テーマ:paz(平和)
関東から西日本への疎開を考えたとき。
いろいろと悩んだ末、さまざまな選択肢の中から「見知らぬ土地での共同生活」というものを選んだ。
親戚のいる地域に行くことだってできただろうし、
自分で部屋を借りて生活することだってできた。
でも、私の直感が向かわせたのはここだった。
家族や友人に自分の決断を話した時に必ずと言っていいほど「大丈夫?」と心配されたのは、
やっぱりこの「共同生活」の部分だった。
プライベートが重視される世の中に慣れ切ってしまった私たちにとって、
他人と手を取り合いながら生活するというのはものすごく高いハードルのように感じるのかもしれない。
気を遣ってばかりで疲れるっていうマイナスイメージが先行するのかもしれない。
それもよく分かる。
それでも、私に響いたのはむしろ「共同生活」だった。
311以降、ずっとずっと不安との闘いだった。
これから一生続くであろう不安に、実はもう押しつぶされていたのかもしれない。
気丈に疎開を決断したかのように見せかけて、娘とふたりきりになる寂しさに怯えていたのかもしれない。
いずれにしても。
実際に飛び込んでみて感じたこと。
この選択は間違っていなかった。
そう感謝する日々。
何より驚いたのは、ここに来て出会った人たちがみな、
輪になって生活していくこと、コミュニティの中で生きることに大きな価値を置いているということだった。
出会う人、出会う人、「コミュニティを作っていこう!」と言う。
原発問題や放射能のこと。
311以降、「生きる」ということに関しての個人の価値観、方向性が分かりやすく露呈したけれど。
ここで出会ったたくさんの仲間は、みな同じ方向を向いて歩んでる。
同じビジョンに向かって歩いてる。
そのキーワードのひとつが「コミュニティ」だったりする。
コミュニティといっても、今までのような「個を押し殺して作り上げる調和」ではなくて。
個が輝き、それぞれの特性が活かされることによって生まれる輪。
それにはもちろん、いままで以上に密なコミュニケーションが必要になってくる。
日々の生活の中でさまざまなことが起こるし、問題がないわけもない。
楽しいことがあれば、反対に負の感情やツラい想いだってわき起こるわけで。
でも、それを自分自身の中に溜め込んで殻に閉じこもるのではなく、
些細な気持ちもシェアできる仲間がすぐ側にいること。
そこに大きな大きなしあわせを感じる。
自分の感情を素直にシェアするというのはとてむ難しい。
今の自分を分析して、認めて、言葉にする。
何段階もの過程がある。
ヨガのティーチャーズトレーニングでも毎回練習していたことだった。
いま思えば、実に苦手な部分だった。
「何かの感情がわきあがったときは、それを手放す絶好のチャンス」
今日、お互いの感情をシェアしているときに母子疎開仲間のひとりが言ってくれた言葉。
本当にその通り。
嫌な感情だからと言ってフタをしたり、もみ消してしまってはいけない。
しっかりと向き合って、不要と感じるならば今こそ手放せばいい。
折り合いのつかない問題があったって、それもすべて自分自身と向き合う学びの場なんだ。
共に暮らす仲間が増えれば増えるほど。
楽しさは大きくなるけれど、大きな波に自分自身をさらわれそうになる瞬間がある。
いかに周りに流されず、自分自身のペースを保つのか。
自分のやりたいこと、やるべきことをいかに見極めるのか。
自分のペース、娘のペースをいかに観察していくのか。
日本人の苦手な「ノー」という強さも必要になってくる。
ふらふらフラフラぶれながらも、自分の中心軸を探す作業をする日々。
こつこつコツコツと余分なものを削ぎ落とす作業。
これも、みなと暮らすからこそ得られた学びの場だと感じる。
いままでヨガをしながら黙々とひとりで練習していたことは、
正にこういうことだったんだなぁと感じる。
今はなかなか落ち着いてヨガの練習に身を投じられないけれど。
そう、生活すべてがヨガなんだ。
そんな風に思える日々。
いろいろな大人、いろいろな子ども。
そんな中で娘の育ちを見守りたいと思っていた。
それだけでも意味のあるこの「共同生活」。
みんなに可愛がられ、みんなの中で揉まれ、
毎日キラキラと笑ってる娘を見ているだけでもここに来てよかったと感じる。
でも、何よりもここで育ててもらってるのは私自身なのかもしれない。
「もう、核家族での生活には戻れないね!」
そんなことをよく話す。
うん。
同じビジョンを共有できる仲間と共に生きていきたい。
そう思う。
photos @小豆島
manzanita
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