今日のお散歩のテーマは忠臣蔵のうち、「3月14日松の廊下から一関邸 内匠頭切腹の段」です。
ホントは皇居東御苑の「松の廊下」跡を確認したかったんですが・・・ボクはここから・・。
江戸城平川門は、大奥に近いため大奥のお女中の通用門であり、御三卿(清水・一橋・田安家)の登城口でもありました。
平川門は、別名「不浄門」と言われて、罪人や遺体を出すのに使用したそうです。殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は即刻重罪人とされましたから、城内の座敷牢に一時留め置かれた後、一関藩主田村邸へお預けのため城外へ出されたときはここ平川門から出されました。
浅野内匠頭は、「この間よりの遺恨、覚えたるか」と言って吉良上野介に斬りつけたそうです。遺恨とは・・・内匠頭から上野介への進物が少なかったため、吉良が儀式のノウハウを伝えてあげないなどの嫌がらせをしたのではないかと言われています。
事件を知った綱吉は激怒しました。十分な吟味のないまま、内匠頭に即日切腹と浅野家改易を命じました。大名が即日切腹とは異例のことですが、桂昌院の従一位叙任を取り消されないための措置といわれています。
喧嘩の相手、上野介にはお咎めなしでした・・・。
若い殿様、悔しかったでしょうね・・・
元禄14(1701)年陰暦の3月14日、駕籠に閉じ込められた内匠頭は散り際の桜を眺めることができたんでしょうか・・・
300年後に無念の道程を辿るワンコがいるなんて・・・・・
風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん(風にさそわれて散ってゆく花にとって、春はさぞ名残り惜しいことであろう。私はそれ以上に、どうしようもなく春が名残惜しい・・)
無念が伝わります。
今日はママリンの落語のお仲間もご一緒なんです、ママリンがいつもお世話になってます。
暑すぎず寒すぎず、絶好のお散歩日和でよかった。
今日のボク・・・ちょっとにやけてますね。
姐さん方は、「木蓮で春はそこまで来てるなぁ~と感じて、沈丁花の香りで春の訪れを感じると、そろそろ桜よねぇ・・・」
さん喬さんのマクラみたいなこと言って喜んでます。
お堀にはおっきな鯉が泳いでます

楽しい!
白い梅の花にところどころピンクの花が混ざっています。「源平の梅」というそうです。Iさんが教えてくれました。「源氏」が白、「平氏」が赤ですよね。珍しいィ~、面白いィ~。
大都会で頑張ってます!
「思いのまま」といって、一本の木で、赤・ピンク・白・絞りを同時に咲かせる梅もあるそうです。
姉さま方、もう少し早く歩いてくださいねェ~~
一関藩田村邸跡です。中小のビル街で、当時の面影はありません。
一報を受けた片岡源五右衛門は直ちに田村邸に行き、内匠頭と面会したそうです。芝居で有名な場面です。
午後6時には庭で切腹が行われました。これは大名に対する作法ではないそうです。
「殿中で刃傷があった」という噂がたちまち江戸の町に広がります。江戸っ子たちは「浅野ばかりが酷い目にあった・・・」と思い、彼らの目に吉良上野介62歳は賄賂を貪る悪徳官僚で、浅野内匠頭37歳は清廉潔白なプリンスに映ったことでしょう。
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ちょっと寄り道・・・
江戸時代から続く酒屋の「小西」といえば

「文七元結」のクライマックスで鼈甲問屋の旦那が持参する酒樽の切手の購入先。でも・・・長兵衛さんの貧乏長屋は本所の達磨横丁で、鼈甲問屋は横山町・・・。浅草に支店があったのかな・・・?
出世の階段をかけあがりました・・・
11時に平川門を出発して約2時間歩き続けた姉さま方はランチ。Mさんが用意してくれた忠臣蔵関連の資料を読みながら美味しそうにハンバーガーを食べてます。Mさんの資料、すごく充実!
・・・ボクだってお腹すいてるのに・・・何かおくれよ・・・・・
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討入りを果たした赤穂浪士たちは、永代橋を渡って市中に入り、霊岸島から鉄砲に出て、汐留橋、金杉橋、芝を通って泉岳寺に向いました。
途中、新橋で吉田忠左衛門と富森助右衛門の二人は一行と別れ、討入りの一件を公儀に届けるため、芝・愛宕下の大目付・仙石伯耆守の邸に向いました。
仙石邸は現在ニッショーホールになっています。当時の面影ありません・・・・。
浪士たちの凱旋を、沿道を埋め尽くすほどの江戸っ子たちが出迎えたといわれています。また、泉岳寺に近づくにつれ、沿道に人が増える程度ともいわれています・・・。
泉岳寺到着16時半。閉門間際になっちゃいました。
泉岳寺に着いた浪士の一行は、まず内匠頭の墓前に上野介の首級を供え、討入が成就したことを報告しました。
そのころから、野次馬の数が増えて泉岳寺の門前は大変な人出になっていたそうです。
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浪士たちのお預け先の待遇には当然違いがあり・・・・もっとも手厚くもてなしたのが細川家だったそうです。浪士たちが到着すると、深夜にもかかわらず当主の越中守綱利はさっそく対面して労を労い、料理を出し、風呂を沸かして入浴させたりしたそうです。
屋敷内の二間に収容された浪士たちは、自由に出入りはできなかったものの、監視されるような罪人扱いはされなかった。先日文芸坐で観た雁治郎・扇雀親子の「琴の爪」でもそのように描かれてました。
浪士たちが切腹した跡は現在も大事に保存されています。当主細川綱利は、切腹の庭を清めるための役人が幕府から派遣された時、「ここで果てた勇士たちは、屋敷のよき守り神なので、庭を清めるには及ばない。そのままにしておくように」と言ったそうです。
あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし 大石内蔵助 「或日の大石内蔵助」芥川龍之介
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/122_15159.html
11時から18時まで、途中30分程ランチ休憩があったけど・・・ほぼ歩き通し・・・。がんばりました。たのしかった。
お疲れさま~~

Iさんの万歩計は・・・

・・・なんと3万歩を超えています・・・ホント

ど~りで、体が痛いはず・・・・Kさんはストレッチ開始。
みんなお疲れさま!たのしかった!ありがと~~!