【VIBES】 「 リッパナ ニッポンジンニ ナッテクダサイ 」
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「スキナコトヲ、イッショウケンメイ、ヤリナサイ」
好きなことなんて何もできずに若い命を国に捧げた父親は、幼い子供にも読めるようにカナ文字で遺書を残している。そして最後にこう締めている。
「リッパナ、ニッポンジンニ、ナッテクダサイ」
自分の悲運を嘆くのではなく、残す人たちの未来を案じて飛び立つ強さは、
果たしてどこから溢れてくるのだろうか。
「美化している」
戦争関連の事実を並べた時によく言われる反対意見だ。
遺書や絶筆を遺族が提供してくれ、それを並べることのどこが美化なのだろう。
美化したいのならばそれらを人目につかないようにした方がいい。
そこに並べられた事実は悲惨でもあり、恐ろしくもあり、何よりも命を賭して国を守ってくれた人たちが残してくれた希望がある。
言葉であらわせるものなんて何も無い「知覧特攻平和会館」にラリーが立ち寄ったのは、旅で唯一の小雨が一瞬だけパラついた曇り空の日だった。
そこに立つことでしか伝わらないであろう事実を、30人ほどのバイカーはどう見つめていたのであるか。
どんな問題が起ころうと「賛成」「反対」の二極論にしかせず、どちらもがそのあげ足取りばかりで、どちらの意見をとろうとも そこから国益や国民の幸せを勝ち取ろうとしなくなってしまった現在に、乗るか乗らないか、走るか走らないかという二極論から
「乗って走る」を選んだ集団は、たった2つの選択肢すら与えられなかった若者たちの写真と遺書や絶筆に対してどう向き合ったのだろうか。
バイカーならそこから何かを感じ取ったはずだ、なんていう気持ちの悪い美化をするつもりはないが、それでも知覧には見た者に何かを感じさせるチカラがある。
その答えは二極論とは正反対に位置する 人数分の思いがあるはずだ。
「元気でいって参ります。お母様もお元気で」
自分が居なくなれば悲しむであろう母親に対する遺書や絶筆も多くある。
そこには子供たちに残すものとは違う、親よりも先に逝かねばならず 親を悲しませてしまう不幸を憂う意味が重ねられている。
自分を例に挙げれば、娘がもうすぐ特攻になれる年代になるが、女の子というのもあるだろうが 親へ関する気持ちの方が強い。
旅には必ず腰にぶら下げた母親の遺骨を持ち歩き、旅先で少しずつ撒いている。
文字通り「母なる大地」を作り上げ、仮にどこで死のうと母に抱かれていると思い込もうとしている。
母が死んで数年。 それでも母親に対する気持ちはそんな風に強く残っている。
愚痴を言うわけでもなく、愛する人たちのため、国の未来のためと尊い命を散らし、
遺骨すら残すことが叶わず英霊となった先人たち。
名も無き偉人たちを前に二極論で談じることなど許されてはならない。
どうするのが一番の解決法であり、何を犠牲にし、何を無くせば平和でいられ、
どうすれば多くの命を亡くすことを繰り返さずに済むのか。
個人的にはそんな事を考えさせられる。
バイク雑誌 VIBES 3月号 「VIBES RARRY IN九州」 編集部 大森茂幸
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強く胸を打つ話です。その場に立つものでしか感じえない迫力と説得力があります。
戦後から70年近く経った今でも、英霊たちについて語るどころか
当時のことを語ることさえタブーとされる現在の日本に憤りを感じる。
我々は戦争を賛辞などしてはいない。
ある者は異国の土になり、ある者は藍天の空に散り、ある者は紺碧の海に散った。
死すれば遺骨さえ見つからぬだろう戦場にあって、ならばせめて魂だけは故郷へ還ろう、 靖国で再び逢おうと旅立っていった。
私たちが英霊を祀るのは先祖の供養と同じ意味合いを持つ。
英霊を供養する事のどこが戦争美化なのか。
彼ら英霊の果たせぬ思い、叶えられなかった望みの上に私たちは生きている。
それに唾を吐くことも、踏みつけにすることも決して許されることではない。
異国人を憎むことで日本が強くなれるならそうしよう。
だがそんなことを先人は望んでいないはずだ。
誰かを憎むより、まず日本人が強くあらねば。そう感じた次第です。








