最近こちらのブログ やあちらのブログ で感心する文章を読んだ。
おしゃれとか、買うこととか、手に入れることとか、物とつきあう心とか。
よく、スッピン自慢、みたいな人がいる。
私は質素で、堅実で、男に媚びずに、中身で勝負なの、化粧は嫌い、着飾ってるのって馬鹿っぽい・・とでもいいたげな、妙に誇らしげな、人前に出る仕事でもスッピンな、飾り気のなさすぎるスッピン自慢。
はたまた、流行を追わない自慢、の人もいる。
ただただ長い髪自慢、の人もいる。
価値観は人それぞれなので、私はそれを否定はしない。
たまにそういうナントカ自慢で本当に素敵な人とか美しい人がいるけれど、それは相当難しいし、陰に卓越したセンスとか人柄がないと成り立たない。
ご存知の通り、私はそんなタイプじゃないでしょ。笑
私は・・
おしゃれは素晴らしい。
装うことは大切だ。
流行は遊びとして取り入れるのもいいではないか。
着飾ることは愚かなことではない。 ・・と思う。
ただ、流行のものを手に入れることとで満足したり、そのブランドと分かるものを身につけていることでおしゃれの点数が上がったと勘違いしないでいたい。
8月は私にとって、真夏のおしゃれを楽しむ月ではなく、秋の物欲と闘うそして踊る月。
現実の日々の真夏のおしゃれは、もはや惰性。
これを毎年繰り返して、心のおしゃれがそのリアルな季節を謳歌していないことが多い。
そんなんアホなんじゃないかと思う。
私のおしゃれは季節が到来する前の、妄想、脳内おしゃれ。
その妄想は大概が「今年あれを買ってこれを買ってあんなおしゃれがしたい!!」というもの。
ちょっと変えてみなあかんかなあと反省。
何年も前に買ったお気に入りの服をまた季節が一巡したときに「あのニットが着れる季節がやってきた♪」と愛でたいではないか。
もちろん、そういうお気に入りの服がないわけではない。
30を越したことだし、数年前から徐々にそういう一生物も持つようになってきた。
例えば、ラルフ・ローレンのピーコートだったり、アクアスキュータムのトレンチコートなんか、たぶん物として崩れるまでうきうきと着るだろう。
これらは最近流行のラグジュアリーな大人の女性雑誌でよくある「一生物辞典」みたいな高級品ばかり揃えていこうという意味ではない。
シンプル・ベーシックだけが良いとも思わない。
毎年新鮮におしゃれを楽しみたいと思う。
だけども私のクローゼットとお買い物計画にはそうでない、いやそれ以下の無駄が多い。
自分が毎年惚れ惚れとする美しいもの心地良いもの可愛らしい面白いと思うものを大切に着たいのだ。
私が毎シーズン繰り返す「シーズン本番には次のシーズンのことで頭がイッパイ」をやめて「今日着る服を365日愛でる楽しむ」にシフトしたい。
贔屓にしているショップでモンクレールの予約をした。
まだ入荷前でキャンセル可能な状態。
毎年指をくわえて見つめては手に入れていなかったから、入荷情報を得たら反射的に予約してしまったのだ。
これをどうしたものか。
自分の本当の心が分からないんだ。
「あの商品」を心から欲しいのか。
「モンクレール」を手に入れたいからではないのか。
誰かに見せびらかしたいとか、さりげなく気付いて欲しいとか思うのではないか。
でも毎年指くわえて見てたし心から欲しいのか。
いやその指くわえも「モンクレール」を手に入れたいという名前が先の気持ちではないのか。
そもそも、モンクレールではないけれど、私には惚れ惚れしている自前のダウンがちゃんとある。
それでももう一着必要なのか。
しかしダウンは着ないで無駄になることはないし。
昨年でおしまいにしたダウンもあり枚数で言うと1着欠けた状態ではある。
悩みます~~~~


