年200~300店舗の出店目指す ユニクロ海外戦略の成功条件


ダイヤモンド・オンライン
9月30日(金)8時29分配信




「アジアは眠れる金鉱だ。社員全員と一緒にゴールドラッシュを目指して突き進みたい」



 ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は9月の事業戦略説明会で、海外事業への意気込みを力強く語った。今年度の売上高予想8360億円に対して、海外事業の成長を軸に、2020年度には売上高5兆円、経常利益1兆円という大きな目標をぶち上げている。自ら課した高いターゲットを果たしてクリアできるのか。



 説明会では、具体的な道筋が示された。国内での成長が頭打ち状態となりつつある中で成長の原動力は当然、海外事業となる。特に「まず、アジアで圧倒的ナンバーワンのブランド企業になる」(柳井氏)ことを足がかりにして、毎年5000億円ペースで売上高を伸ばしていきたい考えだ。そのためには年間売上高20億円の店舗を年300店舗ペースで出店する必要があるとしている。その内訳は、中国で100店舗、韓国50店舗、台湾30店舗、アセアン諸国100店舗、欧米20店舗となる。遅くとも3年以内に年間200~300店舗の出店ペースを実現するという。



 現在の海外店舗数は186店舗にのぼる。中国82店舗、韓国63店舗を筆頭に、香港15店舗、英国12店舗、シンガポール5店舗、マレーシア2店舗、台湾2店舗、ロシア2店舗、タイ、フランス、米国がそれぞれ1店舗だ。2011年8月期第3四半期(9ヵ月分)の海外事業の売上高は736億円(前年同期比25.7%増)、同営業利益は97億円(同49.6%増)と、急速に伸びているのは確か。とはいえ、年間200~300店舗の出店ペースはかなり急ピッチだ。



 世界展開で重要なのは、まず「ブランド力」だろう。柳井社長もその点は痛感しており、外部の力を活用。ホンダのステップワゴンの広告を手がけたクリエイティブディレクターの佐藤可士和氏や、イッセイミヤケのデザイナーを務めた滝沢直己氏を起用して、デザイン力、開発力のアップを図る。



 アジアではユニクロはそれなりの知名度を持っている。9月23日に2号店を出店した台湾では出店前に1000人の行列ができるほどの話題を集めた。同社の調査ではユニクロの認知率は台湾では約70%と、非常に高い。「価格は関税の関係で、地元メディアからは非常に安いとは評価されていないが、今後、高い品質に対する理解が進んでいけば、さらに浸透していくはず」(ユニクロ)と強気だ。



 また、世界展開には人材開発力も問われる。「毎年、グローバルに活躍できる1500人の店長人材を育成したい」(柳井氏)。そのため海外の人材を積極的に採用していくほか、本社の人材も底上げする。具体的には本社社員および国内の店長については、来年3月までにTOEIC700点以上をクリアする目標が掲げられた。これはまだほんの入り口に過ぎないが、矢継ぎ早に人材育成の手を打っていかなければ急速な成長は達成できないだろう。



 実は中期目標については、05年に「10年に売上高1兆円、経常利益率15%」を掲げている。経常利益率はほぼクリアできるものの、売上高は大きく未達成となる見通しだ。その意味で、今回の事業戦略も投資家に対する約束というよりは、社員を鼓舞するための目標という色合いが強いだろう。5兆円という途方もない数字は危機感の表れであり、柳井氏は「日本だけでは生き残れない」と言い切る。ユニクロの世界戦略がどうなるのか、注目される。



(「週刊ダイヤモンド」編集部 野口達也)



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元フジTV女子アナ 菊間千乃、深澤里奈、大橋マキらの現職

NEWS ポストセブン 9月29日(木)16時5分配信

 女子アナ「30歳定年説」はいまや常識。フリーで成功しているのは高島彩(32)や滝川クリステル(33)、西尾由佳里(33)などごく一部の超人気アナのみだ。

 そんな中、「アナウンサーという仕事に見切りをつけ、全く別の道を選ぶ女子アナが増えている」(キー局関係者)という新潮流がある。

 9月に入り、フジテレビの高木広子アナ(39)が年内いっぱいで退社し、化粧品会社を立ち上げることを発表して話題を呼んだ。フジテレビ局員が語る。

「ウエディングプランナーの資格を取って、フジの関連会社のウエディング事業に関わるなど、最近はビジネス志向が強まっていた。後輩アナだった長野翼(30)の結婚式のプロデュースを手がけて大成功を収めたことが、美容業での起業を決意するきっかけになったようです」

 弁護士への転身を目前に控えているのが、元フジの菊間千乃さん(39)だ。

 生放送中にビルの5階から転落する事故で大けがを負ったり、アイドルグループの未成年メンバーと一緒に飲酒していたことが発覚して謹慎処分を受けるなど、女子アナ時代は何かと話題を振りまいた。しかし謹慎後は「勉強の虫」となった。

 仕事のかたわら大宮法科大学院大学に通い始め、2007年12月に退社して司法試験受験に専念。昨年、2回目の挑戦で見事合格した。

「菊間さんは現在、東京地裁預かりで司法修習中。年内にも修了予定で、来春にも弁護士としてデビューするはず」(ある司法修習生)

 フジで内田恭子アナ(35)の同期として人気を二分した大橋マキさん(34)は、ラジオのパーソナリティなど女子アナ的な仕事を継続するかたわら、アロマセラピストとしても活躍。そのロハスな生き方が女性たちから支持を集めている。

 やはり元フジの深澤里奈さん(36)は15歳から学んできた茶道を生かし、2009年に茶の湯ワークショップ「tea・journey」を開店。さらに野菜中心の“無理のないグリーンライフ”を提唱し、料理の本も出している。

「ワークショップには全国から1000人弱の生徒さんに通っていただいています。今後は茶の湯の素晴らしさを海外にも広めながら、茶道具に関わる職人の活動を手助けしていきたい」(深澤さん)

※週刊ポスト2011年10月7日号

トーマツチャレンジド 「障害者雇用職場改善好事例優秀賞」受賞のお知らせ


トーマツチャレンジド株式会社は、独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構主催、厚生労働省後援「平成23年度障害者雇用職場改善好事例」において優秀賞を受賞しました。
企業の障害者雇用や職場定着を進めるため、雇用管理や職場環境の整備などを改善・工夫し、働きやすい職場に向けた様々な取り組みが評価されたものです。

トーマツチャレンジドは、障害者雇用機会の拡大と能力活用を目指し、2006年、有限責任監査法人トーマツの特例子会社(*1)として設立しました。東京地区で業務をスタートし、2008年に大阪オフィス、その後、福岡オフィス、名古屋オフィス、京都オフィスと全国展開をしています。親会社である有限責任監査法人トーマツの業務を請け負っており、社内メール便業務、パントリー業務、経理業務、PCセットアップ業務、契約書受付業務、事務補助業務等、多岐にわたっています。また、2008年には重度障害者の雇用を目的に市川オフィスを設立しました。市川オフィスでは園芸業務を主に行い、トーマツオフィスの社内緑化に貢献しています。

トーマツチャレンジドは、有限責任監査法人トーマツのオフィス内で(*2)健常者と一緒に働くことで、障害者がより働きがいを感じられる職場実現を図っています。同時に、トーマツの公認会計士等プロフェッショナルが障害者との日常的な触れ合いを通じて理解を深めることで、監査法人としてのCSR活動を推進しています。


トーマツチャレンジド株式会社
代表取締役社長 脇田 一郎
設立年月日: 2006年7月10日 (2006年11月特例子会社認定)
所在地: 東京都港区芝浦4-13-23 MS芝浦ビル(Tel. 03-6213-2155)
その他オフィス: 八重洲(東京)、丸の内(東京)、市川、名古屋、京都、大阪、福岡
従業員数: 62名(2011年7月末現在)

全国8つオフィスでは、52名の障害者(身体・精神障害)の他、業務指導にあたるスタッフを含む計62名が在籍しています。


*1 特例子会社とは、「障害者の雇用の促進等に関する法律」で定められた一定の基準を満たした会社。
*2 園芸業務を行う市川オフィスを除く。

初対面なのに「これ以上話したくない!」とムッとした質問9パターン
第一印象は最悪、なのに気づいたら恋に落ちて…なんてドラマだけの話。初対面で失礼な質問をすると、会話す..........≪続きを読む≫

37歳イチロー、スイング速度・脚力低下?

産経新聞 9月29日(木)21時3分配信

 米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(37)が28日(日本時間29日)、今季を184安打、打率・272で終え、11年連続200安打を逃した。打率3割を切ったのは、日本球界初の200安打を達成した1994年以降では初めて。オリックス時代からイチローの打撃フォームを分析してきた中京大スポーツ科学部の湯浅景元教授(64)に、低迷した打撃の要因を聞いた。

 「速い打球を打てないことで安打が少なくなった。さらに、一塁に走り込む走力がわずかに遅くなっている」。湯浅教授は不調だった要因に脚力の低下を挙げた。例年は時速155~157キロだったスイング速度が、今季は150キロを切ることもしばしば。日本の1軍クラスの選手と大差なくなってきた。

 また、打撃動作の中で踏み込む側の右足が地面についた際、好調時は10センチ以内で収まっていた目線の下がりが、今季は15センチ前後に。ともにスイングを支える脚力が衰えた証拠と見る。

 イチローの打率は長打率と連動してきた。長打率はメジャー1年目の2001年から7年連続で4割を超え、最悪だった08年でも・386だったが、今季は・335。長打率は「走力と遠くへ早い打球を飛ばすことで決まってくる」と湯浅教授。走力も打球速度も原動力は脚力だ。イチローは10月で38歳。一瞬に大きな力を引き出す速筋に衰えが出たと指摘する。

 ここ2年は40盗塁以上をマークしたものの、盗塁はバッテリーとの駆け引きなどで脚力低下を補える面がある。

 イチローの成績は下がり続けるのか-。湯浅教授は「現状にとどめることは40代半ばまでできる」と話す。打撃や投擲(とうてき)など道具を使う競技の場合、体力だけでなく、道具に効率よく力を伝える技術が重要になる。陸上男子ハンマー投げ元日本記録保持者の室伏重信氏が、39歳で当時の日本記録となる75メートル96を樹立し、速筋の衰えを技術力でカバーした例などがある。

 イチローはこれまで、毎打席のようにフォームを微調整し、好成績を生んできたが、今季はほとんど変化がないという。湯浅教授は「変えないことによって、現状の体力や技術を知ることができる。来季以降を見越し、あえて欠点を洗い出しているのではないか」と復活に期待を寄せた。

国家百年の計を持て――元塾頭と卒塾生が語る松下政経塾の理念とは

Business Media 誠 9月29日(木)11時18分配信

国家百年の計を持て――元塾頭と卒塾生が語る松下政経塾の理念とは
松下政経塾公式Webサイト
 次世代のリーダーを育てるため、パナソニック(旧松下電器産業)創業者・松下幸之助氏が私財70億円を投じて1979年に創設した松下政経塾。1986年に逢沢一郎氏が衆議院議員に当選したのを皮切りに、現在38人の国会議員を送り出しており、このほど第1期生の野田佳彦氏が総理大臣になったことで改めて注目を集めることとなった。

【画像:樽床伸二氏と上甲晃氏の会見のようす、ほか】

 企業経営者が立ち上げ、しかもその卒塾生が与野党の別なく政治家として活動しているという組織は世界的にも珍しい。松下政経塾はどのような思いから誕生し、どのようなことが教えられているのか。

 松下政経塾の2代目塾頭を務めた上甲晃氏と第3期生の樽床伸二衆議院議員が、9月27日に行われた日本外国特派員協会の会見でその内実を語った。

●日本の政治家は目先の問題の解決に追われている

上甲 私は40歳まで松下電器産業で電子レンジの販売課長をしていました。政治にまったく素人の私が、松下政経塾で仕事をするようになりました。その時、松下幸之助が言った言葉が大変印象的でした。「僕は新しい政治家を育てたいんだ。本当に新しいことをやろうと思ったら、何にも知らない方がかえってやりやすいんだ」というひと言で、素人の私が松下政経塾で仕事をするようになったのです。

 私が松下政経塾で14年間政治家を育てる仕事をする間、心がけたことは「素人に徹すること」でした。今日は少し松下政経塾を作った松下幸之助の思いを説明させていただこうと思います。

 松下幸之助が松下政経塾を作ろうと考えたのは40年前のことです。40年前というと、日本は高度経済成長期、上り坂のすごくいい時期だったんです。その高度経済成長のさなかに、「このままの政治が続くと、日本はやがて行き詰まる」と(松下氏は)言い続けていました。今の時代であれば「日本が行き詰まる」と言っても誰もが納得するのですが、当時は誰も理解しませんでした。

 40年前、松下幸之助は『崩れゆく日本をどう救うか』という本を出しています。高度経済成長を遂げていこうという日本で、『崩れゆく日本をどう救うか』という本は大変特異な存在でした。

 40年前にそういう思いを持ったのですが、10年間はみんなに反対されて、結局松下政経塾を作ることができませんでした。しかし、(松下氏は)「日本はこのままではダメになる」という危機感が非常に強かったので、85歳の時、今から31年前に松下政経塾を作ることになりました。

 なぜ松下幸之助はそのころから「このままの政治が続けば日本は行き詰まる」という危機感を持っていたかという一番の原点をお話しします。

 「日本の政治家は今日の問題を解決することばかりに追われている。100年先はおろか、5年先、あるいは10年先のことを考えている政治家がいない。この変化の激しい時代に青写真のない国作り、国家としての方向を定めない政治は、やがて必ず日本の国を行き詰まらせる」というのが松下幸之助の危機感でした。

 松下幸之助は塾生に「日本の国家100年の計を持て」と繰り返し言い続けてきました。さらに、「国民が勇気を持ち、そして将来の希望を持てるような力強い日本の将来を指し示す政治家であれ」ということを繰り返し言い続けてきました。

 私はその話を聞きながら、「松下政経塾の目的は総理大臣を生み出すことでも、外務大臣を生み出すことでもない。国家100年の計を持った政治家で日本を立て直していくことが松下政経塾の使命だ」と今日まで考えてきています。ですから私は野田首相、あるいはここにいる樽床氏も含めた松下政経塾出身者には、イコール国家百年の計を持っていることを期待しています。

 私は松下政経塾ができた時から14年間仕事をしました。当時は自民党の派閥政治全盛の時代で、「塾を作って、政治家を育てるということはまったくの素人の考え方だ」と私たちは常に言われ続けてきました。

 当時、松下政経塾に集った人たち、野田氏も樽床氏も「松下政経塾に来て、本当に政治家になれるのだろうか」とみんな不安な気持ちでした。その証拠に当時の松下政経塾は何十倍という競争率でしたが、合格しても決して親は喜びませんでした。「せっかく大学まで卒業させたのに、そんなわけの分からないところに行くために育てたのではない」と言って、多くの親が懸命に松下政経塾に入ることを反対したという記憶を鮮明に覚えています。

 松下幸之助は政治家を育てるためのお金(選挙資金)は一銭も出しませんでした。松下電器産業のグループを挙げて応援するということも一切させませんでした。日本の言葉で言うと、「裸一貫、自分の足で立ち、自分で立ちあがり、はい上がっていくこと」を強く塾生に求めました。そのため松下政経塾の人たちの選挙運動は、街頭演説をしたり、街を走り回ったりと、極めて素人のような方法ばかりでした。そのころのことを思うと、総理大臣が出たりしたことにはとても感慨深いものがあります。

 しかし、松下幸之助が生きていれば、きっとこう言ったのではないかなと私は想像しています。「総理大臣を生み出したからといって、喜んでばっかりおったらアカンで。日本の国は今や企業でいえば本当に倒産しかかっているような危ない状況にあるんや。そこの社長や重役になったからといって、手放しで喜んでいるようではアカン。よほどの覚悟を決めて、思い切った改革をしないとつぶれかかった会社を本当につぶしてしまうで。日本の正念場であり、松下政経塾の正念場やな」と。

●成功要因は松下氏の思いと時を得たこと

樽床 松下政経塾では第3期生になる樽床です。今、上甲さん、我々は塾頭と言った方が言いやすいのですが、上甲さんの方からお話があった、「松下グループが支援をしない」という方針は私には非常に感慨深い言葉としてお聞きしました。

 なぜなら私はこれまで7回衆議院選挙を戦いましたが、その最初の2回は松下グループと全面対決したからです。松下グループのほとんどの人は、私が出ることに大反対しました。その中で幾人かの方、それから当時塾頭の上甲さんが反対されなかったことは大変ありがたく、今でも感謝しています。

 なぜそういうことになったかというと私があえて敵対行動をとったわけではなく、私が住んでいる地域から出ておられる現職の方(中村正男氏)が松下グループの組織内議員だったからです。その2回の全面対決のうち、最初は大惨敗しました。2回目で両方が通りました。当時、中選挙区制度だったので、ともに通ることでその対立が解消したわけです。

 この話をし出すと時間がかかるので省略しますが、結論としては私が30歳になるかならないかの時に最初にぶつかった山が、松下政経塾というところで学んだ者にとっては一番大きな山であったということがその後幸いしていると思っています。なぜなら、最初に一番高い山を登れば、その次の山はそう高くは感じないということであるからです。

 ただ、この経験は松下政経塾の中では、私の特異な経験です。みんなこのような経験をしたわけではありません。つまり何が言いたいかというと、松下政経塾で学んだ人間はのべ200人いますが、全員違うということです。「みなさん方が会われた塾生によって、松下政経塾のイメージはまったく違う」と申し上げたいです。

 私は第3期生、野田総理は第1期生で、初期のころの塾生ですが、「我々の時に松下政経塾の中でいったい何をしていたのか」と聞かれても、なかなか答えにくいという状況があることをご理解いただきたいと思います。

 先ほど上甲さんがおっしゃったように、私たちが松下政経塾に集った時、教えられる側は何をしていいのか分からない、教える側も何をしたら政治家を作れるのか分からない。不安の中でただ暗中模索していた、そんな5年間であったように思います。

 ただ年月が経つと、先輩たちがやってきたことの中でうまくいったこととうまくいかなかったことがだんだん明らかになってきます。そうすると当然、うまくいったことをやろうということになります。ですから、後になればなるほど、カリキュラムがしっかり整備がされてきました。ここまで言っても、みなさん方は「何となくよく分からないなあ」と思われると思うのですが、実際説明するのも大変なんです。

 総理が出て、外務大臣が出て、前原(誠司)君や私がいろいろやっているという状況を見て、みなさん方は松下政経塾に関心を持たれたと思います。それはある種の成功と言えばそうかもしれませんし、今、上甲さんがおっしゃったように「こんなものは成功ではない。まだまだこれからだ」ということもその通りであります。しかし、まだ道半ばであっても、ここまで来れた要因について2点だけ、私の意見を簡単に述べます。

 それは松下政経塾に集った私たちひとりひとりの塾生が、能力があったり、見識が高かったり、さまざまな資質があったからではないと思っています。我々のような資質を持っている人は世の中にたくさんおられると思います。ですから、我々が良かったのではなくて、「松下幸之助という創業者の思いが強かった。そして、その人に触れることができた」ということが第1点です。

 私が在塾していた時、松下幸之助さんは一般的には車いすで移動されていました。それは高齢だったからです。しかし、松下政経塾の敷地の中では一切車いすには乗らないスタイルでした。みんなが心配して、「もし、つまづいて倒れでもしたら大変だ」と車いすを勧められたと聞いていますが、「自分の思いを託す若い人たちの前で車いすには乗れない」と、断固としてそれを拒絶されたと聞いています。もう言葉があまり出ない状況であったわけですが、そういう思いは我々に当然空気のようにしみ込んできたと私は思っています。

 2つ目は「時を得た」ということです。先ほどお話があったように、(松下氏は)松下政経塾を実際に作る以前からそのようなお気持ちを持っておられたのですが、いろんな人の反対で実現しなかった。実現したのがあの時だった。私はこれはまさに時が味方をしたんだろうと思っています。かつて幕末に吉田松陰が松下村塾を作り、わずか短い期間でありましたがそこで学んだ人たちが、維新のころに年齢的に活躍する年代になっていたことと同じ現象だと私は思っています。

 私は日本の戦後の大きな曲がり角は1990年前後だと思っています。世界では東西冷戦が終わり、ソ連がなくなり、世界の秩序が変わった。そして日本でもバブルが崩壊して、右肩上がりが収束し、そしてもう今すでに人口減少時代に入っていますが、その兆候が出た。内外ともに大きな曲がり角だったのが、そのころだったと思っています。

 ですから日本でも、一瞬ではありますが細川連立政権という1つの区切りを迎えたわけであります。その後いろいろありまして、自公政権などが10年以上続きましたが、あの時代の曲がり角からずっと物事が流れてきていると私は認識しています。あの1990年過ぎ、政治の中に新しい若い力が入ってこざるを得ない、また入っていくべきという時代の要請があったんだろうと私は思っています。そして、松下政経塾で学んだ初期の我々が、ちょうどその時に30歳前後になっていたと。こういう時の巡り合わせが大きかったのではないかと私は思っています。

 それまでは何もない私たち(のような人)が国政に出ることはほぼ不可能でしたが、今では普通に語られる時代になりました。その最初の時期に、たまたま松下政経塾で学んだ人たちが1つの塊としてあったということだと私は思っています。

●「政治家がたくさん出過ぎた」

――松下政経塾出身の国会議員は38人いらっしゃるとうかがっていますが、その共通項は何ですか?

樽床 非常に難しい質問だと思います。38人といいましても、総理や私が初期で、去年の参議院選挙で通った人が30期ほどですから、この間に30年くらい開きがあります。30年といえばかなり長い期間ですから、この全部に1本何かが通っているというのをひと言で言おうとすると、ちょっと私は言葉が見つかりません。

 優等生的に言うと、「松下幸之助創業者の思い」ということです。しかし、(松下氏に)会った人と会っていない人で、その(思いの)貫き方も違って当たり前なんです。ですから、我々が松下幸之助に持っている感慨や思いと、何代か後に松下政経塾に入って、本やビデオでしか触れていない人が同じものを持てるかというと、「私は持てないのが当たり前だ」と思っています。こういうことを言うから、「あまり政経塾らしくない」と言われるんだと思います。

――政治的な考え方での共通項は何ですか?

樽床 「国家国民のため」といったベースはみんな一緒だと思います。我々より10年くらい年配の方には、社会主義と資本主義の対立軸でとらえる方もおられるのですが、我々の世代ではそういうものは終わった話になりまして、共産主義を標榜される方は当然いないだろうと思いますし、資本主義の中でということです。これは今さら議論する話でもなかろうと私は思っています。

上甲 松下政経塾卒業生の共通項という話ですが、それは私も大変気になるところなんですね。主義主張の共通項というのは、松下政経塾の卒業生は内容はともかくとしても、すべての人が国民に本当に勇気を与えるような国家の将来ビジョンを持っているということですね。少なくともそういう共通項が絶対欲しいというのが、私の切なる思いです。

 塾生諸君にいつも言い続けているのですが、松下政経塾(出身)と名乗る限りは「こういう国家を作りたい」という思いを持っているという1点においては共通してほしいな、というのが私の切なる思いです。

――松下さんの「100年先を見る政治家であれ」といった強い思いは分かるのですが、松下さんは会社の経営と国の経営をかなりオーバーラップして考えていましたし、会社の経営と違って、異なった利害と異なった哲学を調整しながら前へ進めていくという政治のプロセスについても必ずしも深い洞察をお持ちだったとは思えません。そうした中で、松下さんが初期の塾生に与えた強い影響力とは何だったのでしょうか。

樽床 松下幸之助さんがおっしゃっていたもう1つのことで、私は一番強くおっしゃっていたと認識しているのは、「人間を知りなさい」ということだったと思っています。「すべては人間がするんだ」と。ある種、「人間は万物の王者である」という考え方までいかれ、その考え方に賛成反対はあろうかと思いますが、「とにかくすべては人のやることだから、人間を知りなさい」ということを強くおっしゃったと私は認識しています。

 その観点から私が最初に衝撃を受けたのは、松下政経塾に入った最初の日に我々同期16人全員が集まって、松下さんと最初の会話をした時のことです。自己紹介でみんなが抱負を語るのですが、私が喋っている間、その視線が体の中を抜けていく思いをしました。そして、私は自分の口から出た言葉がわずか数メートル先の松下幸之助さんに届いていないという感じを抱きました。言葉がその途中で宙にふわっと浮いて天井にとどく前にふわっと消えていっている、こういう感じを持ったのを覚えています。

 その時、「少なくとも、自分の言葉が相手に届くような人間にならなければいかんともしがたい」と思いました。あれから30年経った今でも、そうなっているとははなはだ自信がないというか、まだそういう状況にはまったく至っていませんが、そういうことを思い続いていかなければいかないだろうとは思っています。

――私は松下政経塾の卒業生たちが非常にむなしい権力闘争にあけくれていて、そして選挙で選ばれた後にどうしていいか分からないという状況に陥ってしまっているのではないかと思います。例えば、前原さんは民主党代表や外務大臣を数カ月務めました。しかし、外相を務めていた数カ月の間に隣国との関係を悪化させる事態になってしまいました。つまり、選挙で選ばれるところまではいくのですが、その後に成果を残していないのではないかと思います。いったいどこに成功があるのでしょうか?

樽床 今いただいたような厳しいご意見をいただくこともたくさんあります。それについて、「いや●●です」と言いわけをするつもりはありません。そのようなご意見をお持ちの方がたくさんおられることを十二分に認識しながら、ただ一生懸命にやって最終的によくやったと言われるようにこれからどう努力していくかしかないと思います。

 もう1点言うと、政治闘争が得意な人が決して多いわけではないということだけはご理解いただきたいと思います。稚拙な政治闘争をやっております。

上甲 私は今の質問は松下政経塾の本質を突いた極めて大事な質問だと思います。それは私自身の問題意識の原点でもあります。松下政経塾が単なる政治家養成学校なのか、歴史的役割を果たせるかということの真価を問われる、本当に大事な時期だと思います。卒業生の人たち全員とは言いませんが、核となって日本の政治が変わっていくような新しい動きができなければ、松下政経塾は単なる専門学校として消えていくだろうと、私は思います。

 私は松下政経塾卒業生として、「現実の問題を解決していくと同時に、その先の日本を語るということ」を野田首相にも強く求めたいと思います。そしてその思いに松下政経塾卒業生の有志がどんどん集まってくるというのが本当の姿ではないかなと思っています。

――松下政経塾は今後、アジアの隣国、例えば韓国や台湾といった国に松下政経塾と同じような機関を作るというお考えはありますか?

樽床 松下政経塾というパターンではなく、これからの時代を担っていく若い人たちを何らかの形で育てていこうという試みは、私はどこの国にもいつの時にでも発生すると思っています。

 その前提であえて問題発言をしますが、私は人を育てるという機関が長期にわたって同じ状況、同じ効果を出し続けるとは到底思えません、一般論として。ですから、今の形態の松下政経塾の存続を私は疑問視しています。

 なぜなら、政治家がたくさん出過ぎました。もうここまでいくと、「そろそろ次の形態に移った方がいいのではないか」と私は正直思っています。私は松下政経塾の評議員をしていて、松下政経塾の同期が今、現場の責任者をしています。この春に卒業した5人のうち4人までが、自民党もしくはうちの政党から公認で国政選挙に立候補するという報告がありました。

 それを聞いた時に、「もうやめたらどうや」と思いました。5人のうち4人が二大政党の公認候補として国政選挙に出るというのは出来過ぎといいますか、行き過ぎだと私は思います。「もうこの段階でそろそろ我々は何かを考えた方がいいのではないか」と、私は正直思います。まあこれはエジプト時代から言われているように、「今の若い者は……」という感覚が50歳を過ぎた私に芽生えているのではないかということも自問自答しながら暮らしております。

上甲 後半の部分は私はまったく関知しないので(笑)。

 松下政経塾が海外に拠点を作ることは絶対ないと思います。ただ、「同様の学校を作りたいので、ぜひ協力してほしい」という要請は過去からよくありました。「政治のリーダーに人を得ないのは日本だけの問題ではなく、実は世界に共通した大きな課題の裏返しではないか」と私は理解しています。

【堀内彰宏,Business Media 誠】