40歳、独身、無職女のひとりごと

自営業→無職(約3年半)→会社員(2011年10月〜)。
寄る辺なき人生について語ってみる。いまは+3歳。


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かつて交流があった女友達のこと。

彼女は、とても「外面」が良い子でした。

人と接するとき、わざとらしいほどニコニコして、
決して多くを語らず、おまけに顔がかわいいものだから、
いわゆる「癒し系」な雰囲気です。

ところがどっこい。

二人で話してみると、
他人に対して、とても辛辣で批判的なのでした。
聞いててしんどくなるほど。

私はそのギャップに驚き、そして、
彼女の外面の良さを、正直、心の中で軽蔑した。

「あんなに “ 感じの良い子 ” を演じちゃって(心の中は真っ黒なくせに)」と。

ある日、彼女が私の家に遊びに来ました。
そして、いつになく、いろんなことを話しました。

そして私は、そのとき初めて知ったのです。

彼女のご両親が、二人とも、ある障害を持っていることを。
それは、外から見て、あきらかに健常者とは違うとわかる障害です。

彼女は子どものころ、両親と出掛けるたびに、
自分の親が他人から見て「変な存在」であることを意識し、

また、好奇の目にさらされている両親を恥ずかしく感じ、

両親と他人の間に立って、
必死に「変だと思われないように」愛想を振る舞ったのだそうです。

その話を聞いたとき、「ああ、そうだったんだ…」と。
なんだかちょっと泣けた。

話は変わって。

今度はいまの職場の新人君のこと。

彼は、まだ若いのに、なんだか妙にお金のことに細かい。

会社の確定拠出年金がどうの、とか、
給与明細がどうの、とか、

仕事を覚えるのにアップアップながら、
そういうところもしっかり押さえるというか、抜け目ないというか。

そんな彼を見ていて、お金に対する執着心が薄い私は、
「まだ若いのに、なんだかセコいなぁ、ちっさいなぁ」と、内心、感じていた。

さて先日。

そんな彼と雑談していて、私は知ったのでした。

彼が高校生のとき、お父さんが莫大な借金を抱えたことを。
その借金が、ようやく今年で完済できることを。
お母さんは、借金を返すために皿洗いの仕事をしていたことを。

その話を聞いたとき、「ああ、そうだったんだ…」と。



で。何が言いたいのかというと——。

「みんな、ちゃんと理由があるんだ」ってこと。

自分にとっては意味不明だったり、かっこ悪かったり、
嫌悪や軽蔑をせずにはいられない他人の言動も、

その人にとっては、
そうなってしまった(そうせざるをえない)背景がちゃんとあるのだ、と。

そしてそれは、もちろん自分にも…。

まぁ、だからといって、
やはり他人の「なんだかなぁ」は「なんだかなぁ」のままだし、

自分の価値観や美学にそぐわない他人の言動には、
依然としてモヤモヤしてしまうわけですが、

上記のような背景を知ることができたとき、

相手の抱える哀しさと、自分が抱える哀しさが、深いところで共鳴して、
「なんだかなぁ」が、ほんの少し、愛おしさに変わるのです。

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当たり前のことですが、

ひとりっ子は「お姉さん」でも「お兄さん」でも「妹」でも「弟」でもありません。

そして「お姉さん」「お兄さん」「妹」「弟」というのは、
関係性の記号であります。

年下の兄弟姉妹がいるから「お姉さん」「お兄さん」なのであり、
年上の兄弟姉妹がいるから「妹」「弟」なのである。

あくまでも相対的な、関係性としての記号。

一方「ひとりっ子」は、関係性を表すそれではなく、

文字通り、ひとり=誰ともつながっていない(関係性がない)、
という意味の記号といえます。

いろんな人を見ていると、

「ああ、この人、“ お兄ちゃん ” ぽいなー」とか、
「いかにもお姉ちゃんがいる “ 弟 ” って感じだわー」などなど、

その人が、兄弟姉妹の「どの位置で育ったか」が、なんとなく想像できたりします。

そしてその直感は、私の場合、不思議と概ね当たる。

見ていて思うのは、

やはり兄弟姉妹の「上」と「下」は、
例外もあるものの、なんとなくしっくりくるように感じる。

たとえば「お姉ちゃんのいる弟」である男性は、
「弟がいるお姉ちゃん」である女性から、上から目線であれこれ言われたとき、

「ちぇっ、なんだよ」と反発しながらも、
そんな関係性をさほど嫌悪せず、うまくやり過ごせたり、

お姉ちゃんである女性側も、そんな弟気質の男性を、
「もう、しょうがないんだから」と言いつつ、どこかでかわいく思ったり。

そういうこと。

集団の中で、いろんな人が、自分が慣れ親しんだ関係性を足がかりに、
次々とつながっていく様子を俯瞰で眺めながら(本人達は無自覚でしょうけど)、

ひとりっ子の私は、

どの関係性にもコミットできず(コミットの仕方がわからず)、
どの関係性にも居心地の良さを感じることができず(経験がないから)、

根本的なところで何かが激しく欠如している感覚を味わいます。

ちなみにこの感覚、
いわゆる「人とうまくやれる or やれない」とか、
「友達が多い or 少ない」といった類のことではありませぬ。

そういうことで言えば、
私は、比較的誰ともうまくやれるのである。

うまく言えませんが、……そういうことではないのです。

しかしこれは、「ひとりっ子だから」ではなく、
私個人の、気質の問題かもしれません。

でもなんとなく、「ひとりっ子だから」と、納得したい自分がいます。

そして、一部の「ひとりっ子」の中には、
この微妙な感覚をわかってくれる人、いるよね? ね?

なんて思う自分がいます。

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職場にて。

27歳の新人君(彼女募集中、結婚願望あり)が、

32歳の妊婦さんと、
40代後半の女性(既婚、子どもなし)に、いじられていました。

恋愛&結婚指南、とでもいいましょうか。

「あなたにはそういう子(←彼のタイプ)は合わないよ。
もっと芯のしっかりした子のほうがうまくいくわよ」

とか、

「結婚なんて、するときはあっという間なんだから!」

とか、

「普通ならこんな人とは絶対に付き合わない!と思うような人と、
 不思議と付き合って結婚しちゃったりするんだから」

「そうそう!そういうもんよ!」

とか、

まぁ、そういう話であります。
よくある話。ありすぎる話。

新人君は神妙な面持ちで、既婚女性2人からの指南を
「はぁ、そうなんですねぇ」と素直に聞いており(本心はわからぬが)、

既婚女性は2人とも、なんだか妙に楽し気でありました。

そして私は、その場に居合わせながら、いつになく言葉少なであった。

理由は2つ。

一つは、もちろん自分が結婚できていないので、
彼女たちのように、既婚者目線でモノが言えない、ということ。

そしてもう一つは —— 。

未婚or既婚を問わず、
まるで自分が恋愛上級者的な、わかった風な風情で、
そういったことを他人(独身者や年下の子)に指南するのが、
なんとも野暮に感じるからであります。

今回のような既婚者の態度に接するたび、思う。

結婚できたからといって、
もしかしたら、それはたまたまラッキーだっただけで、

べつに、人一倍の努力や、苦労や、切磋琢磨や、艱難辛苦を経験して、
いろんなことが「わかった」から結婚できたわけじゃないよね?と。

普通に結婚した、普通の人が、
まるでそれを自分の手柄や能力(?)のような面持ちで、

未婚者や、恋愛に苦労している者に助言めいたことを語るのは、
なんだかすごく格好悪いよなぁ…と。

未婚の私がこんなことを言っても、
僻みにしか聞こえないのですが、そう思う。

そしてやっぱり、さすがの彼女たちも、
43歳で独身の私には、遠慮があるのか、いろいろと言えないわけで…。

ゆえに、年齢的にも、立場的にも、いじりやすい27歳の新人君が、
ターゲットになってしまうのである。

ごめんよ、27歳。

あなたも私も、同じなのにね。

奴らのほざくことなんて、鼻で笑ってやれ!

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私と新人君(→)の歓迎会がありました。

さてその中身はどうだったかというと——

上司(40代男性)と、本社の男性(同じく40代男性)が、
「ひたすら会社について熱く語る会」でありました。

つまり、

あの頃はああだったよなぁ…とか、
いま本社にいる○○さんは、昔、あの事業所にいたんだっけ…とか、
いま展開中の新規事業、このままじゃ厳しいよね…とか、
これからの会社の未来は…とか、

まぁ、そんな話であります。

二人とも、入社して20年近く。

「愛社精神」とはちょっと違うのだけど、
なんというか、完全に会社と自分が一体化しているのである。

自分=会社
会社=自分

この会社で頑張ってきたことが、すなわち、自分のアイデンティティ、みたいな。

二人を見ていて思った。

経営者や取締役でもないのに、
ここまで会社と自分を同一視していたら、

たとえばリストラされたり、会社が倒産なんかした日にゃあ、
自分がなくなっちゃうくらいの衝撃だろうなぁ…と。

そりゃあ燃え尽きたり、鬱病になったり、自殺したりも、するよなぁ、と。

彼らが入社してからの20年間で、辞めていった人たちもたくさんいます。
むしろ、辞めていった人のほうが多いはず。

そんな中、彼らは残った。

仕事や社風が合っていたから辞めなかったのか、
辞める勇気がなかったのかはわかりませんが、

とにかく「今までよく頑張ってきたよな!俺たち」な雰囲気であります。

気持ちはわかるし、世の中の社歴の長いサラリーマンの多くは、
彼らと似たメンタリティだろうと想像するが、

個人的に、「会社のために」という気持ちが皆無な人間ゆえ、
彼らの話にまったく興味を持てず…。

何よりも、

新人2人(2人ともかなり珍しい業界からの転職組)の歓迎会で、
このような内輪話に終始してしまう彼ら=40代中間管理職という存在が、

私には何とも悲しい存在に映ってしまったのでありました。

ちなみに2人とも、とても真面目でいい人であります。

彼らのようなサラリーマンが、日本を支えているのかしらん。

私も新人君も、ほとんど話さなかったのは言うまでもありません。

でも、おいしい料理をタダで食べられたのでよしとする。

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職場に妊婦さんがいることは先日書きましたが→
もう一つ上の世代、つまり「おばあちゃん」もいます。

60代前半くらい。
30代の娘さん(独身)と息子さん(既婚)がいて、
息子さんには既に子どもがいるので、孫がいるおばあちゃんです。

ちなみにお嫁さんは、現在、第二子を妊娠中。来月出産予定。

さて。

祖母である彼女からは、妊婦さんとはまたひと味もふた味も違う、
「家族」の匂いが漂ってくるのである。

こどもの日。

「明日はこどもの日だから、孫に会いにいくの。
本当は鯛を用意しなくちゃいけないんだけど…、なくてもいいわよね?」

シフトを決めるとき。

「来月、嫁ちゃんに子どもが生まれるから、生まれたら私が手伝いに行かないと。
もし可能なら、中旬あたり、飛び飛びでお休みを入れてもらえないかしら」

母の日。

「おはようございます。今日は母の日ですね!
あびさんはお母さんに何をプレゼントするの?」

「あの若いカップル。プレゼントを持っていたわ。
きっと母の日だから、お母さんにあげるのね」

「今日も一日、お疲れさまでした。明日は休みだから嬉しいなぁ。
一日遅れの母の日になっちゃったけど。楽しみ楽しみ」

とまぁ、こんな感じであります。

決して、決して「当てつけ」で言っているのではなく、
心から、娘や息子、そして孫との時間を心待ちにしている印象。

ちなみに、「あびさんは母の日に何をあげるの?」という振りに、
苦笑いでごまかすしかなかったのは、言うまでもありません…。

ほかにも、
「あびさんは一人娘だから、お母さんもかわいくて仕方ないでしょうね」とか、
「一緒に住んであげていて、お母さんもさぞ心強いでしょうね」など、

まぁ、世間的に、とてもまっとうな声掛けをしてくださるのですが、

いかんせん、私の母娘関係は、ここでもさんざん書いてきた通り、
「まっとう」からはかけ離れているため、答えに窮してしまうのである。

そして、年齢の割には、無邪気で子どもっぽいところがある、
かわいい「おばあちゃん」の彼女を見ていて、思うのです。

ああ、幸せな人だなぁ、と。

シフトを組むとき。

何の予定もない私は、たいした希望もなく、
強いてあげれば「病院に行く日」くらいなので、

「いいですよ。○○さん(妊婦さん)や◎◎さん(おばあちゃん)の希望を
優先して組んでもらって。私が連勤になって済むことなら、そうしてあげてください」

と上司に伝えています。

その気持ちに偽りはないし、
別に無理もしていないのですが(本当に予定がないので…)、

言いながらも、「ホーム」がなく、どこまでも「フリー」な自分を悲しく思う。

妊婦。そして、祖母。

女性としてのライフステージを、まっとうに進んできている彼女たち…。

彼女たちが無自覚に発する「幸せな家族の匂い」に、
ひとり息苦しくなっている私です。

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