かつて交流があった女友達のこと。
彼女は、とても「外面」が良い子でした。
人と接するとき、わざとらしいほどニコニコして、
決して多くを語らず、おまけに顔がかわいいものだから、
いわゆる「癒し系」な雰囲気です。
ところがどっこい。
二人で話してみると、
他人に対して、とても辛辣で批判的なのでした。
聞いててしんどくなるほど。
私はそのギャップに驚き、そして、
彼女の外面の良さを、正直、心の中で軽蔑した。
「あんなに “ 感じの良い子 ” を演じちゃって(心の中は真っ黒なくせに)」と。
ある日、彼女が私の家に遊びに来ました。
そして、いつになく、いろんなことを話しました。
そして私は、そのとき初めて知ったのです。
彼女のご両親が、二人とも、ある障害を持っていることを。
それは、外から見て、あきらかに健常者とは違うとわかる障害です。
彼女は子どものころ、両親と出掛けるたびに、
自分の親が他人から見て「変な存在」であることを意識し、
また、好奇の目にさらされている両親を恥ずかしく感じ、
両親と他人の間に立って、
必死に「変だと思われないように」愛想を振る舞ったのだそうです。
その話を聞いたとき、「ああ、そうだったんだ…」と。
なんだかちょっと泣けた。
話は変わって。
今度はいまの職場の新人君のこと。
彼は、まだ若いのに、なんだか妙にお金のことに細かい。
会社の確定拠出年金がどうの、とか、
給与明細がどうの、とか、
仕事を覚えるのにアップアップながら、
そういうところもしっかり押さえるというか、抜け目ないというか。
そんな彼を見ていて、お金に対する執着心が薄い私は、
「まだ若いのに、なんだかセコいなぁ、ちっさいなぁ」と、内心、感じていた。
さて先日。
そんな彼と雑談していて、私は知ったのでした。
彼が高校生のとき、お父さんが莫大な借金を抱えたことを。
その借金が、ようやく今年で完済できることを。
お母さんは、借金を返すために皿洗いの仕事をしていたことを。
その話を聞いたとき、「ああ、そうだったんだ…」と。
で。何が言いたいのかというと——。
「みんな、ちゃんと理由があるんだ」ってこと。
自分にとっては意味不明だったり、かっこ悪かったり、
嫌悪や軽蔑をせずにはいられない他人の言動も、
その人にとっては、
そうなってしまった(そうせざるをえない)背景がちゃんとあるのだ、と。
そしてそれは、もちろん自分にも…。
まぁ、だからといって、
やはり他人の「なんだかなぁ」は「なんだかなぁ」のままだし、
自分の価値観や美学にそぐわない他人の言動には、
依然としてモヤモヤしてしまうわけですが、
上記のような背景を知ることができたとき、
相手の抱える哀しさと、自分が抱える哀しさが、深いところで共鳴して、
「なんだかなぁ」が、ほんの少し、愛おしさに変わるのです。


