明日の記憶
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川口駅構内を出ると、高層の建物を繋ぐロータリーになっていて、見渡せばそこはすっかり鋳物やキューポラの面影はなくなっている。
僕は20年以上も前の記憶を紐解いていた。
治る見込みのない母が川口市民病院に入院していたとき、面会を終えた父と僕は、駅構内にあった香蘭という中華料理屋さんで、一緒に皿うどんを食べた。
「俺も、もう65だよ。」箸の動きを止めて、ため息と一緒に漏らした。
それは、初めて僕が見た弱音を吐く父の姿だった。
母が世を去り、父が一人で暮らす川口の実家へ、僕は仕事を早く切り上げられる日に度々出向いた。
家事などしたことのない父が果たしてどうなるものかと思ったが、僕が行く時は、テーブルいっぱいに手料理を作って待っていてくれた。
あの日は、父が川口駅前SOGOの中においしい店があるから行ってみようと言うので、川口駅改札で待ち合わせた。
そのときの川口は今日のように、人も建物も雰囲気も様変わりしていた。
テーブルにビールジョッキが二つ並んだ。
「家族と離れたくないんだ。だから新潟の話は、せっかくだけどお断りしようと思う。」新潟大学への赴任を迷っていたときに、他人には話せない僕の本音だった。
「そうか、いいじゃないか。チャンスはまだこれからもあるだろう。」少し寂しそうな父の笑顔が、僕の決断を一層揺るがせた。
おしゃれなお店で御馳走になったはずだけれど、父の手料理がやっぱり食べたかった。
川口駅に隣接する市民ホールから講演を終えて会場を出たとき、一人の女性が声をかけてきた。
「私、潤一さんを担当しておりました訪問看護師です。これ、ご覧になっていただけますか。」
差し出されたのは1枚の写真。その看護師さんと、肩を並べて写っているのは生前の父だった。
「訪問看護師になりたての私だったのですが、行き詰って仕事をやめようと思っていたんです。そんなとき、潤一さんを担当させていただきました。いつもほがらかで、紳士で、とってもかわいいお爺ちゃんでした。潤一さんのところへの訪問看護は楽しくて、私にとって癒される時間でした。潤一さんには本当に感謝しています。」
とんでもない、感謝だなんて。訪問看護師さんやケアマネージャーさんや、ヘルパーさんに当時はどれほど助けられたことか。
父が自宅で大往生を遂げられたのも、皆さま方のお陰です。
「今も訪問看護師を続けています。」と看護師さんは言って、その写真を手渡した。
僕は戴いた写真を思わず胸に抱きしめた。
僕の前では、強がってばかりいたくせに、可愛いいなんて。
僕なんか知るはずもないところで、父は様々な色の想い出を作り上げていた。
大切な想い出色は、あせるどころか日に日に鮮やかに浮かびあがってくる。
今日で、父が母のいるところに逝ってちょうど4年だ。
線香のお香が父の遺影を包んでいる。
いくらしっかりとした記憶でも、同じ気持ちも景色も二度と取り戻すことはできないし、父さん、僕はこれから何色の明日を描くことができるかな。










