2011-05-05 23:51:27
被災地より
テーマ:ブログ女優さんで交流させて頂いている、石井悦子さんが被災地に行かれ、その報告メール頂きました。
宮城の被災地から帰って来ました。
被災地現状を、一人でも多くの人に知って貰いたいのでメールしてしまいました。
以下、長文ですがお付き合い下さい。
気仙沼と南三陸、現地の情景は…あまりに凄すぎて言葉が出ません。
「何だこれ…?」としか言いようのない風景。
あまりの悲惨さに圧倒され、どんな言葉を言っても不謹慎になりそうな…何て言っていいのか全く分かりません。
これが現実なんて信じられない光景でした。
帰りのサービスエリアでトイレに入った時、便座が暖かかったのにビックリし、ジェットタオルの機械に違和感を感じ、家の玄関に入った時、何年振りかに帰って来たような変な感じがして、いかに前日まで見ていた情景が強烈だったか思い知らされました。
阪神大震災の時より(比べるものではないけれど)百倍衝撃的でした。
漁師のおじちゃんが、避難所の真下に広がる津波後の凄まじい場所を「案内してやっぺからカメラさ持っでごい」と言うので、歩いて回って写真を撮ってきました。「写真さ撮っどげ」と言われても、カメラを向けるのが苦しくなる程、悲惨な景色でした。
1ヶ月以上経ってもほとんど変わってません。
瓦礫の山のまま。
気仙沼や南三陸は、今でも水が通ってません。
電気も通ってない所も沢山あります。
あるおじさんが「俺さの家がさ、田んぼの中でクルクル回ってんだべ…意味分からねぇよ」って言ってました。
避難所では中高校生の男の子も女の子も、小さい子供達の面倒を良く見てるし、凄い礼儀正しくて、東北の未来はきっと明るいんだって思えました。
先週の日曜に、避難所の子供達と支援物資で送られて来たデッカい鯉のぼりを試行錯誤で組み立て、避難所の入り口に立てました。壊滅地帯を下にして青空に泳ぐ鯉のぼりは何かとても感動的だったです。
物凄い土砂降りの日、避難所の校庭でテント張りをしてたら、最南端の山口県宇部市から14tのタンクローリーに水を入れて寝ずに高速ぶっ飛ばして水を届けに来たおっさん達が来ました。
他にも、岩手からテントと自分の分の食料を持って、歩いて野宿しながら避難所を回り、心のケアをし続けている人とか(この人は凄い…強者中の強者)、阪神大震災以後、震災が起きた場所に飛んでっては仮設風呂を作り続けている人や、もう、もの凄い強者達に会いまくりな毎日でした。
現地には全国からボランティアが集まって来てます。中には無職の人もけっこういて「何もしてないなら行かなきゃって思って…ここに来るんで金、無くなっちまったけど来た」とか「会社に、東北にボランティアに行きたいから1ヶ月休みくれって言ったら、だったら辞めてくれって言われたんで、辞めて来た」とか頭おかしいのばっか(笑)。寝袋&テント生活なのに、60代後半の人達も沢山いて驚きました。
被災地にも春は来ていて、泥沼の中からあちこち黄色いスイセンの花が咲いていたのが凄く印象的でした。気仙沼や南三陸の方は、桜は開き始めでしたが、ボランティアの子達が口々に「…花は咲くんだね」と呟いていました。
次の日からまた普通に会社に行ってますが、都合付けて、また行きたいです。
これは長期戦です。
震災から1ヶ月以上経ち、現地の被災者の方々の状況も変わってきていると思いました。
震災直後の生きるか死ぬかのギリギリの状況から時間が経ち、集団生活のストレスや将来への不安も溜まってきているでしょうし、心身的なケアも必要な時期に入って来てる気がします。
時間は経って行くのに変わらない瓦礫の山。水も電気もいつになっても通らない…そりゃ不安にもなりますよね

一番大切なのは『忘れないこと』だと思います。忘れられるのを一番恐れている気がします。今は全国から沢山の支援(人)が集まってきてますが、難しいのは《継続》。長い目で支援していく事がホントに必要だと痛感しました。


















