絆なき「復興パフォーマンス」 小野寺五典議員の訴え ②
テーマ:ブログ(´・ω・`)遅れました。
今回の記事は、南三陸町役場で最期までアナウンスし続けた女性の話も含まれています。なぜ彼女は逃げなかったのか?その理由が小野寺議員から明かされます
NewsWeek3.14から、絆なき「復興パフオーマンス」
【行政と被災地の隔たり】
被災地の瓦礫処分問題も、本来は被災地に焼却炉など処理施設を造って進めるはずだったのが、なぜか全国各地に運ぶことになった。
被災地として心苦しいし、沖縄まで運べばその分おカネが掛かるはず。
担当の環境省は一方で処理せよと言いながら他方では地元で直ちに処理するなという。
福島県の除染の問題も、集めた汚染物をどこに保管するかというのが最大の課題で、まず最初に決める必要がある。 ただ、今の政府はその最大の問題をおざなりにしたまま、メディアの前で「やったふり」をすることにばかり気をとられている。
高台移転の最大の問題点は国が自分たちが作った基準にこだわり、現実を理解しないことにある。たとえば気仙沼市の松岩という地区では住民が集団で高台移転へ向けた相談をしていたが、あるとき急に線を引かれて、
土地が低すぎて買い上げるしかない地域と かさ上げする地区とに分けられた。
かさ上げ地区に入れられた家はどんなに希望しても高台移転はできない。
さらに悪いことに、
かさ上げが終わるまでに5年程度はかかる。
それまでの間、被災者はどこに住めというのか?
仮設住宅は基本的に2年で出て行かなければならない。
元の集落が2~3戸と少なすぎて集団移転がそもそもできないケースもある。
建物の瓦礫撤去でもすべて一気にやれば効率的なのに元の所有者が誰かによって補助金が出たり出なかったりするため業者が片付けない瓦礫が現場に残されていた。
【なぜ復興庁が霞ヶ関に?】
縦割りではもっとひどい話もある。気仙沼の沖合いには国土交通省のGPS波浪計のブイが浮かんでいる。津波の高さをいち早く予測するためのデーターが縦割りのため気象庁には利用されなかった。
気象庁が東日本大震災の発生直後に発表したのは「宮城県沖最大6メートル」と、実際よりはかなり低く予測したデータだ。30分後に修正したがそのときには十数メートルの津波が沿岸に来ていた。
南三陸町役場で職員が最後まで残ってアナウンスしていたのは、3階建て庁舎の屋上に逃げれば大丈夫だと思っていたから。6メートルだと2階が浸水する程度だが15メートルの波だと屋上まで水に浸かる。まさに人災だった。
復興には大きなビジョンが必要だというが、たとえば巨大野菜工場やソーラーパネル施設を利用した復興を考えた人たちも「ひも付き」補助金をめぐる省庁の縦割りに嫌気がさして諦めていく。
復興庁の交付金もあくまで「5省庁40事業」にわたる縦割りだ。
縦割りを打破するために復興庁はできたはずなのに、その実態がいままでと同じ縦割りでは結局復興の足を引っ張るだけで終わってしまう。
そもそも復興庁の本庁がなぜ現場ではなく霞ヶ関にあるのか?被災地で泥や瓦礫を片付けなければウジやハエが湧いて大変になることも実感せず、どうやって復興するというのか?
震災で壊れた気仙沼の自宅は今も工事ができず、やむなく自分で直して使っている。崩壊した地元事務所は別の場所に小さな建物を建て再開した。 実家の旅館はなんとか営業している。波をかぶって再開した旅館はウチくらい。 通り掛かった人が廃屋かと思ってのぞいたら人がいて驚かれたほどだ。
少しでも被災地が前を向けたとき、初めて復興ができたと言えるのだろう。 もちろん震災の悲惨さは記憶しておいてもらいたいが、我々もずっとここにとどまっているわけにはいかない。 少しでも前向きなものが生まれて初めて、被災地の人たちにも納得してもらえる。
小野寺五典
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