こんにちは^ ^

藤原理恵です。

わたしたちには必ず1つや2つ

 

「ほらまた!」

「やっぱり!」

 

って立証していることってありますよね。

 

例えばわたしで言えば、昔 

 

「母はわたしの話を最後まで聞いてくれない」

ってことを必至に立証していました。

 

 

「どーせ聞いてくれないでしょ」って程で

話すわけですから、母に対して否定的だったし、

 

今から思えば、そんな否定的な前提で

話されることを心をオープンに聞くなんて

できるはずがありません。

だから案の定、最後まで話を聞いてくれないww

 

結果、繰り返し、パターンですね。

 

 

 

こんなふうに

「ほらまた!」

「やっぱり!」 

 

愛してくれない

認めてくれない

わかってくれない

 

を立証して、このパターンを

繰り返してですね

 

で、どないしたいん???

 

このお昼の連ドラ劇場をシーズンいくつまでか

やるつもりでしょうか?

 

そのお昼の連ドラ劇場が

人生そのものなのでしょうか?

 

 

いや、全然OKですよ。

なんでもOKなんです。

 

それがあなたの望むことなら^ ^

それがあなたの望む人生なら^ ^

あなたが幸せなら^ ^

 

幸せのカタチは人それぞれですから^ ^

 

 

けれど、もしこの立証パターンが 

 

「もうしんどいしやりたくな〜い!!」 

 

のであれば、この立証パターンを

「懐かしのふるさと」

くらいの位置付けにして

 

削除も排除もしようとせず

「在っていい」

ってことにして

 

過去の思い込みや信念体に

パワーを与えるのではなく

未来を創造する種を植える「いま」に

パワーを与えてください。

 

あなたが真に望むことは

すでに「いまここ」に在りますから^ ^

 

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ^ ^

AD

こんにちは^ ^

藤原理恵です。

「引きが強いですよねー」

「人に恵まれてますよねー」

「現実化が早いですよねー」

 

ってわたし自身よく言われることなんですが

そこで、わたしを特別視したり

神格化して見る人がいて(苦笑)

 

それって

 

「あなたとわたしは違う!」

 

って「分離」なんですけれどね(爆)

 

それに「自分はできない」ってことの

言い訳の材料にしたいんですか?って

言いたいんですけどねー^ ^

  

 

 

話が脱線しちゃいましたwww

 

 

 

「引き寄せ」とか

「他力に恵まれる」人って共通してることがあります。

 

それは、みなさん人知れず

【思考量 ✖️ 行動量】

をやっているということ。

 

ホント見えないところでやってます。

 

 

「思考量」と「行動量」が蓄積されていく

器があると思ってくださればわかりやすいです。

 

その器に自分の「思考量」と「行動量」が

蓄積され、溢れるそのときに初めて

「引き寄せ」とか「他力」は動きます。

 

「思考」も「行動」もエネルギーだからです。

 

 

例えばわたしの場合

宮古島で出会ったすっごい変人レベルの

おっちゃんが愛深く育ててきた「アロエベラ」に惚れて

(*あ、おっちゃんの変人ぶりにも

  惚れちゃいましたww)

 

「地味だけどホンモノ!」

にアンテナを立てている人に

このアロエベラをお届けするために

 

2年という時間、その間に足繁く宮古に行き

思考と行動を重ねてゆくと

 

協力者は現れ

企業の参入も決まりました。

 

 

 

「思考量」も「行動量」も蓄積せず

「引き寄せ」とか「他力」っていうのは

 

部屋にずーっと引きこもりながら

「あぁ。。。白馬にまたがった王子様が

 わたしを迎えに来ないかしら」

 

って言ってるくらいありえないことです。笑

 

 

何の根拠もなく

引き寄せたいものを得ている強烈な

臨場感があったり

それを引き寄せる確信が

「当たり前」レベルの場合は

きっと引き寄せもあるでしょう。

 

ですが、そうでない限り

 

「思考量」と「行動量」があって

それが器を満たして溢れたときに

 

引き寄せや他力は作動します。

 

それは「人脈」「支援」「情報」

「お金」などカタチは様々ですが

必ずやってきます。

 

 

ぜひ「思考量」と「行動量」で

器を満たしてください^ ^

 

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ^ ^

 

 

 

 

 

 

AD

こんにちは^ ^

藤原理恵です。

「発酵」と「腐敗」って似て非なるものですけど

どう違うかご存知でしょうか? 

 

(ってまるで知ってる風のわたしwww)

 

両方に共通しているのは

「微生物が食品の成分を分解する」

というところで、違いは

 

「発酵」は糖が分解されて

乳酸やアルコールが生成されて

人にとって有益なもので

 

「腐敗」はタンパク質が分解されて

硫化水素やアンモニアが生成されて

人にとって有害なもの。

  

 

 

わたしたち人間も微生物のように

「発酵」や「腐敗」のような

生き方をしてるんだなーって感じます。

 

そしていずれも自由意志で選べる。

 

人間視点で観たときの

「発酵」と「腐敗」の違いって

「循環と停滞」で

 

循環させるか停滞させるかのポイントになるのが 

 

「二元的価値観というフィールドに安住するか

 二元的価値観から自分を解くか」 

 

なのだと思います。

 

 

簡単に言っちゃうと 

 

「ジャッジ縛りでいくかジャッジから解くか」 

 

ってこと。

 

 

 

「発酵」は微生物が糖を食べて排泄したモノが

別の生物の為になっていて循環してる状態で、

 

「自分をそのままこのままOK!」

 

にしちゃえると、在るだけで人様の

お役にたてる、って感じです。

 

例えて言うならわたしの場合

 

・あり得ないくらい色んなことを忘れるww

→周りが覚えてくれていたり、わたしの

 役に立てることで幸せだと感じてくれる

 

・できないことだらけでダメ人間ww

→わたしのできないことをやってくれる人が現れる

 ついでに経済も回る

 

・深刻なことほど笑ってしまう不謹慎なヤツww

→大笑いで深刻さが大祓されるww

 

みたいな笑笑笑

 

人様のお役に立とう!って思わなくても

そのままこのままで在るだけで

結果的には人様のお役に立ってる

みたいなことです。

 

  

 

一方「腐敗」は、文字通り

「腐っちゃう」ですね。

 

自分にダメ出ししてダメループに入って

しまうこと。

わたしがたまに言ってる

 

「1人SM劇場」ですね。笑

  

 

 

人間ですから、腐っちゃうことも

あると思うし、あっていいんじゃないか、って

思います。

 

けれど、腐っちゃったとして

 

「で、どう在りたいか?」

 

だと思います。

 

 

 

わたしたちはいつでも「いまここ」から

自由意志で在り方を選択できる。

 

で、極論

ジャッジしちゃってもOK!

ジャッジ上等〜!笑

 

でいいんじゃないか、って思います^ ^

 

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ^ ^

 

 

 

 

 

 

AD

こんにちは^ ^

藤原理恵です。

わたしたちがよくやるのが

 

「自分の気持ちを他の誰かに

 わかってほしい」

 

というもの。

 

 

親子、パートナー、恋人、仲間など

自分の近しい関係性になればなるほど

ポジティブな感情もネガティブな感情も

相手に対する感情の振り幅は大きいし

 

特に相手に対してネガティブな感情を感じたら

「わかってほしい」

の気持ちは強くなりますよね。

 

 

ただ、「わかってほしい」場合

自分のネガティブな反応を「正当化」しているので

相手が「間違っている前提」だったり

相手が「自分にネガティブな感情を与えた前提」なので

 

相手が理解を示すことはなかなかありません。

 

 

そこで

まず相手に「わかってほしい」の前に

1つやってみてほしいことがあります。

 

とっても簡単なことなので

「え???そんなこと???」

って思われるかもしれませんが

 

案外やってない方が多いんです。

 

 

 

「わかってほしい」の前にまずやってほしいこと。

それは

 

「あなた自身が自分の気持ちをわかってあげる」

 

ということ。 

 

昨日のブログ

【ブラック(ネガティブ)な感情を

無いことにしてしまうと潜在意識が起こすこと】

 

でも書いたように

相手に抱いたブラックな感情そのものを

肯定も否定もせずあるまま感じ味わう。

 

そのままこのまま認めること。

 

「むかつく!」

「許せない!」

 

って思ったなら

 

「わたし、ムカついたんだ」

「わたし、許せなかったんだ」

 

ってそのままこのまま感じる。

 

そして

 

「ムカついてOK」

「許せなくてOK」

 

ってジャッジから自分を解いてあげる。

 

 

自分の気持ちをまず自分が受け止めてあげる

わかってあげる、ということをしてあげるんです。

 

すると、相手に対してもジャッジがなくなり

ニュートラルな状態で話ができます。

 

 

自分のことを誰よりもまず

自分がわかってあげる。

 

 

ぜひ心がけてみてください^ ^

 

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ^ ^

こんにちは^ ^

藤原理恵です。

嬉しい!

面白い!

楽しい!

幸せ!

大好き!

 

などのいわゆる「ポジティブ」と言われる感情は

ウェルカム!ですが

 

嫌い!

あの人ばっかり!

むかつく!

許せない!

 

などのブラック(ネガティブ)な感情って

ウェルカムじゃないし積極的に味わいたくない

感情ですよねー。

 

多くの人が、ブラックな感情を感じたとき

ついやってしまうのが

「無いことにしてしまう」

ということ。

 

なぜ無いことにしてしまうか?というと

ブラックな感情に対して自動反応的に

「ジャッジ」するからなんですね。

 

「こういうブラックな感情を感じるのは

よく無いことだ」

 

みたいな感じで。

なので、無いことにしてしまう。

 

出かけたげ◯ぷやオ◯ラを出さずに

元に戻す、みたいな感じですよねwww

(ご飯中の方、ゴメンなさいwww)

 

  

 

すると

潜在意識はあることを起こします。

 

何かと言うと

「感情を再現させる」。

 

感じた感情を再現するように

シチュエーションを創るのです。

だから、再び同じ感情を味わうことに

なります。

 

「あぁ。。。まただ。。。」

 

っていうやつですね。

 

 

ですから

ブラックな感情を無いことにせず

ブラックな感情そのものを肯定も否定もせず

ただあるまま感じ味わう、というプロセスが必要です。

 

そのままこのまま認める。

 

私、嫌いだったんだ

あの人ばっかり!って思いたかったんだ。

私、むかつきたかったんだ。

私、許せなかったんだ。

 

 

みたいな感じに。

 

そして次に

 

嫌いでいいんだ。

あの人ばっかり!って思っちゃっていいんだ。

ムカついていいんだ。

許せなくていいんだ。

 

ってブラックを赦すと

それだけで感情がニュートラルになります。

 

 

どんな感情にも良い悪いはありません。

ただ、長年の癖で自動反応的に

ジャッジが働いてしまいます。

 

ジャッジしてもいいので

ジャッジしたことに気づいたら

ブラックな感情とちゃんと向き合って

あげてください^ ^

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ☆彡

 

 

 

 

 

 

こんにちは^ ^

藤原理恵です。

衝撃でした。

自分の「無い」という前提が

「無い」世界を創り出していたとは。

 

そのことに気づいた時は

衝撃の次にウケましたwww

 

その時のことを書こうと思います。

 

「前提」ってコトバ辞典では

「ある事が成り立つための前置きとなる条件」

って書いてありますが

 

例えて言うならば

食材が「前提」で、食材でできた料理が「結果」

みたいな感じです。

 

「ゆっくり深呼吸しましょう」

の大前提は「酸素が存在していること」です。

 

 

こんなふうに

それを成り立たせる「前提」があって

わたしたちの見ている世界も

無意識下の「思い込み」や「信念体」が

「前提」となって創り出しています。

 

 

 

わたしは長年、母との確執がありました。

わたしをわかってくれない

わたしを認めてくれない

そんな母に、自分を認めさせたい一心で

命を削るように頑張っていました。

 

そして29歳のとき、病気になって死にかけました。

 

41歳で初めてヒプノセラピー(催眠療法)を

受けたことをきっかけに

本格的に潜在意識と催眠を学び

プロとして活動してきました。

 

この世界に入って初めての人体実験が

「母はわたしを認めてくれない」

「母はもしかしたら認めてくれてるのかも?」

でした。

 

そういう程で振り返ってみると

わたしの思う「認める」とは違うカタチの

「認める」をしてくれていたようです。

 

要は、ストライクゾーンが狭すぎて

わたしにとってはストライクじゃなかっただけです。

 

 

そのことに気づき

当時癌で入院していた母を見舞うと

同じ病棟の患者さんから

 

「◯◯さんの娘さんでしょ?

お母さんが自慢したはったよ^ ^」

 

と言われ、びっくりしたことを

今でもはっきり覚えています。

 

わたしの前提が

「無い」から「在る」に変わるだけで

映る世界が変わった瞬間です。

 

 

「自分探し」や「探し物」も

「無い」が前提になっているから

結果、見つかりません。

だから、探している間は見つからないのです。

 

探すことをやめて

「そのうち出てくるかもしれないし

出てこないかもしれないし」

ということを良しとしていると

現れたりするものです。

 

 

「無い」にとらわれているとき

自分の中の「前提」をチェックできる

チャンスと言えるかもしれませんね^ ^

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ^ ^

 

こんにちは^ ^

ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

こころとからだは繋がってる、って

よく言いますよね。

 

催眠療法士としておしごとしていると

潜在意識がからだの症状を通して

なんらかの「メッセージ」を伝えてるなぁ

って思うことが多々あります。

 

 

以前、前世療法をしたときのことです。

(*ご本人の了承をいただいて掲載しています。)

 

20歳になったばかりのお嬢さんとお母さんが

わたしのところに来ました。

 

話によると

お嬢さんのSさんは、学校にも行かず

生きる意味を見出せず、夢もなく

自室に引きこもっていました。

 

20歳の誕生日を迎えた日

Sさんの体に異変が起こりました。

胃の裏側が痛む、という症状が

現れたのです。

 

病院に担ぎ込まれて検査をしても

数値的には炎症反応が出るだけで

異常が見つからず何が原因かもわからない。

 

それが何度も何度もあって

お母さんが藁をもすがる思いで

Sさんを連れてわたしのところにやってきました。

 

 

 

催眠に入ると、Sさんは前世らしき

ある場面の中にいました。

 

それは日本の江戸時代あたり。

Sさんは前世で商屋の娘。

1人娘でとても大切に育てられていました。

 

ちょうど20歳の誕生日を迎えた日

人違いによって辻斬りに逢い

短い人生を終えました。

その時の切り傷が、ちょうど胃の真裏

だったのです。

 

結婚間近で夢や希望がいっぱいだったのに

急に命を奪われこの世を去らなければならなかった

前世のSさんから

 

「貴女には未来がある。

夢や希望を叶える命と時間がある。

だから、その命と時間を大切にしてほしい。」

 

というメッセージを受け取りました。

 

 

セッションが終了してからのSさんは

休学していた美大に再び通い出し

好きな絵の道に進み始めました。

 

それと同時に胃の裏の痛みは

嘘のようになくなりました。

 

 

からだに起こる痛みは

時として潜在意識からのメッセージである

場合があります。

 

 

わたしたちはいろんな「思い癖」によって

「べき」「ねば」的にからだを酷使し

自分を慈しむことから遠ざかります。

 

それでも、その体のサインを見逃すと

潜在意識は強制終了をかけてくるんですね。

 

 

私自身、29歳で死にかけた時が

強制終了させられた時でした。

 

それは今から思えば愛でした。

 

あのまま体が動いたら

死んでいたかもしれません。

 

 

からだがサインをくれている時点で

強制終了がかかる前に 

 

「自分を慈しむことから遠ざかっている」

 

ということを自覚できれば

ベストですよね^ ^

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ^ ^

 

 

 

こんにちは^ ^

ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

「自分が誰かに何かをさせた」

「自分が誰かに何かをさせられた」

 

無意識ながら多くの日本人が

よく口にする言葉ではないかと

思います。

 

戦後の日本の教育現場や家庭で 

 

「自分で考え、判断し、選択し

行動し、結果を受け取る(責任を取る)」

 

ということが抜かれたことによる

「支配」と「依存」の

副産物だと感じています。

 

 

あ、話が脱線しちゃいましたwww

 

 

ーーーーーー

 

 

先日、キッチンで洗い物をしていたら

後ろから

 

「あ!!理恵さんに洗い物させちゃった!!

ごめんなさい💦」

 

って声がしました。

 

ハウスシェアしているTさんの言葉に

わたしは違和感を感じて思わず

 

「え?わたしってTさんの中では

Tさんに洗い物をさせられてることに

なってるの???」

 

と言いました。

 

 

自ら洗おうと思って

洗い物しただけですけどね。

 

 

「させた」と「させられた」は

セットです。 

 

つまり「誰かに何かをさせた」と

思う人は

「誰かに何かをさせられた」と

思う人なのですね。

 

自分で考え、判断し、選択し

行動し、結果を受け止める

 

という機会を長らく奪われ

 

誰かの考え、判断、選択を

与えられ、行動し、結果を

誰かの賞賛や誰かの責任にすることに

慣れると「支配」と

「依存」のフィールドで

誰かからコントロールされ

誰かをコントロールすることが

 

当たり前になっています。

 

 

そうであったとして

社会や環境や親のせいにしても

なんの解決にもなりません。

 

大切なのは

そういう環境にいたと気づくことと

 

「誰か」ではなく「自分が」

考え、判断、選択、行動し

人生の舵が自分の手中にあることに

気づくことです。

 

 

「支配」と「依存」のフィールドでは

無責任と罪悪感がうまれ

「感謝」はうまれません。

 

1つ簡単でとても効果のあるリハビリがあります。

それは「ありがとう」です。

 

ついつい「ゴメンナサイ」と

言ってしまいそうになる場面で

 

「ありがとう」を意識して言うことです。

 

それだけでも

与えられていることに気づけ

与えられることを受け取れる

器を広げることができます。

 

 

ぜひやってみてくださいね^ ^

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ^ ^ 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは^ ^

ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

わたしたちっていつもなにかを

選択をしていますよね。 

 

その選択が無意識だと

つい二元的な選択をしてしまいがちです。

 

例えば

「損得」「善悪」「優劣」

「勝負」「正誤」

 

他にも色々あるけれど

二元的な選択をすると

苦しくなってくるのですよね。

 

なぜなら

二元的選択は

「優劣」ならば「優」を受け取ろうとして

常に「劣」が付きまといます。

 

 

 

先日のブログでも伝えていますが

何を選択するにも「前提」があって

 

二元的選択の「前提」は

「不安」だったり「恐れ」です。

 

だから二元的選択のはざまは

苦しいのです。

 

 

先日、わたしの講座を受講している方から

 

『同じ日に行きたいセミナーが2つあって

どっちかを選ばなくてはいけない

と思うとモヤモヤして苦しい』

 

という相談メッセージがきました。

そのときにわたしが彼女に送ったメッセージは

 

「どっち選んでも正解」

「どっち選んでもハッピー」笑

 

最後には

 

「鉛筆転がして選んでもいいんじゃない?」

 

と言いました。笑

 

 

彼女が鉛筆を転がしたかどうか?

それはわかりませんが

 

何をどう選ぼうと

わたしたちは幸せになるしかありません。

 

それが一見して不幸に見える

プロセスがあったとしても

どう見るかがあるだけで

真に不幸になることは絶対にありません。

 

だとしたら

不安や恐れが付きまとうような

二元的選択ではなく

 

「何をどう選ぼうと最終的には

幸せになるんだ」という前提で

 

真に安心を得ることができます。

 

 

ただ

鉛筆を転がして選択したとしても

「肚をくくる」

という必要はあります。

 

それは「覚悟」とか「決める」

とかって言葉にも言い換えれますが

硬くなることではなく

緩むことなんです。

 

 

一昨年の秋

とっても楽しみにしていたデンマークツアーを

前日になってキャンセルしたことがありました。

 

体調が優れない中で

二元的な選択のはざまに揺れて

 

最終的には

「行かない選択肢の先にも

ハッピーフィールドがある」

 

と肚をくくったその瞬間

「デンマークに行かない」

という選択肢の先のルートが

現れたんです。

 

 

無理をしてデンマークに行ってたら

それはそれのハッピーフィールドが

あったかもしれませんが

 

いま思えば、最善の選択をしたと

思います。

 

 

 

ぎゅっと硬く結んでいた手のひらも

決めた瞬間に緩みました。

 

そのときの感覚として

「決める」

「肚をくくる」

「覚悟する」

って緩むんだなぁってこと。

 

そして安心して受け取ればいいってこと。

 

 

わたしたちの人生の目的は

「幸せになること」です。

 

これって確定事項なのです。

 

いわば、車のナビのフラッグは

ハッピーフィールド。

 

だから、どの選択肢を選んでも

ルート変更されるだけ。

 

 

脱・二元的選択で

真の安心を得ましょう^ ^

 

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ☆彡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは^ ^

ソウルヌーディスト 藤原理恵です。

「排他主義や否定が強くなると

そこからも何かを受け取らされるよね。」

 

っていうのは昨日のグループセッションでのはなし。

 

参加者さんから

 

「化学調味料や食品添加物、

お肉やお魚などを排除したり、

除菌除菌で極端に潔癖にしても、

健康を害したり、よりネガティブ思考が

強くなったりするのって

どう思いますか?」

 

っていう質問がありました。

 

 

何を選択するのも

その選択の「前提は何か?」によって

受け取らされるものは違います。

 

 

前提の違い、って何か?っていうと

「感謝」なのか

「不安」なのか

です。

 

感謝が前提のとき

どれもOK(肯定も否定もない)で

その上で自分にとって「好き」や

「心地よい」ものを選んでいるし

 

不安が前提のとき

安心だけを受け取りたくて

自分が安心できる以外のものは

否定して排除しようとします。

 

 

結果

感謝には感謝の波が返ってくるし

安心だけを受け取ろうとすると

不安の波が返ってくる。

 

それは反作用の法則です。

 

安心だけを受け取ろうと強めると

対極にある不安を強める。

 

 

排他からも

否定からも

受け取らされます。

 

 

同じように選択してるようでも

前提が違えば受け取るものも

全く違うんですね^ ^

 

 

読むだけで価値観や思い込みが外れたり

書き換わってしまうメルマガ

「ソウルヌーディスト通信」への登録は

こちらからどうぞ☆彡