エリザベート・クリスティーネ (8)
テーマ:ブログ毎年やってくる誕生日。王妃エリザベートのために宮廷で盛大に祝われますが、大抵、夫の姿は欠けていました。後々もフリードリヒは宮廷での催しの際もひどくよそよそしく、エリザベートにお辞儀をして挨拶し、またお辞儀で別れを告げ、一言も言葉を交さなかったと伝えられています。
また、彼の妹が訪ねて来たとき、エリザベートを紹介するのに、前王だった父親の口調で「これがお前も知っている通りの僕のばばぁだよ」。
7年戦争(1756-1763年)から戻ってきた時には、「マダム、恰幅良くおなりですね」と、衒いか、嫌味か、冗談か、皮肉かと言ったところ。
フリードリヒの生活の中に女性が入る余地はありません。しかし、王妃エリザベートに対し彼女の身分相応の栄誉は誰からも得られるよう心を配り、外国からの使者や他の宮廷からの客人には必ずエリザベートを表敬訪問させました。
エリザベートは、同じく男運に恵まれなかった妹たちとシェーンハウゼンでよく話をしました。時間があれば、母親など家族に手紙も書いたり、胸の痛みを癒すかのように、好きなことに没頭。文学、絵画、音楽そして手芸などに幸せを見出していました。シェーンハウゼンに膨大な書籍を持っていましたが、ワイマールのアンナ・アマーリア公爵夫人のように有名な学者や作家を招き入れるには至りませんでした。
エリザベートの手紙
ドイツ語からフランス語への翻訳も盛んにやり、「敬虔なる書」や「孤独なキリスト」を訳し、夫の許可の下、出版しています。そのほか、死ぬまでに11の作品を訳しあげ、その中には彼女が好きなドイツ人作家ゲレルトの作品も含まれています。。夫のフリードリヒはコテンパーにけなしていた作家ですが、それもそのはず、彼は当時開花し始めたドイツの文学へはなじみがないのでした。クノーベルスドルフによって建てられたサンスーシー城で、彼はボルテールを始め、各方面の第一人者を相手に毎日のように会食し、フランス語で討論し合っていたのです。
結婚当時冷えた仲だったエリザベートと義母は、夫あるいは息子への安全と政治的成功を望む気持ちが共通してか、長い戦争中に寄りが戻り、心から分かり合える間柄になりました。
1756年に始まった7年戦争では、エリザベートは侍女たちとほとんどの時間を負傷兵のために割きましたが、兵隊の前でお辞儀をする以外に何もしてあげられないことがしばしばでした。
戦況が悪くなった時、フリードリヒはエリザベートに遣いを送り、敵がベルリンにせめて来るだろうからマグデブルクに逃げるようにと指示。そこへ向かう途中、ポツダムを通ったエリザベートは、初めて夫の城、堂々と建つサンスーシー城を目にしました。「ああ、これが噂に高いお城なのね・・・・。」
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