オンギロン

「音声の演技」だから「音技論」です。
「声の演技」と言うと「台本の音読」だと思い込んでいる人が多いので、ちょっと違う呼び方にしてみました。
「声優志望」、「声優になりたい」という方のために。

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出典をご明記いただければ引用は自由です。無断の転用や流用はお断りいたします。
(C)2011- Bandou Naoki

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- ひとつ屋根の下です -

 

 プロの「声優」が「声優」という単語を口にした時、それは単に「声優」だけを意味しているとは限りません。例えば「声優」の具体的な作業内容の事だったり、時には「声優」の生活の事まで指している場合があります。
 対して、まだ何も知らない入門者が「声優」と言っても、現実的な要素はほとんど含まれていません。彼らが口にする「声優」という単語は、ほとんどの場合、自分の好みに合った「声優さん」数人と、その人たちに混じる事ができた想像上の自分の事だけです。

 

 特に「アニメ声優」を志望している人たちの頭の中は「好みのアニメ作品に対する感想」が大きな割合を占めていて独特の世界観を形成しています。そこは映画「マトリックス」に出てきたような完全にバーチャルな空間で:「現実」の要素はほとんど入ってません。

「独自の世界観」の頂点に君臨しているからでしょうか?

 彼らの言動の多くは微妙に「上から目線」です。

 

 残念ながら「現実世界」の「声優業界」は「世界」と呼べるほどほど大きな領域を占めてはしません。「アニメ」も「吹き替え」も1段上の「映画」という表現ジャンルの一部です。その「映画」は「ドラマ」というジャンルの傘下にあります。

 この ドラマ映画アニメ という「包含関係」が理解できない人は、「声優養成所」に入っても絶対にうまく行きません。

「ドラマ」「登場人物」は全て現実に存在している人間をお手本にして作られていて、「ドラマ」の1ジャンルである「アニメ声優」も全く同じ作り方をしているからです。

 しかも、

 人間1人を丸ごとお手本にするのではありません。

 色々な人間の様々なリアクション切り取って部品化しておいて、それを組み直して新しい人格を作るという、「フランケンシュタイン」のような事をやっているのです。

 それはあまりにも非日常的な作業なので、そんな作業があると予想できている入門者はあまりいません。中は最後まで理解できない人もいます。

 

- 生まれつきパロディ? -

 

「現実」をどうやって「ドラマ」として成立させるか?
 そのために使われる技法は様々で、それらが複雑に絡み合った結果、作品の一つ一つがそれぞれ独自の味わいを持つ事になります。それがいわゆる「作風」です。
「作風」は個々の作品に特化したその作品だけの「テイストを持っています。当然「登場人物」もそのテイストに合わせて組み立てられているので、違うテイストで成立している他の作品に流用する事はできません。

 その「作品」におけるその「キャラクター」の存在感が素晴らしく印象的であればあるほど、その「キャラクター」が他の作品に登場した途端に強烈な「違和感」が生じて「失笑」をかう事になってしまいます。

 それが「パロディ」や「パクリ」の笑いの原理です。

 

 という事は?

 ある「アニメ作品」や、その「登場人物」や、それをを演じた特定の「声優」に対するシンパシーを出発点にして「声優」を目指してしまった人は、最初っから「パロディ」や「パクリ」や「二番煎じ」として笑われる要素をどっさり抱え込んでいるという事です。

 どんな「役」でも自分のあこがれる声優さんのマネしかしない人ってクラスに1人か2人くらいはいますよね? 今は鬱陶しいでしょうけど安心してください。彼らは2年以内に確実に消えてしまいますから。

 

- 努力したら負け? -

 

 全部できる上で表現として「ソレ」を選んでいるのか?
  「ソレ」しかやりたくない(できない)から「ソレ」だけなのか?


「ソレ」と言うのは、例えばある声優さんのマネを止められないとか、「思い込みの強い偏ったしゃべり方」の事です。

 アニメ声優志望者の中にはかなりの確率でそういう人がいます。彼らは共通してある重要な問題を見逃しているのですが、その件は長くなるので後に回します。

 

「個性」とは、

 ストックしてある部品の数量と、それを部品を並べる「並べ方」に現れます。ストックが少なかったり並べ方が下手なほど、でき上がった人格は馬鹿っぽくなります。

 それなのに彼らのほとんどは何とかして「自分」というたった1人分の部品で手っとり早く「表現者」として認められようとします。だから、中にはこんな事を口走る人が出てきてしまうのです。

 

「いえいえ演技だなんてそんな。私はただ声優になりたいだけなんです」

 

 信じられないでしょうが本当にそう宣言してはばからない人がいるんです。

 当然先輩としては「おいおい、それじゃあ声優は演技しないって言うのかい?」と聞き返したくなるのですが、穏やかな気持ちでいたければそんな質問はしない方が無難です。

 なぜなら彼らの多くは本当に「声優は演技しないでいい」と思っているからです。


 なんだかんだ言っても「声優」だけは別だ。
「声優」だけは自分が素直に文章を読み上げただけで「演技」した事になって「アーティスト」扱いしてもらえる……
、と。
 そんな妄想に取り憑かれた人間が、どんなに自分の「一生懸命」や「努力」を訴えたってたかが知れています。

 

 実際問題、彼らの多くは「怠け者」です。
「言われない事はやらない」という常識に浸っていた時間が長すぎるのか、強制したりエサでもぶら下げない限り「予習」「復習」「自主トレ」もしません。
「なぜこの登場人物について何も調べてこなかったのか?」という質問に対して「自分には必要無いと思ったからです」と胸を張って答え返した人がいました。
「ひらがな」の発音の成り立ちを「ローマ字」で説明したら「変態的ですねぇ」と苦笑した人もいます。

 そんな人たちに対して、

「声優」にとって「下調べ」「自主トレ」が「絶対不可避なルーティンワークである現実を、反論の余地が無いくらい徹底的に証明して見せると、教室は一辺に暗くなってしまいます。

 モチベーションはだだ下がり。中には涙ぐんでしまう人までいます。でも、それで正道を歩き始めてくれるんだったら良いんです。みんなが真実に気がついてくれるんだったら私個人が嫌味な講師と嫌われるくらい何でもありません。


 ところが、
 それでも気づかない「強者」がいるわけですよ!

「ルーティンワーク」の必然性を、反論の余地が無いくらい徹底的に証明して見せても絶対に受け入れない。敗戦を信じないで山奥にこもり続けた旧日本軍兵士のような人たち……。
 彼らは現実を知ってもこう考えてかわすのです。


「なるほど、そんなやり方があるのか。さすがプロだ♪
 きっと……
 
自分にも自分なりのやり方があるに違いない。
 焦らず気長に待っていれば、いつかは認めてもらえるに違いない」

 

 ……流石にこれは牽強付会ってモンでしょう。

 いくらなんでも「オンリーワン」を拡大解釈し過ぎです。

 

 このように、自分の心を守るために現実をヌルリとかわしてしまう心理的防衛反応の事を、私は「ウナギ脳」と呼んでいます。
「ウナギ脳」は、「声優のレッスン」のメニューには対策がありません。軽微な「境界性障害」みたいなものですから、改善したければ心の問題の専門家に相談してもらうしかありません。

 

「どうすれば声優になれるでしょうか?」という質問に対してウッカリまともに答えてしまったら、彼らは5分でイラ立ち始めるに違いありません。そしてこう言うでしょう。

「そうじゃないんです、

 お聞きしたいのは手っとり早くスッと上に行ける方法なんです」

 

「声優」という仕事を、

「自分に素直に自然に振る舞って評価される仕事」と解釈している入門者は少なくありません。そういう人たちに取って「声優」とは、せっかく見つけた「最小限の労力で最大の効果を上げられる虫の良いシゴト」のハズだったんです。

「現状のまんまでカッコ良く」が志望動機だから「努力したら負け」なんです。だから「努力しないように努力」して、それを自分で「やる気」と呼んでいるだけなんです。


「自分なりのやり方」だけで「役を演じる」のは不可能です。
 なぜなら「役」は他人だからです。他人は「他人なりのやり方」で活動しているので、どんなに力一杯「自分なり」を叩きつけたって合わないものは合いません。

「声優」の基本スキル「自分」を曲げられる柔らかさです。

 にも関わらず、
 お手軽に「自分らしさ」を叩きつけるだけで済むと思い込んで入門してしまう人が跡を絶たないのはなぜなんでしょ?

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 映像の陰に隠れてしゃべり放題で人々から認められ、求められ……?

 

 他人とのコミュニケーションが苦手で自分を抑え続けていた人がそんな存在を知ったらあこがれるに決まっています。中にはそれがキッカケで「声優になりたい」と考える人が出てくるかもしれません。
 しかし、
 その流れで「声優」を目指した人が実際に「声優」になれる可能性はほとんどありません。なぜならその人が胸に抱いている「声優像」が正確ではないからです。

 

 毎年続々と「声優志望者」が生まれ続ける一方で片っ端から消えてしまうのは、厳しい競争の結果ではありません。ほとんどの「志望者」は「声優」に対して間違ったイメージを抱いていて、現実には存在していない「虚像」を目指してしまうから、みんな自力でコースを飛び出してどこかに消えてしまうんです。

 

 はて……?
 なんで「声優」という仕事にだけ、そんな「痛い思い込み」が発生してしまうのでしょうか?
 それはもちろん「声優」という仕事が外から見えないからです。

 

- もう死んでいる「キャラクター派」-

 

「声優志望者」の中には、「声優」という存在を「キャラクター」と呼ばれる「固定した人物像」でしか理解していない人がかなりいます。
 自分が気に入った「声優さん」の誰かに、「役」も「出演者」も「仕事」も全部ひっくるめてイメージを集約して、自分もそうした「キャラクター」の1タイプとして選ばれるつもりでいるのです。
 これがコースを飛び出してしまう最初のパターンです。

 

 よぉーっく考えてみてください。
 もし「声優」が「キャラクター」だけで成立しているとしたら、あなたはあなたの「キャラクター」が気に入ってもらえなかった時点で「アウト」って事になっちゃうんですよ?
 だってそれしか品物が無いんだから、「いらない」って言われたら引っ込むしかないでしょ?

 

 ちなみに、
 あなたの「キャラクター」を決めるのはあなた自身ではありません。
 あなたが誰かを「こういうキャラクターだ」と判断しているのと同じように、あなたの「キャラクター」はあなたの周囲の人々やマネージャーやディレクターが決定します。「自分はこう言うヒトなんでー」という「自己申請」を受け付ける窓口はありません。そういうシステムなんです。
 だから、
 自分がこう見られたいという「キャラクター」にこだわっている人は、たった数回「査定」や「オーディション」に落ちただけで「見込みが無い」と判断されてしまうんです。

「キャラクター派」の「声優への道」はそこがゴールです。

 

 確かに「声質」や「キャラクター」は重要な前提です。
 しかし、だからと言って「声質」や「キャラクター」だけで所属を決めている「事務所」はどこにもありません。「演技」とは、「声質」と「キャラクター」だけではなく様々な要素が絡み合って成立しているものだからです。

 

「いつか自分のキャラクターを活かせるピッタリの役と出会えるかも……」
 あきらめの悪い「キャラクター信者」の中にはこんな事を口走る人もいます。
 彼らに取って「演技」とは一生懸命文章を読み上げる事であり、
「チャンスを待つ」とは自分にピッタリの「役」との出会いを待つという事です。
 それ以上の事をやるつもりはありません。どこかで勘違いをしてしまって、ただ座して待つのが「声優」というものだと思い込んでしまっているのです。
 そんな勘違いしている人と「声優」の話をしても水掛け論になるばかりなので、ちょっと別の分野を例にして考えてみましょう。

 

- もしも「ピアノ」が作れたら -

 

 例えば「トイ・ピアノ」をどんなに改造したって「スタインウェイ」の音は出せません。
 表現の世界には「持って生まれた資質の有無」という価値基準があって、その差はどんなに努力しても埋められません。冷たいようですがそれは逃れようの無い現実です。

 ただ、音楽の世界というのは楽器の音質だけで決まるものではありません。

 例えば、

 世界最高のピアニストが弾く「トイ・ピアノ」と、
 子供がいたずらして叩く「スタインウェイ」を比べるのならどうでしょうか?

 

「声優業」にも、単に「ボイス・キャラクター」だけでは決まらない要素が沢山あります。視聴者の段階でその点に気づけなかった人は、たとえ教えてもらってもなかなか身に付かないものです。

 

 下の図を見てください。

 繊細な「ピアノ」のメロディが鑑賞者の耳に届くまでには、これだけの人員や技術が投入されています。「楽器」の良し悪しだけが決定的要素というワケではありません,。それなのに……

 


 一般的な評価の対照になるのは「楽曲」「演奏品質」「録音品質」の組み合わせくらいです。なぜでしょう?

 それは、範囲が広すぎるからです。

 

 どんなにピアノの響きに惚れ込んでいる人でも、これほど多岐に渡る要素の組み合わせを一々検証して「ベスト」を追求する事はできません。一般の「鑑賞者」にはそうした「プロセス」の代表として最終段階の「楽曲」と「演奏家」の組み合わせを選ぶくらいがせいぜいです。でも、それで十分なんです。
「音楽を楽しむ側」にいるだけだったら、それでも十分に「マニアック」だとは思いませんか?

 さて、
 それではこの流れを「声優業」に当てはめてみましょう。

 

 

「声優」は「音を出す」という意味では「ピアノ」そのものです。しかしその「楽器」を演奏するという意味では優れた「演奏者」でもあります。
「台詞をしゃべる」というのは渡された「歌詞」から「作曲」するようなものだし、そのためには好き嫌いを捨てた鑑賞努力「調律センス」を磨いておかなくてはなりません。そもそも「楽器」を組み立てる材料は自力でトレーニングして調達して……

 

 ……このように、

「声優」は「ピアノの専門家」が数人がかりで行っている「プロセス(工程)」をたった1人で担わなくてはなりません。「鑑賞する愛好家」ではなく、「全て整えてお届けする側」回るんですから、どれかをやった事で代表して全部やった事にするというワケには行かなくなります。

 

 

 そうなんです。「プロセス」とは全体で機能するものなんです。

 ですからどんなに短い台詞でも、全「プロセス」を一辺に稼働して取り組まないと決して「声優」がしゃべっているようにはならないんです。

 

 入門者の中には初心者向けの「簡単な役」とか「簡単な台詞」があると思い込んでいる人がかなりいます。が、そんなモノはありません。なぜなら、

「ドラマ」の世界は「作り物」だからです。

「作られた世界」には意味のない存在というモノがありません。何しろ「ゼロ」から書き上げられているんですから、劇中の全ての人物には必ず「そこに登場する理由」があります。たった一文字でもその言葉には必ず何らかの役割があるのです。
 という事は?


 たとえあなたの台詞がたった一文字だったとしても、その一文字には間違いなく何らかの「理由」があります。

 あなたは「スタジオに入る前」に、その一文字の「理由」を感じさせられるように、少なくとも数年やっている人たちと同等の表現方法がを持っていなくてはならないのです。

 そうでないと1人だけ見劣りしちゃって、いつまで経っても「OK」がもらえません。

 

 考えてください。
「釘を打つのが好き」と言っているだけの人間を「大工」と呼べますか?
「キャベツを売りたいんです」と言う人間を「魚屋」が雇いますか?

「キャラクター派」の入門者のほとんどは「トイ・ピアノをいたずらするだけの子供」です。確かに「真剣」で「まじめ」なんですがその「真剣さ」が子供サイズなんです。だから一歩も前に進めないんです。

 頭の中で「自分がスタインウェイになった想像図」を描いているだけでは「声優」のような声を出せるようにはなりません。「演奏家」や「調律師」として自分で自分を鍛え上げていく自主性が無い人は何年やっても素人のまんまです。

 

「声優になりたい」と言う人間が最初に問われるのは「キャラクター」ではありません。

 一通りできるかどうかです。

「しゃべりで食っていく」とか「言葉を操る」とか、

 自分が美味しいと感じる所しか食べたくないという「子供のわがまま」が通ると考えている限り、あなたの時計が「声優」としての時を刻み始める事はありません。

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 前回からだいぶ時間が空いてしまったので少しまとめておきましょう。

 

「声優」というのは「他人と他人との関わり合い」再構成して他人に聴かせる仕事ですから、「障害」や「心の病」で他人との関わり合いが上手く行かなくなっている人にはできません。たとえ「障害」や「心の病」でなくとも、似たような「心の偏り」を抱えている人には不向きです。

 

- 心の偏り -

 

「心の偏り」とは?
 自分の「考え」や「考え方(好み)」にこだわりすぎて、周囲の人々や一般社会と「価値観」が少しズレている状態の事です。いわゆる「中二病」「高二病」などもここに含まれます。視覚的に最も判りやすい例として上げられるのは「ごみ屋敷の主」でしょう。

 

 ズレている人はズレた状態が当たり前になっているので、相当ズレていても自分で自分のズレを感じる事はありません。日常生活に支障が出たり周囲に迷惑が掛かるようほどズレてしまったらそれはもう「病」なのですが、「偏り」と「病」の境目は専門家ですら診断を迷うほど広くて曖昧です。

「ごみ屋敷の主」にしても、何らかの病の「症状」として研究され始めたのはここ数年の事です。「心の偏り」に囚われた人たちとは「心の病」の入り口の前に立っている人であり、入り口の先に進むか退くかはその人自身や周囲の人々次第、という事です。

 

「心の偏り」に囚われた人たちは「自分の好み」でない考えを受け入れるのが苦手です。

 彼らは外から「新しい情報」が入ってくるたびになじむかなじまないかを検証して、「好み」に合わない場合はスルーしたり拒絶したりしてしまいます。
 そんな検証で時間を食っている分「リアクション」が遅くなったりしているのですが、その辺はあんまり気にしません。「自分のスピード」で思考している時間があまりにも長いので、外界とテンポが合わない事が問題として感じられなくなっているのです。

 

「心の偏り」に囚われた人が誰かと話をしても、自分の好みの範囲の中でしか受け答えできないので話題が広がりません。リアクションも一々遅いので、下手すると変に食い違って「誤解」が生まれたりします。「誤解」って言うくらいですからあんまり良い印象ではありません。

 

 いくら「心の偏り」に囚われているとは言え人間は人間です。

「社会的動物」である事に変わりはありませんから当然「周囲の評価」は気になります。で、あまりにも「誤解」される事が多いようだと流石に「自分に対する自信」が揺らいで、ちょっと「不安」になったりもします。

 

「不安」は「防衛本能」を刺激し、「防衛本能」は「戦闘態勢」のスイッチを入れます。

「不安」が解消されない限りスイッチは切れませんから、微妙に情緒不安定な状態が続く事になります。

 例えば小さな事が気になってでしょうがないとか、些細な事でムカついたりという精神状態が日常になってしまうのです。

 

 でも、そうした感情の浮き沈みが直接誰かにぶつけられる事はありません。
 他人の誤解が原因で「不安」になってしまった彼らは「誤解」される事を嫌います。だから「悪印象」を招きそうな感情は表に出る前に強いブレーキが掛かってしまうのです。

 たとえどんなに激しい怒りの炎が心の中で吹き上げていようとも、ただちにそれを押さえ込んで、何事も無かったかのように振る舞います。

 

 こういう場合のブレーキとして良く使われるのが「侮蔑」です。
 例えば、自分の社会性が未熟で他人との「会話」が上手く行かなかったとしても、
「自分の考えは凡人には理解できない」と上から目線で見下ろしてしまえば、「優越感」というバリアで自分の心を守る事ができるからです。

 だから、「心の偏り」を抱えた人は激しい議論に加わって自らを危険にさらすような事はしません。「一歩離れた所でシニカルに」という態度が彼らの周囲との関わり方の基本になります。

 自分の優位を示せない話に興味が持てず、遠い世界の出来事としか感じられない彼らは、ますます世間とズレていきます。
 

 それでも、心のブレを完全に抑え込めるわけではありません。心の中ではいつも「そうじゃないんだ」という「不満」の熱風が吹き荒れています。いらだってはいらだちを押さえ込み、またいらだっては押さえ込み、押さえ込むたびにストレスが蓄積されて……

 

 ……さて、
 そんな風に自分を抑え込み続けている人が「自由にしゃべっている人」を見たらどう感じるでしょうか? 例えば、映像の陰に隠れて言いたい放題しゃべって、それなのにみんなから称賛してもらえるようなシゴトを見かけてしまったら……?

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-「線」は無い -

 

「声優」は「他人」の感情の動きを「別の他人」に伝えるのが仕事なので、「自分の思考」で頭が一杯になってしまう「発達障害」の人には向いていません。たとえ「障害者」でなくても「自分の願望」「自分の計画」で頭が一杯になりやすい人には不向きです。
 そういう性格面から考えると「アダルト・チルドレン」もかなり厳しいでしょう。

 

- アダルト・チルドレン -

 

「アダルト・チルドレン」とは、
「アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー(adult children of dysfunctional family)の通称です。
 簡単にまとめると、
「親がちゃんとしていない不完全な家庭で子供時代を過ごした人間は物事の感じ方にクセがあって、対人関係が上手くいかない事が多い」という傾向の事です。

「…チルドレン」という語尾に引っ張られて「未成年の問題」だと思い込んでいる人が多いのですが、これは成人の心の問題です。50代でも70代でも「アダルトチルドレン」はいます。


「不完全な家庭」とは?
 最初は「親」が「アルコール中毒」で「親の義務」を果たせない家庭の事を指していたのですが、その後の研究で「原因」になるのは「アル中」だけではないという事が判ってきました。

 現在では「親が子供の心をむしばんでいる家庭全般」 が対象になっています。ここ数年は「長女を束縛しすぎる母親」が問題視され、様々なメディアで取り上げられていました。

 

 どんな人間でも結婚する事はできますし、肉体的な問題さえなければ子供を作る事もできます。が、だからと言ってどんな人間でも「幸せな家庭」を築けるとは限りません。

 心の奥に「闇」を抱えた人間は「依存」に走りやすく、時には「子供の人生」まで使って自分の不足を補おうとしてしまいます。

「子は親に従うもの」という儒教の影響か、「親の品質を疑う」という行為は長い間タブー視されてきました。しかし社会構造の変化と共に「抑圧された家族の病」として「毒親」が注目を集め始め、今では完全に認知されつつあります。

「アダルトチルドレン」の向こう側にはほぼ間違いなく「毒親」が存在しています。


「毒親」であるかどうかのキーワードは「責任逃れ」です。
「毒親」のほとんどは「世渡りが下手」で、慢性的に息苦しさを感じています。その息苦しさを忘れるために買い物や酒や薬物に依存したり、あらゆる屁理屈を使って思い通りにならない現実を自分以外の何か(誰か)のせいにしてしまうのです。
 ところが、
 自分一人で考えているだけだと屁理屈は屁理屈のままですから、自分自身を納得させる事ができません。誰かの賛同が欲しくなってきます。それで、「自分」を絶対的に認めざるをえない「幼い我が子」を「自由に操れる賛同者」として利用してしまうのです。


 もっとも有名で判りやすいのは「あなたたちがいるから離婚できない」という言葉でしょう。離婚を迷っている母親が子供にこぼしがちな愚痴ですが、この場合本当に問題なのは、もちろん言った本人の生活力の低さです。しかし、心弱い母親はその不満を「子供の存在」に責任転嫁してしまうのです。

 庇護者であり指導者である親から「あなたたちが……」と聞かされ続けた子供は、言った親の意図とは関係なく、自分が家庭内の全ての問題の元凶であるかのように錯覚して、子供には重すぎる「大人サイズ」の「義務感」や「プレッシャー」を背負わされる格好になります。

「理由の無い後ろめたさ」と共に成長した子供は、やがて、自分に自信の持てない「臆病な大人」として育ち、いわゆる「生きていてごめんなさい」と言うタイプになってしまうのです。

 

 そんな過去を持つ「アダルトチルドレン」は、基本的に「臆病」です。

 親に「同調する」事を強いられてきた経験から「ルール」に準じたがる人が多く、違反や変更を嫌います。
 また、小さな変化でも動揺しやすいのでポジティブ状態とネガティブ状態の落差が大きく、「沸点が低い」とか、「どこに地雷があるか判らない」といったタイプになります。
 これを「対人関係」に置き換えると?
 上下関係を気にしやすく、すぐ敵か味方かという見方に偏る性格、という事になります。初対面時の「人当たり」は決して悪くないのですが、相手が自分より下だと見るや、急に「傲慢」に振る舞ったりする傾向があります。

 

 こういうタイプは「声優」を目指すにしても、「どうすれば声優になれるか?」という単純な「コツ(ルール)」ばかり欲しがるので、なかなかレッスンが進みません。

 

- 向かない理由 -

 

 自分の存在に対する不安から芸術的な表現の世界に進む人も多く、中には独自の表現で成功している方もいらっしゃいます。しかし、

「バンド」「劇団」など、複数の人間が関わり合って1つの作品を作り上げていくジャンルには向いていません。

 

「私は間違っていない!
 正論を吐いているだけなのになぜそれが通らない?!」

 

「アダルトチルドレン」がこうした怒りに囚われてしまうと、中々自力で鎮静する事ができません。自分に自信が無いので、「悪者扱い」されたり「ないがしろにされる」事を死ぬほど恐れているからです。この過敏さがあるために共同作業の現場で「もめ事」を起こしやすく、「メンド臭い人」と見られやすいのです。
 そうです。

「声優」が働くスタジオも共同作業の場です。ですからあんまり心の振り幅が大きい人は好かれません。

 

「視聴者」が「声優」の作業現場を見る機会はありませんから、世の中の多くの人々は自分の想像で現実の声優の作業を歪曲して想像しています。

「声優志望者」もほとんどがそうです。


 年若い「アダルトチルドレン」が「声優」という存在を知ると、

「映像の陰に隠れて渡された文章を読み上げるだけで大勢の人々が共感している」

 というイメージを膨らませてしまいがちなのですが、そのイメージは「ドラマ」という大きな流れに我が身をゆだねなくてはならない「声優」の実態とは大きくかけ離れています。

 

 流れの一部になる「声優」ではなく、流れそのものを単独で創る「作家」や「ディレクター」なら何とかなるかもしれません。まれに、「アダルトチルドレン」の頑固さが功を奏して強力な「リーダーシップ」につながる場合があるからです。

 ところが、「アダルトチルドレン」は一方では失敗して責められる事をひどく恐れているので「リーダーの責任」を嫌います。ですから残念ながらそちらの方に進む人はあまり出ないようです。

 

-「壁」が見えていない -

 

「アダルトチルドレン」は、家庭環境から生み出される「後天的な発達障害」みたいなものなのではないかと私は考えています。原因が「先天的な変異」か「成長環境」かという違いだけで、「自分が受け入れてもらえない孤立感」に苦しむという症状は一致しているからです。


「自分が受け入れてもらえる」事を常に渇望し続けている人の目から見ると、「声優」とは映像の陰に隠れて書かれた文章を読み上げるだけで人々から崇拝される、実に効率の良い仕事に感じられるかもしれません。
 でも、思い出してください。

 

 あなたは今までの人生で「文章を読み上げている人」を何人目撃しましたか?
 あなたの目には、そんなに「文章を読み上げているだけの人」が格好良く見えましたか?
「声優」がステキに感じられたのだとしたら、それは彼らが映像の向こう側で「文章を読み上げる」以上の事をやっているからだとは思いませんか?
 そんな「スゴい技」が、
 たった数ヶ月、週に1度や2度の教室に通って誰かの話を聞いただけでスルンと身につくなんて、あなた本当に信じているのですか……?

 

 ……もし信じているのなら、あなたは相当病んでいます。
 残念な現実ですが、あなたには声優を目指す前に、「声優を目指すための準備」が必要です。

 

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-「下手」ではなく「障害」?  -

「発達障害」の1つである「アスペルガー症候群」には、人それぞれの「顔の違い」は判るのに、その顔に浮かぶ「表情の変化」が認識できない という症状 があるそうです。
 それを知った時、私は改めて 森山さんの事 を思い出しました。
 もしかすると森山さんは、たまたまあの時だけ人物の表情を見落としたのではなく、元々表情の変化が認識できない「障害」だったのかもしれません。
 もしそうなら「台詞」が演説調だった事も、仲間から罵倒されるほど劇団内で浮いていた事もすんなりと納得できます。全ては「発達障害」が元で起こりやすい出来事ばかりだからです。

 そう言えば、森山さんは「しゃべりだすと止まらない人」でした。
「はい」か「いいえ」だけ答えてくれれれば良い所で必ず早口で長い説明が始まってしまうので、波風立たないようにやんわりと止めるのにいつも苦労していました。

-「声優」のシゴト -

 ここでちょっと「声優の仕事」を再確認しておきましょう。

★「役」を与えられた「声優」は、まず「台本」や「映像」から全体の流れを把握して、自分の「出演シーン」の役割を考えます。
 シーン内での「役の心の動き「文節どうしの関係」「表情の変化」に表れますから、場合によっては「文節単位」で台詞を読み砕いておかなくてはなりません。

★「台詞」を読む時には、基本的に書かれてある「句読点」に忠実に従って読みます。映像の人物の「口」も「句読点」で開いたり閉じたりしていますから、従わなければ永久に合いません。
「アニメ」の収録では、「口部分」の動画が未完成で、ほとんどの場合「ボールド」と呼ばれるマークに合わせてしゃべらなくてはならないのですが、この「ボールド」も「句読点」には忠実です。
 ちなみにこれは「句読点だから切る」というルールではなく、音楽の「休符」と同じように、表現の一部として「句読点」にも命を与えておくという事です。

★「しゃべるスピード」は「役」や「シーン」によってかなり変わります。モノによっては「単語」ごとにスピードを変えなくてはならない場合もあります。その変化に追従するためには「プラスマイナス1.5倍」くらいの範囲でしゃべるスピードを変えられて、どのスピードでも雰囲気を変えないという技術が必要です。

★「本番」では、出番のほんの少し前から読み取った「感情」を盛り上げておきます。
「役の感情の変化」はしゃべる時に吐き出される「息の流量」でコントロールしますから、当然、しゃべりながら吐き出す「息の流量」をコントロールできないと仕事になりません。

-「最後の仕上げ」のせい? -

 ……こうして並べたらご理解いただけるでしょうか?
「声優」は、どんな小さな「役」でもこうした作業を片っ端から片づけて、結構強引に「役」を出現させているのです。
 でも、
 そんな七転八倒ぶりが見えてしまったら「視聴者」の皆さんは純粋に「ドラマ」を楽しむ事ができません。ですから「声優」は、最後の最後に必ずある「仕上げ」をしています。
 ケロッと演っているように振る舞うのです。

 オンエアや販売品で鑑賞されている「演技」は、「選ばれた結果」です。
 年間90%以上の屍の山を這い登って「出演」という場所を勝ち得た「声優」たちが、ある時は「NG」という返品に耐えつつ、試行錯誤の末に生み出した「手工芸品」です。
 しかし、
 そんな裏話は視聴者にもお客さんにも全く関係ありません。重要なのはあくまで商品全体の価値です。
 だから「声優」は、「視聴者」に「声優」という存在を意識させないように、まるで自分が「役」そのもので、たった1人が自然にしゃべっているように見せかけているのです。

- なりたくなりやすい -

「発達障害」やその傾向を持つ人たちが「会話」が下手なのは、頭の中が常に「自分の考え」や「欲求」でフル回転しているからです。
 自分が考えるのに大忙しなので、肝心な部分を聞き逃したり、サラッと流してほしい所で変に引っかかったりしてしまうから、「会話」の流れが切れてしまうのです。
 中にはそれで怒られる事を恐れてしゃべらなくなってしまう人もいるくらいです。

 でもしゃべりたい!
 だって「自分」は正しいと思う事を言っているだけなんだから。
 本当は自分の考えを一方的にガンガン語りたい

 ところで、「発達障害」やその傾向を持つ人たちは、
自分の考えで脳がフル回転しているために、どうしても外部からの情報の取り込みが遅れます。
「演技」と言う超絶技巧の存在も、ほぼ確実に見逃しています。
 そうして、「声優」がさりげなさそうに仕上げた最終的な結果だけをとらえて、
「演技とか偉そうに言ってるけど、要は自分らしくしゃべれば良いんだろう」と、
 自分が「その場所」に立てる可能性を拡大解釈してしまうのです。

「映像」の陰に隠れて文章を読み上げるだけで人々の称賛を得られるシゴト……?
 彼らにとっては「夢」がそのまま形になったような「理想の職業」です。
 だから、
「発達障害」やその傾向を持つ人たちは、
 普通の人の何倍も「声優になりたくなりやすい」のです。

 という事は?
「声優養成所」「声優科」という場所は、
「発達障害」やその傾向を持った人たちが、とても集まりやすいという事です。

 現在「発達障害」の発現率は人口の3%前後と言われています。自覚できずに潜在しているケースを含めたらもう少し多くなるかもしれません。
 しかし、もし「声優養成所」や「声優科」で同じ調査をしたら、
 世間の標準をはるかに上回る数字が出るのではないかと私は予想しています。

 彼らの頭の中に住んでいる「セイユウ」は「ネッシー」や「ユニコーン」と同じ、この世には存在していない 空想上の生物 です。
 だから、
 教室で現実の声優」が本当にやっているコトやってもらうと、ほとんどの「入門者」が「何でこんな事するんだろう?」と不思議がり、嫌がり、戸惑っている内に落ちて消えてしまいます。

 他人の気持ちを想像できない「発達障害」やその傾向を持った人たちにとって、「映像」や「文章」から他人の気持ちを汲み取る「声優」という仕事は鬼門です。「向き不向き」を考えるどころではありません。
 絶対に選んではならない職業なのです
 
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 いくら私が「心の病」について勉強したと言ってもしょせんは「ちょっと詳しい素人」に過ぎません。ですからこの先しばらくは素人の与太話として読み飛ばしていただいても結構です。そのつもりであんまり肩肘張らずに書き散らしておこうと思います。
 とにかく話を始めておかないと、いざという時に間に合いません。

- 原因の原因の… -

「外から取り込める情報量が少ない」という「MS志望者」の症状は、
 もしかすると「学習障害」かもしれません。
「学習障害」とは「発達障害」の1つで、ある特定の事柄が覚えにくい「障害」です。

「そんな大げさな」と思う方は、
 以前お話した「できない声優志望者」の「できなさ」← を見てから、
 こちらのページの ← 「話す領域」「読む領域」のチェック・リストと比べてみてください。
 ほとんど「そのもの」だとは思いませんか?

「発達障害」とは、
「脳」の「前頭葉」の成長時に何らかの「アンバランス」が生じて、外界(社会)との情報のやり取りが上手く行かなくなってしまう「障害」の事です。
「アンバランス」の発生する原因が判っていないので根本的な治療法は見つかっていません。
 かつては「ADHD」「アスペルガー症候群」「自閉症」などの障害が別個に扱われていたのですが、「前頭葉の発達のアンバランス」という点で共通している事が判って以来、「発達障害」という総称でまとめられるようになったそうです。各障害の名前に一貫性が無いのはそのせいです。

 それぞれの「障害」について、詳しくは こちら← をご覧ください。
 よろしかったら こちら← もどうぞ。

「学習障害」は、基本的兆候とし「発達障害」全般に見られる症状です。
 つまり、上のリンク先の「症例リスト」への適合率があまりにも高い人は、「声優」になるための才能を考える以前に「発達障害の可能性を疑う必要があるという事です。

-「自覚できない」という症状 -

 知能指数が70以下の重度の「発達障害」は「知的障害」と呼ばれます。
「知的障害」の場合は考える事も学ぶ事も難しいのですが、その分「症状」が判りやすいので、たいていは周囲が「障害」の存在に気がついて早めに対処が始まります。
 ところが、
「発達障害者」の多くは知能指数70以上で、「考える力」は普通なのです。
「コミュニケーション能力」に問題はあるものの、勉強や仕事はそれなりできますから、たとえ「障害」があっても周囲は気がつかず、本人も自覚していない場合が多いのです。
「コミュニケーション」が上手くできない事から「いじめ」「鬱病」などが発生して、それで初めて「障害」の存在が知れるというケースも多いそうです。

 まあ、
 普通は誰だって「発達障害」なんていかにも「キチガイ」っぽいラベルを貼られるのは真っ平でしょう。多少の問題がある程度だったら目をつむってしまいたくなる気持ちも判らなくはありません。が、しかし、
 どんなに現実を無視しようとしても、人間どうしのコミュニケーションに関わる
「障害」がある以上、学校や職場など、今いる環境に居心地の悪さを感じてしまう状態は避けられません
 特に、
 みんなが「面白い」と言っている事を面白く感じられなかったり、
 逆に、自分が面白いと思っても誰にも共感してもらえないとか、そういう時に感じる「疎外感」は結構辛いものです。
 もし、その場所にいる事が辛ければ、そこから飛び出したくもなるでしょう。
 そんな時に自分の気持ちを代弁してくれるような作品と出会ったら……?

 ここで、前回の後半の話 を思い出してください。
「他人とのコミュニケーション能力」に「障害」があって、現実の人間関係を辛く感じてしまうような人でも、「アニメ」というメディアを通してだったら理解できてしまう場合があります。
「文章説明」では理解できない事柄でも、イラスト図表などの「画像」や、「動画」だったら理解できるという例があるのです。

 今まで理解できなかった「人間関係の複雑さ」が理解できたら、恐らく推理小説で「謎」が解き明かされた時のような快感を感じる事でしょう。それまで理解できていなかった分、「感動」は普通の人より大きく、深くハマり込んでしまう可能性も高くなります。
 で、
 その「発達障害」に起因して生まれた
快感や感動動機にして「声優」を目指してしまったら?
 ……待っているのはこの上なく悲惨な結果だけです。

-「そのまま」ではない -

「アニメ」は商品です。
 ですからできるだけ沢山売れるよう、多くの人に理解しやすく、退屈しないように作られています。

「理解しやすく」と言うのは、
 複雑な現実を咀嚼して、エッセンスだけを抽出して、再構成し、
 音楽などの補助的な要素を付加して情緒的に同調しやすくする、という事です。

「退屈させない」ためには、
 無駄を省いて編集し、現実よりも短い時間で楽しめるよう加工します。

「現実世界」と同じ時間で進行する「ドラマ」はありません。
 全ての「ドラマ」は「現実の出来事」を徹底的に煮詰めて再構成されています
 つまり
「圧縮」されているんです。

「現実世界」よりもずっと「圧縮」されて濃くなっている「ドラマの世界では、普通にしゃべっても「言葉の内容」「役の気持ち」は伝わりません。
 ちょっと声を大きくしたくらいでは駄目です。
 一生懸命しゃべっても、丁寧にしゃべっても、急いでしゃべっても、現実世界の自分の思考や感覚の延長線上でしゃべっている限り通用しません。
「映像」や「進行」が速くて濃いので、日常感覚のままでは薄く」感じられて、「映像」と馴染まないんで
「圧縮」されたドラマの世界で「役」の主張をしっかりと通したければ、日常会話よりもはるかに密度の高い「強い言語」がを体得しておく必要があります。
 それが「台詞」です。

-「解凍」できるか? -

「台詞」「パソコンの圧縮ファイル」のような物、と考えると良いかもしれません。
「台本」に書かれてあるままだとヒトには理解できない
ので、
「解凍」してやらなくてはならないのです
台詞」を解凍して使える状態に戻す事を、「演技の世界では「解釈する」と言っています。

「台詞を解釈する」ためには、
 人間どうしの関わり合い経験知識、それに、日本人が日本語で実演している様子などの「記憶」が必要です。
 そうした莫大な「コミュニケーション情報」に照らし合わせて、その役独自のしゃべり方」を組み立てていくワケです

個性」とはパッと見の「ルックス」や「キャラクター」だと思われがちですが、うした要素は表面的な「ラベル」や「包み紙」に過ぎません。
「声優」の個性は、
他人とのコミュニケーションの記憶の蓄積」と、その料理の仕方で判断されます

「そんな努力をしなくても、台本を読み上げるだけで演技した事になるのが声優」だと考えている人は、
 声優の基本スキルである「観察力」がすでに足りていません。足りなさの度合いによっては、それだけで「才能が無い」と言い切っても良いくらいです。
 才能の無い人ほど現実から目をそらして必死にその場しのぎの「一生懸命」や「丁寧」で切り抜けようとするのですが、「コミュニケーション情報」の蓄積の無い人が、現場でどんなに七転八倒しても何も出てきません。

 強い「台詞」をしゃべれるようになるための情報量は、1年や2年の養成期間では教え切れないくらい膨大です。ですから「声優養成所」も「声優科」もその点は最初からあきらめています。それでどうしても「すでに蓄積のある人」を優先して選抜するシステムになってしまうのです。

「発達障害」を抱えている人やその傾向がある人は、人間どうしのコミュニケーションに関する情報が決定的に不足しています。
 しかも、
「想像力」が「自分」というカゴの中で完結してしまいやすいため、
「観る」という「自分の中で完結する行動」と、「観せる」という「対外行動」の違いが認識できません。
「自分がやっているトコロ」を想像しながらやれば「できているハズだ」と考えてしまいます。
「声優」というポジションに立ちさえすれば、
ちゃんと観てもらえる自分、ちゃんと話を聞いてもらえる自分になれると妄想し、そのイメージに振り回されているだけなのです。
 だから、実際にやっている通りにやって見せるとうろたえて、オロオロと迷走し始めてしまうのです。

 今の今まで自分の気持ちを上手く伝えられなかった人物が、

 たった2年足らず、1週間に数回の授業を受けただけで、
 会った事もない他人の気持ちを代弁してあげられるほどの情報を習得できるという確率は、一体どれほどのモノでしょう?

 その確率の非現実的な低さを知りながら「目指す事」を勧めるのは、
 かなり犯罪的な行為であるとは思いませんか?
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-「やる気」の中味 -

 その後の面談で安藤さんは声優の「Aさん」のファンである事が判りました。
 と言うよりも、あるアニメ作品で「Aさん」が演じた「F」というキャラクターが大好きで、「Fのような役」がやりたくて「声優」を目指す事にしたのだそうです。
 それを聞いてようやく彼のヘナヘナしたしゃべり方の正体が判りました。
 声優の「Aさん」の真似をしていたのです。

 本当は「F」のようになりたいのだけれど、方法が判らず、だったら「F」を演じた「Aさん」の真似をしていれば近づけるんじゃないかと思って、ずっと真似し続けていたのだそうです。
 ……数年間、あらゆる「役」でです。

 あらためて安藤さんのレッスンを振り返ってみると……
 いつも時間ギリギリに来て、着替えている間に開始時間を過ぎたりしていました。忘れ物が多く、実習で使う台本を忘れた事もあります。発声練習ではちょっと目を離したスキに声量を落としたりと、とても「やる気」のある状態には見えませんでした。
 ところが、
 そんな状態であるにも関わらず、彼は平然と「やる気はあります!」と豪語する事ができたのです。自分では「自分はやる気がある」と信じ切っていたからです。

 もちろんその「やる気」は本来の意味での「やる気」ではありません。
「Fのように見られたらいいなと願う視聴者の憧れの強さ」を「やる気」と言い換えて、自分の「選り好み」を正当化していただけです。
 だから、
「F」以外の誰かの空白を埋める課題」なんて、安藤さんにはやる理由すら判りませんでした。それで何も思いつかず、しかたなく身の回りで起きた自分の出来事を話してしまったのです。

- 見えない壁 -

 安藤さんはかなりの数の「アニメ」を観ていたようですが、肝心の「声優」が行っている作業は把握できていませんでした。また、自分の発音が人と違う点にも気がついていませんでした。
 野村さんも、自分の日本語の未熟さに気がついていませんでした。
 森山さんに至っては「演技とは他人を演じる事」という基本中の基本が見えていませんでした。
 こうした「MS志望者」の様子から、ある共通した可能性が考えられます。

「MS志望者」は、
「一定時間内に外部から受け取れる情報量が普通の人よりも少ない」のです。
 そう考えると「MS志望者」の問題点の多くがすんなりと説明できます。

 1回で取り込める情報量が少ないとすると、取り込む量を制限しなくてはなりません。当然、取り込まれる情報は無意識の内に「選別」されます。しかし、無意識の「選別」はどうしても「好み」に傾きがちですから、脳内には「好み」の情報ばかりが増えていく事になります。
「好み」に偏って蓄積された情報は、それ自体がフィルターとして働きますから、「好き嫌い」はより一層強化されます。

 好き嫌いがあまりにも強いと視野が狭くなりがちで、「先入観」に囚われやすくもなります。
 一旦1つの考えに囚われると、たとえその考えが間違っていても簡単
には捨てられなくなってしまうです。

 自分の発言や行動に対する評価、つまり「フィードバック」も情報の1つですから受け止めにくくなるでしょう。 対人関係で言うと、いわゆる「空気が読めない」とか「独りよがり」などと言われやすい状態になります。
 さらに、「自分のルールにこだわる割りには他人や全体のルールになじめない」となると、微妙に孤立しやすく何かと居心地の悪い思いをする事が多くなってきます。

 ……こうして「MS」の人たちは慢性的に、どこかこことは違う場所を求め続けるようになります。
 彼らは、
 もし自分が言いたい事を自在に話して、それで認めてもらえる場所があったなら、すぐにでも飛び込んでいきたいという「衝動」に駆られ続けているのです。

- 伝わる方法 -

「ミラージュ・シンドローム」の人間にとって「現実社会」はあまりにも複雑です。
「情報」が多すぎて、短い時間ではとても把握できません。
 特に「他人の気持ち」なんて、表からは見えない上に常に揺れ動いているんですから、とてもじゃないけど「察する」なんて不可能です。
 それでは、
 このような「MS」の人たちに、他人の気持ちを伝えるためにはどうすれば良いのでしょうか?

 まず、1度に取り込める情報量が少ないのですから、伝える内容はできるだけ手短に判りやすく整理しておいた方が良いでしょう。できれば何回かに分けた方が良いかもしれません。
 使う言葉には強弱や山谷を付けて、より伝わりやすくなるよう工夫します。
 そうだ!
 なんなら情報を整理してイラストにすればもっと判りやすくなるかもしれません。しかもそのイラストが現実のように動いてくれたら……
 ……そうです。「アニメ」です。「アニメ」という判りやすい形にして説明すれば良いのです。
 そうすれば、「MS」の人でも複雑な事柄が把握しやすくなって理解する事ができますし、他人の気持ちに「感情移入」する事だってできるようになります。

「アニメ」というメディアと出会って、生まれて初めて外界の出来事や他人の気持ちが理解できた「MS」の心は喜びにふるえます。本来「社会的動物」である人間にとって他人と共鳴し合うのはとても心地よい事だからです。
 特に、それまで居た場所で何となく居心地の悪い思いをしていたら、こんな風に希望を膨らませてしまうかもしれません。
「アニメならこんなに理解できる。
 アニメの世界こそ私の生きる世界に違いない!」
 しかし、
 流石に人間が動画に飛び込む事はできません。だったら……?

「声優」です。

「キャラクター」を演じている「声優」になれば良いんです。

 何もかもお膳立てされた映像の「裏側」にいれば、他人に突っ込まれる心配もありません。
 なんたって「台詞」です。絶対的に一方通行な発言力です。今まで自分の意見を却下してきた人たちも、流石に「オンエア」に口答えする事はできないでしょう。
「演技」とはどうする事かを知らなくても、しゃべるだけなんですから、
 書かれている通りに読み上げれば良いんですから。
 ま、多少のコツはあるかもしれないけれど、そういうコツを教えてくれるのが「声優養成所」という所なんだからとタカをくくり、とにかく「そこ」に行きさえすれば、ありのままの自分を受け止めて評価してもらえるハズだからと喜び勇んで……

 ……こうして、
 巨大な夢で現実を見失った「ミラージュ・シンドローム志望者」たちが次々と素っ裸同然でプロのレッスンに飛び込んで来続けるワケです。
「アニメなら理解できる」と喜び勇んだ彼らには「理解させる側」に回ってゼロから作る覚悟が全くできていません。だから最初から最後まで何もせず、何もできないままなのです。
 
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-「音」だけではない -

「聴力」には問題が無いのに内容が聴き取れなかったり記憶できない、という事は、が「音声情報」を取り込む過程に問題があるという事です。例えば「情報」を処理するスピードが遅くて1度に取り入れられる情報の量が人よりも少ないとか……
 ……そう考えると思いあたる一件がありました。
 何をしゃべっても演説みたいになってしまう 森山さん(当時40才)の話です。

 森山さんが「吹き替え」の実習をしていた時の事、彼が吹き替えていた映像側の俳優がしゃべっている最中に「顔をしかめた」のです。森山さんがそれを見落としたようだったので、私は「顔をしかめた後は不愉快そうに言った方がリアルになるんじゃない?」とアドバイスしました。
 ところが、彼の答えはこうでした。
「どこでしょうか?」

 彼には見えていなかったのです。
 短い時間ですが他の受講生も気づくくらいはっきりと顔をしかめていて、そんな馬鹿なと何回か繰り返して見せたのですが、とうとう森山さんには「その一瞬」を認識する事ができませんでした。
 彼にとって「その一瞬」は短すぎたのです。

 これまでずっと「声優」の話だったので「日本語」「聴力」に話題が集中していたのですが、もし「脳」の「情報の出し入れに問題があるとしたら、当然、他の感覚にも影響があって、「日常生活」にだって何らかの兆候があるはずです。
 その辺の事を森山さんに聞いてみると、果たして予想通りの答えが返ってきました。

- コミュニケーション -

 彼は以前「劇団」にいたのですがあまり演技が上手い方ではなく、他のメンバーの足を引っ張ってしまうことが多かったようです。稽古の合間に相手役から「一緒にはできない!」と罵倒されるような事まであって、次第に団内で浮いてしまい、それでいづらくなって辞めてしまったそうです。

 小さい劇団には下手な役者が山ほどいるものですが、大抵は他のメンバーがフォローしてくれるか、辞めるにしてもやんわりとした話し合いがあったリするものです。一緒にやってきた仲間から、稽古中ではなくその合間に「罵倒される」とはただ事ではありません。それほど腹が立ったからには、恐らく「演技」以外の「何か」が相手役の感情を逆撫でしたのでしょう。

「アニメ」も含め、「ドラマ作り」では他人との「コミュニケーション」がとても重要です。と言うか、「人間どうしのコミュニケーション」を凝縮して商品化したのが「ドラマ」です。
 もし、送られてきた情報を受取らず求められていない情報ばかり送り出していたら、もちろん「コミュニケーション」は成立しません。練習している過程でそれをやり続けられたら、そりゃあ誰だってイライラするでしょう。

 森山さんが劇団でも声優のトレーニングでも上手くいかなかったのは「演技」や「台詞」の問題ではありません。恐らくそれ以前の、「外界とのコミュニケーション」に問題があったからです。

- 辞める順番 -

 森山さんは劇団を辞め、安藤さんは通っていた大学を辞めて声優科に通い始めました。
 野村さんも大学を辞めたクチです。
 あらためて振り返ってみると、「MS志望者」には学校や会社など、集団内での自分の扱われ方に疑問を感じてやめてしまった「路線変更組」が実に多いのです。
 もちろん、「俳優(声優)を目指すために学校や会社を辞めるというのは良く聞く話なのですが、「MS志望者」と「一般的な志望者」の辞め方を比べてみると、「辞める順番」に微妙な違いがあります。

「普通の志望者」の多くは、
 たまたま何かに巻き込まれて「演技」という表現に出会って、ハマってしまいます。その内にそちらの方向に進みたい気持ちの方が強くなって、自然にそれまでいた場所から気持ちが離れてしまうのです。

 対して「MS志望者」は、
「声優」を目指す以前から、その時いる場所に対して漠然とした「不満」を感じています。
「なんか違う」という違和感を感じて悶々としている日常に、ふと「声優」という言葉が浮かんで、「これだ!」という衝動に引きずられるまま辞めてしまうケースが多いのです。
 だから、
 ほとんどの
人は「演技」未経験で、それが具体的にがどうする事なのかを知りません。
「養成所」や「声優科」に飛び込んでしまってから、「声優」の作業の莫大さを知って驚き、そこが「教えてくれる」のではなく「選ぶ」だけの場所である事を知ってうろたえるのです
 それでほとんどの人が、入った途端に「手遅れ」なのです。

 ここで1つ、知らないにもほどがあるというケースをご紹介しておきましょう。ちょっと長くなりますが、この例はこれから「声優」を目指す方にとってとても重要な問題を含んでいるのできちんと読んでください。

-「F」の悲劇 -

「安藤さん(当時26才)」は「サブカル学院系アニメ声優科」の卒業生です。
 卒業時の「所属オーディション」で小さな事務所に割り振られて以来「預かり」状態が約2年。事務所が開いている教室(有料)に通っているだけで、まだ「声優」として仕事をした事はありません。
「思い通りに進まない現状を何とかしたくて」というのが受講の動機です。
 試しに「台詞」を幾つかしゃべってもらったら、あちこちに「子供の発音」が残っていてとても仕事どころではありません。「老舗の大手事務所」や「劇団」が運営する養成所だったら「入所試験」で落とされているレベルでした。

「台詞」というのは不思議なもので、
「役の物事の受け止め方さえちゃんと判っていれば「発声」や「発音」に多少問題があっても何とか聞けてしまうものなのです。ところが、彼の「台詞」には肝心の「役」がまるで感じられませんでした。どんな「役柄」でも何だかヘナヘナとした同じ調子で文章を読み上げるだけなので、長くは聞き続けられない状態でした。
 そこで私は、ある「役」の「空白の時間」を埋めてもらう事にしました。

-「空白」を埋めるレッスン -

「ドラマ」には、「時間経過」という表現方法があります。
「話」を手早く進めるために、「1時間後」なんて「テロップ」を出したりして同じシーンの時間を飛ばす手法です。当然、飛ばされた時間の出来事は「台本」には何も書かれていません。
 その「空白の時間」起きた出来事や「役」がしゃべっていたであろう「台詞」を、「想像力」で補って創ってもらうのです。

 すでに書かれているシーンのすき間に「後付けの創作」を違和感なく滑り込ませるためには、かなり「役」に歩み寄って考えなくてはなりません。そうする事で、演じる本人がその「役」をどう捉えているかが浮き彫りになってきます。それを聞かせてもらってから対策を考えようと思ったのですが……
 結果は驚くべきものでした。
 安藤さんは、
 中世の外国を舞台にした作品の、初夏らしきシーンの空白部分で、
 レッスンの前日に東京が大雪で困ってという、現実の自分の話をし始めたのです。

 それは私の予想をはるかに越える「不正解」でした。いや「不正解」どころではありません。
 フィクションの世界の住人が急に演じている人間の現実の話をし始める事に何の 違和感 も感じない、という事は、現実とフィクションの境目が見えていないという事だからです。
 もし本当にそうだとしたら、彼が門を叩くべきは「声優教室」などではありません。
 
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- お決まりのコース -

 後先考えずに「自分に都合の良い予想」だけで「声優養成所」に飛び込んでしまった「MS志望者」は、飛び込んだ途端に「現実」に殴り返されます
 自分としては最高にカッコ良くしゃべっているつもりなのに誰も感動してくれません。それどころか軽い苦笑を浮かべている人までいます。
 何となく「同情」されているような雰囲気なのです。
「養成所」くらいだったらそれほど上手い人ばかりというワケではないでしょうに、なぜ「MS志望者」の「音読」だけが同情を買ってしまうくらいオカシく聞こえてしまうのでしょうか?
 それは「日本語」が下手だからです。

「え? しゃべるプロを目指しているのに日本語が下手?
 てゆーか、日本人なのに日本語が下手?!」
 意外に感じられるかもしれませんが、私の知る限り、「MS志望者」はかなりの確率で「日本語」が下手です。

-「演技」以前! -

1.それほど言いにくくない言葉でトチる。
2.テンションを上げるとアクセントがおかしくなる。
3.書いてある通りに読めない、違う事を言う。
4.単語の意味を知らなくても調べられない。
5.品詞の関係が判らず、台詞の内容がよく理解できない。
 → 自分の役の行動や、相手の台詞に対する反応が浮かばない。

 こうした残念な状態は「演技が下手」なのではありません
 単に「日本語が下手」なんです。

「日本語」は世界でも特に 習得が難しい言語 の1つと言われています。
 ですからたとえ「日本人」であってもみんながみんな「日本語ペラペラ」というワケではなく、義務教育を終えていようが熟年に至っていようが「日本語は中学生レベル」のままという人がけっこう多いんです。
 あなた、大丈夫ですか?

 それでも、「日常生活」を送る分にはほとんど差し支えありません。
「日常生活」では、複雑な事を説明をして他人を説得する機会なんて滅多にありませんし、アクセント文法が多少おかしくたって気にする人もいません。しゃべるスピードを変えなくてはならない場面なんてまず無いでしょう。
 例えば「外国人に日本語を教える」とか、「声優」を目指したりしない限り、「自分は日本語が未熟」という現実に気がつく「機会」はあんまり無いんです。
 ところが困った事に、
 その「日常生活」レビ」が常に正しい日本語」垂れ流し続けています。
 街中で見回せば「ポスター」「美しい宣伝文句」まき散らしてます。
 私たちの周囲は「ライター」や「作家」の練り上げた練された日本語」であふれ返っています
 だから、
 本当は日本語が未熟なクセに
自分そこそこの日本語使いであるとい「錯覚」に陥っている人が結構いるんです。
 あなた、大丈夫ですか?

- 業務用の日本語 -

 何度か書いてきましたが、
「声優」は「タレント」である前に「日本語」の、それも「口語」に特化した専門家です。
「日本語」を正確に読み、聴き、話せる上で、相手役視聴者を巻き込む。例えば「ディベート」を勝ち抜けるような強力な「説得力」が要求されます。

 ですから、もし「声優」を目指すんだったら、
★ 少なくとも「現代文」だけは平均点以上である事。
★ 特に「長文読解」はそれを仕事にするのですからトップ・レベルである事。
★ また、漢検3~2級レベルの漢字を読める。
 といった「国語力」が必須になります。
 これは「声優になるため」ではありません。「目指すため」の最低線です。

 ちなみに、「声優養成所」は「日本語教室」ではありません。
すでに日本語が堪能で演技ができそうな人ピックアップするだけの所ですから語学の授業はありません。
「養成所」に飛び込んでしまってから、掲示板で読解力が弱いんですけどどうすれば良いんでしょうか?」なんて質問しているような人は、ずっとつまずいたままです。

- 聴こえていない? -

 ……それにしても、
 なぜ日本語の弱い人が、よりによって「日本語のプロ」を目指してしまうのでしょう?
 それにはとても判りやすい話があります。

 以前、そこそこ実力のあるアマチュア・ミュージシャンと話す機会がありました。彼はアニメも好きで良く観ていると言うので、私はつい聞いてしまいました。
「やっぱ売れたら声優とかやってみたいなーなんて思ってんじゃねーのー?」
 ところが、返ってきたのは聞いたこっちが恥ずかしくなるような答えでした。
「冗談じゃありませんよ! あんな大変な事やりたいなんて思いませんよー♪」

 ……そうです。
 真剣に「音」と向き合って色々と聴いている人には、「声優」がかなり無茶やってる現実がちゃんと聴こえているんです。と言う事は?
 後先考えずに「声優」を目指してしまった「MS志望者」には、「聴こえていない」んじゃないでしょうか?

「声優」が「会話」に加えている「操作」が聴き取れていないから、「自分の日本語」と「声優の日本語」の違いの大きさが判らなくて、それで後先考えずに気軽に入門してしまうのではないか……?
 ほんの数年前まで、私はそんな風に考えていました。ところが……

- 聴こえてはいる? -

 実を言うと、
 私は以前、「台詞に問題アリ」と感じられる人たちに耳鼻科で「聴力検査」を受けてもらった事があるのです。
 アクセントやプロミネンスを上手く操作できないのは「音痴」と同じで、「音」が正確に聴き取れないから調整に問題が出てくるのかもしれない、と思ったからです。ところが、
 予想に反して聴力に問題のある人は見つかりませんでした。
「聴力」に問題があるから台詞が下手という因果関係は無かったのです。
 ……確かに、
 それほど聴力に問題があったらまず日常生活に支障が出ますから、「しゃべる仕事を目指す」という流れにはならないでしょう。

 という事は?
 問題は「鼓膜」の先、という事になります。
 嗚呼……、
 厄介なフタに手を掛けてしまったような気がします。
 
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- MS演技法 -

「MS志望者」にとって「演技」とはどうする事なのでしょうか?
『セイユウの姿や役の気持ちを思い浮かべながら丁寧にしゃべる』
 ……これだけです。

『だって、
 あんなにさりげなくしゃべって自然に心に届くんだから、
 きっとセイユウさんも自然にしゃべっているに違いない。
 例えば「優しく」という言葉を思い浮かべながら丁寧にしゃべったら、
「優しさを演じている」ように見えるに違いない違いない違いない♪』

 ……もちろん、そんな風にやっている「声優」は1人もいません。
 そんな風にしゃべって演じられるのは「考え事をしながら本を読み上げている人」だけです。
 それでは、
 なぜ「優しく」という言葉を思い浮かべてしゃべっても「優しさを演じているセイユウさん」みたいにならないのでしょうか?

-「思い浮かべる」は「演技」じゃない -

 例えば、「優しく」「厳しく」という2つの単語を思い浮かべてみてください。
 この2つの単語は、真逆と言って良いくらい「意味」が違います。
 しかし「文字」として考えたらどうでしょうか……?
「並べ方で意味を伝える」という文字の機能面で考えたら、この2つは全く同じです。
「文字」は、物事の違いを伝えるための「記号」に過ぎないんです。

「記号」をどんなに強く心に思い浮かべたって、それは「国語辞典」の一節をじっと見つめているようなものですから、心の中には「意味」が現れるだけです。他人を感動させる事なんてできません。
 あ、今、
「じゃあ小説はどうなんだ?」と思った人がいるかもしれません。
「小説は文章だけだ、文字だらけじゃないか?」
 確かにそうです。でも良く考えてください。「小説」を鑑賞するのは「読者」なんです。

-「読者」と「視聴者」-

「読者」だったら、
「文章」から意味を読み取って、「意味」以上の広がりまで想像してくれます。
 頭の中で、情景や環境、登場人物の心情まで再構成して楽しんでくれます。
 ところが、
「声優」のお客さんはそんな素敵に親切な「読者」ではありません。「視聴者」なんです。

「視聴者」は、自分ではページをめくる事すらしません。
 彼らは、状況を想像したり登場人物の気持ちを察するのが面倒で、全てを判りやすく映像にして自動的に進めて見せて欲しいからこそ「ドラマ」というメディアを選んだ超ナマケモノです。そのクセ、楽しませて欲しいという欲求に関しては「読者」以上に貪欲です。
 だから、
「読んでしゃべる」なんて「セイユウごっこ」で彼らに「声優」として認めてもらいたいなんてのは、
 お腹を空かせて極上のフルコース料理を食べに来たお客さんに「冷や飯」一膳出して、それでも一人前は一人前なんだからと同じ料金を要求するようなものなんです。

- ホントにやる -

 私は新しく入ってきた人たちに必ずこう宣言します。

「全部、ホントにやってるんだよーっ!」

 ……たいていの人は冗談だと思ってアハアハ笑っていますが、実際にレッスンが始まって1ヶ月ほど経つと、笑える人は誰もいなくなっています。
「読んでしゃべるだけで本当にやっているように聞こえる魔法」なんてこの世には無くて、「ホントにやってる」という話の方が真実で、それができなければ絶対「声優」になれないという現実を知ってしまったからです。

 例えば、
「明るい笑い声」「明るい笑顔」からしか飛び出しません。
「明るい笑顔」を生むためには、まずあなた自身が「笑っている」必要があります。

「笑う」という動作は単純に言うと「横隔膜の痙攣」ですから、なかなか自分の思い通りにはなりません。
 笑う演技が自由にできるようになるためには、小さな火花(ネタ)でも大爆発(大爆笑)できるような「軽い心」を身につけておく必要があります。
「いつか見返してやる」みたいな硬くて重い敵愾心で「セイユウ」を目指してしまった人にはかなり難しい事です。

 例えば、「姿勢」によって「声」はまるで変わります。
 試しに床やベッドの上でゴロゴロ転がりながら「あーー」と声を出し続けてみてください。
 声を出し続けながら、手を突いて体を起こしたりしてみてください。
 ……どうですか?
 同じ「声」を出し続けようとしても、揺れたりブレたりしてしまうのが判りますか?

 ゆるめた体を動かしながら安定した「声」を出すのは不可能です。
 気管やその周辺の筋肉は柔らかいので、いろんな角度から押されたり引っ張られたりする度に変形して「共鳴」の仕方が変わってしまうからです。「声」もそれに応じて変化し続けているのです。
 そういう自分の肉体の反応」を、あなたは確かめた事がありますか?

- 数百個中2個だけで百倍を戦う? -

 え?
「いくらなんでもマイクの前でゴロゴロする事なんて無いだろう」って?
 いやいやいやいやあなた、あなたは本物のアフレコ現場参加した経験がどれくらいあるのですか? 一般に公開されているアフレコ風景写真から仕入れた虚像だけで声優の仕事を想像しているだけなのではありませんか?
 現場は「動詞」の世界ですから、そういう自分の体の反応を利用して行う事だらけですよ。

「視聴者」やディレクターが「声優」に求めるのは「台詞の内容」や「しゃべり方」のような静的なファクターではありません。映像上の「役」がいる環境や、心の動きや挙動の変化にぴったり寄り添っていく、動的な「声の変化」なんです。その変化が出せない限り、あなたの「台詞」にOKが出る事はありません。

「声優」はそうした「変化」を全て「体内で再現」しながらしゃべっています。マイクの真ん前から動けないという制約がある以上、「体内」で何とかするしか無いからです。
 だから例えて言うならば、
 体の中に「巨大な撮影スタジオ」が作ってあって、そこで仮想の自分に映像と同じ「環境」を与えて、「役」の挙動を一挙手一投足シミュレーションしながらしゃべっているのだという風に考えてください。
 映像を見た瞬間に「役」の環境や挙動を体内の筋肉の操作で再現しながらしゃべっているから、「他人の映像」と「自分の台詞」が重なっても「イメージのズレ」が出ないんです。

 さて、
 これらのプロセスが「声優さんの自然な台詞」の正体なんですが、あなたはこのプロセスを「自然だ」と思えますか?
 不自然ですね。
「声優」は、「他人を演じる」ためにここまで手間を掛けているんです。
 そこまで手間を掛けても、全て体内で処理されているもんだから、「外」からは、特に宣伝用のアフレコ風景写真などからはそのプロセスをうかがい知る事ができないんです。

 環境挙動による「声の変化」のパターンは組み合わせまで含めると何百パターンもあります。面倒臭いのでちゃんと数えた事はありません。ただ1つだけ言えるのは、「読む」「しゃべる」何百個もある「動詞」の1つに過ぎないという事です。

「MS志望者」は例外なく「読む、しゃべる」がセイユウの全てであると思い込んでいて、その中で何とかなるものなのだと勘違いしています。
 何百も必要な武器をたった2個で済ませようとしているんですから、彼らの台詞は例外なく チャチ です。
 しかし、
 自分の台詞がどんなにチャチである事が判っていても、「MS志望者」はある理由から、最初の「セイユウは読むだけ、しゃべるだけ」という先入観を捨てる事ができません。
 みんながやっている事をやらずに辻褄を合わせようとするから、彼らは奇妙な言動に走ってしまうのです。
 
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