できないことはたぶん誰かを幸せにしている話
中2の娘は、思春期真っ只中。
お風呂に入る前、なんの話だったか
昔の私の話になった。
「人に嫌われたくないって、自分を偽ってやで。
ほんで偽った自分と仲良くしてくれる人たちのことを
結局自分が信用できないんだよね。
本当の自分を曝け出すと嫌われるんじゃないかって思うと
顔色伺ったり、機嫌取りをしてる自分がいてさ。
心からそんな人たちを信用できない自分がいて、
私は誰からも理解されないとか思ってたけど、
それって結局、自分のせいだよね。」
そしたら娘が
「激しくわかる!まさにそれ!」
と話してくれた。
まさにそれ、なんだ。という親としての気付き。
むむむ。
そこでお風呂の曇ったガラスに1ピースのパズルを書いてみた。
「例えばよ。人ってパズルの1ピースやと私は思うんよ。
みんな突起があったり、凹んでたりするわけ。
突起は、自分の得意なところ。
凹みは自分が苦手なところだと思って。
例えば突起🟰得意なことがあることで、だれかの役に立てる。
で、
凹み🟰不得意なことがあることで、誰かの得意なことで助けてもらえる。
ここで大事なのは、助けてもらうことはダメなことじゃないってこと。
例えばつーちゃんの得意なこと🟰突起があることで、誰かの困っていることを助けてあげることができるわけ。喜んでもらえるわけ。
嬉しいよね?
逆に、つーちゃんに凹み🟰苦手な事があることで、
誰かの得意を活かしてもらうことができるわけ。
それはその人にとっての喜びなわけ。
できないことがあることは、
誰かが持っている強みを生かす場を提供できる。
これってすごいことなわけ。
人はそんな凸凹があるからこそ、人と繋がれるわけ。
逆に凸凹がない正方形🟰完璧だと、誰ともつながらないわけ。
寂しいやんか。
例えば亮さんをわかりやすくゆうと
全部凹なのよ。
でも、それによって誰かの凸を全力で活かせるピースなわけ。
すごくない?
何かができないことは、誰かを幸せにしてる。
だから、できなくても、あるがままの自分でいいんやで。」
「ふーん。。なんかよくわかった。」
あるがままの自分でいることは怖い。
痛いほどわかるからこそ、なんとかしてあげたいが
なんともならない。彼女が自分で切り開いていく道だ。
エールを送る。