酒場馬鹿さ。
フィレンツェを後にした酒場馬鹿たち。

向かうは新婚旅行のメッカ、ヴェネツィア。

最初の予定にはヴェネツィアは入っていなかった。

しかし旅の予定を決めようとしているとき、旅の神(or 酒の神)のお告げが、、

「ヴェネツィアには”バーカロ”と言われる大衆酒場がたくさんあるらしい」。

屋形船と違って酒が飲めないからゴンドラなんて乗りたくないし、

道は狭くて細くてこんがらってて、酔っぱらっいが歩く街じゃないし、

人は京都人みたいに観光で来るやつには冷たいし、

で「まあヴェネツィアはいいか」って思ってたんだけど、、、

この店「ド・モーリ」は、なんと1462年創業の老舗大衆酒場。

しかも「オンブラ」といってハウスワインらしきワインを朝から現地の人は

くぴっと飲んで仕事に行くらしい。ゴンドラはいらんけど、オンブラはいい。

$酒場馬鹿さ。

朝から飲めるのがまたいい。

旅でいつも困るのが、日の高いうちからは飲める店が少ないこと。

ヴェネツィアはさすが老舗の観光街だけあって、こういう酒場がたくさんある。

すべての観光地に、朝から飲める酒場を! これは酒場馬鹿たちの切なる願いである。

さすがの酒場の聖地ヴェネツィアも朝7時過ぎからやってるお店はあまりなく、

ここは2泊3日で、3回行ってしまいました。

観光客に冷たいヴェネツィアンも、さすがに3回来たら

「お前らはほんとに酒が好きなのね」と愛想よくウィンクしてくれたりする。

ヴェネツィア飲みに来たら、きっとまた来るからな、チャオ!

と言い残し(心の中で)、ヴェネツィアを後にする。

また来ても、ゴンドラはたぶん乗らんけど。

ごねんな、ゴンドラ漕ぎのあんちゃん。

$酒場馬鹿さ。
プラハから、空路、フィレンツェへ。

空港からタクシーで宿へ向かうんだけど、空港で待ってるタクシーの運ちゃん

たちがまたフィレンツェの江戸っ子みたいな感じでタクシーから降りて5、6

人たむろって、ボンジョルノ、ボルサリーノペチャクチャーノ、みたいな感じ

でしゃべくりまくってる。

僕らはスーツケースを持ってタクシー乗り場に並ぶんだけど、ペチャクチャーノ

は昔、イチャイチャーノしたナポリの女の話でもしてるのか、なかなか気付かない。

仕方なくボンジョルノと声をかけると、タクシー乗り場の先頭のタクシーの持ち主が、

面倒くさそうにやってくる。目つきの鋭いマフィアくずれのあいつじゃなくてよかった、

気の良さそうなおっさんである。

フィレンツェは観光なれしてるから、向こうは慣れてるだろうけど、こっちは土地勘ない

から、タクシーはけっこうドライバーによっては怖い。目つきが妙に鋭いと、こっちも

鋭い目でメーターを確認しなくてはいけない。

でもこのおっさんはいかにも人のよさそうなイタリア人コメディアンみたいな人で、

妙に安心できる。簡単な料金の確認をして、あとはブンブン飛ばすぼろいタクシーから街

並みをぼーっと見ながら、フィレンツェのサッカーチーム、フィオレンティーナの話を

してるとホテルに着いた。


荷解きもほどほどに、さっそく街に出てみる。


酒場馬鹿さ。

きれいだなあ、やっぱり。

でも、きれいなもん見ても、

胸はいっぱいになっても

お腹はいっぱいにならない。

楽しみだったフィレンツェ名物のモツ煮込みのトラットリアに向かう。


酒場馬鹿さ。

煮込みは、ニコミストのおジョーが、

ニコニコミストになるくらいおいしかった。

そのあとの、トリッパをソースにしたパスタもまたおいしい!

ボーノ!ボーノ!と店員にいっても、

トム=クルーズにかっこいいね!と言うのと同じように、

「当然だけど、まあありがと」的な微笑みを返されるのも、また心憎し。

酒場馬鹿さ。

怒りすらわいてきた。

なんでイタリアンがめちゃ多い東京で

(大阪における蕎麦屋よりは確実に多い)、

トラットリアクラスの料理が食べられないのだ!

イタリア人が東京でイタリアンを食べると、まあ僕らがイタリアで和食を食べる

のと同じ反応をするんだろう。うまい!イタリアじゃないにしてはね、と。

でも一風堂がニューヨークに支店を出すこの時代、

そこそこうまいトラットリアが東京にも来てくれないのかなあと思わず思ってしまった。

まあでもそんな怒りもうまいワインを飲んだらすぐ忘れる。

ハウスワインもボーノ、ボーノ。いい加減にしてくれよ、

なんでもめちゃくちゃうまいじゃねえか、と逆ギレしたくなるこのお店。

松方弘樹ばりに、メニューを全部頼みたかったけど、

まだまだいくところがあって腹はち切れるまで食べられないのが残念。



ロシアの大富豪・アブラモビッチの元奥さんが、

どっかのイタリアンでご飯食べたとき、すごくそこの料理が気に入ったから

その場でアブラモビッチがその店ごと買ったという話があるけど、

ここに連れてきらここも買わされてたんだろうな、間違いなく。

でも、どういうシチュエーションで買ったんだろ。

「お会計してくれる?このお店のね」なんて言ったんだろうか。

言ってみてー。

来世にとっときます。


酒場馬鹿さ。

プラハの最後のチェコビールは、プラハ空港のピルスナーウルケル。

何杯、飲んだことだろう。プラハでは、スーパーDRYのようにどこでも看板みたし、飲めたビール。

そしてつまみは、皆既日食くらい珍しいことなんだけど、スイーツのチェリーパイ。

ってか他にうまそうなもん何もないし、まあ、空港だし仕方ないと思って。

これでチェココルナを全部きれいさっぱり使い切り、意外とうまかったつまみを最後のチェコビールで

ぐびぐび流し込み、これで思い残すことはなし。

次の酒場馬鹿たちの行く先は、フィレンツェ。でも、東欧の飛行機って、ちょっと不安。。

酒場馬鹿さ。


空港の地上職員の後ろ姿。

「本当に飛ぶんだね」「乗る気がしれないわ、あんなぼろい飛行機に」なんて会話してんだろうな。


酒場馬鹿さ。
酒場馬鹿さ。

朝10時過ぎ、 ホテルからほど近い朝からやってる酒場にいく。

ここはバールのようにビジネスマンが朝ご飯とコーヒーを飲んで出勤するとこかと思いきや、

みんなビールを飲んでる。

古い酒場で常連らしきじいさまたちがもう赤ら顔でちびりちびりやっている。

つまみもポテトサラダとかにしんの酢漬けみたいなもので、プラスチックの安っちい皿でちびちび食べて、

がぶがぶ飲んでいる。

赤羽みたいである。

プラハのダメ人間集まれ!と集合がかかり観光客代表として僕らもやってきたみたいな感じ。

安っちいつまみが意外においしくビールも2杯くらいひっかけるとアウェイの居心地悪さも薄らいでいく。

隣のテーブルで呑んでたプラハの菅原文太も、冷やかしに来ちょるなら許さんけんのぉ的視線だったのが、

まあ呑む奴らならここ来てもよかろう的視線になっている、たぶん。

今日でプラハを発つ僕らはここもっと早く来てたらもう2回は来たのに残念だと言いながら飲んでいた。

プラハの酒場も10件近くしかまわれなかったけど、その中でダントツにぼろく一見デインジャラスな

こういう酒場こそ僕らが求めていた場所。

なんか落ち着くなあ。

朝なのがもったいない。

これからおみやげのチェコ人形も探しにいかなくちゃいけないのだ。

4、5軒まわったあと、最後ここでしめてホテルに戻るってのが理想だったなあ。

後ろ髪ひかれる思いであとにする。

プラハにもしもう一度来ることがあったら、必ずまた来なくては。

酒場馬鹿さ。
酒場馬鹿さ。

プラハの夜は、美しい。

街を歩く誰もが、キェシェロフスキの映画に出てくるような人生の深い含蓄を含んだような顔つきをしてい

るように見えるし、街を歩く足音も石畳の上で小人が打楽器を奏でる音楽のように聞こえる。

でも、プラハの夜は、物悲しい。

人がけっこう入っているピヴニツェ(ビアホール)にいってもビールをみんながぶがぶ飲んでいるはずな

のに肩を組んで歌を歌い出すドイツ人のような陽気さもなければ、誰かれかまわずアミーゴになるスペイン

人のような開放さもない。もちろん、「ネドベドのちょっといいとこみてみたい!」なんて一気コールもお

こらない。リスボンでも同じような空気を感じたけど、歴史の重みの空気なんだろうかと、ふと考える。

リスボンが、大航海時代が南中時刻だった、日が沈んだ後の夏の夕暮れの空気だとしたら、

プラハは、秋の夕暮れと夜の間の短すぎる時間のちょっと儚い空気が流れているような気がする。


それは、プラハについた最初の日に、こんな壁画を見てしまったからだろうか。


酒場馬鹿さ。

戦車が、メビウスの輪を永遠に進んでいる。いつ描かれたのかわからないけど、ヒトラーの侵攻、プラハの

春、といった近現代史におった精神的ダメージが、まだ生々しく人々の心に残っているのかと思った。

そういう歴史の記憶というのは、その街の空気として体感できるものなのだろうか。

真夏に広島、長崎に来る外国人観光客も、同じように街の精神的な深い傷を感じるのだろうか。

ま、アメリカ人は感じないだろうな。

珍しくそんな歴史に思いを馳せて歩いていると、喉が渇いてきた僕らは足早にピヴニツェに馳せ参じる。

酒場馬鹿さ。

ここが一番おいしかったプラハのピヴニツェ。もちろん、ポテトはお約束だが、味付けがそんなにヘビー

じゃなく、僕らもばくばく食べれた。たしか、シュニッツェルと魚だったと思う。

酒場馬鹿さ。

俺のつぐビールに間違いはねえ、いいから黙って飲みなと顔にかいてあるおじさんが、ここでビールを注い

でにこやかにピルスナーウルケルを出してくれる。一杯200円そこそこのビールがぐびぐび入っていく。

ここはお気に入りで、2回か3回来た。ポテトは残すことにした。

酒場馬鹿さ。

true

ビールでたっぷんたっぷんになったお腹を抱え、プラハに向かう。

プラハもビールの街。チェコ人の一人あたりのビール消費量は世界一なのだ!

そりゃ、一人あたりビール消費量渋谷区一位を狙う我々としてはぜひ行っておかねば。

それにプラハにも古くからやってるいい酒場がたくさんあるらしい。

チェコといったら僕らが子供の頃はチェコスロバキアで、人生で何の接点も興味もなかった国だ。

子供の頃はチョコスロバキアと間違えて覚えてたのでなんかおいしそうなイメージはあった。

チョコなんて見向きもしなくなった大人になってまさかビールを飲みに行くようになるとは。


ミュンヘンからプラハへは電車で約6時間。

朝早いミュンヘンを静かに発つのだと思ってたらオクトーバーフェスにドイツ中から

集まってきたドイツ人が、ドイツの民族衣装(男はレーダーボーゼン、女はフリルたくさんついた

白いワンピース)を着てホームにたくさんいる!しかもみんなビールを片手にワイワイ酔っ払ってる!

さすがドイツ人。こんな朝からビールエンジン全開である。

僕らも負けじとビールを6、7本とつまみを駅で買い乗り込む。

プラハまで持つか不安だけど、あんまりたくさん買うと、そう「ぬるくなる」!!

プラハには、おいしいビールが待ってるんだからとこれくらいでやめておこう。


6時間は長いようで短かった。

ぐびぐび飲んで、すいすい寝て、ケンカしたり、仲直りしたり、してたらあっという間だ。

酒場馬鹿さ。

プラハ駅に到着。ヨーロッパの駅ってなんでこう重厚感あふれる素晴らしいつくりをしてるんだろうか。

着いたぜぇ~、飲むぜ~という気分にしてくれる。


ホテルで一息ついてすぐ近くの有名なビールバー、「u Fleku」へ。

酒場馬鹿さ。

いきなり、チェコ料理の先制パンチ!! チェコ料理とはドイツ料理にかなり近い。ローストポークや

チキンにたっぷりと甘めのグレイビーなソースがかけられ、つけあわせのポテトが、「乗ってきた馬用

ですか?」と聞きたくなるほどたくさんのっている。ポテト好きの僕らも最初は、ラッキー!と思ってい

たが、どこいっても何食べてもだいたいついてくるのでそのうち食傷気味になる。「ポテトいらないです」

というチェコ語を覚えてくればよかった。「おはよう」「こんにちわ」「おいしかったです」「お会計

お願いします」という言葉の次に、必要な言葉なんじゃないかとさえ思った。


さて、u Fleku はかなり観光地化されてて、それなりに高い。酒場馬鹿的にはあまり好ましくないが、

しかし、1500年くらいから営業されてるこの酒場に対してやはり敬意を抱かずにはいられない。

肝心のチェコビールの味は、ドイツビールほど重くなく、日本の某シャバシャバビールよりは軽くない。

ちょうどいい軽さと苦みで、これならくいくいイケる。しかもビール一杯250円くらい。

ときどき、家の蛇口から水のようにビールが出てこないかな?と妄想するんだけど、もし5種類、その

蛇口があるならば、一つはチェコのビールにして、飽きたときにもぐびぐびいけるビールとして重宝しそう

である。



酒場馬鹿さ。

オクトーバーフェスタでもみなさん飲み足りないのか、ミュンヘンで一番有名なビアホール

「ホフブロイハウス」が人が入り口から溢れるほど満杯で、その近くの「Weisses Bräuhaus」に行く。

ここも相当古いビアホールで、たくさん人がいたがなんとかちょっと待ったら入り込めた。

6人がけのテーブルに、二人ずつ三組。僕らと、ベルギー人レズカップル(推測)と、ドイツ人夫婦。

そんなに大きくないテーブルだから一見、相席には見えないんだろうな、ちょっと変な組み合わせの

グループだろうなって思われそうなメンツ。

酒場馬鹿さ。

しばらく、みんな勝手に飲んで食べてたんだけど、ベルギー人レズカップル(推測)が先にお店出たあと、

ドイツ人夫婦と話をする。ドイツ人の英語は、文節で切って話すので英語が駄目な僕らでもわかる。

うまい食後酒みたいなの飲んでて、僕らも真似してそれを飲んでみた。

そっから話が盛り上がって、「ドイツ人の夫婦の半数が離婚する」ということや、

旦那さんの方が確か教師で、ドイツの国内の問題について教えてくれた。

確か息子がエンジニアかなんかでそれをとても誇らしく僕らに話してくれた。

子育てを終えて、まさに一仕事終えたように、老夫婦はおいしそうに飲んでいた。

穏やかな人たちの穏やかな話で、僕らもなんか穏やかな気持ちになる。

とても気分よく、ホテルに帰る。

あんな風に、歳を重ねていけたらいいね、と珍しく素直に、僕らは思う。



true


酒場馬鹿さ。


酒場馬鹿さ。

ニュルンベルグソーセージを食べに、ミュンヘンでもニュルンベルグソーセージで有名な店にやってきた。

ニュルンベルグソーセージとは、ちょっと小ぶりな、焼いたソーセージのことをどうやら言うらしい。

ちっちゃくてもがつんとうまい。

メッシのような華麗なドリブルはないが、テベスのような当たりの強い味がする。

その他に、いわしのつみれみたいなのが入ったスープを飲む。

なんか懐かしい味。

酒場馬鹿さ。



古いお店で常連客が多そうなとても感じのよいこのお店。

酔っぱらったおっさん二人が隣のテーブルに座ってる。

酔っぱらいのおっさんというのは、万国共通の雰囲気がある。

一人のとくにひどい酔っぱらいが、僕らになんか話しかけてきた。

ドイツ語でべらべらべらべら。


何言ってるかまったくわからないが、

「ファッキング ジャパニーズ」的な内容ではないことは、

にこやかなおっさんの表情からもわかる。

いるよなー、こういうおっさん。

日本の酒場でもたまに外人がいると俄然張り切ってしまうおっさん。

ここではこれ食べなくちゃ!と「Eat this! Eat this!」と片言の英語で

話すおっさん。通じると、「通じたよぉ!」と大喜びのおっさん。

好きだなー、そういうおっさん。せっかく来たんだから、うまいもの

食べさせてあげたいというその純粋な酔っぱらいの気持ち。

そしてそれがうまい!なんて言われた日には、自分の娘を褒められたより

嬉しそうに「でしょ!?」と手を叩いて、おっさんはこの嬉しさで三日間

はサカナに飲めるのだ。

まあ、僕らの席の隣のおっさんは、そんなおすすめをするわけでもなく、

確かしきりに歴史について話してたと思う。まあ、ドイツ人によくありがちな

「今度はイタリア抜きで組もうぜ!」的な日本人向けのトークだったような

気がするけど。


古いお店で飲むと、なんだか落ち着く。それも、万国共通。何でだろう?

常連のお客さんたちのくつろいだ空気が、伝染してくるからだろうか。

酒好きの亡霊たちがいっぱい集まっているからだろうか。


酒場馬鹿さ。


酒場馬鹿さ。

ミュンヘンに、ビアホール以外にどうしても行きたかった場所がある。

「Sedan Strase」というミュンヘン市内東部、Ostbanhof駅近くの小さななんでもない道だ。

20歳の頃、ミュンヘンに一ヶ月滞在していたことがある家が、そのセダン通りにあったのだ。

もちろん、その頃はビールが目的ではなく(結果的にそうなったけど)ドイツ語の研修だった。

生まれて初めての海外だ。

ドイツ人の家に滞在し、昼は語学学校でドイツ語を、夜はドイツ人の家でドイツ語を学ぶという研修で、

僕は30歳くらいの独身ドイツ人男性のところに三週間ほど滞在することになった。

初めての海外・・・それだけでもくらくらくるのに、これから日本語をほとんど理解できない外国人と生ま

れて初めて暮らすのだ。会う前、ネオナチみたいな怖い人だったらどうしようとか、ホモだったら逃げよう

とか、ソーセージしか食べさせてくれなかったらやばいからマックは近くにあるんだろうかとか、いろいろ

ドキドキしてたんだけど、同居人となるステファンに会ったとき、あまりに僕のイメージしていたドイツ人

とは違うことに驚いた。

細く、大人しく、吹奏楽部でオーボエとか吹いてそうな優しそうな人だった。ステファンは、「こんにちわ

。よろしく」と片言の日本語で挨拶して、握手してくれた。そして、一通り家を見せてくれたあと、ステフ

ァンが働いている美術館に連れてってくれることになった。「アルテ・ピナテコーク」というミュンヘンで

一、二番くらいに大きくて古い美術館のカフェでウェイターとして働いていて、「ここが僕の職場だよ」と

にこやかに紹介してくれた、、のもつかの間、店長らしき人がつかつかと歩みよってきて、ものすごい剣幕

で何かステファンに向かって言い始めた。ドイツ語がわからない僕は、得意のジャパニーズスマイルを浮か

べてステファンの横にただ立っているだけしかできなかったけど、どうにもまずい状況であることだけは確

実にわかった。何回か穏やかでないやりとりがあり、怒りのゲルマン台風が過ぎ去って、しばらく呆然とし

ていたあと、ステファンは気を取り直して僕に説明してくれた。

「仕事をクビになってしまったよ。」え?どういうこと?

「僕は、日本にいく。君にはすまないが、日本の友達のとこへしばらく行くことにする」は? え?

今度は僕が状況を理解するのにしばらく時間がかかった。ドイツ語研修的には、いちおホームステイという

形をとっているから、そりゃないぜー、ステファンさんよぉとなるんだけど、ま、昼はドイツ語の学校にい

くし、一人の方が気楽といっちゃあ気楽だし、まあそうおっしゃるならお行きなさい、と思い直し短いステ

ファンとの付き合いを楽しむことにした。

ステファンが日本に行くまで、三日間くらいしか一緒に過ごせなかったけど、とても穏やかで気持ちのいい

人だった。美術館にいった日は、たまたま僕の誕生日でパウル・クレーの時計を誕生日プレゼントにくれた

り(その数分後、ステファンはクビになった)、なるべくドイツ語を教えようとしてくれたし、ミュンヘン

の観光案内もしてくれたし、失業してこれから日本にいくというのに街にいる物乞いしてるジプシーを見つ

けるたびにお金をあげてたり。短いけど、いやたぶん短かったがゆえに、印象的に覚えてるんだろう。

そんなステファンとの超短い夏も終わりの日、僕が学校から帰ってきてぼーっとしてるとステファンがリビ

ングのテーブルに分厚い本を三冊どんと置いた。

酒場馬鹿さ。

「何これ?」

「君、歴史が好きだって話してただろ?プレゼントだよ」

すごい古い本らしく、タイトルは背表紙に書いてあった。

酒場馬鹿さ。

「え?ペリー?」

表紙をめくると、

酒場馬鹿さ。

NARRATIVE OF THE EXPEDITION OF AN AMERICAN SQUADRON to THE CHAINA SEAS AND JAPAN

ってこれ、ペリー来航の本ってこと?しかも1856年にプリントされたって150年近く前の本じゃん!

「こんなのどこで手に入れたの?」

「本屋だよ」

そりゃそうだよステファン、こんなのスーパーに売ってるわけないだろ。

日本来航の報告書と調査書を兼ねたこの本は、1巻が報告書、2巻が日本の生物や植物の図鑑、3巻が航海

日誌というものだった。その後日本に帰って何かの展覧会に行ったら、その本がケースにいれられて飾っ

てあったりしたから歴史的な価値もあるんだろう。よりによってそれを僕はステファンからもらったのだ。

ペリーを置き土産に「途中でいなくなっちゃってごめんね」とステファンは言って日本に去っていった。

それからの残りの日々、僕はステファンの自転車を借りて、学校に通い、ビアガーデンに通った。一杯一リ

ットルその頃10マルクしないくらい(ユーロじゃないのが時代を感じる、、)700円くらいだったので

学生の僕でも毎日通えたのだ。ぼろかったけどステファンの自転車は快適で、緑の多いミュンヘンの街中を

ビアガーデンに向かって走ってるとほんとに幸せだった。


それから十五年くらいたって、再び、セダン通りを訪れる。相変わらずこざっぱりとしたいかにもドイツの

住宅街という雰囲気の中、僕はステファンの家を探して歩いた。セダン通りはそんなに大きい通りじゃない

ので一軒一軒見ていってもそんなに時間はかからない。これかなー、これな気が、、という玄関のドアをい

くか通り過ぎ、ついに確信を持ってこれだ!と言える見覚えのあるドアが見つかった。


酒場馬鹿さ。

ステファンの部屋の表札はやっぱりステファンじゃなかった。今、ステファンはどこで何をしてるんだろう

。あのあと、ステファンは四国のお寺にしばらくいたらしい。ドイツ語の同じクラスの友人が実家に帰った

とき、近くの寺に変なドイツ人が住み着いて近所の話題になっていたそうだ。ドイツ語をちょっとは話せる

その友人がステファンと話してると僕とつながったそうだ。

ステファン、寺に滞在するなんてやっぱり変な人である。

そしてできれば、もう一度会いたい人である。
true

小雨降る中、ちょっと震えながら僕らはホテルから歩いて15分くらいのビアホールにやってきた。「ホフブロイケラー」は僕らが今回のバイブルとしていた「ヨーロッパビールガイド」でも評価の高い、古き良きビアホールだ。日本の歴史あるいい酒場も、面構えがなんともいえないいい味を出してることが多いんだけど、ドイツだってもちろんそうだ。石造りの頑丈な造りに、威厳のある鉄の看板、冷やかしでくんじゃねえぞ、飲めないやつはとっとと帰んな、と言わんばかりの風情だ。いま、確か何年前からやってたのかなとネットで調べたら、1919年にヒトラーがどうやら初めて大衆に向けて演説したビアホールなんだそうだ。へー。今知ってどうすんだ。「ヨーロッパビールガイド」には、そんな「瑣末な」情報は書いてなかった。何年前からあって、ビールの種類はこれとこれ。みたいな硬派なガイドなのだ。でもヒトラーはさておき、天井も高いし、窓も大きいし、雰囲気はとてもいい。


酒場馬鹿さ。

酒場馬鹿さ。



土曜日だったから、家族が午前中から休日を過ごしにやってきている。上の写真の男の子なんて、どう見ても未成年なんだけど、ドイツは16歳からビールが飲めるらしいので、ぎりぎりセーフなのか。危なかった、16歳からビールが飲めるようになってたら、大学受験なんてとてもじゃないが無理だったろう、もしくは何かの間違いで東大に入ってしまったか。下のおじいちゃんとおばあちゃんの夫婦は、特に言葉を交わすでもなく、黙々とゆっくりビールをお互い飲んでいる。テーブルなのに二人並んで座るのがかわいらしいけど。


酒場馬鹿さ。

これがここの店のビール。正直、味はあんまり覚えてない。うまかった、としか。。。

酒場馬鹿さ。

酒場馬鹿さ。


まず、スープと、お昼だから「白ソーセージ」を食べる。本場では、こうやってお湯に浸されたまま出てくるみたい。がぶりんちょ、ぺろりんちょ、と平らげる。


酒場馬鹿さ。

酒場馬鹿さ。

ぺろりんちょといかなかったのが、メインのこの二皿。シュニッツェルと、グレイビーソースがたっぷりかかったローストポークだったかな。ナイフがぶっさしてあるとこあたり、ゲルマン魂をみました。みんなぺろっと一人二皿ぐらい食べてるんだけど、僕らはまだ巡るのでこのあたりで勘弁してください、ビールも違う種類2杯ずつ飲んだし、満足満足。

「ハイル、ビール!」

知ってたらつぶやいてたな、きっと。