“あり方を想い起こす”といっても、なんだか雲をつかむような感じがするかもしれません。
そもそも“想い起こす”ということは、“自分の力で”ということになりますし、“こうあるべき”とか“あらねばならない”といった半ば強制的な決まりはなにもないのです。
“あり方を想い起こす”目的は、やはり最終的には“自分自身を生きる”ことになるかとおもいます。他人の人生ではなく自分の人生を生きるということですから、やや哲学的な考え方になってしまい、余計にどうしたらよいのか戸惑うかもしれません。
ですから、私は“地球市民”という考え方をわかりやすい目標として掲げることを提案したいと思います。
“地球市民”というと、これもいろんな解釈や定義が可能かと思いますが、私が賛同する考え方をご紹介します。
「地球市民学のすすめ(清泉女子大学地球市民学研究会編)」
元同大学教授、現東京外国語大学名誉教授 奈良毅氏執筆部分より一部抜粋
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今や私たち人類は、命を支えるために不可欠なものをただで与え続けてくださる大自然に感謝し、限りある資源を無駄にせず、70億人の人々が互いに分け合い助け合って地上で生きていく知恵を思い起こさなくてはなりません。そうした知恵を生かし、自足の心をもって平和な日々を送る人を、私は「地球市民」と呼ぶこととし、地球上の全ての人が近い将来そういう意識を持ち実社会に生きる「地球市民」となることを願ってやみません。
みずから「地球市民」となることを決意し努力すると同時に、他のすべての人々もそうなって欲しいと願う際に、最も必要なことは、人間の本性は善であり、自分だけでなく他人の幸せを願い互いに愛し合い助け合うことを本質的に望んでいる、とまず信じることです。そう信じることは、一種の賭けみたいなものかもしれませんが、そう信じることによって自分が生きて努力を続けるためのエネルギーが湧いてきますし、逆に信じられない場合は、生きていく意味を見つけることが出来ず、すべてが空しくなってしまいます。
地球市民について具体的に言いますと、人間ひとりひとりは、それぞれ特定の家族や一族、会社や団体、あるいは地域社会としての市町村、民族、国家、そういうさまざまな組織体に属しています。しかも、その中のどれか一つに属しているというよりも、むしろ全部に属しているわけです。つまり人間ひとりひとりは、特定の家族・親族・会社・等々、国家に至る何らかの組織体に対しての帰属意識を持っており、下位の帰属単位、例えば家族という単位に属していると同時に、上位の帰属単位、例えば会社であるとか、市町村、国家などという上位の組織に対しても、帰属意識をもっているわけです。それで、もしそれらの間に利益の不一致や衝突が起こった場合、いったいその人はどちらの帰属意識を優先して考えるかが問われることとなります。その際、常に上位の単位の帰属意識を優先して考える、つまり人類社会に帰属する一員として、また地球に属する動物・植物・鉱物などの自然生命体の一部として行動する、そういう価値基準をもって生きる「個人」を、私は「地球市民」をいう言葉で表したいと思います。
このように「地球市民」というのは、自分個人にとっても人類全体にとってもどんな自然環境や社会環境が理想的であるのかを考え、それをどう実現していくかを常に考えながら行動し、生活していく、そして、時と場合によっては、より上位の利益のために、下位の単位の利益をあえて犠牲にする。そういうことのできる「個人」ということになります。なお、下位単位をプライベート、上位単位をパブリックといい変えてもいいかもしれませんが、パブリックの中でももっとも上位の組織、つまり人類社会全体の利益を常に考えた生き方をする、そういう価値観をもつ人、これを「地球市民」というふうに呼ぼうというのが、私の提案です。
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当たり前のようで、実はできていない。
知っているけれども、そうはなっていない。
難しいと思うかもしれないけど、誰もが願っている。
それが「地球市民」かもしれません。
であれば、私は「地球市民」的な生き方をしてみたいとおもいます。
そしてその輪をできる範囲で広げていきたいと思います。
個人だけではなく、組織や、会社、学校や自治体、そして日本から世界へと・・
企業の場合は・・・地球市民経営、地球市民企業、地球市民のための経営・・・
政治であれば・・・地球市民のための自治体や行政、地球市民都市・・・
学校なら ・・・地球市民教育・・・
楽しい感じがします。


