2012年02月22日

コメントにお答えしたいと思います。

テーマ:ブログ

コメントをいただいたので、ブログという形で返信いたします。


まず最初におことわりしますが、僕は

死刑には反対しません。

元少年に対する死刑判決は妥当であると思っています。


被害者の夫、本村氏の目的は(言葉は悪いですが)復讐です。

愛した妻、そしてわが子を惨殺されたのですから当然。

僕も同じ立場であれば同様の、いえ何倍もの苦痛の中で殺してやりたいと願うでしょう。

しかし それを実行にうつせば”犯罪”になります。 

皆さんは、殺人者になってまで復讐をする覚悟はあるでしょうか・・・


本村氏は立派だとの声がありました。 

仇討ちが認められていた頃ならそういえるでしょうし、本村氏の復讐には大儀があります。 人権擁護派の妨害や記憶の風化と戦ってきたという意味では立派でしょう。

しかし、現社会では復讐はあってはならないのです。 

賞賛する声もあるでしょうが復讐は認められていないのです。

家族を奪われたから仇を討つという大儀はあっても法廷では認められないのです。

司法は法廷に怒りや憎しみという第三者(被告と検察と弁護士以外)の感情が入り込む事を嫌います。


法廷に情や世論・政治的圧力が入り込んだ例をあげるとすれば真っ先にこれがあるでしょう。


「傍論」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%8D%E8%AB%96

【外国人参政権に関して判事・園部氏の傍論】

「法律をもって外国人に地方の参政権を付与することは、憲法上、必ずしも禁止されていない」と判決の後で意見を述べました。

しかし「主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である。」と批判され、園部氏は後に新聞のインタビューに

「確かに本筋の意見ではないですよね。つけなくても良かったかもしれません」

また「政治的配慮があった」とも語っていました。

殺人事件ではありませんが、現在進行形で国全体に与えた影響はとてつもなく大きいということで。


他には、


【同居男性を80カ所ナイフで刺して殺した女性、正当防衛とヤコブ病のため無罪】  http://logsoku.com/thread/hato.2ch.net/news/1296651986/

ちなみに、被告は在日韓国人でした。

この2例は「法は厳正であるべき」と主張する司法自身が、情や政治的配慮を持ち込んだ悪例です。

これとはまったく逆に一般的な常識や見識を無視し「情を廃した」例もあります。


【騒音おばさんの隠された真実】http://blogs.yahoo.co.jp/posutoman21/31274257.html

覚えていらっしゃる方もいると思います。TVなどで散々たたかれた あの騒音おばんさんです。彼女は隣人の宗教夫婦と戦っていたのです。しかし司法は彼女に一方的に罪を着せました。



法は人を守るために存在しているのではありません。

社会の秩序とそのシステムを守っているのです。


たとえば、どれほど巧妙な手口で騙し、大金をせしめる詐欺事件があっても、

被害者の損害金が満足に返ってこないのが良い証拠です。

間違ってる!正義はあるのか?司法側は個人的意見を言えるのに(被害者遺族であっても)第三者は言えないなんておかしい!そう思えるでしょう。


司法にとっては”法が正義”であり、それ以外は検討に値しないものなんです。

しかし、一般的な常識も組み込まなければ法廷で使われる「社会通念上~」という言葉が重みを失ってしまう。(「司法は常識を知ってるのか?!」とか叩かれる) 

そこで取り入れられたのが一般人参加の裁判員制度(第三者の意見)というわけです。

ご存知かとは思いますが、(最高裁は除いて)法廷の裏側では、検事、判事そして弁護士との話し合いがあります。

過去の判例を出し法の正しさを証明したい判事、威信を保ちたい検察、なるべく被告が納得できる結果にしたい弁護士の間で”妥協点”を探る話し合いの結果が判決というわけです。


当時、元少年には無期懲役が言い渡されました。

極刑こそふさわしく、無期懲役は温い(ぬるい)!と思われるでしょう。

では今から僕が書くことを、想像を働かせて頭の中で体験してみてください。



スミスのブログ


四畳の部屋で窓には鉄格子。光は入ってくるが風景は見ることができない。

晴れているのか雨なのかそれもわからない。 

TVは無いラジオも聞けない。軽い犯罪で服役し、かつ模範囚でなければTVなどは許されない。(ラジオは日曜日にNHKを聞けるくらい)

もちろんPCもケイタイもない。


外部の情報はいっさい房に入ってくることはありません。

読書でもしたいが、持ち込みが許されている本は3冊程度。 それも外部の人間(身内)が持ってきてくれるものだけで、さらに刑務所長の許可が下りたものだけ。

そしてノートと鉛筆。これに反省の気持ちを綴ります。 

貯金ができる?労務作業(一部の者だけ)で稼げれば、数百円程度もらえる。 

そのカネもお茶やコーヒー、ちり紙で消える(食事の際わずかなお湯がもらえます) 


房は無音。音も話声も聞こえず、自分以外と話す会話はない。

カレンダーもなく 1分が10分に、1時間が半日に、1週間がひと月に感じる。

今日が何月何日で、あれからどれくらい経ったのか感覚が麻痺していく。

あの時どうすれば良かったのか・・・・我慢していれば今頃は・・・

悔やんでも悔やみきれない日が続く。


無期懲役でも数年経てば出てこれる? ドラマの見すぎですよ。

態度、言動、反省の有無、面会人との会話、など刑務官は見ています

「反省しています、後悔しています」では仮出所はできません。

そうしているうちに、両親は他界し、兄弟とは縁を切られ 面会者もいなくなる。

頼る者も、憶えていてくれる者も居なくなる。 孤独です。

反省も後悔もしなくなる。というよりできなくなる。

冷たい壁と無音の空間、そしてなにもしない時間が精神を壊していく。

そういう毎日が1年、2年・・・10年、15年・・・20年と続く。


思考は停止状態。 夢も希望も失う。 当然です、ひとの命を奪ったのですから。

そうして考えるチカラ、体力を十分に奪ったところで仮出所が考えられるようになる。

それが刑務所の目的です。 

無期懲役は決して死刑と比較して軽い刑ではないのです。

死で償うか、永遠とも感じる時間のなかで苦しんでいくか、その違いだけです。


税金が失われるとの声もありました。

しかし世の中には冤罪と呼ばれるものが存在します。

足利事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

松本サリン事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6


強引な警察の取調べや、【騒音おばさん】のときのように事件を面白くしようとメディアが煽ったおかげで、無実の罪を着せられるケースもあるのです。

殺人事件だからすぐにでも死刑と叫ぶのは賢明とはいえません。


しかし、光市母子 猟奇殺害事件ははっきりとした証拠があるため死刑は速やかに実行されるべきです。また元少年の精神年齢は4~5歳前後といわれてますから、無期懲役でも真に反省することや、模範囚になることはできなかったでしょう。


僕が、何かが足りないと書いたのは、

「無期懲役や死刑とは何か?司法とは?罪とは?少年法とは?」

そのことには触れずにただ死刑だと叫ぶ人たちが多かったこと。元少年が殺人を犯さないようにするためには何が必要だったのか、これと似た猟奇的な少年犯罪が起きないようにはどうすべきか?

(動画サイトでもニュースサイトでも)その声が聞けなかったことが残念でした。

一言でいえば、ミスチルの「タガタメ」のあのフレーズそのままです。

皆さんの問いかけをスルーすることも考えましたが、真剣な問いには真剣な答えで返そうと思い、更新まで時間がかかったことをお詫びします。


最後に、自分の考えとして少年法と殺人罪は切り離すべきです。

殺人に至るまでの経緯で、殺害の意思があったかどうか判断できるはず。

殺害の明確な意思があると判断できれば、少年法の優位性は外すべきです

また時代が変わり、青少年に与える影響も膨大かつ複雑になってきました。

過去にあった青少年の定義を考え直す時が来ていると思います。

刑法上の成人年齢をさらに下げるべきと考えます。




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