美の伝道師〜藤原理恵のブログ〜

美と真理の伝道師・引寄せスペシャリストの藤原理恵です。
日々のセッションや養成講座の中での気付き・学び・奇跡・感動をつぶやいてます(*^_^*)

こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト藤原理恵です。
 
現在、メンタルコーチングプログラムにてたくさんのクライアントと関わり、自由で豊かな「大人げない大人」を量産計画中です。
 
わたしがどんなヤツか気になる方は、下記自己紹介動画をご覧ください(*^o^*)
 
 
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こんにちは☆彡

ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

「あの時こうしてたらよかった。」

「あの時ああしてたらよかった。」

 

 

 

って思うことってありますよね。

 

これって、以前の自分よりも

今の自分の方が成長して選択肢も

増えてるから思えることです。

 

だから、いつも私たちは

その時その時ベストなんです。

 

 

 

そう言っても

「あの時こうしてたらよかった。」

「あの時ああしてたらよかった。」

 

って思ってしまいますよね。

 

 

それって

 

「生後3ヶ月の赤ちゃんの時、

ちゃんと喋ることができてたら

私の気持ちがお母さんに

ちゃんと伝わってたのに!」

 

って言ってるのと同じことwww

 

こう聞いたらどう思われますか?

 

 

 

わたしたちは常に進化・成長しているから、

今よりは明日、明日よりは明後日の方が

今よりもっといい選択ができるかもしれない。

 

でも、だから、いまはいまの自己ベストだ

ってことを大切な自分のために

 

わかってあげてほしい。

 

そう思います。

 

 

 

 

 

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こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。


アメブロやFacebookなどのSNSを始めると、

自分とリアルな関係性がない人も

自分の記事を読んでくれたり

それに対して「いいね」や

コメントなどの反応があったりしますよね。
 
その中に、主観的な価値観を押し付けるような

印象のコメントや反論的なコメントを

してくる人がいます。
 
 
 
SNSあるあるですね(苦笑)

 
 
 
こういう人って例えて言うと

他人様の庭に咲いてる花を見て

ケチをつけてるのと同じだなぁ〜って

思うのです。

 

もっと言えば「ヒマ」なのですね。

別名「かまってちゃん」です。
 
 
 
他人様が自分の家の庭に

どんな花を咲かせようと

他人様の勝手なわけで。
 
もし、その庭に自分が好きじゃない

花が咲いていたとしても

もうその庭の前を通らなければいいし、

見なきゃいいわけで。
 
他人様の庭をどーのこーの言わなくっても、

自分のうちの庭に好きな花を

咲かせればいいわけで。
 
 
 
「あなたんち庭の花、

わたしは好きじゃない花なんです。

もっと違う花を咲かせるべきですよ。」
 
 
 
って言ってるのと同じですよね( ̄▽ ̄)
 
 
 
つまり
主観的な価値観や反論的なことは、

他人の庭でやらずに

自分の庭でやればいいってことです。
 
 
 
っていうわけで、
こういう主観的価値観の押し付けや

反論的なコメントをもらって

落ち込んでしまったーーー!

なんて経験がある方、

まさに今その状況にある方、

 

もしくはSNSを始められたばかりの方は、

そんな内容に反応すると、

「かまってもらえる!!!」

ってかまってちゃんの思うツボですから、

スルーをしてあげてください。

 

あなたにも、あなたの記事内容にも

何の罪もありません。
 
 
 
そして、あなたは自分の庭に

自分の大好きな花をいっぱい咲かせてください。
 
 
 
あなたの庭の花が好きで集まる人や、

その花に癒されたり、

その花を見て気分が上がったりする人がいる。
 
 
 
それでいいと思います。

 

 

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こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です


先日、わたしのコーチングプログラムを
受けていたIさんが、わたしに会いたい、
と会いに来てくれました。
 
未来の新しいゴールに向かっている様子を
目を輝かせて話してくれました。
 

 


この2か月ほど会わな買った間に、
お母様がくも膜下出血で入院され、
 
手術をされて命は助かられ、
意識はあるものの、
言語障害や運動障害がある、とのこと。
 
 
 
その話の中で、
わたしのアンテナに引っかかったワードが
ありました。
 
  

 

「お母さんは、わたしのことが本当にわからないのか、
意識があるのにわざとわたしのことをわからない
「フリ」をしているのか、わからないんです。
 
わたしと全然目が合わないんです。」
 
  
 

Iさんに、その時どんな感情、
どんな気持ちになったのかを聞きました。
 
ここをうやむやにすると、
何か大切なものが埋もれたままになる、
 
そう感じたからです。
  

 


すると涙を流しながら話してくれました。
「悲しかった」と。
  


  

この時Iさんが感じた悲しみは

『お母さんが自分のことをわざとわからない「フリ」
をしているのではないか?と思った』からで、
 
そう思うに至る過去からの信念があるのです。

  

 

 
なぜ?そんな風に思うのかを聞いてみました。
 
すると、子どもの頃、
自分が話そうとするとお母さんが無視したり、
お母さんを喜ばせようと歌を唄うと、
お母さんに喜んでもらえなかったりしたことが

 


 
「お母さんは自分のことを嫌いなんだ」
「お母さんは自分を愛してくれてないんだ」

という信念を生み出し、
その時感じた悲しみも置き去りにしたままだったのです。

 


 
子どものとき、
自分が「欲しい」と思うカタチでは
お母さんの「愛」を受け取れなかったんですね。
 
 
 
「お母さんの手を理由があったら触れるけれど、
お母さんの手を握ったことがないから握れない。」
 
 
 
そう言ったIさんにわたしはこう言いました。

 

『子供の頃、お母さんから欲しいカタチの
愛をもらえなかった、って思ってるから、
「愛されてない!」って思うようなところばかり
無意識にフォーカスしてきてるはず。

だから、今度病院に行ったらお母さんの手を握りながら、
お母さんが自分にしてくれたことを目を瞑りながら思い出してみて。

あなたにとっては欲しいカタチじゃなかったことの中に
お母さんの「愛のカタチ」があるはずだから。
あなたならそれがきっとわかるはず。
 
お母さんと今のままお別れしたら
きっと後悔するよね。
 
じゃあ、いつかじゃなくて今
お母さんが病になってあなたにくれた
ギフトを受け取ろうよ。』
 
  
 

 
現象は「ギフト」です。
近しい人、愛する家族が病気になった時、
 
わたしたちの感情は揺さぶられます。
今まで潜在的に埋もれていた真実が
 
感情の揺さぶりとともにあぶり出されます。
 
 
 
わたしも母がガンになった時、
 
「母を許せないでいる自分が許せない」

という想いが一気に炙り出されました。
 
 
 
母がガンになったことがきっかけで
わたしはわたしを許し、同時に母を許せ、
 
わたしは深い癒しの中に在りました。
  

 
 
何らかの現象によって感情が揺さぶられる時、
その感情は現象や相手から与えられるのでなく、
 
その感情が湧き上がる何らかの信念が
わたしたちの中にある、ということ。
 

 
どんな現象も、
埋もれたままの真実がみつかるギフトなのです。

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こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

「好きなことだけしたらいい。
ワクワクすることだけしたらいい。
嫌なことはやらなくていい。
 
そう提唱する人がいるんですが、
それって単なるワガママな気がして
 
自分にはしっくりときません。
 
理恵さんはどうお考えでしょうか?」
 
 
 
先日
メルマガの読者さんから来た質問です。
 
この質問に対してわたしの解釈で
おこたえしようと思います。
 
 
 

「好きなことをしよう。」
「ワクワクすることだけしよう。」
 
 
 
実はわたしも提唱しているし、
自分自身も実践していることです。
 
それは前提として
【ゴール=want to】
があって、ある2つの視点から


【ゴール=want to】に紐づく「いま」のため
最善を選択することができます。

 

最善の選択をする2つの視点というのは

 
【ゴール視点】という縦軸と
【縁起視点(関係性)】という横軸の

2つの視点です。
 
 
 
ゴールがない状態での選択は


その時の「気分」で選択することになるか、

価値観や概念に捕まって

自我の奴隷「have to」縛りになるかに

なります。
 
前者は一般的に陥りやすい
 
【「好きなことだけをする」=
「そのときの気分で生きる」のワナ】
 
ですね。
 
 
 
例えば
 
わたしは昨年の3月に、親子三世代で
イタリア旅行に行きました。
 
約1年前から計画していた1つの
楽しみにしていた「小ゴール」です。
 
イタリアへの出発は関空発午前10時。
ですから遅くとも8時までには関空に到着
する必要がありました。
 
関空までは自宅から約2時間。
そして自宅出発の約2時間前には起きないと
余裕を持って出発できません。
 
ということは起床は午前4時。
 
わたしは実は早起きが苦手です。
普段はアラームを鳴らさずに寝ているので
起きた時がわたしの起床時間です。笑
 
ですが、「イタリアへ行く」
という小ゴールがあるから、

イタリアに行ってからの旅の楽しみや臨場感を
先取りできるからこそ、
苦手でも、嫌だなぁと思っても、 
 
「早起きしよう」
 
ということを【ゴール=want to】から
選択できるわけです。


 
  

 
【ゴール視点】
【縁起視点】
 
この2つの視点は、理性が出来上がっている大人だから
できることです。

特に、コーチングをするわたしたちは
自分のことや他人のことも、
抽象度の高い【ゴール視点】と【縁起視点】から
視る、ということをしています。
 
 
 
 
【ゴール視点】
【縁起視点】
 
という2つの視点ではなく
現時点から「いま」を視ると
現時点での「気分」で選択してしまうのです。
 
そのときの気分で選択すると
理性が育っていない子供と同じです。

 

理性が育ってない子供と同じ感覚での

「好きなことだけをしよう!」は

幼少期に自我が十分に満たされていない

未熟なインナーチャイルドのまま大人になり

未だ自我に捕まっている人の解釈です。

 


 
【縁起視点】から観た場合、
気分での選択は「縁起=関係性」を

汚すことになることもあります。
 
 
 
【ゴール=want to】を設定し、
 
【ゴール視点】
【縁起視点】

という2つの視点から選択をしたり、
事象や現象が解釈できると
 
自他愛に生きることができるのですね。
 

 

 

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【「手放す」とは「消す」ことでも「無くす」ことでもない】
 
 
 
こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。


人生が変化してゆくときや
人生のステージが変わるとき
 
そのプロセスに
「手放す」
というキーワードがあります。
 
 

 
皆さんは「手放す」と聞いたら
どんなイメージをするでしょうか?
 
物理的な断捨離
環境を変える
などがありますが、


ここでいう「手放す」は

目に見えない「想い」のことで、


固定概念、信念、価値観などのこと。
 
  

 

物理的な断捨離や環境を

変えることはまだ容易いですが、

 

無意識レベルに染み付いた

固定概念や信念、価値観を

「手放す」というのは

 

いまの自分ではなくなるような

怖さがあったり、頭ではわかっていても

なかなかできない、

というジレンマに辛くなったり

苦しくなったりすることが多いようです。
 
 
 
「手放す」ことに対して怖さを感じたり、

辛くなったり苦しく感じるのは、

「手放す」の解釈が「消す」ことや

「無くす」ことになっているからです。
  

 


「手放す」というのは

「消す」ことでも「無くす」

ことでもありません。


言葉で言い表すとしたら、

「統合」だったり「融合」だったり、

 

あなたの中に「ただ在る」

ものになる、ということです。
 
あなたの中に数年、数十年、

あなたの一部として存在していた

概念・信念・価値観そのものが

あなたを苦しめているのではなく、

 

正体がわからなかったから

苦しかっただけです。

 

 


その正体さえわかれば、

肯定も否定もいらないし、

消すことも無くす必要もないのです。
 
消そう、無くそうとすると、

消せない、無くならない、

という別の苦しみを生み出します。
 
 
 
消すことも、無くすことも必要ない。

 

 


肯定も否定もせず、

あなたの中でニュートラルになって

統合・融合が為されます。
 
 

 

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【嫌われたり拒絶されたりすることの本質】
  

 
 
こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

 

人から嫌われたり
拒絶されたり
 
そんな経験、誰にでもあると思います。
もちろん私にもあります。

 


 
そして落ち込みますよね。
 
「自分の一体どこが悪かったんだろう?」
「どうすれば嫌われないだろう?」
 
って思って他人の目から見た

「完璧」なセルフイメージを目指して疲弊するも、

やはり嫌われるし拒絶もされる。
 
 
 
実のところ
嫌われたり拒絶されたりするのって、

 

あなたの在り方と

何の関係もなかったりするんです。

 

 
 
あなたがどうあろうと、
あなたを嫌いになったり拒絶する人は、
 
あなたのことを自分のフィルターを通して、

見たいように見ているのですから。

 


 
あなたがどうあろうと、
あなたを嫌いになったり拒絶する人は、
 
あなたを鏡にして無意識に

自己否定の部分や認めたくない部分を

映し見てるか、


自分を肯定するために

あなたを否定したいだけだったりするのです。 
 
 
 
だから、あなたの在り方とは

何の関係もないのです。
 
 
 
勝手に嫌いになって
勝手に拒絶してるのです。
  

 

 
それはあなたの問題ではありません。

 

 
 
あなたはあなたのままでいいし、
どこも何も否定も肯定もせず

そのままこのままでOKなんです。

 

 

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【「恐れ」は真理にたどり着くための影武者】
 
 
 
 
こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。


「恐れ」とは
己の生み出した錯覚である、と言います。
 
わたしたちは自分の無意識下に植え付けた
なんらかの信念によって「恐れ」を
生み出しています。
 
 

 
得体の知れない「恐れ」にたいして
わたしたちはついつい戦おうとしたり
否定したり、排除しようとしたり
あるいは「ないこと」にして目を背けようとします。
 

 
「恐れ」にフォーカスした瞬間
「恐れ」に膨大なエネルギーが与えられ
「恐れ」がどんどん大きく膨らみます。
 
そして
得体の知れない「恐れ」が自分自身を
「支配」します。

 
 
わたしもかつて自分の無意識の信念が作り出した
「恐れ」と戦おうとしてみたり
ないことにして背を背けてみたり、
 
自分の作り出した「恐れ」に自分のエネルギーを
どんどん送り込んで膨らまし、
自分の作り出した「恐れ」に支配されることが
何度も何度もありました。

 
 

「恐れ」の正体と向き合い
「恐れ」を克服したり破壊することなく
「恐れ」と和解すると
 
恐れを作り出していた元となる
「信念」との和解にたどり着くのです。
 
 
 
「恐れ」は「愛」とは対極のものとして
扱われることが多いのですが
「恐れ」すらも、真の理にたどり着くための
影武者だったりするのです。
 
 
 
愛は絶対であり真理です。
 
 
 
だから
わたしたちはそこへたどり着きたくて
永遠の転生を続けているのかもしれません。
 
 
 
「恐れ」を排除しようとするのではなく
その背景にある信念からのメッセージである
ことを知り、
 
「恐れ」が影武者となって
わたしたちを絶対的な愛へと導いてくれていることに
フォーカスを充てていくと
 

 
「恐れ」は愛の一部となっていきます。

 

 

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こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。
 

image
 
わたしの周りには、
いわゆる「大人げない大人」が集まっています。
 
全力で遊び
好奇心のままに行動し
「やりたいことをやる」
 
ってことを徹底している人たちです。
 
 
 
わたしもその大人げない大人の

1人なんですが(笑)


そういう大人げない人たちに囲まれて、

わたしはとても毎日が楽しいし幸せです。
 
 
 
「いい年して恥ずかしい。」
 
なんて言う人がいたとしても、

それはその人の価値観。
 
 
 
っていうか、

「いい年して恥ずかしい。」
 
なんて言う人ほど、

人生をシラけながら生きてますよね。


「want to」で生きれない

自分に対してシラけてるというか。
 
 
 
「大人とは◯◯であるべき」

 

というガチガチの固定観念で

本質の自己をがんじがらめに

していることに気付かず、

 

大人の顔をして

過去からの延長を生きている人って

たくさんいます。
 
 
 
話を元に戻します(笑)
 
 
 
たとえ誰の役にも立たないようなことでも、

それが自分のやりたいことだったら、

自分が夢中になれることで

自分を満たす。
 
人から見てどうか?は

重要ではありません。

 


 
むしろ、人のやることを

「あーだこーだ」

言う人ほど、自分の「want to」を

満たしてない人ですから。
 
 
 
「want to」は子どもだけのものではありません。
死ぬまで続きますよ。
 
 
 
大人げない大人上等!
 
 

 

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【「ジャッジ」と「好き・嫌い」は似て非なるもの】
 
 
 
こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。


「ジャッジ」と「好き・嫌い」を

ごちゃまぜしている人が多いですね。

 

「好き・嫌い」を「ジャッジ」だと思って

「嫌い」と感じた自分自身を

「ジャッジ」する人が多いんですよね。
 

 
 
「好き・嫌い」というのは

「感覚的」なものであっていわば

「自動反応」なんです。

 

「好き・嫌い」「快・不快」

なんて感じるのはフツーのこと。
 
それに良いも悪いもないんです。
 

 


だから、自分の

「好き・嫌い」「快・不快」

はとても自然な自動反応的感覚であって、

感じてることそのものに何の罪もありません。


嘘偽りのない本当なわけで。

だからそのこと自体

ジャッジする必要は全くないんですよね。
 
 
  

一方「ジャッジ」というのは、

生まれた環境・両親の性質・

家族間の暗黙のルール・兄弟間の関係・

地域や学校など属するコミュニティなど、

あらゆる環境の中で1人1人が

「既成概念」「固定観念」「価値観」

を無意識下に植え付け、

それが自分にとっては「当たり前」になり、

それらを「フィルター」にして相手の

「既成概念」「固定観念」「価値観」

の違いに対して「正・邪=ジャッジ」すること。
  
 
 

「既成概念」「固定観念」「価値観」

は地球総人口70億人、

全ての人が皆違うものであって、

違って当然です。
 
そのどれもに「正邪」というものはなく、

ただ「違う」という事実があるだけ。
 
ただ人間だから、

「好き・嫌い」は感覚的にあるものです。
  

 
 
わかりやすいたとえ話をすると、
 
アフリカのある民族に、

よそ者を歓迎するときの儀式として

 

「相手の顔にツバをかける」
 
という風習がある地域があります(実話)笑。
 
 
 
で、その地域にとってはそれは

「当たり前」の風習であり「価値観」なんです。
 
 

 

「そういう地域もあるんだな〜。」
ってことは理解に及んでも、

じゃあ、ツバをかけられるのはどうか?

と言えば、私は「イヤ」です。
 
「いやだ」と思う私の感覚を

私はおかしいと思わないし、

ジャッジしません。
 


  

「ジャッジしない」とは、

価値観の違いを理解する、

ということであって、その反対に

「ジャッジ」は「違う価値観を否定する」

ということ。
 
「好き・嫌い」という感覚的なものとは

全く別のものなんです。
 
 
 
『「ジャッジ」と「好き・嫌い」は違うもの』
 
 

 
ということがお分かりいただけたでしょうか?


 

 

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【「信頼」は未来視点「期待」はいま視点】
 
 
 
こんにちは☆彡
ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

「相手を信頼すること」と

「相手に期待すること」って

同じように感じますよね。
 
 
 
「相手を信頼すること」
「相手に期待すること」
 
この2つは似ているようで違います。
どう違うか?と言うと
 
「どの時間視点で観ているか」
が違うのです。
 
 
 
「信頼」は時間視点が「未来」。
 

 


例えば、

あなたが自分の子どもに対して

理屈抜きで信頼を寄せている時は、

無意識に「未来視点」から「いま」を観ています。


可能性が限りなくある未来という視点から

「いま」を観れば、現状がどうであろうと
 
「あなたは大丈夫。」
 
と思えるのです。
 
 


 
一方「期待」は時間視点が「いま」です。
 

 

 


例えば、

あなたが自分の子どもに対して

期待を寄せている時は、

無意識に「いま視点」から「未来」を観ています。
「いま」という視点から「未来」を観て
 
「未だ思う結果ではない。」
 
という前提があるから「期待」をするのです。
 
 
 
 
「信頼」と「期待」では

相手に伝わるメッセージも違います。
 
 
 
「信頼」は文字通り
「信頼されてる自分」というメッセージになり、

エフィカシー(ゴールに対する自己評価)が高まり

パフォーマンスが発揮しやすくなります。
 

 
「期待」は
「いまのままの自分は未だ未だだ」

というメッセージになり、

エフィカシーが高まりにくく、

パフォーマンスが発揮しにくくなります。
 
 
 
さらに
相手に対して「信頼」という

未来視点で観ることができるのは、

自己信頼という前提があるからこそ

持てる視点であると言えますね。
 
 
 

 

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