美の伝道師〜藤原理恵のブログ〜

美と真理の伝道師・引寄せスペシャリストの藤原理恵です。
日々のセッションや養成講座の中での気付き・学び・奇跡・感動をつぶやいてます(*^_^*)

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この世を「美しく・自由に・創造的に」

生きる人でいっぱいにする!
 



こんにちは

ソウルヌーディストの藤原理恵です。
 
 


※この記事は、
2015年4月23日のブログの
再アップ記事です。




あなたの気づきのきっかけとなるように、
過去記事を一記事ずつ紹介しています



 
【あなたは「いま」というライブ会場に生きてる?

 




あなたは「いま」を生きていますか?
「いま」というライブ会場で
その瞬間の臨場感を感じていますか?


 

それとも「いま」というライブ会場に居ながらも
「過去」という特設会場を作り
そこで「辛い」や「許せない」「苦しい」
という臨場感を味わっていますか?
 


「今生きてるに決まってるでしょ!」
とつっこまれるかもしれません。



確かにあなたは今生きてる。
肉体としてのあなたは。

わたしが聞いてるのは肉体ではなく
「こころ」。
肉体だけを「いま」に取り残して、
あなたのこころはいまどこに在りますか?

 

もし、ライブ会場の中につくった
「過去」という特設会場に居るとしたら、
「いま」に居ながら
「過去」を生きているということ。
 
 


いま与えられているいのち、時間、
あなたの大切なエネルギーを
「いま」ではなく
「過去」に与えているということです。
  

 
 
「過去」という特設会場が
あなたの現実の全てではないのです。 

 

あなたの中に「部分」としてあるだけです。
 
 
 
「過去」という特設会場を否定したり
削除したり、潰す必要もありません。
 
それがあることも認めながら
「いま」「ここ」を生きること。
 
「どうしたかった」
「こうするべきだった」
「◯◯できなかった」
「◯◯してもらえなかった」
 
という過去を丸ごと抱きしめながら
 
「こう在りたい」
 
という魂の導きの声に従って
「いま」を生きる。
 
 
 
そこに時間やエネルギーを与えることが
あなたがあなたを愛するということ。
あなたがあなたを満たすということなんです。
 
 
 
あなたを愛し、あなたを満すことで
豊かで幸せな人生を生きることができます。


 


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この世を「美しく・自由に・創造的に」
生きる人でいっぱいにする!
 
 
 
こんにちは
ソウルヌーディストの藤原理恵です。
 
 

※この記事は、
2015年6月15日のブログの
再アップ記事です。



あなたの気づきのきっかけとなるように、
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【「◯◯してあげたい」
という気持ちには隠れた「セット販売」がある法則】

 

 

 

今日の講座の中でも話題に出ていた


「◯◯してあげたい」。


という人の心理に隠されているものについて

ブログで説明させていただくことにします
 
 
 
「◯◯してあげたい」
って言ってる「親切の押し売り屋さん」って

結構多いんじゃないかと。
 
「教えてあげたい」
「伝えてあげたい」


「あげたい」って聞くとやじるしが相手に向いて

いるように見えますよね。
「いかにも相手のことを思っている」ように。



 

ですが
その「あげたい」ものって

相手は本当に「ほしい」って望んでるのでしょうか?
  



あなたがただ「あげたい」だけでしょ?
相手にやじるしを向けているように見えるけど、

実はとっても自分にやじるしを向けているんですよね。

 
  


 
あげたがり屋さんに限って、

相手からの反応が思わぬ反応だと
 
「せっかくわたしが◯◯してあげたのに!」
 
って言います(笑)
 
 
 
「◯◯してあげたい」という心理の裏側には

「お返しがほしい」という思いがセットなんです

  


 
通常、野球のキャッチボールは

双方合意で玉の投げ合いをします。
  

 


これを「◯◯してあげたい」の人にあてはめると、

相手がキャッチボールを望んでいなかったり

準備もできていないのに、

相手があっち向いてる時にボールを投げて、

 


「ちゃんと受け取りなさいよ!」


とか、


「わたしが良い玉投げてるんだから、

ちゃんと受け取ってちゃんと返しなさいよ!」

 


 
ってやってるのと同じなんです。

 
 
結構な無茶振りですよね(笑)
 
 
 
人になにかを「◯◯してあげたい」人は、
もし、あげたいなら、
「相手は受け取りたくないかもしれない」
ということを前提に玉を投げましょう。
  



投げた玉は投げっぱなしにしましょう。
相手は受け取る準備ができていれば受け取るし、できてなかったら受け取らない。

 
 
「自分が投げたくて投げてるんだ」
 
そう思って投げましょうね
 
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生きる人でいっぱいにする!
 
 
 
こんにちは
ソウルヌーディストの藤原理恵です。
 
 

※この記事は、
2015年4月19日のブログの
再アップ記事です。




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【「不安」とかっていう感情は調味料の「しお」みたいなもの。】
 

 

 

今感じているこの不安な思いを消したいんです!!」
という人がよくいます。


不安って気持ちの良い感情じゃないですから
そう思う気持ちはわかります。
 
 
 
このブログを読んでくださってる読者の
多くの方も同じようなことを思われたことがありませんか?
 
 
 
まず結論から言いますと
「不安」は消えません。
たぶん不安が全くなくなるのは
あの世にいってからだと思います。
 
 
 
ここで質問します。

あなたの生まれたこの世が、
生まれてからずっと太陽の光りが射して
白夜が続いていたとしたら、
「明るい」「暖かい」
ということがわかるでしょうか?

日が沈んで夜が来るから
「明るい」はわかるのではないでしょうか?
 
あなたの中に「不安」という感情が
全く存在していなかったとしたら、
不安の対局にある「安心」や「幸せ」
はわかるのでしょうか?

もしずっと「安心」で「幸せ」
しかなかったとしたら「安心」や「幸せ」
そのものを認識することはできないのです。
 
 
 
「不安」って調味料の「しお」みたいなもの。

 
 
夏にスイカを食べるとき、
しおをかけて食べますよね。

しおがスイカの甘さをさらに
際立たせてくれるじゃないですか。

そのものを認識できるのは
「対局のもの」が存在しているからなのです。
 
 
 
だから、消えないものを躍起になって
消そうとするなんて、エネルギーの無駄遣いです。

心配しなくても、あの世に還ったら
不安も悲しみも消えるから大丈夫。笑
 
 
 
あなたの中に「不安があっていいんだ。」
って思ってあげてくださいね。




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こんにちは
ソウルヌーディストの藤原理恵です。
 
 

※この記事は、
2015年2月16日のブログの
再アップ記事です。




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【感情に「醜い」も「綺麗」もない】

 
  

 
自分の中から湧き上がるネガティブな感情を
ネガティブに見る人は多いですよね。
 
 
 
憎い・嫌い・許せない 

などの感情を感じている自分を否定し
その感情を抑圧します。

抑圧して「無いこと」にしていても
その感情は「エネルギー」ですから
見えないけど「在る」んです。

こうなると潜在意識は
「ネガティブ感情の百貨店」
みたいになってますよね。
 
 
 
今日のクライアント役で来てくれたTさんも
子供の頃のある出来事から、
お母さんのことを「許せない」
と思ったイメージとその時の感情が
有り有りとでてきました。
 
 
 
顕在意識(頭)では
「もう終わったことだ」
と認識していたことでも

潜在意識の中には
「許せない」という感情がしっかりと抑圧されたまま

鮮度を保って「いま」という時を刻み続けて
存在していたのです。
 


 
 
 
セッションが終わったときにシェアしたことは

感情に醜いも綺麗もないんだ、
ということ。

人間の体が、食べ物を食べたら、
必要な栄養素はとりこまれ
要らなくなったものは老廃物として
体の外へ出ていくように
感情もそれと同じようなもの

ということ。

 
 
感情そのものになんの罪もないのです。
 
 
 
感情そのものを味わい尽くしたら
老廃物と同じように、執着することなく
手放せるのです。

味わうことなく尽くさずに何事もなかった顔をしてても
不燃物エネルギーのように
潜在意識には存在し続けます。

 
 
ネガティブな感情も
ポジティブな感情と同じように味わう。

ネガティブな感情が湧き上がることは
人間として自然なこと。

その湧き上がる感情を否定したり
自分を否定する必要はないのです。




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この世を
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生きる人でいっぱいにする
 
こんにちは
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。
 
 

※この記事は、
2015年4月5日のブログの
再アップ記事です。




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子どもを侮るべからず。親は子どもの「幸不幸」を決めることはできません。】
 

 
 
先日、講座の中で
離婚してシングルマザーになったことで
子供に負い目を感じていることを
シェアしてくださった受講生のKさん。

Kさんの了承の元、こちらでシェアさせていただきます。
 
 

 
『わたしは離婚したことを後悔はしていません。
でも、息子が不憫でかわいそうに思います。
時々「パパとはもう一緒に暮らせないの?」
と言われると胸がチクっと痛みます。

元々持病だった喘息も以前より酷くなって、
わたしのせいかなと。
息子のことは何がなんでも幸せにしてやらないと!!』

とKさん。
 
 
Kさんのように子どものことを
「幸せにしてやらないと」って
思うシングルの親は多い気がします。
 


今のままでは幸せじゃないんでしょうか?
子どもの幸不幸を親が決めていいんでしょうか?

それはとても傲慢だし
子どもを侮っています。

「今のままじゃ幸せじゃない」
という前提だから、
自分に「罪悪感」という負い目を背負い


「子どもを幸せにするために
わたしが頑張らなければ(犠牲にならなければ)!!」
と背負っている罪悪感を
今度は子どもに背負わせることになるんです。
 
 
 
そんなお涙頂戴な1人芝居をするよりも
自分が幸せになることを考えましょう。
そしてそのための行動を選択しましょう。

あなたががんばらなくても、
子どもは何の理由もなく、何の条件もなく、
今すでに幸せです。

子供はあなたよりも
「いま」を楽しむ「達人」です。
 
 

あなたを幸せにできるのはあなたしかいないし
子どもは自分で幸せになっていくんです。
 
 
 
子どもを侮ってはいけません。

 
 
子供の病気はときとして、
親の心の投影をそのまま見せてくれる場合もあります。
(全てが、というわけではありません。)

あなたが
「今のままじゃ幸せじゃない」という前提を
「子供は幸せなんだ」という前提に替えて、
背負った「罪悪感」を捨ててください。
 


そして
あなた自身がどれほど愛されているかを知ってください。
そして、「いまここ」の幸せを感じてください。

あなたの前提が変わるだけでも現実は変わります。





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生きる人でいっぱいにする!
 



こんにちは
ソウルヌーディストの藤原理恵です。
 
 

※この記事は、
2015年1月7日のブログの
再アップ記事です。



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【「いつか」は一生やってこない。】
 

 
 
私は人生がすべて「ネタ」だと思っています。
ネタが向こうからやってくるんですね。
 
そのネタの1つに
「自分を大事にしない人って
自分の心の声に全く従ってないな~~~」
って思うことがありました。
 
 
私から見るとそれは
「生きている」
とは見えず
「ただ息をしているだけ」
に見えます。
 
 

自分を大事にしない人
自分の心の声に従わない人が
よく口にする言葉があります。
それは

「いつか」
「そのうち」
「チャンスがあれば」
「またの機会に」

 

 
 
これらの言葉。
あなたは口にしませんか?

 
 
『いつかといい男は
待ってても絶対にこない!』笑

 

 
 
上記の言葉って全て
受け身に待ってる人の言葉なんですよね。

「自分からは動かない
けど待ってる」

 
 
そんな受け身な人のところに
チャンスの神様はチャンスをくれません。

あなたがもし神様だったら
自己実現に向かって行動を尽くしている人と
思考ばかり巡らせて具体的に行動してない人と
どちらにチャンスをあげたいと思いますか?
 
 
私がもし神様だったら
行動を尽くしてる人に
チャンスを与えたげたいですね。

だってきっとそういう人はチャンスを受け取って
また行動に変えていく人だから。
 
 
 
息をしている
けど
生きてない人が
悪いなんて思いません。
 
 
でも
残念には思います。

 
 
せっかくうまれてきた今回の人生は
今回きりなのに
それでいいんでしょうか?
 
 
 
息してるだけで
死んでいるような人生
でいいんでしょうか?
自分の本心に問いかけてみてください。

 
 
「いやだ!!!」
 
 
 
あなたの内なる声は
きっとそう発すると思います。
 
 
 
「いつか」
「チャンスがあれば」
先延ばしにしていることほど
あなたの人生にとって重要なはず。
 
 
 
それを行動にうつす少しの
「勇気スイッチ」
をオンにしませんか?
 
 
 
「いつか」と
「いい男」は
向こうからは絶対にこないですからね。




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この世を
「美しく・自由に・創造的に」
生きる人でいっぱいにする
 
こんにちは
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。
 
 

※この記事は、
2013年4月15日のブログの
再アップ記事です。



あなたの気づきのきっかけとなるように、
過去記事を一記事ずつ紹介しています





【自分を大切にすることと、
他人を大切にすることは同じこと】




自分を大切にすることと
他人を大切にすることは同じこと
 
というのは

「自分を大切にすることで、
相手のことも大切にできる」
ということです。

逆に

「自分を大切にできないと、
相手を大切にはできない」
とも言い換えれます。



クライアントの話を
ご本人の了承の上ご紹介します



「私、昔から軽い扱いを受けるんです
例えば、約束しててもドタキャンにあったり、
約束通りの時間に相手が来なくて
待ちぼうけくらったり。」



こういう現象が起こるその背景には

1つは、
相手の言い分を聞き入れる余り
自分の思いをないがしろにしている自分。
相手に悪く思われたくないという思いがあるから。

そしてもう1つは、
人に対してフラットではない、
ということです。

 
 

軽く扱われるように感じるのは
他の誰でもない自分が
自分を軽く低く評価しているのです。

他人はその投影にしかすぎません。
 
自分を軽く低く評価する
「自己卑下」の癖があると
人より優位に立ちたくて
無意識のうちに「自己尊大」になれる他人を
見つけようとします。

 
相手によって自分が上になったり
下になったりしていては「自分不在」です。





誰よりもまず自分の「思い」を
大切にしましょう。

自分の思いをしっかり汲み取って
あげましょう。

ありのままの自分を
ただそのまま認めることです。



自分を大切にすることと
他人を大切にすることは同じことです。


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この世を「美しく・自由に・創造的に」
生きる人でいっぱいにする
 
 
 
こんにちは。
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。
 
 


※この記事は、2015年5月29日のブログの
再アップ記事です。




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【「罪悪感」とは「愛を拒絶する」こと。】
 
 
 


 

 
以前、Facebookのタイムラインで

「ありがとう」の場面で「ごめんね」
を言う残念な人のことについて
少し触れたときに大きな反響がありました。
 
 

その時に、一度しっかりそのことを
ブログにしようと思っていました。
 
今日の講座の中でも
「罪悪感」がテーマになったので、
罪悪感を抱く人のことについて
ここで触れてみたいと思います。
 
 
 
「罪悪感」を抱くのって
日本人の民族性なのかな?
と思うことがあります。 

罪悪感を謙虚であることと
勘違いされてる方もいるんじゃないかな。



たとえば
何か用事があって、
子どもを預かってもらったとき
「預かってもらって申し訳ない」
とか

職場で有給休暇をとって旅行に行ったら
「自分が休みの間、
他の人に自分の分の仕事をさせて申し訳ない」
とか。

 

人の協力的な好意や親切をなぜ素直に
「ありがとう」って受け取れないのでしょう。
 
 


こういう人って、
人様からの愛を受け取れない人です。
「愛を拒絶」している人です。
自分が愛を受け取ることを拒否する人。

愛を与えられていることに
気付こうとしない。
 
 

こういう人に限って、

「◯◯のために」

って親切を安売りして、
愛を奪いにいきます。
 
「もっと!もっと!」と。
 
餓鬼状態ですね。

常に愛に飢えて
枯渇している餓鬼と同じです。
 
 


愛を受け取りたくないから
罪悪感を盾にしてるとも言えますね。

 
 
 
どうか気づいてください。
罪悪感は愛を拒絶していると。
そして
素直に愛を受け取ってください。
 
 

「ごめん」
じゃなく
「ありがとう」と。




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生きる人でいっぱいにする!
 
 
 
こんにちは
ソウルヌーディストの藤原理恵です。
 
 

※この記事は、
2015年5月27日のブログの
再アップ記事です。




あなたの気づきのきっかけとなるように、
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【「得ようとするから得られない」法則】
 
 
 

 
 
さて。
何かが欲しいと思うとき、
何かを得ようと思うとき

そのものが既に在れば
「欲しい」とか「得たい」
とは思わないものですよね。
 
 
 
ということは
「欲しい」「得たい」という発想は

「無い」前提です。 
 

 
「無い」という前提があるから
「欲しい」や「得たい」と願います。

で、結果「無い」という前提通り
「無い」現実は続きます。
 
 
 
「愛されたい!」
「認められたい!」も

「愛されない自分」
「認められない自分」

という前提があるからこそ願うものです。
 
つまり、
どれだけあなたが愛されていて、
認められたとしても

あなたの現実の中では
「愛されている」「認められている」
ことにはならず

「愛されない」「認められない」
現実が続くのです。
 
 
 
時にその「愛されたい」や「認められたい」
を命がけでやっている人がいます。
 
 
 
生死に関わる病の人で

「なんとか治したい!健康になりたい!」

と言いながら行動が「治りたくない」
行動しかとっていない人。
 
 

「治したい!健康になりたい!」

と心から本当に望んでいるなら、
行動も優先的に「治るため・健康になるため」
の行動になるはずです。
 
ところが、治ることや健康になるための行動よりも、
自分の命よりも、全く関係のない行事や他人様のことに
時間や労力を注ぐ。
 

 
どう考えてもその人は「治りたくない」のです。
 
 

治らないことにメリットがあると潜在意識で
「信じている」のです。
だから本人はもちろん気づいてないのですが。
 
 
 
つまり
治ると「得られない」と信じているのです。
人様の「愛」や「承認」を。
 
 
 
だから、身と命を削って「愛」や「承認」
を得ようとする現実を続けます。
 
 
 
得ようとすると永遠に得られない現実が続くのです。
 
 
 
もう既に得ているし在るのです。
 
 
 

身も命も削らなくても、もうすでに愛されているし
私たちは愛の中に存在しているのです。



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こんにちは
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。
 

 

※この記事は、
2015年7月29日のブログの
再アップ記事です。




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【ジャッジしない、ってどういうこと?】
 
 

 
 
 
わたしはよく
「りえちゃんのジャッジしない姿勢に驚き」
と言わることがあります。

 
 
わたしはジャッジを手放しました。
ジャッジから自分を解放した、
という感じです。
 
 

 
わたしたちは生まれた環境、
親との関係性、周囲との関係性という
「縁起」において価値観を形成していきます。

ですから、すべての価値観がピッタリ合う、
ってことはあり得ないことなんですね。

価値観は違って当たり前で、
「違う」ということが「悪い」ことなのではなくて、
単純に「違う」ということなんですね。

 
 

ここで、言っておきたいのは、

「ジャッジしない」ということは
「無感情」ということとは違う、
ということです。
 
 
 
例えば、よく講座の受講生さんから聞く話の中に


「価値観の合わない人をジャッジしない、
っていうことはなんとなくわかるけど、
いやだな~って思ってしまって、
これもジャッジなんでしょうか?」
 

っていうのがあります。
 
 
 
他人の価値観を「正しい」「間違い」
とジャッジすることと、
感情として「好き」「嫌い」「快」「不快」
は全くの別物です。

感情に良い悪いもなく、
純粋に湧き上がるものです。

 
 
わたしはジャッジしないけれど
「好き」も「嫌い」もある。
「快」も「不快」もある。
 
この純粋な反応に従って選択するし
相手との距離感もデザインします。
  



相手との価値観の相違の中で、
「嫌い」「不快」感情が湧き上がってきたら、
相手の価値観を受け入れず、
湧き上がる自分の感情を先ず受け入れて、
 
相手とは程よい距離に自分を置く、
もしくは人間関係の断捨離をはかります。
  
 



こうすると、相手が自分の価値観を押し付けてきたり、
相手が自分の価値観でこちらをジャッジしてきても、
ジャッジそのものに対して
感情を持っていかれることはありません。
 
 
 
ジャッジから解放される、
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