をきずつけてしまう紫外線も含まれるので、
朝日の昇る30分、と夕日の沈む30分がお勧め.
この時間帯の光線にはその紫外線がないらしい.
確かにジーーーーーーッとみていても、眼がちっとも痛くない.

それと、夕日が沈んだ瞬間に一瞬だけ出る緑色の光を浴びると
一切病気にならないって聞いて、 わあーお、となって、
昔、山に住んでた頃は、家の前のデッキにみんなですわって、
その光をよく浴びていた.

山並みに真っ赤な太陽さんが沈んだ瞬間、
ボワーって本当に緑にひかる、の.

今は、民家の間に沈む夕日をみてるから、
その緑光線は浴びれないけど、
時々は海とか丘に行って、浴びている.

サンキュー太陽
バイバイ太陽
シーユートゥモロー~~~~~~
って、子供と3人で歌うのも日課.

..............................

参考に、ある方が書いたものを、ココに添付します.

0~3ヶ月

初日、安全な時間帯に、最高で10秒、2日目20秒、と1日ごとに10秒づつ増やしていく。
10日後には1分40秒ということになる。裸足で、地面に立って。目は瞬いてもいい。

太陽光線はものすごい利益をもたらすだけで害はまったくないという信念を持つことが大事。
そうすると(不食に関して)より早いよりよい結果をもたらす。
信念がなくても実践していれば効果は出るがかかる時間は長くなる。
一方日常生活においての規制は何も要らない。
これを実践している時は食べることを楽しんだら良い。
そのうちおのずと、空腹感はなくなっていく。
同じ時間に同じ場所でするほうがいい。太陽の周期を知っておくと助けになるため。
もしお祈りをするなら何を祈っても良い。

3ヶ月に届くころには眺める時間は15分になっているだろう。
人の目から入る太陽エネルギー、また太陽光線は視床下部管に充電する。
そこは、脳に通じる網膜の後ろにある管である。
この管を通って脳が光パワーを受け取ると、brainutorを活性化させる。
脳に遺伝子として存在するプログラムのソフトウエアが働き始め、
精神的緊張や心配がなくなるなどの変化を感じ始める。
その上、マイナス志向が消えうせ、何事にも自信をもって行動し始める。
これがはじめの反応で3ヶ月ほど続く。

人間には良い資質、悪い資質がある。太陽光のないところでは悪い資質が発達する。
太陽光が脳に入ると良い資質となって悪い資質と入れ替わる。
それは霊的目覚めにつながる。
聞いたり読んだりすることで迷うことがあるだろう。
赤ワインは体に良いと聞く一方でアルコールは良くないなど。
3ヶ月のサンゲイジング(太陽凝視)で、あなたの発達した霊性が、答えを教えてくれる。

あなたに元から備わる力が発達していく。
失望感、怒り、貪欲、妬みなどのマイナス要素は消え、
愛すべき人間となる。誰もがあなたを好きになる。
慈悲深い人間となり、世界平和に貢献するようになる。
積極的なアプローチで社会の問題を解決していく。
3ヵ月半過ぎるころにはすべてが変わるだろう。

心理学者は、悲しみは光不足からくると見ている。
サンゲイジングの習慣がつけば一生鬱になったりすることはない。
マインドのバランスが完璧になる。死の恐怖も消える。
マインドの状態としては死を快く受け入れるといった感じだ。
ことが起きるというより、あなたがことを起こすようになる。
心配はまったくなくなる。誰もが持つ精神的アンバランスを、光は取り除いていく。

3~6ヶ月

次に体の疾患が治り始める。
食べ物から同化されたエネルギーの70~80%は脳に取り入れられ、
緊張感や心配などのために働く。
精神的緊張がないと脳は前と同じ量のエネルギーを必要としない。
サンゲイジングを続け、緊張がほぐれてくると食べ物を摂取する必要量も減ってくる。

30分連続して見続ける頃になると、少しづつ体の不調からも解放されてくる。
なぜならその頃までには、太陽にあるすべての色が目を通して脳に届くからだ。
脳は、各組織に適切に行くように、プラーナの流れを調整する。
すべての内部の組織は必要な色のプラーナを十分に得る。
生命の維持に絶対必要な器官は、決まった色のプラーナに依存している。
腎臓、赤。心臓、黄色。肝臓、緑など。色は各器官に届き栄養不足に対処する。

これが6ヶ月をかけて体の不調から開放されるプロセスである。
3,4ヵ月を過ぎると、
体の不調を自己暗示(太陽を眺めている間病気が癒されるのを思い浮かべる)
によって治すことができる。

ソーラリウム:
水晶、色ガラス、天然石、宝石を用いる方法もすべて太陽エネルギー
(これらの天然石に蓄えられている)を活用している。
速く、より良いヒーリングを期待するなら、
天然石を飲み水を入れるビンに入れておくと良い。
ソーラリウムには、たいてい35mの高さのデッキがあって、
そこに7つのガラス棚が虹の各色で作られている。
このデッキは一日中太陽の周りをまわり、
診断された結果によって患者は適切な色の中でヒーリングされる。
同様に、各色のガラスの飲料ビンに、
水を8時間入れておくと太陽光線による変化が起きて各病気治癒に使われる。

光合成:
我々は誤解しているが、実際はクロロフィル(葉緑素)を必要としない。
それが必要なのは植物だけだ。人体は違う媒体でそれをする。
光合成は太陽エネルギーを使用できるエネルギー形態に変換する。
これで光電子が働き、電気が作られる。
目は太陽光全てのスペクトル(色の列)を受け取る。
それらは脳によって必要なときに体のあちこちに配られる。
その結果全ての病気が癒される。
太陽を眺め続けるとエネルギーはもはや精神的又肉体的疾患に使われることはなくなる。
よって、体の中での蓄積量が増える。
あなたは6ヶ月以内に、あなた自身を自由に駆使する人となる。

6~9ヶ月

6ヶ月頃には極小の食べ物の原型、太陽を食べ始めるだろう。
そうなると普通の食べ物を食べても体に有毒な廃棄物が入るのを自ずと防ぐ。

7ヵ月半を過ぎ、35分間眺める頃になると空腹感が消えていくのが明白になる。
食べ物摂取の必要が減る。
空腹感は存在するのに不可欠な、体のエネルギー要求からくる。
食べ物は体を機能させるのに必要なのではない。エネルギーだけが必要なのだ。
通常、食べ物(太陽の産物)を摂ることで太陽エネルギーを間接的に摂っている。
太陽光がないところに、生命は育たない。
よって、食べ物としての原型を摂取すれば、空腹感は減り続け最後にはなくなる。
8ヶ月までには空腹感がなくなっているのを体験するだろう。

怠けた、意志の弱い、または信念のない生徒の場合はこの時期は
9ヶ月(44分)の頃になるかもしれない。
その時期を越えると、空腹感は永遠になくなる。
空腹に伴い生じる体臭、渇望など、又痛みも同時になくなる。
それ以上に、エネルギーレベルがもっと高くなっている。
脳が太陽エネルギーで活性化した証拠だ。
おめでとう! よくやった! あなたはもう太陽のコックさんだ。

9ヵ月後

9ヶ月が過ぎ44分レベルに達したら、サンゲイジングをやめるべきである。
それ以上のサンゲイジングは目の保護のため太陽科学が禁じている。
今まで充電されるものだったその習慣は、やめると今度は体が蓄えたエネルギーを放出するようになる。そのとき始めるのが裸足歩きだ。
一日45分で6日間。ゆったりと歩く。速歩きをしたり、走ったりする必要はない。
日中のいつでも都合のいい時間でよいが、地面が暖かく、太陽が体に降り注ぐ方が好ましい。

裸足で歩くと、松果体又は第3の目と呼ばれる脳の中央にある重要な腺が活性化される。
大きな親指がこの腺を象徴している。
25年前、これは価値のない腺と思われていたが、
今は研究に値するものとなり今までで1万8千もの論文の発表に到っている。
今では魂の所在地として知られるようになっている。
松果体には視神経の末梢部分がある。残りの4本の足指も各腺を象徴している。
下垂体、視床下部、視神経床、小脳扁桃ここ2年の医学調査において
小脳扁桃は重要性を増してきている。

そこは太陽または宇宙エネルギーの基軸であり、
目から脳へと届く太陽光線を媒体に光合成を行うという重要な役割を果たす。
裸足で歩くと、体の重さが足指を通るこれら5つの腺を刺激する。
この刺激は地面の熱/エネルギーそれと頭もしくはクラウンチャクラに降り注ぐ太陽によって強まる。
チャクラは脊髄にはない。それは想像による位置で、実際は脳の中にある。
これら全てが磁場を創り、体、脳はあなたに注ぐ光によって充電する。
くつろくことだ。

1年間45分間歩く。食べ物はいらない。
1年間充電し、進歩したあなたに満足がいくなら、裸足歩きをやめてもよい。
その頃になれば3,4日に一度、数分太陽エネルギーを浴びるだけで十分になる。

しかし免疫力をもっと強化したいなら裸足歩きを続ければよい。
又は記憶力や知力を増加させたいなど。
足で感じる太陽の熱が増えれば増えるほど脳はもっともっと活性化していく。
それがまた松果体の活性になる。
松果体はある超常的、航空学的機能を持つ。
航空学的とは鳥のように飛べるということだ。
超能力、具現力を発達させ、同時に違う場所に体を置くことができる。
科学が人間の超能力を公認し、それを確証する医学実験も行われている。

食べることをやめると、解毒作用により体の各部分とその組織は浄化される(洗練される)。
その各内部組織は空間旅行と飛翔のための物理的パーツとなる。
内部組織にとっての有効的価値はまだある(食物消化以外)。
全ての腺にたくさんの機能があり、太陽エネルギーによって最高のレベルで活躍できる。

幸いにも最高レベルに脳を活性化することができたならきっと悟りを開いているだろう。
ほとんど全ての悩みは解決される。

歴史的に見ると多くの人が食べずに生きている。
1922年、ロンドンの帝国医学大学で太陽光線は
人間にとっての理想的食べ物であると定めた。
しかし、そのノウハウについて言及する人は誰もいなかった。
例をあげれば、ヨガナンダは「ヨギ自伝」の中で食べないことの秘密を知りたくて
多くの神秘家や聖者に尋ねる。
共通の答えは太陽エネルギーが秘密のドアから入り脳髄に届くというものだった。
しかし、彼らはそれ以上秘密を明かさなかった。
だからその頃の一般大衆にこの知識は届かなかった。いまは特別な時代なのだ。

*****(注)*****

brainutor:HRM (Hira Ratan Manek) の造語。
私たちの体にはスーパーコンピューターが備わっている。脳だ。
それは現在の最速のスーパーコンピューターをはるかに凌駕した能力を持つ。
そんな意味合いを込めて、HRMは人間の脳を�brainutor�と呼ぶ。
数え切れないほどの才能と、内在する無限の力を、すべての人が自然から与えられている。
ひとの能力を過小評価すべきではない。
そんな気持ちが�brainutor�という造語には込められている。

Oct.28 2006


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私がはじめて ここアメリカに来ることになったのは、
今から10年以上前...
当時 普通に名古屋でお勤めしてたんだけど、ある一冊の本とであったの.
それは ネイティブアメリカンのメディスンマン 、ローリングサンダーの本.
そして、その本の中に ビジョンクエスト と言う言葉をみつけ、
私の人生が 大きく変わることになった.



ネイティブアメリカンは 13、4歳になると 、ブランケット一枚を持ち,
自然の中に入り 自分の場所をみつけ、
その聖なる場所に とどまり 四日の間 何も食べず、
心と身体を 自然と一体化させ、自分の この世に うまれてきた意味(ビジョン)が 、
なになのかを 知る為に 祈り続けるというのだ.
そこで、もしビジョンを得たのなら、それを 自分のトライブ(村)に持ち帰り、
その ビジョン(道)を生きはじめる.
それが 成人として みとめられることで、
そのビジョンが いかに 奇妙なものであったとしても、
それが ビジョンとして 与えられたのなら、
人々は 彼(彼女)と そのビジョンを 尊敬し、
彼らが その道を行くことを 受け入れてゆくのだそうだ,
ビジョンの与えられないものは 年齢を重ねても 、
成人とは認められず 毎年毎年ビジョンを求めつづる.

日本では 20歳を過ぎると 皆 一応 成人として認められ、
自分の責任を持つよう 促される.
でも 一体 誰が 自分のビジョンを 知って 毎日を 生きているのだろう.
当時 私も一応一人前の 社会人として 会社で働いていたけど...
私の天命ってなにって 自分自身に 聞いてみたところ 、
何も答えられない自分がいた.
その瞬間から 取り付かれたように 自分の天命ってなんだろう?と 考えはじめた.

当時の 私は 英語も話せない、アメリカには 知り合いもいない、
ましてや ネイティブアメリカンなんて とんでもない未知の世界.
ところが 不思議なことに その1週間後、友人から 手紙が来て,
そこに ビジョンクエストの文字が!
ある出版社が 丁度 ネイティブアメリカンの本を出版して、
その著者が ビジョンクエストをしている メディスンマンだったから、
通訳付きで ツアー組んで 皆で会いにいこうっていうのだ
...これだ.宇宙が動いてる.

それからは 半年かけて 準備をした.
それまでは毎日 仕事が終わると レストランとバーのはしごの 日々.
ところがビジョンクエストの最中、
断食をしても 意識を集中させることができるように
準備をして下さいとの指示が、メディスンマンからあったのだ.
週に1回 断食をして,禁酒,禁カフェイン.
友達に会いたくって ミネラルウォーターのボトルとオーガニックのレーズンもって、
行きつけのバーとかに登場して 皆に笑われてた.
それから毎日、日記をつける 習慣をもつようにとのこと.
そうして 身体と気持ちの準備をして,ついにビジョンクエストへ.

そこは ワシントン州の スポケインという
小さな街から 郊外へしばらくいった 山の中.
サンベアーという メディスンマンが作った 小さなトライブ.
ネイティブアメリカンの人たちは いくつかのトライブに分かれ,
様々な場所で暮らしているのだが,
彼は その様々な トライブの持つ 伝統的な知恵を集め、
様々な人種が そこから学ぶ時が来ているとの ビジョンを受け、
スポケインに 彼独自のトライブを作り、
様々な 肌の色を持つ 仲間達と マザーアースと 共に生きる 生き方を、
学び、指導していたのだった.

そこは 日本の自然とは 全く趣の異なる スポケインの 大自然の中だった.
日本から 到着した夜は フクロウの 鳴き声を 聞きながら 、
初めて ティピという 彼らの 円錐形のテント中で 眠った...不思議と落ち着く.
彼らは エネルギーが 滞らないようにと、角のない このテントに 暮らしていた.

トライブでの、1日目.
彼らが 色々なお話をしてくれた.
私達の 文化の中では 忘れ去られた
自然としっかり繋がっている その意識のあり方に 驚いた.
その日は イニシエーションの一つで 身体と 魂を 清める為に、
スウェトロッジという 儀式をした.
丸い 小さな 柳で造った テントの中に 真っ赤に焼いた 石を たくさん入れ、
それを 囲むように 丸くなって 座る.
入り口を塞ぐと 中は真っ暗で 赤々と燃える石が 浮かび上がり、
まるで お母さんの 子宮の中に もどったような 錯覚に 陥る.
そこに 水をかけると 熱気が テントの中に 立ちこめ、まるで サウナのようになる.
それも とても息苦しく暑い、中には 倒れる人も 出てくる.
身体から 吹き出てくる 汗を感じながら グレイトスピリット(大いなる魂)に 祈る.
私達の ボディと スピリットが 浄化され 、
あなたの為に 働くことができますようにと...
儀式が 終わり、小さな 穴から 外に出ると、
まるで 自分が 生まれ変わったように 感じた. すがすがしい風が 心地よかった.

夜になると 焚き火を囲み、輪になって 話しをした.
私は サンベアーから ファイアーマンの役を 授かり、
焚き火が 燃え尽きることのないように 薪を くべつづけた.
初めての体験だったが、不思議と どこに薪をくべると
いい感じで 火が燃え続けるか、すぐに 解るようになった.

トライブ、2日目.
一人一人 山に入り 自分が ビジョンクエストをする場所を 探した.
私は できるだけ,身体が 私を導いてくれるようにと 委ねてみた.
しばらく歩くと 大きな 丸い岩が あった.
そこに 登ってみると 小さな くぼみがあった.
とても 惹かれたので そこのくぼみに 身体をはめ込み 感じてみた
...居心地が よかった.
ここなのかなっと 思っていると、
小さな とても綺麗な ブルーのトカゲが 現れた.
トカゲさん ここが 私の場所なの?と 聞いてみる.
すると トカゲが 岩の上の方に 登っていったので、ついてゆくことにした.
あとを おってゆくと、その丸い岩の てっぺんに ついた.
そこは まるで お母さんの お腹の上のようで、とても 落ち着く場所だった.
そして とても眺めが良かった. ..
そこですわってみた.もう どこにも 行きたくなかった,
ここが 私の場所だ という想いが 強く沸いて来て、涙が 出そうになった.
トカゲが 私の回りを一回りした.
まるで 導いてくれたように 感じた.トカゲさん ありがとう.

その夜、一人づつサンベアーのところに行き、
明日からはじまる ビジョンクエストについて話しをした.
私は とても 怖くなっていた.
日頃、怖いという気持ちになったことが ほとんどなく、
怖いもの知らずで 通っていたのに、
その夜は なぜか怖くて怖くてプルプル震えた.
それはなにか畏敬の念のようなとてつもない怖さだった.
サンベアーに話すと 彼はいった.
ケイコが 恐れを感じているのを 見て 私は 安心しました.
あなたは 準備が できているようですね.
自分が 変わってしまうかもしれない 未知のことに対して、
恐れを 持たないのは 子供です.
大人は 恐れることを 知っています.
あなたは 明日行きますか? ..はい、いきます.
恐れを 持ちながら 勇気を持って 変化の道を 選択する あなたの 勇気を 称えます.
ホッとした...大丈夫だと 強く思った. 未知の世界に 踏み込む決心が できた.

トライブ、3日目.
サンベアーと 一緒に 私の場所に 戻る.
彼が コーンを 使って 聖なる輪を 作ってくれた.
これから4日間、飲まず食わすで そこに とどまり、
ビジョンを 与えられるよう 祈り続けるのだ.
彼が 言った.
動物は とても 敏感なので この輪の中に はいってくることは ないでしょう.
もし この輪の中に はいってくるものが いたとしたら、
それは あなたに メッセージを もたらす為です.

そうして ビジョン クエスト...1日目..が,はじまった.

一日 ただ 祈り 座っていると 時間は とても長く 感じるものだ.
最初の日は 食べ物のことが 頭によぎり、
ここから戻ったら なにを 食べようかなどと 考えていた.
夜も寝ないのだから なおさらだ. 今 何時頃だろうと よく考えた.
不思議なもので 二日目にもなると 野生の感が戻ってくる.
太陽の位置や 星の動き 鳥の鳴き声などで 色々なことが わかるようになってくる.
二十四時間も そうして ただ 自然と 溶け合っていると、
私は これらの 一部なのだと とても 強く 感じるようになってくる.

色々なことを 感じて 2日目になった.
雨が 降ってきた.
見晴らしが良い 私の場所は 雨風を 防ぐ手立ては ない.
ただ丸くなって 小さくなって 頭をたれて、目をぎゅっと つむっていた.
寒くて 凍えて 鳥の鳴き声が 聞こえるのを まちわびていた.
遠くの方で 鳥が 歌いはじめた...もうすぐ 雨が 上がる.
震えていると だれかが 背中から温かい手で 抱きしめてくれたように 感じた.
まるで お父さんのように 温かく 優しい 手...ふわって 優しく 包み込むように.
うなだれていた 顔を 上げると、そこには 虹が 二重に かかっていた.
うれしくって 涙が 止まらなかった.
後ろから 私を 包んでくれたのは 太陽だった.
太陽の 温かさを あんなに 感じたことは 未だない.
...ありがとう ファーザー サン.
祝福されていると 思った.愛されて 守られている.

その日の 夜 とても 落ち着いていて 力強く 感じた.
自分の 中心に 自分がいる 感じがした.
夜中頃だったろうか、
とても まぶしい フラッシュのようなものが 何度か 目の前で 光った.
...そして 気が遠くなっていった.
目が覚めると 不思議なビジョンを 見たことに 気づく.
それが ビジョンだったのか 、夢だったのか 、定かではなかった.
気絶して 眠っていたのだ.
小高い山の 四方向から 色々な 仮面を付けた 人々が、山を あがってくる
...音楽を 奏で 踊りながら.
そして 山の上で 輪を 作ると、そこから 世界に 向けて、
平和の 光が 広がっていったのだった.

3日目....
夕方頃 四匹のオオカミに 取りかこまれた.
最初 一瞬 恐怖を 感じた.
きっと 4日も 何も 食べていないので もしかすると、
死臭が していたのかと 考えた.
次の瞬間 サンベアーのいった 言葉を 思い出した.
彼らは 何か メッセージを 持ってきてくれたに 違いない.
オオカミ達は 私の回りを ぐるぐると 何週か 回り、輪の中から 消え去った.
彼らが 私の周りを回っている間、恐れが 何もなく 大いなるものに、
身を委ねている 自分がいた.
一体 どんな メッセージを 運んでくれたのだろうか と感じてみた.
その 感覚からは...
信じる という 貴重な チャンスを 運んでくれた という 答えが 返ってきた.

最後の夜は一晩かけてサンベアーから言われていた
「デスロッジ」という儀式をすることになっていた.
イメージの中で 小さな二人の人が 丁度入れるくらいの 小屋を 作る.
そこに 年老いて 明日 死んでゆく 私がいる.
気になる人を 一人ずつ 招き入れ、別れの 挨拶を してゆく...
家族、友達、好きな人、苦手な人、
私の人生に 関わる すべての人たちを 一人一人 招き入れ 話してゆく.
明日 この世界から いなくなると 思うと、
今まで 言わずに来た たくさんの 想いが わいてきた.
気にし続けていたが 心の中に 封じ込めたままになっていた 言葉....
それは ありがとうでもあり、ごめんなさいでもあり、
好きです、好きじゃなかった、苦手でした.
...様々な 想いと 言葉 達...色々な 思いが 湧きあがってきたけれど...
話してゆくうちに 色々な 想いは 消えていた、
最後には ありがとうの 言葉 しかなかった. どうも ありがとう、さようなら.
最後の人が 帰ったら、空は うす蒼く 透き通り、
明けてゆく 空に 月が 淡く 白く 光っていた.
いま まさに 産まれたばかりのような 気がした.

山から下りて 皆のまつ 場所へと戻る.
もう 以前の 自分とは まったく違う 自分を 感じていた...とても 強く.
その後 4日間で 起ったことを 皆で シェアした.
話しはじめると 驚くことに ベアトライブの人たちが 泣き出した.
そして こう 言った...一番 下の 娘が 帰ってきた.
不思議だが 初めて サンベアーにあった時から、
お父さんという気持ちが 湧き出て止まらなかったのだ.
私の 見た ビジョンは サンベアの 見た ビジョンの 続き だったそうだ.
彼らは ビジョンを 信じて 今まで 暮らしてきたのだが、
私が その完結編となる ビジョンを 見たことで とても喜んでくれた.
不思議な 縁を 感じた.
魂の家族. 繋がる生命. サンベアは その翌年 この世を去った.
私が 初めて であった 心から 尊敬できる人.
いつか この人と 一緒に 暮らしたいと 思っていたの だが.

その5年後、私の最初の子である桃を お腹に宿しているとき、
実家に帰り そんなことを思い出していた.
ふと ベットの 横を 見ると サンベアーの 写真が 張ってあった.
そのとき フッと意識を よぎったことが ある.
もしかして 桃は その魂を 引き継ぐ 魂かもしれないと.
桃が 産まれた とき、彼女は ネイティブアメリカン のようで、
サンベアーに そっくりだったから また 驚いた.
私も父親も ひょろっとしていて 首が長いのだが、
桃は ずんぐりしていて 首がなく たくましい.
大地に 根ざしている 感じがする.
それが 私の思い込みであろうが、私は とても 感謝している
... 夢は 必ず 叶うもの だと.

この時に 受け取った ビジョンについて シェアしたい方は 、
いつでも 続きを 聞いて 下さいな.



ミ タ ク エ オ ヤ シ ン...繋がる すべての 生命に 感謝します




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私が ここ アメリカという地に 暮らしはじめたのは、1992年,

その年 この国は、コロンブスが スパイスを求めて インドに辿り着いたと 勘違いして始まった
この国の アメリカ合衆国としての 歴史が、500年経つということで,
あちらこちらで、たくさんの セレブレーションが 行われていました.

そんな中...幾つかの オルタナティブなグループが、中米のパナマや、アラスカ、
そして サンフランシスコから、10ヶ月という 期間をかけて、
歩いて ワシントンDCを 目指すという「ピースウォーク」が企画されました.

その 500年の 歴史は、この地に 代々 暮らす ネイティブアメリカンや,エスキモー、
中米、メキシコに 暮らす マヤの人たちなど、インディジナスにとっては、
血塗られた、とても 苦しい 歴史でした.

彼らが その500年の 体験を経て、学んだことから、
新しい これから始まる 500年は、平和な すばらしい 歴史にしていこうと、
世界13カ国から あらゆる宗教を超えて 繋がる「グローバルなトライブ」を 目指す人々が 集まり、
寝起きを 共にしながら、その違いを 超えて 大きな家族になることを 目指し、
アメリカ大陸を 横断したのです.

そんな10ヶ月の 体験のあと、過去生からの 縁なのでしょうか、私は この地に 暮らしています.
そして、その間の10年近くの時を ネイティブアメリカンたちと、
とても 近く 深く 関わりながら 暮らすことになりました.

それらの 暮らしの 体験の中...昨年、一つの 詩がでてきました.
よろしかったら、読んで下さい、な.

 「生きること」

.....旅をしてきた. もうずっと...随分と長い間...
色々な国に暮らす沢山の人々...
この星のさまざまな場所を旅して、 様々な暮らしぶりをかいま見るごとに、感じ続けていることがある.

文明が 造り上げたてきた もの...
そして、今も、未だ、 とめどなく、限りなく、創り続けていル.
最初、私たちは いったい 何を 求めていたのか、 すっかり、忘れてしまっているもの.

人類にとって、本当に 大切なものって、なんだろう...


一番 ひどい状態の  ルワンダ という国に  ボランティアに行った 友人がいる。
彼が、そこから戻って はじめたことがあった. 食料を送るより、 ドラムを贈る ということ.
生きる喜びを、 奪われたとき、 人々は力を失う.

彼は、そこで共に暮らす間、 強く感じた.
彼らの亡くしたものは... 歌い、踊る、喜びの力だった.


アメリカンインディアンのリザーベーションに  暮らした時にも、 同じことを感じた.

いくら貧しい土地でも、 その片隅に、
かぼちゃの種でも その辺にまいておけば、 ちょっとした野菜は育つものだ.

でも、実際リザベーションのマーケットには  野菜なんか売っていない.
巧みに、何かが行われている.

彼らの生活をおびえさせていたものは、 飢えることではなかった.
毎日毎日を、 ただ食べるためだけに、生きている.

巧妙に仕組まれた、巧みな錯覚.

何かに、もうどうしようもなくワクワクしたり、 喜びを感じたり、 満たされるということに、
だれかの力とか お金とかって 必要だろうか.

世の中は、巧みに、すり替えられ、 奪われてしまっている何か、に満ちている.


インディアンの一人の、 長い髪を三つ編みにしていた友人は、
その髪を切らないということが理由で、 リザベーションの学校から刑務所に送り込まれた.

サンダンスと云って、 ただ 祈り 踊るだけで、 それらに 隠された 見ることのできない
大いなる力におびえる政府は、 ありとあらゆる方法で、ことごとく それらを支えつづける賢者たちを、 追いつめる. それでも、彼らは... 見えない力に 支えられていた.


ベリーズとグゥアテマラの国境ぞいの  とおげの村を  がたがたなバスで通っていた時...

夕暮れの 静かな村  夕日に 淡いマジェンタに 浮かび上がる 質素な家々、
文明国には もう見つけられないような、 土の上に 直にたつような 家々.

夕飯の支度か  薪の燻る香りを嗅いで、 とてつもなく  満たされたことがある.
川で並んで お喋りしながら 洗濯をする 村の女たち...

そこには  なんともいいがたい  静けさとともに   調和と平和が漂っていた.


日本の  大都会で  産まれ育った私だけれど、
ある時、何かを思い、 その全てを捨てて、  山に暮らした.

見よう見まねで  初めた暮らしだったけれど、
私の中の何かは、 満たされていた.

街に暮らしていた頃と比べたら、 その暮らしぶりは  一見とても貧しかった.
けれど、必要なものは  最低限 全て 満たされていた、

むしろ  ただただ、生きている   喜びに満たされていた.

鳥の鳴き声と  ともに目覚め、 小川のせせらぎに  耳を澄まし、 夜空に  星の、流れるのをおった.
自然は 時に厳しく、 あらしの夜は  息を潜め、 それらが過ぎ去るのを、ひたすら  待っていた.

でも そこには、いつも とてつもない  安心と、落ち着きがあった.

そこで暮らす間、  飢えていること、 いつも 何かを  探していることが なかった.
ただ....そこに居たと思う.


まだ見ぬ土地を 旅するとき、
そこで 目にする 沢山の 情景に   心うたれた...

私は  何かを探していた...
長い旅の 途中、  その何かは、 貧しい村の  薪の煙とともに訪れた.

忘れられない  瞬間だった ...心地よさと、懐かしさ.


私たちが 無意識で していることが、  実は 沢山 あるね.
私たちが 飢えている時、
無意識に、沢山の 力の弱いものたちから むさぼり続けているものが  あるんだよ. 

人間は  意外と そんなに 沢山のものがなくても、  満たされる ものだと思う.
むしろ そう云うものがない方が、 逆に  満たされ易い のかも.


在りとあらゆる この星に 共に 生きるものたちが、
それぞれの場所で、 内なる力を 感じ、
静けさと 喜びと、共に 暮らして、いますように... いま、この瞬間も.

私たちは、 それぞれの 暮らしのなかにいる  この瞬間にも、
いつも 一つに 繋がっていて、全ての全てを  無意識で、共有しているのだと思う.


目覚めて、いたい.  どの瞬間に、おいても...


     thank you all my rerations
           poem: keiko k. forest april 15th 2007

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私たちが、何かを初める時、 実は、私たちはもうその中にいるんだと思う.

人生には、その存在がそこに深みを与えてくれるような、 出会いというものがある.
それは「完全なる可能性」のもつ側面の一つの 「縁」と云うもの.

そういう出会いというものも、 出会う瞬間が訪れるまでは、 それは物理的には知覚できていないよね.
でもね.. 実は私たちには、「予感」というものがある. そういう感じている何か、を信じてゆきたい、と思う.

人にしろ、場所にしろ、音にしろ、 そこに何かを感じるとき. その表層の部分というのは、当てにはならない.
いくら表層の部分での知覚がどうこうあろうが、その本質というものには、あまり関係がないことが多い

表面的には、すっとこどっこいの存在の、 その本質の響きに触れる時、その奥にはかならず、
繊細さや、温かさや、聡明さ、知恵の深さや、 愛の深さ、その存在の響きである美しさを感じる.

それらのものに、触れるお互いの中の何かがあるから、 私たちは響きあう.
そして、表層的にどうであろうと、 実は魂の深い部分で関わりあう. 私たちというのは、
「多次元の存在」であるということを、もっと意識的に深く「自覚」してゆく必要を感じているの.

多次元の存在...である私たちの本質.

私たちは「知覚」する.
今ここで、ささやかに続いている日々の暮らしの中で、 私たちはどれくらい自覚して知覚しているだろうか.

この頭を使って、その全てを自覚しようとしたり、 理解しようとしたり、コントロールをしようとした時に、
私たちがいる、現時点の在り方では、 とても限定されたものとなってしまうというトリックがある.

そこには限定してモノゴトを見るという  もう古いやり方の枠がある.
それを手放す時が、いま.
今という時に、 私たちが目覚めている必要があるのは、 ここのところだと思うの.

今のような移行期には、 表面的には何も起こってはいないように  感じることが多い。
そういう時にこそ、 表層的な意識の水面下で(見えないところとか、一見して感じられないようなところで)
多次元に存在する私たちの分身や、 仲間たちが大きく働いているということを 忘れないようにしたい.
それらは、とても静かな時にも、 急がしく未来を造り上げているの.

完璧なタイミングでモノゴトが運ばれ、 私たちがその生を体験しはじめるその瞬間まで、
それらは他の次元で、着々と開きはじめているよ.
それらが、一度に今ここで知覚される必要はないと思う.
必要な時には、 私たちはもうその中にいて、 モノゴトはそうして繰り広げられるものだから.

私たちに必要なことは、 私たちがそういう多次元に渡って存在しているということを
知っているということと、 その完全なる可能性を  信じていると云うこと.

完全なるタイミングでモノゴトは動いているということを  信じて、
いつも自分の立ち位置にしっかりと立っていると云うこと.(ハートの真ん真ん中)

疑って、 あちらこちらに思いを巡らすよりは、 どんな思いをも味わって、 それらを感じ、観察し、
ここにいて それらに対する自分の過去の選択を 受け入れてゆくということに、
もっと意識的で責任を持っていたい.

そうすることで、 私たちは 「信じる」と、云うことの秘められた本質の力に目覚め、
今ここに居るということの  意味を知るよ。

力を、 自分の立ち位置に居て、 自覚しはじめると、 人間は、
イマする必要のあることを きちんと自覚しはじめる.

私の知りうる数人のそうした人たちは、 自分の人生に起こることをよく知っていて「深く信じていた」.

そういう存在にとって「生きる」ということはとても意義深いものであり、
深い自己と云う責任に基づくものだったと思う.

彼らは自己の存在する意図をきちんと知っていて、 「生きていた」から、
そこにはいかなる恐れも無知も無駄も なかったように感じる。


1992年、ネイティブアメリカンの長老である 「イエローホース」が, 彼の最後のライフタイムに、
この星に降ろしてくれた最後のビジョンに沿った ギャザリングに導かれてそこに参加したことがある.

彼は、長年にわたる彼の夢見の中で、 その風景を全て知覚していたの.
そして、この世を去る直前にそれを彼の最後のお役目として 「実現化」していった.

彼の夢の中には、 歴代の沢山のネイティブアメリカンの知恵を持つ方達が 、何度も現れ、
事細かにその図を表していったと云う.
ここにこの角度でティピを建て、 ここにこう火をおこし、
彼は、そこに集まった一人一人のエネルギーのもつ 意図をも知っていた.

そこで起ることの一つ一つのことの持つ意味の深さを、ね.

そこの場所は、無言の深い部分でのお互いに対する  尊敬のエネルギーが満ち満ちていた.
彼は、その輪の中で言った.
私はこれが終わるとこの世を去ります、と. ..その姿はとても美しく勇気と愛に満ちていた.

彼はもう立っていることもできず、 輪のまん中で横たわっていて、 一生懸命話してくれていた.
英語のよく解らない私にも、 彼の語る言葉の一つ一つが  響いて深く、染込んでいった.
ただただ、素晴らしいものだった.

世界中から、約束どおり、その役割にそって、 そこに集まった魂たちが、
数日に渡り、 そこに完璧な peace を 実現化したの。

1日目は、隣にいる人たちと、色々話し合った.
そして、響きあい、抱き合い、お互いの響きを理解しあい、 愛を感じあった。

2日目は、とても小さな沢山のサークルが、いくつか創られた.
それぞれの居たいと感じるサークルに、 参加して、 それらは様々な小さな調和を、生み出した.

3日目...その小さな輪は重なり、統合されて、 更に大きな少数のグループとなった.
そして、もう少し全体的なことについてみなで話しあい、始めた.

最後の日は、 みんなで約束どおり、
自分たちの暮らす世界中の場所から、 持ち寄った様々な石をもって、 大きな一つのサークルを創った.
そこから世界中に向けて、調和の波動が流れていった.

それは、私がその前の年にビジョンクエストで 見た、そのものだったから、
私には、そこから起こってゆくであろう この星の次なるビジョンが「信じられた」.

今という時、 この星は本当に大きな変化のときを迎えているよね.

私たちの日々のささやかな思いは、 その大きな変化に、
実はひとつひとつ大きく関わっているのだということを 自覚してほしいと思う.

集合意識というものを 超えて存在してゆく為には、
私たちが今までの時代に触れてきた沢山の感情... そういう集合意識というものが、
私たちの瞬間を通して、 形を変えてゆく時と云う必要性をしっかりと自覚して、
それらを一つ一つ丁寧に手放してゆくことが必要です.

それらは決して個人のものではなく、 全体として造り上げてきて、 壊してゆくものだから.

私たちが共に力を合わせて、 まるっきり 『新しい世界』を、 この星に造り上げていく、
その時まで、 イマすることは、そういうこと.

目の前にないことに思いを馳せるのではなく、 今を生きると云うこと.
魂の深い部分で、「知っている」ということと、 それらを「信じる」という力を取り戻すこと.

モノゴトは、 「完璧なタイミング」で、あらわれてくる. ..そう信じています.

あっ、あともうひとつ、 ものすごく今という時に大切だと感じ入るもの
「次なる場所に自ら行こうという選択」への意志と勇気、かな。


loooooooooove u all

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Think Globally Act Locally

この星のこと、わたしたちを活かし、育んでくれている地球のこと...感じて、感謝が溢れてくるの.

この星も、この宇宙も、 わたしたちと 繋がって 溶け合っている エッセンス...
それら 全体で 造り上げている 今 この時... 運命共同体のようなもの...生きるという ゲーム.

そして、その母なる大地の上、どのように 生きて いきたいのか...
どのような 個として、 どのような 仲間や 家族と、
どのような 環境に、 どのような 社会に、
どのような 国に、 どのような 星に...暮らしていたいのか...
それらは 与えられるものでは なく、 自らと繋がるもの 全てに、
わたしたち 一人一人の しゅんかん瞬間の在り方が 与えてゆくもの... そう 思うのです.

瞬間の思いや 状況に、 決して 眼をつむることなく、
責任を持って、この瞬間を 創造して、 今を 生きてゆきたい、な.

感じているのなら、まずできることから、したいことから、
そこに向かっての 最初の一歩を 、ひとつでも 行動に移していく.

そういう 力の目覚めを 感じています.


そんなわたしに 力を与えてくれる言葉を、 みんなにも シェアさせてください、な.

最後は 全てうまくいく. だから うまく行ってない時は、 まだ 最後じゃないって言うことなんだ
Everything will be alright in the end.
When everything is not alright, and when you have problem, it is still not the end.


「The Invitation/招待」オライア・マウンテン・ドリーマー (ネイティブ・アメリカンの長老)

あなたが生活の為に 何をしているかは、 どうでもいいことです。

私は、あなたが何に 憧れ、 どんな夢に 挑戦するのか 知りたいと思います。
あなたが 何歳なのかということも、関係のないことです。

あなたが、愛や夢や冒険の為に、 どれだけ自分を賭ける事ができるか知りたいのです。
あなたがどの星座の生まれかということも、 どうでもいいことです。

あなたが本当に深い悲しみを知っているか、 人生の裏切りにさらされたことがあるか、
それによって傷つくのが怖いばかりに、 心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。

あなたが、自分の物であれ、 人の物であれ、痛みを無視したり、 簡単に片付けたりせずに、
それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。

また、喜びの時は、それが私のものであれ、 あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、
恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。

気をつけろとか、現実的になれとか、 たいしたことはないさなどと言わずに。
私は、あなたの話すことが 本当かどうかには 関心がありません。

私は、あなたが 自分自身に 正直であるためには、
他人を 失望させることでさえ あえてすることができるか どうかを 知りたいのです。

たとえ 裏切りだと 責められても、 自分自身の 魂を 裏切るよりは、
その非難に 耐える力を 選ぶことが できるかどうかを。

たとえ 不実だと言われても、 そんな時に あなたがどうするかによって、
あなたという人が 信頼に値するかどうかを 知りたいのです。

私は、あなたが 本当の美が わかるかを 知りたいのです。
それが 見た目に美しく見えない時でも、 毎日 そこから 本当に美しいものを
人生に 汲み上げることが できるかどうかを。

私は、あなたが たとえ失敗しても、 それを受け止めて、ともに 生きることができるか、
それでも 湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かってイエスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのす。

あなたが どこに住んでいるか、 どれだけ お金があるかは どうでもいいことです。

それよりも、あなたが 悲しみと絶望に 打ちひしがれ、 どんなに 疲れ果てていても、
また朝がくれば 起きあがり、 子どもたちを 食べさせるために、
しなければならないことを するかどうかを 知りたいのです。

あなたが 誰を知っているか、 あなたが どうしてここへ来たかは 関係ありません。
私とともに 決してひるまずに 炎の只中に立つことができるか どうかが知りたいのです。

あなたがどこで、何を、 誰と勉強したかは どうでもいいことです。

私が知りたいのは、皆が見捨ててたったひとりになった時、
あなたの内側から あなたを支えるものは 何かということです。
私は あなたが 自分自身と しっかり向き合い、 その何もない時間の中にいる自分を、
心から 愛しているのかどうかを 知りたいと思っているのです。


loooooooooove u all

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 山里に畑を造るとき、
昔の人は必ず山の麓に動物の食べ物となるような木を植えていました.
ドングリやスグリ、しいの木やコケモモ、
豊かに実をつける木々を動物たちの為に人間が植えていたのです.
動物たちは、里近くまで下りてきても、それらの木のみを食べてお腹いっぱいになるので、
畑まで荒らすことはありませんでした.
 今のように畑のまわりにネットを張ったり電流を流したりしなくても、
野生動物も人間も豊かに暮らせる文化をもっていたのです.
 農作物の収穫祭というのも、生活の知恵の一つでした.
山の神に農作物を捧げると称して、作物の一部を山の中に置いてきます.
これが実際には冬場、エサの少ない動物たちの貴重な食料になっていたのです.
 こうして昔は、動物たちと人間が共に豊かに暮らす為の知恵がたくさんあったのです.
昔と今とでは環境も人々との生活も違いますから、
そのまま過去に戻ることがよいとはわたしも思いません.
今の私たちが過去の知恵から学ぶべきことはあるのではないでしょうか.
 いのちの循環を続けるには、人間だけではなく、
他の生き物たちにとっても豊かに生活できる環境がなければなりません.
 自然と共に生きるのではなく、自然の中で、自然の一部として人間が生きる為には
どうすればよいのかということを、私たち人間は考えていかなければならないのだと思います.

   『生き方は星空が教えてくれる』 木内鶴彦さんのご本より.


わたしが、メンドシーノの山に暮らしていた時にも....
毎日が動物との共同生活だった.
畑のものは、私たちより動物の方がたくさん食べていたような気がする、な.
お家の床下には、ガラガラヘビの家族が同居していた.
それでも、そういうことが日常となると、自然と慣れていく.
学生時代もその後も毎晩クラブとバーで遊び回っていたような、
スーパーシティーガールのわたしでも、
あるとき何かを思い、暮らしを変えようと思い立ち、
そう暮らしはじめたらすぐに慣れていったのですもの.

それでもね、山暮らしが始まってから、時々日本に帰って、
実家は街のど真ん中なので、名古屋駅からの帰り道に
耳を塞ぎたいと思う高架下の騒音に包まれた時には...
野生動物さんたちがここに暮らせないのはこのせいだろうなって、
ぼんやりと考えたりしていました.
いつも自然に囲まれて静かなところに暮らしていると、
5感というものが開いてくる、もちろん6感も....
街の騒音の中では、自然と耳のチャクラも閉じていくもの.
そうでないと、大騒音の中、敏感すぎて身も心も壊れてしまうもの、ね.
波動にも、少しずつ鈍感にしていかないことには、
実際サバイブできない現代人の暮らしというものがある.
お山から街であるここバークレーに下りてきたときも、
かなり苦しかったもの...今はなれてしまって快適ですが...
などなど、想いを馳せながら...


先日、アメリカンインディアンのラコタ族などのトライブが、アメリカから独立した.
わたしがアメリカ大陸を歩いて横断した1992年にも、
ニューヨークにある5つのネイティブアメリカンのトライブが独立した.
今、ハワイアンたちも、また、独立への希望とともに生きている.

そうして彼らの本来の自由が確保され、
生命へのリスペクトがなされてゆくこと....
オリジナリティーが輝きだすチャンスが復活することによってこそ、 初めて、
国境というものを必要としない世界が現れてくるんじゃないかな、と思います.
だから、心から湧きあがるたくさんの光を注ぎたいと思っている.

ここ数年....たくさんの国の先住民の方達が、
一つになろうとしている....そのことに、今とても光を当てたいと思っている.

アメリカンインディアン....と聞くと、
きっとみんなはものすごく漠然と彼らのことをとらえていると思う.

わたしが長い間、彼らと生活を共にした時に、垣間見た現実というものがある.
それらと、みんながネイティブアメリカンと一口で呼んでいるものの間には、
かなりのひらきがあるように感じている.
それは、メキシコでマヤの土地に暮らしたときも、じつはまったく同じだった.
アイヌの方達を二風谷に訪ねて過ごした時に、感じたものも、また同じ.

実際、彼らの生活の中で、聖なる在り方を守っている存在というのは、
ほんとにほんとにマイノリティーだったのです.
たぶん一つのトライブに置いて数家族から数十家族くらいかしら?

違うトライブでも、お互いを知っているくらいのマイノリティー度です.
それは日本のヒッピーとかナチュラリストと同じ感じかしら?
皆が皆、顔なじみだもの、ね.これぞ波動の法則、でしょ.

ネイティブアメリカンたちがリザベーションという貧しい環境の中で、
驚くような過酷な暮らしを与えられ、ありとあらゆる差別をうけ、
そこから逃れることもできないかごの鳥のような状況を与えられているうちに
染み付いた世界感というのは、とても荒んだものでした.

子役でインディアンものの映画『dance with wolfs』にでて、
一躍有名になった髪の長い少年、
彼の家族とその親戚は、有名になったんだからもういらないだろうと云って、
すべての保証を取り上げられてしまいました.
名もない彼がその映画にでて得た報酬は微々たるものだったというのに.
.....見せしめです.
彼らがその保証を取り上げられた時に、
インディアンリザベーションの中で彼らの暮らしを支える手段は他にないのです.

自由がまったく拘束された環境の中、彼らはテレビを見たりするくらいの娯楽しかなく、
無意識で自分たちの生い立ちにコンプレックスをもって生きていた.

ヒップホップの歌手とか、アメリカンムービースターに憧れて、
表層だけのことにしか意識のいかないように仕組まれていたのです.
そして、ほんとにそのような人たちがほとんどだった.

少し頭が良く力があるけれど、欲がある人たちは、
また上手にトリックされて、FBIは巧妙にお金というワル知恵を使い、
彼らの欲を使い、内部を分裂させていた.
一部のお金と権力の欲しい身内を上手に操り、
インディアンカジノを造るなどして、
伝統的な生活を守ろうとしている人たちは、身内からも暴力を受けると云う生活.

どういうことか分かりますか?

わたしの大切な仲間たち、とても精神的な人たちは、
ちいさな子供のうちから自分で身を守らなければいけない為に、
ライフルの使い方を学んでいた.そのことは、友人としての私の心を締め付ける現実だった.
時々訪ねると、家の窓ガラスや、家具にはライフルで撃たれた穴がいっぱい
.....それでも、一生懸命に守ろうとしている彼らの大切なもののことを思うと、
息が詰まるような想いだった.
それでも、彼らはみえない力を信じて真っ直ぐに生きている.

実際に、わたしのような日本人が日に焼けるとほとんどインディアンだったせいか、
一緒に歩いているだけで、石を投げられたり、車にひかれそうになったり何度もした.

そういう彼らは、ほんとにほんとにマイノリティーなのです.

マイノリティーが、そのような多いかぶさる力の中、なんとかサバイブして、
自分たちの祖先から受け継ぐもの、
そして未来へと繋げていくようにと与えられている叡智を守っていくには、
小さい力を集めて、一つに集中するということだと感じています.

マイノリティーの中のマイノリティーが、繋がることで、
そこにはなにか奇跡のようなものが感じられるような光がそこにあるのを感じている.

近年、いろいろな国に置いて集まりおこりつつある 『世界先住民会議』
私たちは、より深いレベルでの尊敬を感じることで、
それらに光を与えることができるのだと思う.

ホオポノポノ....の原理で、 「私たちの意識がいく先に光は集まります」.

私たちは、どこに居ても、何をしていても、
この星の仲間たちに貢献することができる力がある.

それが、『意識』の力
....魔法のように現れるけれど、ほんとはすべてのはじまりとなっている力.

私たち一人一人の気持ち....
それが、どういう方向にどのように向いているのかによって、
たくさんの世界の繋がる物事に変化を与えることができると云うことを思い出してほしい.

この星は、その全ての全てが決して切り離されて考えられない.
この星の住民は、みんな一つで、運命共同体なのだということ.
兄弟姉妹でしかないのだということ、
もっともっと、気付いてゆければ、それらはほんとに一つでしかないのだ

だとしたら、私たちには、それらにくまなく繋がって、
響きつづける力、光 があるのだもの、ね.

そのように、日々、暮らしていたいと、思う.


Loooooooooove to U From Dairy of Jan. 12 2008



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テーマ:
一人の存在が奏でる音というものがある.
その存在の芯のようなところで響いている音.

心を落ち着かせて、
その静かに奏でられる気配のようなものに耳を傾けてみる.

とても静かに奏でられている.

言葉にしてしまえるほど、わたしは言葉を知らない.


繊細で優しくて...そして、脆く危うげでありながら、
魂の深みにつよく響いている何か.

その静かに奏でられる大切なものを、
こころ静かに寄添い、 私の中に深く染み渡りつづけるままでいたい.

大切にしたいと思う...


有りのまま、積み重ねられ続ける瞬間の愛おしきことよ.

存在が存在の道をゆくとき.
そこにある選択の偉大さを思い、 自然のままに尊敬の念がわき起こる.

そこに流れる自然の偉大なる自由さを思う.


何ものにもとらわれることのない、 ただあるがままの在り方.


波紋のように静かに響いている、言葉の背景.

ただ、そこにあるということ.




本当に大切なものは目には見えない...のかも?
そんなことはどうでもいいんだと思う瞬間...

ただ、そこにある愛...の本質.


日々絶え間なく関わり続けてくれるありとあらゆるもの達に、 心から感謝します.



From Dairy of March 25 2007


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どこから流れてくるのだろぅ
私の中...どこか記憶の深みから、

甘くて切ない.........音...

明晰さと、温かさ
静寂と、情熱

大人げと子供っぽさの同居するそのさま
柔軟で永遠に変わりつつけていくのに、懐かしく揺るぎないさま.

私をさらって、私の中にストンと落ちた.


溢れ出る愛に、行き場のないものはない
それらは必ずや受け止められる場所がある.

ありのままに、そのままに,あるがためにここにある.


そこに、いこうと、思う.

私を求める、なにか...と、私が求める、なにかが、出逢う場所.
そこに、調和という静けさと動きがある.

そことここは、溶けあって流れている...いま.


心地よさと心細さ
自然のままで、ありのままで、まるっきり裸で

とても落ち着いているのに、私の深みをざわつかせる、
ゆさぶりつづける、とろけさせる...音のある場所.


流れる音に耳を澄まし....
   
素直なままに、自然なるままに、そこに向かって...いま



love From Dairy of March 23 2008


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今朝の目覚めのとき....訪れた言の葉.

「魂の喜ぶ場所に居て 、魂の喜ぶことをしよう 」
ほんと....それが,なにより.....だよ、ね.

その言葉と重なる詩...記憶のポケットから浮かんできた...
大好きな詩人のNobuの詩を想いだす,
あぁ,私たちの想い出のポケットには, 色んな宝物が大切にとってある.
ときおり,開けては...その宝物の恩恵をまた感じることができる.
  
言葉というのも,音楽とかと同じで,記憶の中で生きつづけている.
積み重ねられた瞬間が,織りなす私たちの dream.
そのどのような記憶もが,パラレルな世界で
今ここに存在しているということを,知る.

ありがとぅ 、かかわってくれるすべのすべてに,無限なる感謝.
かかわるということの喜び,積み重ねられる瞬間の愛おしさ.


ドリームウエーバー...夢を織っていくこと.
 
夢ってね,突拍子もないところから,
偶然に、ふっと浮かんでくるものなんかじゃ無くって、
一本の糸のようなものがあって,
それらの糸は過去に紡ぎだされた糸であって,
そういう過去の夢とか体験の中で紡ぎだされた幾つかの糸というのは, 
必ずいまの夢に繋がっているものなんだって.
それをね,こちらの糸と,あの糸とって引っ張ってきて,
それで織りなして創っていくものが,
夢を型ちにしてゆく行為なんだって...

アルケミストの魔法は..私たちの記憶の糸の織りなすものなんだ,ね.


Be Greeeen



Nobuの詩...「今年の夏」

そのときおれはうれしかった
しあわせだった
ふいに心のおく、深いところで
あるいは背後で
あるいは上で
魂が喜んでいるのが感じられた
全身全霊で
そのときそこにいることを選んでいた
今体験していることを
一切のためらいも
疑いもないままに選んでいた

記憶の最深部に埋め込まれた何らかのシンボル
あるいは魂に刷り込まれたプラン、ストーリーと深い関わりがあるように
思えた

だけどそんなことはどうでもよかった

風が吹いていた
風が強く、音をたてて吹いていた
足を踏ん張って風を受けた
それは高い場所特有の風だった
あらゆる時のあらゆる場面が思いだされた
世界のいろんな場所で
同じように風の吹くところで
いつも目を閉じて
前に進みでて
両腕を拡げていた

おれは飛んでいた
その感覚をよく知っていると思った
鳥の視点も
スローモーションで空をすべってゆくような
その感じも

なんの言い訳も 説明も 決意もいらない
ただ「在る」、ということが明白なとき

そのときおれはうれしかった
だけどその喜びはいつしかおれとは関係がなくなって
そこにあるすべてのものの喜びにとって代わった
魂の喜ぶ場所にいて
魂の喜ぶことをしようと思った
自分のためだけでなく
周りのすべてのために
なぜならおれが悲しいとき
その悲しみは世界を覆ってしまうから
悲しみさえもおれだけのものでなくなってしまうから

おれは何度も道に迷うことも、忘れることもOKなことにした
おれは許されたかった
そしてすべてを許したかった

自分と呼ばれる領域の枠をひろげる必要があった
とっぱらう必要があった

おれがここにいなくても 宇宙は存在する
宇宙が存在することをやめたら
おれはどこに行けばいいのかわからない
たぶん存在しないだろう
存在しないなどということが
可能だとしたらだけど



From Dairy of March 29 2008


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ねえ、 私たちが  今  ここに、
こうして、居ることってどうしてだろうね.


今朝も早く起きた. お外は真っ暗. 静かで、少し寂しさを感じる.

暗闇のなか、鳥がなにかに気付き、鳴き声をあげる   ホッとする.
この暗闇の先に、光が届きはじめてる

彼らは、私に光が見えない時に、  見えない何かを感じている


音楽を聴いているとき
その、  音と音の間にある  音のないはずの世界に   奏でられる何か


詩人が好き.  詩を書くのも、読むのも、書く人も

言葉と   言葉の   間にある    なにか
そこから伝わってくるものが、好き


最近は活字を読めない

何かを知りたいと思うかわりに、  なにかを、感じたい


感じていたい



もしも何千何万という宇宙船が、  この星に訪れるときがきた時に
そこにはどんな意味があるのだろう


私たちは日頃、飛行機が飛んでいるのを見て   もう、さほど
驚きもしない

もうそれは、私たちを驚かせるようなものじゃないんだろうね


そうやって   私たちは色々なことにすぐに慣れてゆく



沢山の本を読んだり、何かを勉強したり、   そこからいったい何を感じる?


沢山のことを考え続けて   ふと静かになった時に    何を感じている?


ありとあらゆるモノゴトの   その背後にある    感じている何か
その何かって何かしら?


何かに思いを馳せているとき   何かを探しているとき
何かにひっしでその手を触れようとしているとき

それらは、   もう気付いたとき、そこにある


もう、私たちが、  あたりまえのように    世界を旅していることのように



どうして、  わたしたちは、  いま   ここに

こうして存在しているのだろう、ね



From Dairy of March 17 2007

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