僕がここに来てから、何日が経ったんだろう。
そう思い始めてからも、すでに数日が経過しているはず。
僕は、暗いトンネルの中を歩いているようで、何も見ることは出来なかった。
見上げても、真っ黒。
星さえも、月の光さえも目に入ってこない。
でも、掌に感じるのは、きっと君の温かい手なんだろう。

「君恵」

名前を呼んでみた。
愛しい、君の名前。
返事はなかった。
じゃぁ、今僕の手に感じているのは、一体なに?

「君恵、返事してよ。いつもみたいにさぁ」

君恵は返事をしない。
手を伸ばそうとしたけれど、うまく動かなかった。
暗闇の中で、どちらに手を伸ばせば良いのかも分からなかったし、何かに縛られているようでもあった。
僕は益々不安になって、手の中にある何かを、強く握った。

どろりとした。
生暖かくて、なんだか水っぽいそれは、一瞬どくりと鳴って、動かなくなった。

「瞬ちゃん」

君恵が、呼んでくれた気がした。





お題提供元:人魚(星を水葬)
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黒く染まる自由なわたし

テーマ:
とうとう、30歳になった。
学生の頃は自分が三十路になるなんて、想像したこともなかったけど。
なーんにもなかった20代。
ただ周りに惑わされまいと、一生懸命壁を高く厚く塗り上げた。
そして30になった今、自分に何が残ったかと言えば、どこまでも高く分厚い壁と、私だけが入れる小さい空間。
ここは狭くて、息が詰まる。
これを作ったのは私だから、きっと壊せるのも私だけ。
分かってはいるけど、壊せなかった。
壊せないまま、30になった。
壊したら、きっと私には新しい未来が待っていて、明るい明日がやってきて、違う自分になれるって分かっているけど。
怖かった。
壊した後、私に残るのは何かって考えたとき、本当に何もないって思ったから。
ここは狭すぎて、自分の入るスペース以外はなかったから。
丸裸の私を人前にさらすなんて、怖くて仕方ないじゃない。
ひとりでも、ひとりぽっちでも、私はこのままの方が幸せかもしれないって、どこかで思ってる。
全部分かってる。
このままじゃ、本当にひとりぽっちになっちゃうって。

そろそろ、本気で壊してみようか。
染まってもいいじゃないか。
本当に?
うん、本当に。
それは私が選ぶ自由だから。
今度はもっと大きくて、カラフルな壁を建てよう。
今みたいに、狭くて一色じゃなく。
もしかしたらそれを、受け入れてくれる人もいるかもしれない。
その中に建てる、真っ黒な塔も、全部全部。

私は30歳になった。
きっと私には、ステキな10年間が待っている。




お題提供元:人魚(星を水葬)
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溺死寸前

テーマ:
愛している人が、実は姉の旦那様だなんて、一体誰に言えよう。
これは、あたしの中での深い深い秘密であり、そして大きな強みだ。
愛している人がいるというだけで、あたしは強くなれる。
姉よりも。
誰よりも。
人一倍輝く自信だって持っている。
それはあたしが、彼を愛しているからだ。
彼が力をくれる。
この、あたしの心に。

姉夫婦が実家に帰ってきてから、3ヶ月が経った。
義兄の転勤でこちらに帰ってきたのだが、当初は賃貸マンションを借りる予定だったのに、義兄の仕事があまりに忙しく、不動産屋に行く暇がないのと、姉の実家に対する甘えとで、とうとう出て行かないままになってしまった。
結婚して1年半。
まだ子どものいない姉夫婦は未だに新婚のようで、あたしには少々腹立たしい。
だけど、家から出て行かないということは、少なくとも義兄と一緒にいられる時間も増えるというもので、あたしは少しだけ報われた思いだった。
用もないのに姉夫婦の新居を訪ねるなんてこと、あたしには出来そうもなかったから、姉と義兄のラブラブっぷりを見せ付けられるのは嫌だったけれど、ひとつ屋根の下にいるのは、悪くなかった。

そんなある日。
絶好のチャンスが来た。
両親と姉が、そろって親戚の家に行ってしまったのだ。
おばさんが倒れたらしく、慌てて出て行ってしまった。
あたしはしおらしく留守番を買って出て、義兄の帰りを待つ。
ただひたすら。
22時を回った頃、義兄が静かに玄関を開けて入ってきた。
リビングには、あたしひとり。
「あれ、美樹ちゃんひとり? みんなは?」
少し慌てた様子の彼は、あたしと目を合わさずに言った。
「瀬戸内のおばさんが倒れて、みんなそっちに言っちゃったの。あたしだけ、ここで留守番よ」
(あなたとふたりでね)
少しだけお酒の匂いをさせる彼は、きっと同僚とお酒を飲んで帰ってきたのだろう。
酔っているなら、尚更好都合だと思った。
あたしは分かった風に、彼から背広を受け取って、ハンガーにかける。
彼が全部脱いでしまうのを、あたしは意地悪く、根気よく待つ。
義妹の前でズボンを脱ごうか脱ぐまいか迷っている彼に、あたしは言った。
「遠慮しないで。今夜はあたしたちふたりきりなんだから」
そっと触れると、彼がびくんと反応した。
あたしは知っているんだ。
彼もあたしのこと、意識しているって。
ここに来てから3ヶ月、出来るだけあたしを避けてきた彼。
それがどんな理由からなのか、悟るまでにそんな時間はかからなかったよ。
だからあたしも、頑張れたの。
いつか姉からあなたを奪う日を、ずっと夢見て。

「一緒に死にましょう。愛に溺れて」

ふたりで抱えた大きな秘密は、きっとこれからもっともっと大きくなって、あたしたちを覆い尽くしてしまうだろう。
そして迎える家族の崩壊。
それでもあたしは幸せだった。
愛する人を手に入れる喜びは、哀しいけれど、何よりも勝っていた。




お題配布元:星を水葬

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自分が一体何をしているのか、分からなくなる瞬間がある。
そんなとき、貴方が傍にいてくれたらどんなに良いだろうって思うけれど、貴方はもう、ここにはいない。
分かっているのに貴方を探してしまうのは、きっと私が今でも、貴方を愛しているからだろう。

何もいらないと言ったら、嘘になる。
満足していると言っても、正しくはない。
幸せでも、不幸せでもない。
私はただ息をして、貴方の面影を探して、今も尚、彷徨っているだけ。
生きながらに死んでいる。
そういうことかもしれない。

そろそろ、貴方のところに行きたいな、と思った。
貴方に、会いたいと思う。
思い残すことがあるとすれば、そう、あの日貴方と食べたお団子を、もう一度食べたいということ。
満月の夜、ふたりで食べたお団子は、何よりもおいしかったね。

同じ満月の下。
同じでない、満月の夜。
私は貴方を想いながら、死んでいくでしょう。
でもそれは、哀しいことではないよ。
私が、望むことよ。
だから心配しないで。
貴方はそこで、待っていて。

月の光は、今夜も明るく私を照らしてくれるだろう。




お題配布元:星を水葬


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