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2012年02月29日

2/11-12 土浦&牛久への小旅行 その7 最終回

テーマ:国内旅行
ここは茨城県牛久市。
バザラスからのアジアン紀行

シャトー・カミヤ。

通称、牛久シャトー。

以下、Wikiより。

バザラスからのアジアン紀行

国の重要文化財のシャトー本館(事務室)は、岡田工務所

(軽井沢の旧三笠ホテル(重要文化財)を設計した岡田時太郎

が代表者)が、フランスの醸造場をモデルにして設計したもので、

明治36年(1903年)に完成した。


バザラスからのアジアン紀行

フレンチ・ルネッサンスを基調とする2階建て洋風レンガ造りで、

1階中央には半円アーチの開口部を設け、通路とする。


バザラスからのアジアン紀行

かつては正面入口から裏側の醸造場を結ぶトロッコがこの

通路を通っていた。


バザラスからのアジアン紀行

屋根上の左右端にはマンサード屋根を上げ、中央やや右よりに時計塔がある。


バザラスからのアジアン紀行

1階西側は事務所(現在の喫茶アベイユ)で、東側は和室になっている。


バザラスからのアジアン紀行

2階には、西に大広間、東に貴賓室があり、当時の調度品や絵画等が残されている。


バザラスからのアジアン紀行

大広間は、迎賓館としても使われ、板垣退助

榎本武揚などの政財界の著名人達が招かれ、

パーティが開かれていた。

バザラスからのアジアン紀行
レストランは、東日本大震災に被災し閉館されていた。

バザラスからのアジアン紀行

復旧には4,5年かかるとスーベニア・ショップの

女性が言っていた。

バザラスからのアジアン紀行
明治時代の建物だから、復旧工事も難を極めているのだろう。

バザラスからのアジアン紀行
それにしても、明治の男達の生き様は凄い。

バザラスからのアジアン紀行

世界を股にかけて壮大な夢を実現した男達。

その一端を垣間見せる「シャトー・カミヤ」でした。

バザラスからのアジアン紀行
牛久は「かっぱの里」でもあるようだ。

バザラスからのアジアン紀行

土浦・牛久を駆け足で回ったが、

良い旅になった。


お終い。

2012年02月28日

2/11-12 土浦&牛久への小旅行 その6

テーマ:国内旅行

ここは茨城県牛久市。

バザラスからのアジアン紀行

ここに日本最古のシャトーがある。

バザラスからのアジアン紀行

その名も「シャトー・カミヤ」。

通称「牛久シャトー」だ。

バザラスからのアジアン紀行

まるでヨーロッパの田舎にでも来たかのような錯覚に陥る。

バザラスからのアジアン紀行

明治36年(1903年)にこの建物は完成している。

バザラスからのアジアン紀行

創設者は、神谷伝兵衛(1856年 - 1922年)。

バザラスからのアジアン紀行

浅草は神谷バーの前身「みかはや銘酒店」の創業者でもある。

バザラスからのアジアン紀行

以下、Wikiより。

バザラスからのアジアン紀行

「シャトー」は一貫生産醸造所に対する称号で、原料を生産するブドウ畑は

大部分がなくなったが、極僅かに継続している。通称「牛久シャトー」。



事務室(現・本館)など3棟の建物が日本国の重要文化財に指定されている。

バザラスからのアジアン紀行

創設者の神谷伝兵衛(1856年 - 1922年)は、三河国(現・愛知県)

出身の実業家。


十代の時、横浜でフランス人の経営する会社に就職し、洋酒醸造場で

働いたことがきっかけで、酒造業をめざすようになった。



バザラスからのアジアン紀行

明治13年(1880年)、東京・浅草に「みかはや銘酒店」(神谷バーの前身)

を開店。



バザラスからのアジアン紀行

のち、日本国内産葡萄によるワイン醸造を国内事業化することを考え、

養子の伝蔵をフランス・ボルドーに渡航させて、葡萄栽培やワイン醸造

の技術を学ばせた。


伝蔵は3年後に帰国。伝兵衛は茨城県稲敷郡岡田村(現・牛久市)に

葡萄畑とシャトー用に広大な土地を購入。明治31年(1898年)には伝蔵

がフランスから持ち帰った葡萄の苗木の栽培を始めた。



バザラスからのアジアン紀行

伝兵衛はワインの本場、フランス・ボルドー地方のワイン製造方法

を採り入れようと、フランスのボルドー・カルボンブラン村醸造場を

手本に、120町歩の神谷ぶどう園の中心にレンガ造りの牛久醸造場を

建設した。



バザラスからのアジアン紀行

建物は明治34年(1901年)から建設に着手し、明治36年(1903)に

完成した。


シャトーカミヤの事務室(現・本館)、醗酵室(現・神谷傳兵衛記念館)、

貯蔵庫(現・レストラン)の3棟は平成20年(2008年)6月、文部科学大臣

から国の重要文化財に指定された。



バザラスからのアジアン紀行

和洋折衷の見所満載の

本格的シャトーだ。



つづく。

2012年02月26日

2/11-12 土浦&牛久への小旅行 その5

テーマ:国内旅行

ここは、茨城県土浦市の亀城公園。

バザラスからのアジアン紀行

石のベンチに亀の置石が。

バザラスからのアジアン紀行

こういうのって良いですね。

バザラスからのアジアン紀行

木の橋を渡って園外に。

バザラスからのアジアン紀行

趣のある建物です。

バザラスからのアジアン紀行

綺麗にしてね。

バザラスからのアジアン紀行

大震災に見舞われても、かろうじて建っている。

バザラスからのアジアン紀行

着物姿が似合いそうな通り。

バザラスからのアジアン紀行

修復が大変です。

大震災に見舞われた東北・北関東では、

未だに修復用の瓦が足りないそうです。

バザラスからのアジアン紀行

そろそろ土浦を離れます。

バザラスからのアジアン紀行

午前中だけでしたが、たっぷりと土浦を堪能出来ました。

バザラスからのアジアン紀行

また、来るね。

バザラスからのアジアン紀行

常磐線で移動です。

これはグリーン車。

各駅停車の普通でもグリーン車があるのにびっくり!!

バザラスからのアジアン紀行

15分くらいで牛久着。

バザラスからのアジアン紀行

ここ、夜は怖いな(笑)。

女が化ける街道なんて!!


つづく。

2012年02月25日

2/11-12 土浦&牛久への小旅行 その4

テーマ:国内旅行

ここは茨城県土浦市の亀城公園。


以下、Wikiより。

バザラスからのアジアン紀行

土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡にあった城である。


バザラスからのアジアン紀行

室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。


幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。


太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。


土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、

水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の

異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。


バザラスからのアジアン紀行

東日本大震災で壁などが壊れてしまった。

バザラスからのアジアン紀行

復旧工事中で残念だった。

バザラスからのアジアン紀行

平安時代、天慶年間(938年~947年)に平将門が砦を築

いたという伝説があるが、文献上確かなのは室町時代、

永亨年間(1429年~1441年)に常陸守護 、八田知家 の後裔、

豪族の小田氏 に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初

である。


バザラスからのアジアン紀行

戦国時代に入り永正 13年(1516年)、若泉五郎左衛門が城主の時、

小田氏の部将・菅谷勝貞によって城は奪われ、一時、信太範貞

城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。


バザラスからのアジアン紀行

しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、

小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。


バザラスからのアジアン紀行

その後、度々小田城を奪回するが永禄12年(1569年)の

の手這坂の戦い真壁軍に大敗して勢力を失い、元亀元年

(1570年)以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、

菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐したが、天正13年

(1583年)、ついに小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。


バザラスからのアジアン紀行

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原の役の際に菅谷範政は

後北条氏結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、

主君小田氏とともに滅亡した。


バザラスからのアジアン紀行

関東に入った徳川家康は、土浦を次男で結城氏に養子入りした

結城秀康に与え土浦城を領内の支城とする。


秀康が越前国 北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一

が3万5千石で入封。


バザラスからのアジアン紀行

その後松平信吉の代に5千石の加増を受ける。


元和3年(1617年)、信吉が上野国 高崎に転封となって

西尾忠永が2万石で入封。


バザラスからのアジアン紀行

以後、城主は西尾氏 ・朽木氏と代わり、寛文9年(1669年)

土屋数直が4万5千石で入封。



バザラスからのアジアン紀行

土屋氏は、天和2年(1682年)、子の政直のとき天和2年(1682年)

駿河国田中に移ったが、代わって城主となった大河内松平家

松平信興が5年後の貞享4年(1687年)に大阪城代に転ずると、

土屋政直が再び6万5千石で入封。


バザラスからのアジアン紀行

その後三度の加増を受けて9万5千石となり、常陸国では

水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋氏が11代、

約200年間世襲して明治維新至った。

バザラスからのアジアン紀行

すごい歴史変遷を経てきたお城だったんですね。

バザラスからのアジアン紀行

これは、聖徳太子堂です。


つづく。

2012年02月23日

2/11-12 土浦&牛久への小旅行 その3

テーマ:国内旅行
ここは茨城県土浦市。
バザラスからのアジアン紀行
中条通りの一軒家で、地元女性の創作展が開催されていた。

バザラスからのアジアン紀行
土浦は蓮根が特産物。

バザラスからのアジアン紀行
これは蓮根雛??

バザラスからのアジアン紀行
町ぐるみで雛祭りをやるそうです。

バザラスからのアジアン紀行
町を活性化する為に、色んな試みをなさっているようです。

バザラスからのアジアン紀行
きっと、皆さんの想いが花咲くことでしょう!

バザラスからのアジアン紀行
昨年の東日本大震災の傷跡が生々しく残っています。

バザラスからのアジアン紀行
歴史的な建造物が立ち並ぶ中条通り。

バザラスからのアジアン紀行
江戸時代は、旧水戸街道の宿場町として栄えていた。

バザラスからのアジアン紀行
人工的に再現された「江戸」ではない本物の名残がある。

バザラスからのアジアン紀行
もう少し工夫すれば、観光客が増える事間違いなしだ。

バザラスからのアジアン紀行
無造作に停まっている旧型の小型トラック。

バザラスからのアジアン紀行

レトロですね。


つづく。

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