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2012年01月16日

White Mouse

テーマ:COLLEZIONE
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昨年の我が国は東日本大震災で大変な1年だったけれど、大洪水で甚大な被害を受けた「微笑みの国」タイにもお見舞いを申し上げたいですよね。私はタイには行った事が無いけれど、タイが未だ「シャム」と呼ばれていた頃に活躍した1人のレーシング・ドライバーによって、大変良い印象を持っています。

モータースポーツが好きな方なら、アジア人で初めてF1に乗ったのは日本人では無い事を知っているでありましょう。そこで今年最初の「ミニカーうんちく」は「頑張ろうタイ!」と言う事で、1930年代にアジア人で初めてグランプリに出走し、戦後もF1ドライバーとして活躍した「空飛ぶシャム人」こと「プリンス・ビラ」にスポットを当て、ビラの駆った「マセラティ・250F」を作って見ました。

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E.R.A R2B "Romulus"

プリンス・ビラこと、ピラポンパーヌデート・パーヌパンは、1914年にシャム王国の王族パーヌパン親王の息子としてバンコクに生まれましたが、彼の家系である19世紀のシャム王室を舞台にした物語は、「王様と私」としてミュージカルや映画化もされ、ビラの祖父に当たるラーマ四世をユル・ブリンナーが演じていたのは有名な話です。

ビラの経歴はウィキペティアにも掲載されているので転載しますが、1920年代に他のシャム王室の子弟と共に英国に留学し、イートン・カレッジからケンブリッジ大学に進学し美術を学んだとされる。大学在学中に従兄弟のプリンス・チュラ(チュラチャクラポン)からプレゼントされたライレー・インプをドライブし、ブルックランズ・サーキットで最初のレースに出場し好成績を収めたことをきっかけに、この年の暮れにERA-R2B「ロムルス」を購入し、本格的にモータースポーツ活動を開始する。

その後はマセラティ8CMなどをドライブし、第二次世界大戦前のヨーロッパにおいてその巧みなドライビングによって数々の勝利を収めた他、1939年にはル・マン24時間レースに参戦するなど、ジュゼッペ・ファリーナやタツィオ・ヌヴォラーリ、フシュケ・フォン・ハンシュタインなどと並び、当時のヨーロッパのモータースポーツ界におけるトップドライバーの1人として君臨した。(Wikipedia)

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Masearti A6GCM : Coppa Intereuropa MONZA

ビラのユニークな所はマシンに愛称を付ける事で、愛用した3台のE.R.A.(English Racing Automobiles)に、ローマ帝国建国神話に登場する「ロムルス」、「レムス」(狼に育てられたと伝えられる双子の兄弟の名)と名付けたり、古代インド神話に伝わる猿神にちなんで「ハヌマーン」(西遊記の孫悟空のモデルになったと言われる)と名付け、その紋章をマシンあしらったりと、伝えられる様々な逸話からも非常にインテリジェンスの高い人物であった事が伺えます。

ビラがモーターレースに熱中するきっかけとなった従兄弟のチュラは、やがてビラのマネージャーとなり、本格的なレース参戦に当たってレーシング・チームを組織しますが、これが歴史に名高い「ホワイト・マウス・レーシング」でありました。

ホワイト・マウスとはシャム王国の国旗のモチーフだった「白象」、あるいは「白猿」として伝えられるハヌマーンなど、神聖なる動物を白鼠にもじったモノだと思いますが、獅子や鷲と言った勇ましい動物の紋章は数あれど、唯一のアジア人エンターとして、鼠のトレード・マークとは大変粋でありますね。このYoutubeの2:24秒頃にも当時のメカニックの胸元を飾る白鼠のマークを見る事が出来ます。

私は14年ほど前にロンドンのショウルームで、ウィンドウ越しにロムルスを見た事がありますが、ボディに描かれた白鼠の紋章に大変感動したのを覚えていますし、モンツァのヒストリック・レースでも、ヨーロッパのイベントの常連であるマセラティ・A6GCMが、プリンス・ビラとホワイト・マウス・レーシングの栄光を現在でも垣間見せてくれる様で嬉しくなってしまうのです。

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人格者であり、欧州での人望も厚かったビラの活躍によって、1939年にはアジアで初のグランプリがバンコクで開催される予定でしたが、第二次世界大戦の勃発で中止となってしまいました(冒頭のバンコクGPのポスターはビラ自身の手によるデザインだと言われる)。歴史に「IF」は付き物ですが、当時から日本とも友好的な関係にあったタイで、東洋初のグランプリが開催されていたとしたら戦後のアジアの自動車文化も、また違ったモノになっていたかも知れませんね。

■Blue and Yellow

戦後も早い時期からレース活動を再開したビラは、1948年にはF1世界選手権が制定される以前の国際グランプリとしてトリノで開催されたイタリアGPにジュゼッペ・ファリーナ、レイモン・ソマーに続くサード・ドライバーとしてスクーデリア・フェラーリに参加し、フェラーリ初のGPマシンとなる125GPCをドライブしていますが、このレースがグランプリにおけるアルファロメオとフェラーリの初対決だったと思います。

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Maserati 250F French Grand Prix. Prince Bira (1954)

F1GPが始まると、マセラティやコンノート、ゴルディーニを駆って参戦しますが、今回のモデルは最後のシーズンとなった1954年のフランスGPでドライブしたマセラティ・250FでF1でのベスト・リザルトとなる4位入賞時の仕様になります。

ビラの駆ったマシンの特徴的な青と黄色のカラーリングは、タイのナショナル・カラーで、これは、ある夜会で出会った女性のイブニング・ドレスの色が元になっているそうですが、アジアの国でナショナル・カラーが認定されているのは日本、タイ、ヨルダンの三カ国だけだったと思いますし、認定されたのはタイが最も早かったと思う。

F1では大活躍と言う訳ではありませんでしたが、グレーテッド・ドライバーの称号(1シーズンに2回以上の入賞)を得た初のアジア人であり、ノン・タイトルのレースでは、しばしば優勝するなど立派な足跡を残したと言えるでありましょう。このフランスGPでの4位は、1990年の日本GPで鈴木亜久里が表彰台に上るまで、中嶋悟と並んでアジア人の最高位でありましたし、欧州で得た人望や評価などエポックメイキングと言う意味では未だにアジア最高のドライバーなのではないかな。

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今回、プリンス・ビラとホワイト・マウスの記事を書くに当たって、ビラの駆ったマシンのモデルを作って紹介しようと思ったのですが、流石にビラのマシンのキットと言うのは殆ど無い(笑)。調べて見たところ、現在入手可能なモノとしては、フランスのルネッサンス社のマセラティ・250Fが唯一だったので、名古屋のラクーン・オートさんにお願いして取り寄せて頂きました。

ルネッサンス社のキットと言うのも初めて作って見たのですが、僅か10センチ足らずのフロント・エンジン・F1でこの足回りのパーツと言うのも、、、(汗)腰下の黄色の部分はデカール指定のところを面倒臭いので塗装しましたが、最近すっかり眼が見えなくなった老眼オヤジには厳しい修業となりました、、、






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2011年12月30日

Album MM

テーマ:COLLEZIONE
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私のMVをレストアした、英・コベントリーのアマチュア・レストアラー、ジェームス氏からCDを貰った。MVは色々突っ込み所のある出来でしたが、それでも私的には想定の範囲内に収まっていますので良しとして、何度かメールを交わしています。元々、海外のレストアは信用してませんから(笑)。アルファの場合は私も最初から気合入れて取り組みましたが、バイクは出来上がったモノを買っただけやし、その割には悪くは無いと思っています(と言うか、エエバイクですよ!)。

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「イタリアの古いクルマとかレースが好きやねん~」みたいなメールを交わしているうちに送ってくれたのですが、タイトル通りのユニークなCDでありました。「Si Hayden」と「Ben Haines」と言うアーティストの作品で、私はどちらも知りませんでした(レーベルもマイナーやし)が、楽曲はYoutubeにも上がっていて、色々調べて見ると、どうやらギタリストのSi Hayden(サイモン・ヘイデン)のお爺さんが、ジャガー・Cタイプのコ・ドライバーとして1953年のミッレミリアにエントリーしていたようです。

で、ジャケットになっているジャガー・Cタイプ(#638)の、コ・ドライバーズ・シートに写っているのが、ヘイデンのお爺さんと言う事だそうですが、裏ジャケには、当時のミッレミリアのエントリー・シートがあしらわれていて、確かにHaydenの名前がありますね。手元の資料で調べて見ても、53年のミッレミリアにCタイプ・ジャガーのエントラントとして、Tony Rolt / Ren Haydenとなっていますが、相方のトニー・ロルトはF1にも出ていたドライバーです。



ジェームス氏の本業はジャガーのメカニックだそうなので、その関係で送ってくれたのかも知れません。収録されている楽曲は、砕けた雰囲気のジャズのジャム・セッションと言った感じなのですが、曲は「ラヴェンナ・ストレート」やら「Cタイプ・カーブ」、「ペスカーラ」などなど、ミッレミリアをイメージしたようなタイトルばかりで、なんだか孫が祖父に捧げるオマージュのように思えて、何ともエエ感じでありますし、久々にアナログ・レコードで聞いてみたいと思えるアルバムでありました。



ギタリストとしてのヘイデンは、もう「超絶テクニック」の持ち主なんですが、それを誇示するかのようなスタイルでは無く、あくまでクラシカルでナチュラルなのがエエ...今年リリースされたアルバム「スーパーチャージャー」と言うのもお気に入りで、最近は彼の楽曲ばかり聞いています。最近ギターを始められたalfabreraさんにもオススメしたい(笑)。

私が若い頃は自動車会社のCMにクリス・レアなんかが良く使われていましたが、今どきのハイブリッドやEV車の時代には、彼のようなナチュラルなスタイルの方がデジタル・チックなモノより合っているんじゃないかな。私は陰ながら日本で応援したいと思っていますが、何処か日本の自動車メーカーがEV車のCMのBGMで使ってくれないかなぁ...それをミッレミリアの猛者の孫が奏でるなんて素晴らしいではないか...


今年最後の記事です。今年も稚拙ブログを読んで頂いた皆さん、有り難う御座いました。それでは皆様良いお年を...



2011年12月26日

Prova MO

テーマ:COLLEZIONE
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このところ、あらゆる業界から良い話と言うのは聞こえて来ないのだけれど、出版業界の不況と言うのも相当深刻なようでありますね。特に雑誌が売れないと聞きますが、まあ、自動車雑誌を見ても何処も青息吐息なのは分かるような気がします。

女房が買って来るファッション雑誌などは、付録で売っているのかして、もう雑誌の中身より付録の方がぶ厚い(笑)んじゃないか?と思える程なんですが、それは安っぽいトート・バッグやらポーチと言ったしょうもないモンばかり...そこで今回はイタ車好きには「イケてる」と思える付録の話をしましょう。

イタリアのナンバープレートと言うのは基本的に門外不出(のハズ)で、中古並行で車両を入れても国外に出す時には外されるのですが、イギリスなんかはそのまま付いて来るんですよね。ヒストリックカーの場合は、個体に由縁のある時代や地域のナンバープレートが欲しい、と言うのがエンスー心の様で、例えば私がジュリア・GTAのオーナーだったら、60年代の「UD」(ウディネ)ナンバーが欲しいなんて思うかも知れない。

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イタリアの古いナンバープレートも、今ではeBayなんかを見ていると、チョコチョコ出ていますが、前述のような事から、他国のナンバーと比べると希少でありますし、中でも今回のトップ画像に掲載した「PROVA」ナンバーなどは大変珍しい。「PROVA」とは英語の「TEST」の意で、試作車(プロトタイプ)等の公道走行時に与えられる仮ナンバーだと理解していますが、中でも、この「PROVA MO-36」は、世界で最も有名なナンバーなのではないかな。

モデナを示す「MO」の表記通り、歴代のフェラーリ車に与えられたナンバーですが、MO-36、53等のPROVAナンバーは、ずっとフェラーリが使っているようなので、マシン個体に対してでは無く、SEFAC・フェラーリに割り当てられたナンバーだったのかも知れません。

フィオラノ・トラックが出来る以前、50~60年代には、航空機の滑走路を兼ねていたモデナ・サーキットが狭かった為、アウトストラーダで全開走行を行ったと言う伝説がありますが、フロント・エンジン時代のF1の中にはリアに白ペンキでなぶり書きされたMOナンバーの表示を見る事が出来ますし、ベルギーのフェラーリ・インポーター、ガラージュ・フランコルシャンの代表ジャック・スワターは、500F2でマラネッロからブリュッセルまで自走して帰った、なんて言う武勇伝もあるので、さもありなんです。

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60年代には「PROVA MO-36」はレーシング・マシンのボディに直書きされている場合が多く、あらゆる文献で簡単に見付ける事が出来ます。私がさっと思い付くだけでも、156-F1(1961)、158-F1(1964)、330P4(1967)と、錚々たるマシンがこのナンバーを付けておりますが、ルイジ・キネッティが212・エクスポートをテストした際のナンバーが「MO-36」だったとの記述がありますので、相当古くから使われているようですね。

これらは「グランツーリズモ・5」のCGでもちゃんと再現されていて微笑ましいし、また画像のようなミニチュア・セットもあって、これは欲しいなぁ...。私の手元にあるPROVAナンバープレートは原寸大のレプリカで、イタリアの自動車雑誌「AutoCapital」の付録だったモノですが、フェラリスタで無くとも粋なオマケだと思います。

この様なモノは企画する側は元より、受け取る方にも、それなりの素養が必要だと思いますが、自動車雑誌やらファッション雑誌と言うのは誌面であれだけウンチクを書くのだから、その付録がタオルやポーチではあまりに芸が無いではないか?(笑)、この様に、もう少し読者の知的好奇心をくすぐるようなモノであって欲しいと思うのですが...




2011年12月21日

丹波篠山

テーマ:ブログ
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郊外の道には、そろそろ塩カルが撒かれ出す時期となりましたので、スパイダーの走り納めと女房の慰労会を兼ねて丹波篠山へ牡丹鍋を食べに行って来ました。この日はちょうど子供が塾のクリスマス会で留守だったので、

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これ幸いとばかりに、夫婦二人して向かったのは、茅葺屋根の古民家風な「いわや」さん。私は特に猪肉が好きと言う事は無いのだけれど、女房は大好物なんです。そこで普段、仕事に子育てにと奮闘してくれている彼女に感謝の意を込めて招待しました。

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囲炉裏を囲んでの牡丹鍋は、猪肉特有のクセも無く美味でありまして女房も大満足。生きたまま炭火に掛けるアマゴの塩焼きもイケてましたが、これは西洋人には受け入れられないだろうなぁ(笑)

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牡丹鍋でお腹一杯になった後は、しばしの丹波篠山散策。城跡近くの天然酵母のパン屋さん「白穀五粉」さんでパンを買う。その後、Kanちゃんと落ち合って、Kanちゃんの義父母がお住まいの篠山のお宅に訪問しました。

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最後は篠山から三田へのワインディング・ロードを抜け(これが中々エエドライビング・コースだった)て、いつもお世話になっている「Maru's Coffee」さんへ年末のご挨拶に向かいました。ココのマスコット(実はオーナーかも?)「まるちゃん」はとってもお利口さんで、娘も大好きです。帰宅して写メを見せたら、悔しがっていました(笑)


 
2011年12月16日

Sig. Michele

テーマ:ブログ
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先日、ミケーレ氏とじっくりお話する機会がありまして、楽しい一時を過ごしました。話の肴になったのは、トップ画像にある「日本の名レース・100選」の22号で、1971年の「鈴鹿グレート・20」の特集であります。ビッグ・マシンが鎬を削った日本グランプリは1969年で最後となり、国内レース・シーンは過渡期を迎えますが、日本グランプリに代わる集客力のあるイベントを、と言う事で国内のトップ・ドライバー20名を招待選手として開催されたのが、「'71 鈴鹿グレート・20」だったそうだ。

で、なんとミケーレ氏は、この鈴鹿グレート・20のサポート・イベントとして開催されたFJ・チャンピオン・レースに出走しておられたのですね。もう40年も前の話なのですが、エープリル・FJを駆る若き日のミケーレ氏の雄姿を見る事が出来ますし、おや、ハヤシ・FJを駆るのはスピードショップ・FⅡの長田さんではありませんか、、(笑)また、このFJレースには、ルマンの解説でも御馴染みだった津々見友彦氏も出走しています。

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もう、半世紀と言って良いほどの長いキャリアをお持ちでありながら、私のような者とでもクルマの話となれば少年のような顔を見せるミケーレ氏。これほどの情熱を保ち続けられるのは、やはり「楽しむ」と言う事に対して本質的に長けておられるのだろうな。キャリアを積んで歳を取れば、とかく「今の若いモンは」と言いたくなるものですが、それ以前に、ご自身が「面白い、楽しい」と思う遊び心を尊重されているのでしょう。

それは、「サイド・マフラー・ジュリエッタ」を仕立ててラヴォイタにやって来る最年長エントラントと言う事からも伺えますよね。あれには、くるくるさんもコニーリオさんもシビレていましたから!(笑)。モンテミリアに憧れ、Super CGの記事でお見受けしてから、もう二十余年、こうして親しくさせて頂いているのが不思議な気分でありますが、ミケーレ氏のように、私も若い人達にとって、面白い、楽しいオヤジでありたいと思います。

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この日は普段の足にしていると仰る、ヌオーヴァ・ジュリエッタを見せて頂きました。このジュリエッタも二十年以上所有しておられるそうで、流石にシートのファブリックが破れてしまったと、シックなアルカンタラに張替えられていましたが、そう言うのも含めて「センスの良い方だな」と思ってしまいます。

ミケーレ氏との対話の中で、印象深かったのは、未だFAXも無い時代に、テレックスを駆使して、アバルト・1000SPを日本に輸入した時の話や、私が「やはりバイアス・タイヤで練習した世代の方が、私達の世代より運転のスキルが高いと思います」と申すと、「俺なんか今でもバイアスやん~」と仰る、、、なるほど、参りました(笑)




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