食事の時、当たり前のように言っている言葉。
子供の頃、なぜ、「いただきます」と言うのか、両親だったか、学校の先生に聞いたことがある。
その時の答えは「一生懸命、お米や野菜を作ってくれているお百姓さんや食事の支度をしてくれたお母さんに感謝の気持ちを込めて言うんだよ」だった。
今、私が感じていることは、もう少し深いこと。
「私達、人間は別の生き物たちによって生かされている」ということ。
いまや、スーパーで売られている食材は、きれいに包装されていたり、切り身になっていて原型がわからない。小さな子供達は、魚とか肉の元の姿なんて想像つかないだろうと思う。
私自身も、そんなこと考えずに生きてきた。
数年前に、お料理教室で「アサリと青菜のオイスターソース炒め」なるハイカラな料理を習った時のこと。
当然のことながら「アサリ」が用意されている。
私は、貝類が苦手なので自分で買ってきてまで調理することはなかった。
実家でも、年に何回かアサリやシジミのお味噌汁が出る程度。
お料理教室で相対した「アサリ」達はムニューっと白い触角みたいなのを伸ばしたり、ひっこめたりしている。
「いっ・・・生きてる・・・」
正直な感想。
生きてるんだもん。
これをどうしろというのか???
先生は、にこやかに「では、貝殻をすり合わせるようにゴリゴリと洗って下さい。その方が、貝が開きやすくなります」
恐る恐る、アサリ達をゴリゴリと洗う。
あっつあつに熱された中華鍋に油が注がれ、しょうがを炒める。
そして、先生は、あの生きているアサリ達の入ったボールを手に取り・・・・
中華鍋へ一気に放り込んだ!!!!
お酒をふり入れ、ガラス製のふたをする。
あぁ・・・・なんということだろう・・・
さっきまで、生きていたのに。
中華鍋を覗くと、パチパチ音をたてながら、アサリ達の口が開いていく。
一人、また、一人・・・・「あぁ・・・もうダメだ・・・」と言わんばかりで。

途中で涙が出そうになった。
この時、はっきりと「人間様は、他の生き物によって生かされているのだ」ということを実感した。
植物、動物、いろんな生き物を殺生して、自分の体に、命に吹き込んで生きている。
その恩恵を決して忘れてはいけないのだと思った。
食べられるためだけに、生まれてくる動植物もたくさんいる。
もし、私が食べられるためだけに生まれてきたとしたらどうなんだろうか・・・
「いただきます」は、まさに「お命頂戴いたしまする」の「いただきます」なのだ。
3歳になる甥っ子は、度々、食事中に食べ物で遊ぶ。
成長する段階では、よくあることなのだと思うが、「命を頂いていること」は伝えなければならないのだと思う。
世のお母さん達は、あまり気づいていないかもしれないが、食事中に、ぐちゃぐちゃと遊ぶのは、前に食べた物を消化していなかったり、おいしくないと感じていることもある。
未消化物がある場合は、お腹がパンパンに張っていたり、げっぷをするのでわかりやすい。
おいしく感じていない場合は、新鮮な果物やお野菜をあげると、よく食べることが多い。
おっぱいを飲まない赤ちゃんは、母乳がおいしくなくて飲まないこともあるそう。
お母さんの食べているものは、ダイレクトに母乳の味につながる。
お母さんの母乳は、赤ちゃんの生命線。
授乳期間だけは、ジャンクフードや、ジュースを避け、新鮮な果物、お野菜をたくさん食べてほしいと切に願う。
動植物の命をいただき、お母さんを通して命の橋渡しをしているのだから。


















は、胸部、肺、胆のう、肝臓を支配しているそうです。
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