「あり方」を想い起こし行動する

“泰然自若”と生きるために、個人や組織、企業の「あり方」を探求し想い起こすためのブログです。

こんな時代だからこそ、どんな時代にも他人や環境に左右されない本来の“あり方”を思い出したい。


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幼い頃から私たちは、ことあるごとに「考えることの大切さ」を教えられてきた。


学校ではたくさんの知識を得、受験では得た知識と考える力が試される。


就職でも然り。
社会に出てからも論理的な思考力や、理路整然と話が出来、与えられた仕事をこなしていくことで評価される。
ディベートで勝つことが評価されるのは、その象徴だ。


一方、「感じること」が大切だと教えられた記憶は私にはない。


物心がついてからは“読書感想文”などでも、素直に感じたことを書くのではなく、「どうのように感じると書けば評価されるのか」という視点が、いつの間にか支配していく。


人は残念ながら、評価される方に動くのだ。


だから私も一生懸命考えてきた。


しかし、


考えることはとても大切だが、感じることはもっと大切だ。


恋愛するとき“好き”という感情に理屈などいらないのに、条件や理屈をあれやこれや考えるとややこしい。


感じることができれば、原発だって出来ていないはずだ。


「素晴らしいもののようだけど、人間の力ではコントロールできないなら止めておいた方がいい感じがする」と・・・


理屈で考えていくと、自分たちの都合の良い範囲を想定し、知識を駆使し考えを組み立て武装していく。
人智の及ばないことがある、ということを考えから排除することで、自分たちの“考えたこと”に酔いしれるのだ。



先日“機械の人間化と人間の機械化”の中で書いた「IT会社で働く人たちの惨状」 も感じ取る力があれば起こらないはずだ。


「ストレスの中で長く働くと大変だから・・・」と感じたり、
「なんかおかしいなあ・・・」と感じたり。

経営者、会社、業界、お客さん、エンドユーザなど、多くの人が感じる力を取り戻し、そして行動していけば、問題は一気に解決していく。


いつの間にか、


感じる力より 考える力
感性よりも 知性
数字で表せないものより 表せるもの
お金で買えないものより 買えるもの などなど


へと重きが置かれるようになってしまったようだ。


ちょっとバランスがくずれ、そこかしこで不調和を起こしてしまった。


そろそろ私たちは「感じることの大切さ」を想い起こし、人間らしい本来の“あり方”で楽しく生きていくときが来たのではないだろうか。


まずは思いっきり声を出して笑ってみよう!


ひょひょひょひょひょ・・・・・・・・・・・・・・・・っと。



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いつの間にか便利な世の中になっていました。


誰かと話ししたければ携帯電話があるし、

お店は24時間開いている。


飲み物は自販機が売ってくれるし、

駅では車掌さんの代わりを自動改札機がしてくれる。


コンピュータは色んなことができるし、

あらゆる場面で、人の代わりを機械がやってくれるようになった。



これを“機械の人間化”とでも呼んでおこう。



一方、“人間の機械化”も着実にすすんでいる。



先日、学生の頃の友人とじっくり話す機会があった。

彼は、大手のシステム開発会社のマネジャーだ。


実は彼の会社での仕事ぶりをきき、私は唖然としたのだ。


だれもが知っている会社で私たちにも馴染みのあるサービスを提供しているところが

主なお客さんだ。


朝早くから夜遅くまで、ろくに休日をとることもできず、ひたすら作業をつづける日々。


厳しいコスト管理、顧客からの品質要求と、いつもギリギリの納期。

どこもサービスが24時間化しているため、気持ちが休まることがないという。


やむない長時間労働。


お客さんのため、会社のため、そして生活のため、

これらが彼を苦しめる。


なんと部下の半分は鬱状態でで、自分自身もいつどうかなっても不思議ではないという。


大手ですらこうなのだから、他は推して知るべしだ。


人を人として扱ってもらえない会社という不思議な集団。



一応、対外的にはそれなりのメンタルヘルス対策をしているようだが、

その実は、まったく機能していないという。


まさに“人間の機械化”だ。



便利になったと私たちが喜んでいる陰で、

人間らしさを失っていく人が増え続けていく。


人が幸せになるために企業活動はある筈なのに、

これではまったくの本末転倒だ。


いつからこんなになっつぃまったのだろうか・・・?


原因は・・・


・過度の競争

・行き過ぎた顧客中心主義

・人をコストとみなす経営のやり方

・グローバル化

・効率化や合理化が善とする風潮 などなど


まあいろいろあるだろうが、

対処療法では問題は解決しない。



おたがいさま

おかげさま

ありがとう

ごめんなさい


といった言葉を心からひとりひとりが想い、実践する。


経営者も役員も、従業員も、顧客であろうが、仕入先であろうが・・・だ。



たくさんの人がそう思えたとき、

本来の企業のあり方が見えてくるはずだ。


鬱の人が何百万人もいる社会は“本来のあり方”から

間違いなくかけ離れている。


私たち、ひとりひとりの“あり方”が会社を、社会を変えていくのだ。


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不登校を克服した母親たちに「克服した」という意識は薄い。


なぜなら、彼女たちは「克服しよう」としたのではなく「真剣に向き合った」からだ。


避けてしまいたい、出来ることなら忘れてしまいたい、とてもつらい「子供の不登校という現実」。


この現実から逃げることなく向き合うことは、「克服する」とか「乗り越える」というのとは、少し違う。



・原因を外に求めるのではなく、自分に焦点をあてる
・過去を振り返るのではなく、今に集中する
・子供のいいところを見るようにする
・家族のいいところを見るようにする
・コミュニケーションの方法やあり方を工夫する
・相手の立場に立って考えるようにする
・これらのことに毎日毎日向き合い書きとめていく


向き合うことで、いろんな“気づき”がでてくる。


・子供の幸せを願っていたはずなのに、いつの間にか“学校に行くことが幸せ”と思っていたこと
・世間の常識に振り回されていたり、自分勝手な囚われがいっぱいあったこと
・子供のことを見ているようで、実はよく見ていなかったこと
・日常の当たり前のことが、何も当たり前ではなかったこと
・今を生きる素晴らしさを忘れ、ついつい将来の不安を憂いていたこと
・自分の思い通りにならない子供も、実は本当に愛する存在だということ


などなど


個人差はあるだろうし、“気づいていることに気づいていないこと”もある。


だけど・・・


“今までは人が評価する幸せのようなものから、自分で感じる幸せ”に気づいたとき、
心の曇りがすべて晴れ、向き合ってきたことが実を結ぶ。


「不登校と向き合う」ということは・・・


自分の中にある“子供への愛情”を確認し、さらに深め、
自分自身のあり方を想い起こす、

正に“珠玉のプロセス”なのだ。


「克服しよう」としているときには、克服できず、
「向き合う」ことで、克服するという気持ちが薄れたとき、
結果的に「克服できた」、となる。


だから母親たちは、「克服した」のではなく「向き合った」のだ。
それも真剣に。


宇宙の法則である“タライの法則”そものもだ。


つぎに・・・


母親たちには、「人のために」という気持ちが芽生える。


「自分たちの経験が少しでも不登校で悩んでおられる方々のお役に立てれば・・・」と。


2012年 節分の2月3日


「不登校・引きこもりと向き合う会~美ハーモニー」が誕生した。


母親たちの美しい心、
人を思いやる気持ち、
そして我が子への愛情の表現。


この一歩が、やがて日本中に広がり、希望の明かりを灯しつづける。


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ずっと考えていた。


これぞという「経営のあり方」とは一体なんだろうか?


その「あり方」を一言で表す表現はないだろうか?



全ての人を幸せにする会社(経営)・・・・・


人が幸せになる会社(経営)・・・・・


人を幸せにする経営(会社)・・・・・


歓びの経営(会社)・・・・・



どれも経営者が自分自身の“あり方”を想い起こし“経営のあり方”を考えると行き着くところだ


この“あり方=人の幸せ”は、会社経営の目的になるが、


私は、“人”に限らず


“すべてが幸せになる経営”  を提案する。



“すべて”は文字通り“すべて”。


そして、わかりやすい目標として・・・・・


「地球がある限り、存続する会社づくり」というのを掲げてみたい。


さらにその目標を達成するためには、


「地球市民企業」を目指すことが求められる。


キーワードは、「宇宙の原理」と「地球の原理」。



この原理に則って「地球市民企業」をめざし、


「すべてが幸せになる経営」を通じて、


「地球がある限り存続する会社づくり」を実現していく。



「存続する」ということは、「必要とされている」ということ。


なにがあろうとも存続することは素晴らしい。



ぱっと花を咲かせて、さっと散るのもいいだろう。


つぼみにもならずに、枯れゆくのも必要な経験。


しかし、どうせやるなら“ずっとつづく会社”を目指してみようではないか。


なんとも壮大な、捉えようによっては雲を掴むような話にも映るかも知れないが、


なんともワクワクする目標ではないか・・・


それが、これからの会社だと私は信じている。


一緒にやろう。




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私は永年、会社の経営に携わってきた。


自ら経営者の立場であったり、人様の会社にアドバイスする立場であったり、いろいろだ。

だから「経営者のあり方」や「経営のあり方」はずっとテーマだ。


経営者としては、こうあるべきだ。
経営は、こうすべきだ、これをすべきではない。


今までは「べき」で語られることが多かったように思う。


私も、その「べき論」に倣って考えていたこともある。


「べき」を使ったほうが、考え方をしっかりと持っているように思われるのかもしれない。

いや、そうだ。


この「べき」を使うとき私たちは、


・自分が正しく、相手は正しくない、と考えたり
・相手を攻撃したり、戦闘モードにはいったり
・怒りの感情が湧き出たり
・自分が正義の味方になってみたり


自分視点で主張する。
何かに縛られ、囚われ主張する。


家庭や日常生活でも、あっちこっちで“べき論”が展開される。



残念ながら「べき」は長続きしない。

気づきがないから、変わらない。


「べき」は、自分で考えたものであっても、人や書物などで教えてもらったものであっても長続きしない。


世の中の価値観や、時代の流れ、自分が作り上げてきた常識に縛られ、押しつけられて作られることが多い。
自ずと環境の変化に弱くなる。まわりが変わることで、違和感を感じ、変えることを余儀なくされてしまう。


原点は、やはり自分で思い起こしたものであった方がよい。


すると・・・


目的と手段を取り違えることはなくなる。


どんな時代であっても自分の大切にしたいことを見失うことがない。


それが私たちの「あり方」だ。


気付いた結果、はっとする。

それがイイ変化になるのだ。


個人でも、会社でも、社会でも、目を世界に向けても、私たちはこの「べき」に縛られている。

そろそろこの弊害に気づき、本来の「あり方」を思い起こすときだろう。


まずは「べき」を使わないことだ。


自由になって、自分で感じ、考える“べき”だ。


でも、使ってもいいと思う・・・・たまには・・・
不要なものなら、この言葉はなくなる・・・


まあ、穏やかにいこう!