こんにちわ ゆうじです。

 

基本の所を読んで、自分なりにブルースモーエンメソッド風に解釈してみる。

 

ペンを握りしめる。

その手を緩めてみる。

手を下に向けたら、床に落ちる。

 

それくらい、感情を手放すのは、簡単なことかもしれない。

重要なのは、ペンはあなたではないということ。

この状態であれば、簡単だから、この状態になるように感情を受け入れ、認める。

それだけで感情は静まるかもしれない。

(本の訳は、迎え入れ、認める。)

 

例えば、怒り、抱いた怒り、感じた怒りを手放す。これなら、難しくないかもしれません。

でも、いつのまにか感情に乗っ取られたように自分自身が感情のようになってしまいがち。

「怒りが湧いた」と云う、その怒りを、いつの間にか、「私は、怒っている」とか「怒っている私」に変換していませんか?

その次に、「怒っている私が、許せない」なんて、自分攻撃をしていませんか?

 

いつの間にか、握りしめたペンに同化しているなんてことは、物質的にはありませんが、心の中では、簡単に同化できてしまいます。

I am a pen.

ペン人間は見たことないけど、でも怒りに同化した人は、結構いる(笑)

 

その怒りに満ちた自分を、手放す、切り離すというのは、自分の一部を切り離すのと同じこと。

つまり、ブルースの云う側面を作ってしまう。

この場合、一見症状無くなり、楽になるんだが、無意識にその人の人生に影響を与たりしてしまう。

セドナメソッドの手放す=解放への興味と共に湧いた疑問でもある。

自分そのものなら、綺麗にして統合した方が良いのかもしれない。

 

そうならないために、感情をより深く知る(観察する)ために、感情の核心に潜り込むという方法も示している。

(この先に詳細が書いてあるかは不明。セルフヒプノ的手法とも読める。)

簡単なものなら認めるだけで、感情が静まることもかいてあるし、秀逸だと思ったのは、「笑い」の効用も認めているところ。

 

ただ、感情は嘘つきで、「感情は問題を防いでいるようで、実は手放すことを邪魔したりしている。」と注意事項として、書かれてるが、これはブルースの云う所の信念(側面)の抵抗と同様だ。

 

でも、コップの理論や、玉ねぎの皮むきのように、地道にやるしかないようだ。

先は長い(笑)

 

ではでは、この辺で

 

 

 

 

 

 

 

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