痛い思い出の昔話
昔、チーム競技をやっている時だとめちゃめちゃ痛い思いをしても飛んでいなければならなかったことが多かった、痛い思いはもうたくさんて感じ。
2003年は特にひどかった。
2003年4月18日にフロリダでフリーフライの世界大会に出るための練習をしていた。
前の日の夜中にフロリダに着いたばかりで練習に対しての気合がめちゃくちゃ入っていた。
そういえばこの日の夜にスピード違反で捕まった。それも最悪だった。
そして18日その日、大会の練習のための23本目のジャンプだった。このジャンプで今日は終わりにしようというジャンプだった。
フリーフォールの練習が終わりパラシュートを開き地面が近づきローターンからスウープランデングをした時だった。
足に草が引っ掛かり、白いコンテナを汚したくなかった私はこけることはなかった。
がしかし、おかげでそれを踏ん張った時に思いっきり足をねじったため半月板損傷と全十字靭帯を断裂してしまった。
ランディングはきわめて普通の同じようだったので最初はだれも助けにきてくれなかった。
この後にすぐに病院に行ったのだが、夜の12時にはウィンドトンネルでの練習が入っていたのでめちゃめちゃ痛いトレーニングをした。
さすがに靭帯が切れてしまっている足は力がほとんと入らずただただ痛いだけだった。
しかし、我々2人の競技のチームのために代われる選手がいない。
フロリダの3週間のトレーニングは始まったばかり痛いのに毎日、昼は飛行機からジャンプ、夜はトンネルでトレーニングこれを繰り返すしかなかった。
4月にこのトレーニングを終えてそんな状態だったけど5月はアリゾナとフロリダ、6月には今度はニューヨークに行って練習をしていた。
ちょうど自分の誕生日に日だった、足がその状態だったのを忘れて、またランディングの時にスウープしながら小さな小川を越えた。
越えて足を思いっきり踏み込んだ時、足は脱臼状態になり、気絶しそうなぐらいな激痛がはしった。
この時この後はまた病院行きに、そして次の日からまた、練習をやめるわけにはいかなかった。
もうこの怪我の前よりも技術はこの足の故障により低下しておりそれを補うのに必死だった。
そして7月、8月にはシカゴに行きそのあとにアリゾナに行った。このときはしばらくはギブスをはいて練習したりしていた。
痛い思いはしなかったがロサンゼルスからアリゾナに行く途中、8月のアリゾナの砂漠の中、2人でガス欠をしてしまったのは最悪であった。
そしてこの年、この後世界選手権が行われるフランスに入った。
我々はフランスのロヤーンというところで練習を始めた。始めて何日目かは忘れたが8月30日だった。
空中で立った状態360度回って手をつなぐという練習をしていた。
これは落下速度も速かったのでこの時期に耳で音を出してブレイク高度を伝えてくれるディターはヘルメットに風がよく入ってきてしまうためよく聞こえなかった。
ブレイクして開いたときにはもうすでに時遅く自動開傘装置が作動してしまった。
このときにメインのパラシュートを同時に開いてしまった。
このころは着地に際にスピードがでる小さいパラシュートを使っていた。
これにより2つあるパラシュートはコントロールする能力を失い、もう一つのパラシュートを切り離すのには十分な時間はなかった。
私は2つのパラシュートを前後にし少しでも良い状態にしようと思った。
パラシュートは回転はしないが前後に相当揺られた。
このまま着地をするしかないと覚悟を決めランディング体制に入った。
するともうちょっとで着地と思った時には地上に”ドーン”と着いていた。
柔らかい場所を狙って行けたせいか頭に星は出たが、助かったと思った。
そんな時、相棒のことが気になった、フッと自分の後方を見る100メートルくらい先にと2つのパラシュートが絡み合いながらランウェイの上に回転しながら落ちていくのが見えた。”ヤバい”と思いながら、もうとっさにギアを外し相棒のところへ走り始めた。
必死な思いでそこに近づくと相棒はパラシュートのラインを噛みながらうめき声をあげていた。
我々が来ていた白いジャンプスーツは足元のほうが真っ赤に染まり、見るからに開放骨折だなと思った。
私は相棒にずっと声をかけながら救急車が来るのを待った、30分後救急車は到着し相棒を乗せると、私もそれに乗れと言われ乗った。
すると乗った途端に腰が痛くなり立てなくなった。”ヤバい、おれもやっていたか”と思った。
救急車は近くの病院に我々を運んだが、私の相棒はそこで手がつけられる度合いではなかったのでワインで有名なボルドーの総合病院にヘリコプターで搬送されることになった。
このときに私もレントゲンを撮れと言われとりあえず撮ってみた。
しかし、その日はすぐにはレントゲンの結果はレントゲン技師しかいないのでその担当の医者が今いないので見られないという。私は面倒臭いので日本に送っておいてくれと言ってホテルに帰ってしまった。
次の日は腰の痛みと熱が39度以上出たので一日寝込んだ、そして次の日から相棒の病院に行ってみた。彼は足の骨より背中の骨のほうが重傷で非常に悪い状況にあった。
彼の入院した部屋は重傷患者の部屋で2人部屋になっており隣に入院していたのはクリスチャンという若い兵隊で彼は爆弾の暴発により目は失明していて両手、両足がすべてない状態だった。
この人を見たときにはまだ、手足が残っている我々は幸せだと思った。
彼はいつもナースコールを呼ぶときには私の相棒に”スィルバプレ”(フランス語で”お願い”の意味)と言って頼んでいた。そのたびに私の相棒は”クリスチャン、ウァット”と聞き返していた。
このときの世界大会出場は絶望的になった。
この後、毎日、練習もできなくなった我々のところにもともとこの大会の後にヨーロッパをベースジャンプをしながら回ろうと言っていたベースの相棒がボルドーにやってきた。
私は今度はこの友達とともに1週間後、旅に出かけた、まずは世界選手権が行われていたフランスのギャップに2日かけて行った。
そしてここで世界大会が終わるのを待ちアメリカ人の世界チャンピオンの友達とも合流してギャップから近いところにある
”ゴージュ・デ・ヴェルドン”というフランスのグランドキャニオンに行った。ここは観光客も多く絶景名場所だった。
我々はここからベースジャンプツアーを始めた。
日本から来た私の友達は100回目のベースジャンプを迎えるにあたり私とこの記念ジャンプをやりたいと思いちょうどその回数が合うように日本のビルから何本かジャンプをしてきたという。
私はそれが嬉しくて興奮しながらベースジャンプのエクジットに行った。
ここはフリーフォールが7秒はできる、ランディングをするのによい場所が斜面になるためそこに降りるための条件である。まずは1回目だったので彼の100回目のジャンプを上から見送った、そして私もこれに続きジャンプ!!7秒のフリーフォール川が流れる渓谷が目に飛び込んでくる。そしてオープン、とその時、その時声を出さずにはいられない激痛が走った。”ウー!”と叫んだとき、そうだこの間の事故で背中を痛めていたんだと思いだした。
着地をすると痛いのをこらえて100回目のジャンプおめでとうと言い激痛を我慢した。
この日、ホテルに帰ったのは夜中の2時だった、途中DZに置いてあった我々の車は窓を全開にあけっぱなしで、しかし、何も盗まれてなかった。
この日から我々のツアーは始まりグルノーブルを通りシャモニーのほうに向かった。ここからは9年前にヨーロッパを回っている私がガイドをやった。マグランドという止まっているホテルからジャンプが見ていられる場所に行った。
ここでも私は背中のことを我慢しジャンプを続けた。
そしてここの次にシャモニーを通り、スイスのモエブゾンというダムからジャンプができるところにみんなを案内した。
9年前は1日に何回もここでジャンプをした場所、しかし今回は私はここではもうジャンプは案内をしただけでやらなかった。もう腰が限界、無理だと思った。我々はここのジャンプを終えるともう日本に帰るチッケトの日数がなかったのでアメリカ人の友達はここからイタリアに向かったが、我々は泣く泣く帰るためにジュネーブを通り2日かけてパリに向かった。(この時に一緒だったベースの相棒にまた次にはイタリアに行こうと話していたのだがこの友達は4ヶ月後にはジャンプでこの世を去った。これに続く話はまたそのうちに話しましょう。)
この日に私たちはパリで私のジャンプの相棒と待ち合わせをしていたのでボルドーから相棒がストレッチャー搬送されてくると日本に一緒に帰った。
成田に着き相棒はまた、救急車に乗り、次の病院に運ばれていった。
その後、彼は無事に退院し歩けるようにもなりジャンプも復帰したが退院までには2年かかった。
そして私だが日本に帰るとレントゲンは届いていた。やはり何箇所か圧迫骨折をしていた。
ベースジャンプをやっているときにたぶん圧迫骨折をしているのではと思っていたが、やはり痛いはずであった。
私も痛い思いは何度もしてきていたがこのときからまず怪我には気をつけようという気持ちになってきた。
マレーシアの話に戻ります
今回、マレーシアに行ったのはもちろんベースジャンプをしたいという衝動が抑えられないと言うこともあるが次の週に小学校での講演もあったので映像を小学生にサプライズの一つにしたかった。
これもあったおかげで1時間の講演は小学生の皆さんが全くおしゃべりもなくすごく集中して聴いてもらったみたいですごくうれしかった。小学生のところに現われる時にはウィングスーツを着てギアをしょってヘルメットをかぶって登場、ちゃんとお約束で途中でこけて、小学生にウケていただきました。これはなかなかうまくこける事が出来たので大満足!
週末はウィングスーツで6way、だんだんウィング人口が増えてきた。これからウィングスーツで飛ぶにはすごく気持ちのいい季節になってきた。この1か月の間にジャンプのフルコースという感じだった。
本当は昔の映像やら写真やらもアップしたいのですが今回はまた、時間がかかってしまうので勘弁してください。
そのうちにのっけますので、今回、動画も時間かかるので勘弁して時間あるときにまた載せます。ではまたまた!!!!