北欧のマリー
テーマ:マイ フェイヴァリット MUZI~K1981年12月。
俺は、本物のレゲエやラスタに出会うために
ロンドンからジャメイカのキングストンにやってきた。
片道切符で来た為にイミグレで入国拒否にあい、
その場で空港内の航空会社で帰りのチケットを
ノーマルで買わされ、やっと入国できた。
イミグレのスタッフは、泊まる宿まで予約してくれた。
ノーマル・チケットは貧乏旅行の俺には高すぎた。
パリでアルバイトして貯めた金が2/3も無くなってしまった。
到着は夜で、歩道に馬鹿でかく、うず高く積まれた
スピーカーから、ヘビーでドス黒いレゲエのリディムが
ガンガンと流れていた。
俺の鼓動もドクドクとそのサウンドに共鳴していた。
ミッド・タウンのゲストハウスに行くと、肥えたブラックのおばさんが
愛想良く「イミグレの紹介だし日本からのお客さんだから良い部屋を用意したよ」。
確かに、ゲスト・ハウスにしては良い部屋だった。
翌日、ボブ・マーレイが育った極貧のゲットーに徒歩で向った。
他国でもスラムは良く行ったが、殆どが街の中心部から外れた
郊外近くにあるが、ジャマイカのスラムであるゲットーは、メインストリート
の脇から始まっており、一歩入るとゲットーの住人が大勢出てきて
「帰れ!お前が来ると必ずトラブル・メーカーになる!それで困るのは
俺達なんだ!ポリスの締め付けが益々きつくなる!帰れ!!」
と言われて、もと来た道を引き返すも、別の道からゲットーに入った。
とその瞬間、2人組みの強盗に襲われて、パスポートやカメラ、全財産の
入ったセカンドバックを奪われてしまった。
情けないことにゲットーの人達の言うとおりになった。
それで約一ヶ月間、主にゲスト・ハウスの裏庭にある
マンゴーの木に登ってはマンゴーを食う生活が
始まった(笑)。
2週間の滞在を許されたジャメイカだったが、
ラッキーなことにパスポートの再発行で一ヵ月半
も滞在できた(苦笑)。
お金は最初に日本大使館に宿代だけ借り、一ヵ月後には日本の友人や
親戚から送金をして貰って凌いだ。
所持金が無いと聞くや、ゲスト・ハウスの強欲なおばちゃん支配人は、
俺の部屋を裏庭の物置小屋のようなボロ部屋に換えた。
部屋中にはオンボロなシングル・ベッド。そしてシーツ一枚。
それ以外は何も無く、ベッドの他には人が一人やっと通れる
スペースだけ。
寝ている間に蚊の大群に襲われて、毎晩シーツが赤く血に染まる。
トイレもシャワーも庭。
腹は減る。金は無い。あるのは持参したギター。
俺はがむしゃらに作詞作曲を始めた。
なぜか隣の物置小屋にスエーデンのマリーと言う
同年輩の娘が滞在するようになった。
*写真は本文とは無関係。借り物画像です。
彼女も貧乏旅行をしていた。
少しずつ仲良くなってくると、
夜、寝巻き姿で俺の部屋を訪ねてくるように
なった。
若い俺はドギマギした。
若くて綺麗な北欧娘をものにする絶好のチャンス!(笑)
しかし、腹が減って肝心の息子がその気にならない(笑)。
チャンスは度々あった。
マリーは、時々食料や果物を差し入れてくれた。
それでも息子はその気にならない。
女に恵んで貰っていることにプライドが許さないのだ(苦笑)。
武士は食わねど高楊枝ってやつだ。
今、思い返せば一生の不覚だった(笑)。
マリーは時々葉っぱを持ってきて
俺を誘って庭で一服つけた。
スエーデンの話、日本の話、音楽の話、旅の話・・・・。
夜空が紫色に染まって、音楽の音に
色彩がついて、二人で夢幻の旅を
共有した。
最近の画像つき記事
[ 画像一覧へ ]-
3/25(日)奥多摩…
03月30日
-
3/25(日)奥多摩…
03月29日
-
春と日本酒
03月28日



-BAZARASU- 






































































