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2011-11-26 11:23:35

11月のブログ

テーマ:ブログ
結局、直前になって中国、湖南省でのベースジャンプのイベントは延期になってしまった。
橋のオープニングイベントとしてこの橋から飛び降りることになっていたのだが
結局、この橋が完成できず、来年の5月あたりに延期になった。
今年最後のジャンプによる海外と思っていたので残念である。
しかし、ジャンプぬきでまた明日から中国には行くことになる、重慶、武漢、鄭州だ。
武漢は4年前に人民解放軍にスカイダイビングを教えに行ったときにここの近くの沙市というところには1週間滞在したことがある。あの頃は今年、こんなに中国に来るようになるとは思っていなかった。



今月はやはり忙しすぎた。あっと言う間に1ヵ月がすぎてしまった。
今月は2回ほど講演をやったのでそれにそうとう時間を取られてしまった感じだ。
この原稿作りにはいつも時間を取られてしまっているもっと効率が良くならないと・・・・
そして写真展もあったし、これにはドバイの写真など4点を展示した。
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そういえば入間の航空祭もあった、天気は悪かったが
自分の家が航空ショーの絶好なポイントにあるので相変わらずいい位置で眺めながら写真を撮った。
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そして今月は人生で初めて1週間に山に2回行った。
谷川岳の一ノ倉沢である。
私は来年は目標を持っている。来年は衝立岩からベースジャンプをしたいと思っている。


1度目は11月13日に行った。この日の天気は暖かくすごく良かった。この日はもともと偵察に来ただけなのでもともと途中までしか行く気はなかった、最高に気持ちが良かった。


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2度目は11月17日に行った。この日は前の日に初めて山用の靴を買いある程度のところまで行きたいと思っていたが、16日の夜に家を出て水上に向かったのだが水上に着くと雨がひどく降っていた。
翌朝、6時には起きて山に行くと一ノ倉沢はもう白い雪をかぶっていた。
衝立岩の真下までは行きたいと思っていたが雪があまりに多かったためこの日も途中まで行って断念、
来年の5月か6月にはここからジャンプしたいと思っている。
そのためにこの半年でウェイトを減らしてクライミングも勉強しようと思っている。


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ジャンプは相変わらず週末は飛ぶようにしているが日曜日の天気はひどかった。
4000メートルのジャンプする高さまで行ったがすごい乱気流で結局ジャンプ出来ずに上までいって降りてきた。
2年前にアリゾナでこんな状態の時に飛んだことがあったが飛行機から出る瞬間に飛行機の床がいきなり乱気流でゆれて私の膝にあたり出血したまま痛い足でジャンプをしたことがあった。
今回、降りてきて正解である。ブログを更新してなかった間にジャンプの映像も何度か撮ってはいるのだがアップするのはまた今度の時にしようと思っているので勘弁して・・・・・


前回言っていた私がベースジャンプを目指していこうという気持ちになった昔話も今回は、時間がないのでまたそのうちに書きますので勘弁って感じ・・・・
何せ明日からはブログもフェイスブックもできない中国に10日間行ってくる。
だから今日中にこのブログを書いておかないとと思った。
ここで書かないと11月は書かなかったことになってしまう。
今までに書かなかった月はないのでそれははずしたい、
これを書いた後はこの後にジャンプに行き、明日は朝から中国だ。
今度は中国にいる間に暇を見て中国でブログも途中まで下書きをしておこう。
ただ毎日飲むので飲みすぎなかった場合だが
難しいかな・・・・・・・

2011-10-15 11:43:47

近況と昔話

テーマ:ブログ

またもブログを書いてから1ヵ月がたってしまった。
書き出すとかけるのだが普段書こう書こうと思っているうちに日にちが過ぎてしまう。
なんやかんやとりあえずすごい忙しい1ヵ月だった気がする。


9月の初めには仙台に行ってきた、津波の跡はいまだに残っていた。
仙台港に行ってみたが重油に魚が腐った臭いで何とも言えないくさい臭いだった。
本当に被災地で働く人は大変だと思った。
9月の最初の連休はフリーフライのジャンプをした。

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次の連休にはフォーメーションのカメラマンをやりそのあとにマレーシアに行った。
相変わらずマレーシアはリーガルで飛べるので最高だった。

しかし、年のせいかエレベーターで270mまで上がって楽なのに1日に3、4回飛ぶとお腹がいっぱいになってくる。
さすがにパラシュートのパックが面倒臭くなってもういいかな~という気持ちになってきてしまう。

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20代のフランス人の若者はここぞとばかり1日に10数回飛んでいる’若い!’私も若ければこうだったけな~と思うのだが・・・・5,6年前はアイダホの橋から1日4,5回飛び降りて、こちらの場合はパックするうえに崖を登らなくてはいけないとしんどさがあったにもかかわらず跳んでたと思うと最近はちょっと年入ってきたな~と思い、もう1日にできても3回がちょうど良いところかな~と思う。 

ベースのナイトジャンプも見には行ったが私はジャンプをしなかった。昔はベースジャンプもスカイダイビングも相当ナイトジャンプをやったが、やっぱり最近はもうこれもいいかなという感じになってきた。
3年前の夏にイタリアの崖で夜8時半ころに跳んだことがあるが、この日、雨がすごく降りそれがやんだ後、真っ暗の中、山を歩いて行って途中で滑り手のひらを切ってしまって血だらけの手でジャンプをしたことがある、
これが最後の真っ暗な時に跳んだジャンプかな~、
最近はもうあまり怪我をして痛い思いをすることに対して抵抗感が出てきた。
ナイトでは案の定、ランディングで2人のけが人が出て残り2日を棒に振っていた。
あ~、やっぱりやりたいと思ったけどやらなくてよかった~と思った。
もう痛い思いはこれからもあるかもしれないけどこりごり!


痛い思い出の昔話
昔、チーム競技をやっている時だとめちゃめちゃ痛い思いをしても飛んでいなければならなかったことが多かった、痛い思いはもうたくさんて感じ。
2003年は特にひどかった。
2003年4月18日にフロリダでフリーフライの世界大会に出るための練習をしていた。
前の日の夜中にフロリダに着いたばかりで練習に対しての気合がめちゃくちゃ入っていた。
そういえばこの日の夜にスピード違反で捕まった。それも最悪だった。
そして18日その日、大会の練習のための23本目のジャンプだった。このジャンプで今日は終わりにしようというジャンプだった。
フリーフォールの練習が終わりパラシュートを開き地面が近づきローターンからスウープランデングをした時だった。
足に草が引っ掛かり、白いコンテナを汚したくなかった私はこけることはなかった。
がしかし、おかげでそれを踏ん張った時に思いっきり足をねじったため半月板損傷と全十字靭帯を断裂してしまった。
ランディングはきわめて普通の同じようだったので最初はだれも助けにきてくれなかった。
この後にすぐに病院に行ったのだが、夜の12時にはウィンドトンネルでの練習が入っていたのでめちゃめちゃ痛いトレーニングをした。
さすがに靭帯が切れてしまっている足は力がほとんと入らずただただ痛いだけだった。
しかし、我々2人の競技のチームのために代われる選手がいない。
フロリダの3週間のトレーニングは始まったばかり痛いのに毎日、昼は飛行機からジャンプ、夜はトンネルでトレーニングこれを繰り返すしかなかった。
4月にこのトレーニングを終えてそんな状態だったけど5月はアリゾナとフロリダ、6月には今度はニューヨークに行って練習をしていた。
ちょうど自分の誕生日に日だった、足がその状態だったのを忘れて、またランディングの時にスウープしながら小さな小川を越えた。
越えて足を思いっきり踏み込んだ時、足は脱臼状態になり、気絶しそうなぐらいな激痛がはしった。
この時この後はまた病院行きに、そして次の日からまた、練習をやめるわけにはいかなかった。
もうこの怪我の前よりも技術はこの足の故障により低下しておりそれを補うのに必死だった。
そして7月、8月にはシカゴに行きそのあとにアリゾナに行った。このときはしばらくはギブスをはいて練習したりしていた。
痛い思いはしなかったがロサンゼルスからアリゾナに行く途中、8月のアリゾナの砂漠の中、2人でガス欠をしてしまったのは最悪であった。
そしてこの年、この後世界選手権が行われるフランスに入った。
我々はフランスのロヤーンというところで練習を始めた。始めて何日目かは忘れたが8月30日だった。
空中で立った状態360度回って手をつなぐという練習をしていた。
これは落下速度も速かったのでこの時期に耳で音を出してブレイク高度を伝えてくれるディターはヘルメットに風がよく入ってきてしまうためよく聞こえなかった。
ブレイクして開いたときにはもうすでに時遅く自動開傘装置が作動してしまった。
このときにメインのパラシュートを同時に開いてしまった。
このころは着地に際にスピードがでる小さいパラシュートを使っていた。
これにより2つあるパラシュートはコントロールする能力を失い、もう一つのパラシュートを切り離すのには十分な時間はなかった。
私は2つのパラシュートを前後にし少しでも良い状態にしようと思った。
パラシュートは回転はしないが前後に相当揺られた。
このまま着地をするしかないと覚悟を決めランディング体制に入った。
するともうちょっとで着地と思った時には地上に”ドーン”と着いていた。
柔らかい場所を狙って行けたせいか頭に星は出たが、助かったと思った。
そんな時、相棒のことが気になった、フッと自分の後方を見る100メートルくらい先にと2つのパラシュートが絡み合いながらランウェイの上に回転しながら落ちていくのが見えた。”ヤバい”と思いながら、もうとっさにギアを外し相棒のところへ走り始めた。
必死な思いでそこに近づくと相棒はパラシュートのラインを噛みながらうめき声をあげていた。
我々が来ていた白いジャンプスーツは足元のほうが真っ赤に染まり、見るからに開放骨折だなと思った。
私は相棒にずっと声をかけながら救急車が来るのを待った、30分後救急車は到着し相棒を乗せると、私もそれに乗れと言われ乗った。
すると乗った途端に腰が痛くなり立てなくなった。”ヤバい、おれもやっていたか”と思った。
救急車は近くの病院に我々を運んだが、私の相棒はそこで手がつけられる度合いではなかったのでワインで有名なボルドーの総合病院にヘリコプターで搬送されることになった。
このときに私もレントゲンを撮れと言われとりあえず撮ってみた。
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しかし、その日はすぐにはレントゲンの結果はレントゲン技師しかいないのでその担当の医者が今いないので見られないという。私は面倒臭いので日本に送っておいてくれと言ってホテルに帰ってしまった。
次の日は腰の痛みと熱が39度以上出たので一日寝込んだ、そして次の日から相棒の病院に行ってみた。彼は足の骨より背中の骨のほうが重傷で非常に悪い状況にあった。
彼の入院した部屋は重傷患者の部屋で2人部屋になっており隣に入院していたのはクリスチャンという若い兵隊で彼は爆弾の暴発により目は失明していて両手、両足がすべてない状態だった。
この人を見たときにはまだ、手足が残っている我々は幸せだと思った。
彼はいつもナースコールを呼ぶときには私の相棒に”スィルバプレ”(フランス語で”お願い”の意味)と言って頼んでいた。そのたびに私の相棒は”クリスチャン、ウァット”と聞き返していた。
このときの世界大会出場は絶望的になった。
この後、毎日、練習もできなくなった我々のところにもともとこの大会の後にヨーロッパをベースジャンプをしながら回ろうと言っていたベースの相棒がボルドーにやってきた。
私は今度はこの友達とともに1週間後、旅に出かけた、まずは世界選手権が行われていたフランスのギャップに2日かけて行った。
そしてここで世界大会が終わるのを待ちアメリカ人の世界チャンピオンの友達とも合流してギャップから近いところにある
”ゴージュ・デ・ヴェルドン”というフランスのグランドキャニオンに行った。ここは観光客も多く絶景名場所だった。
我々はここからベースジャンプツアーを始めた。
日本から来た私の友達は100回目のベースジャンプを迎えるにあたり私とこの記念ジャンプをやりたいと思いちょうどその回数が合うように日本のビルから何本かジャンプをしてきたという。
私はそれが嬉しくて興奮しながらベースジャンプのエクジットに行った。
ここはフリーフォールが7秒はできる、ランディングをするのによい場所が斜面になるためそこに降りるための条件である。まずは1回目だったので彼の100回目のジャンプを上から見送った、そして私もこれに続きジャンプ!!7秒のフリーフォール川が流れる渓谷が目に飛び込んでくる。そしてオープン、とその時、その時声を出さずにはいられない激痛が走った。”ウー!”と叫んだとき、そうだこの間の事故で背中を痛めていたんだと思いだした。
着地をすると痛いのをこらえて100回目のジャンプおめでとうと言い激痛を我慢した。
この日、ホテルに帰ったのは夜中の2時だった、途中DZに置いてあった我々の車は窓を全開にあけっぱなしで、しかし、何も盗まれてなかった。
この日から我々のツアーは始まりグルノーブルを通りシャモニーのほうに向かった。ここからは9年前にヨーロッパを回っている私がガイドをやった。マグランドという止まっているホテルからジャンプが見ていられる場所に行った。
ここでも私は背中のことを我慢しジャンプを続けた。
そしてここの次にシャモニーを通り、スイスのモエブゾンというダムからジャンプができるところにみんなを案内した。
9年前は1日に何回もここでジャンプをした場所、しかし今回は私はここではもうジャンプは案内をしただけでやらなかった。もう腰が限界、無理だと思った。我々はここのジャンプを終えるともう日本に帰るチッケトの日数がなかったのでアメリカ人の友達はここからイタリアに向かったが、我々は泣く泣く帰るためにジュネーブを通り2日かけてパリに向かった。(この時に一緒だったベースの相棒にまた次にはイタリアに行こうと話していたのだがこの友達は4ヶ月後にはジャンプでこの世を去った。これに続く話はまたそのうちに話しましょう。)
この日に私たちはパリで私のジャンプの相棒と待ち合わせをしていたのでボルドーから相棒がストレッチャー搬送されてくると日本に一緒に帰った。
成田に着き相棒はまた、救急車に乗り、次の病院に運ばれていった。
その後、彼は無事に退院し歩けるようにもなりジャンプも復帰したが退院までには2年かかった。
そして私だが日本に帰るとレントゲンは届いていた。やはり何箇所か圧迫骨折をしていた。
ベースジャンプをやっているときにたぶん圧迫骨折をしているのではと思っていたが、やはり痛いはずであった。
私も痛い思いは何度もしてきていたがこのときからまず怪我には気をつけようという気持ちになってきた。

マレーシアの話に戻ります
今回、マレーシアに行ったのはもちろんベースジャンプをしたいという衝動が抑えられないと言うこともあるが次の週に小学校での講演もあったので映像を小学生にサプライズの一つにしたかった。
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これもあったおかげで1時間の講演は小学生の皆さんが全くおしゃべりもなくすごく集中して聴いてもらったみたいですごくうれしかった。小学生のところに現われる時にはウィングスーツを着てギアをしょってヘルメットをかぶって登場、ちゃんとお約束で途中でこけて、小学生にウケていただきました。これはなかなかうまくこける事が出来たので大満足!


週末はウィングスーツで6way、だんだんウィング人口が増えてきた。これからウィングスーツで飛ぶにはすごく気持ちのいい季節になってきた。この1か月の間にジャンプのフルコースという感じだった。
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本当は昔の映像やら写真やらもアップしたいのですが今回はまた、時間がかかってしまうので勘弁してください。
そのうちにのっけますので、今回、動画も時間かかるので勘弁して時間あるときにまた載せます。ではまたまた!!!!



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2011-09-03 13:54:28

またも中国に行っていました。

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先週末までまた中国に行っていた。相変わらず中国は元気がある、
しかし、いまだに中国語がしゃべれないことが非常に苦痛である。
今回初めて自分の弟のような中国人の仕事をやっている現場に行ってきた。$プロスカイダイバー久保安宏(YASU)のブログ

確かにすごくてびっくりした。中国元で30億元以上のプロジェクト確かに規模が違う。
中国はすべてがやはりでかい、私は今回、彼の仕事をしている所は田舎だと思っていたがとんでもなかった。
行く途中にこの仕事をしている現場の商丘市の人口を聞いた。人口は830万人、中心に80万人が住んでいるという話を聞いて、すごい都会だと思った。プロスカイダイバー久保安宏(YASU)のブログ
行ってみると確かに都会であった。しかし中国はどこに行っても人がいる
写真はその彼が開発している現場、ここに29階のビルが建つ ほかの写真は高いビルが建っている向こうのほうまでその彼の会社によって開発される。 ものすごい広さである。



ここのところで9月24日にイタリアに来ないかと誘われていたのだがチケットを調べたところ安いチケットがないのであきらめることにした。
今月終わりにわマレーシアのベースジャンプはあるのだが今年はどうしようか、今悩んでいる最中???
今年はあまりジャンプができていない。ちょっと今年からライフスタイルを変えようと思っているから・・・


先週は飛行機も故障から復活し久しぶりにジャンプができて気持ちがよかった。
今週は台風で残念!!


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