社交辞令ダンス

セレブの練習相手と連絡が取れなくなりました。
彼女の休憩時間に外国人女性と踊っていたことで、彼女のプライドを痛く傷つけたようです。
お金持ちの女性はプライドが高いですからねえ~。
まあ、しかたないです。
去るものは追わずです。
外国人女性は私にぞっこんみたいで、当面は彼女を練習相手にします。(我ながらすごいうぬぼれです。)
(毎日でもあなたと踊りたい、と彼女が言っています。ロシアの女性はお世辞が上手なのか?)

話は変わって。
私のことを、アンチ・ダンススポーツのパーティダンサーだと思っている方がいらっしゃるようです。
ちょっと違います。
私の踊りは、れっきとした(でもないけど。)インターナショナル・コンペティション・スタイル(国際競技仕様)のダンスです。
(それしか習っていないので。)
リストラされて、暇になったら、競技会に参戦しようかな、と思っています。
実はひそかに燃えているのです。
今はパーティを楽しんでいますけど。

で、社交を目的とするダンスパーティに、競技ダンサーカップルが参加して、二人でしか踊らず、パーティの雰囲気を壊す、という問題です。
私は、この問題は、その競技ダンサーカップルの問題ではなく、二人を指導するダンス教室の問題だと思います。
もし、その教室の生徒が、競技会に出る、というのなら、スタジオをそのカップルのために自由に使わせるべきです。
(少しの利用料は徴収してもいいかもしれませんけど。)
競技ダンサーの話を聞いていると、レッスンはしてくれるけど、フロアを練習のために使わせてくれるところはあまり多くないようです。
(この地域だけかもしれませんけど。)

私が、「競技会に出たい。」と言った時、当時習っていた教室の先生は、とても喜んで、「じゃあ、練習のために、レッスンに使っていない時は自由にスタジオを使いなさい。」と言って教室の合鍵を渡してくれました。
おかげで、休日などに二人でがんがん練習できました。
映画「Shall we ダンス?」でも、競技会に参加するカップルのために、教室を使わせていますよね。
無料で先生(たまこ先生)が指導もしています。

レッスンだけして、教室(スタジオ)を使わせないのは、自動車教習所で、運転だけ教えて、「練習はどっかほかのところでやってね。」と言うようなもんです。
それは困ります。

生徒にダンススポーツを勧めるのはいいんですけど、それなりに身を切ってほしいです。
あまりに商業主義に走ると、愛想を尽かされるでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=zQWEhPYwuY4
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最近、株価が急激に下がっているようです。

ここ一週間で2000円くらい下落したのかな。

一時的な調整でその後はさらに上がる、という見方と、もっと下がるという見方があります。
今日はどうでしょうかね。
株価の予測は難しいですが、アベノミクスの負の側面が意識されてきた、ということは確かみたいです。
金利も上がり、食品や重油などの物価もだんだん上がりつつあります。

アベノミクスで踊った人も、踊らされた人も、ここは一息ついて休むところなのでしょう。

「休むも相場」です。

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日本人の幸福度

テーマ:
ニュースによると、

「OECD(経済協力開発機構)が、先進国や新興国、合わせて36か国を対象に調査した国民生活の豊かさ、いわゆる幸福度を表す指標で、日本は全体の21位と、前の年と変わりませんでした。」
だそうです。

何を幸福とするか、は人や国によって違うので、単純な比較は難しいと思うのですが。
ただ、日本は世界第三位の経済大国としては、かなり順位が低いような気がします。

「分野別では、重大な犯罪の発生が少ないことなどから「安全」が1位だったほか、国民の読解力や計算能力の高さなどから「教育」が2位、「収入」は6位でした。
一方、家計に占める住宅の費用や光熱費の割合が高いことから、「住居」は25位だったほか、平均寿命が長く、肥満の割合も低い一方で、自分が健康だと思っている人の割合が低いことなどから「健康」は29位でした。
また、仕事と生活の調和、いわゆる「ワーク・ライフ・バランス」では長時間労働が多く、レジャーなどに充てる時間が少ないことから34位でした。」です。

日本人の長時間労働が、順位を大きく下げているようです。
勤勉であることをやめて、もう少し、人生を楽しめば、もっと順位が上がるのでしょう。
日本人は働き過ぎだと思います。

米国で、今、「デス・カフェ」というのが流行っているそうです。
人々が集まって死に関して語り合う、カフェです。
1946年から1964年生まれのベビーブーマーが多く集まります。
参加者に目立つのは、「自分は高度経済成長時代、働きづめで、ちっとも遊ばなかった。なぜ、もっと人生をエンジョイしなかったのか?」と退職した後で、悔み、苦しんでいる人だそうです。

幸せになる一つの方法は、死について徹底的に考えることらしいです。
どこかの国の幸せツアーには、墓場めぐりが含まれている、という話を聞きました。
死ぬことを考えたら、生きていることの幸せが実感できるのでしょうね。
いつ死んでも悔いがないように、今を楽しめるようになるのかもしれません。

ケセラセラ です。

http://www.youtube.com/watch?v=bNcS2ccDtXA&feature=related
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地元のダンスパーティでよく見かけるカップルがいます。
二人でオリジナリティあふれるダンスを踊ります。
ちっとも美しくなく、音も外れているのですが、見ていて結構、おもしろいです。
たぶん、二人で練習して、みんなの前で発表しているつもりなのでしょう。
普通の社交ダンスじゃないので、他の異性とは踊ることができませんが、見る分には楽しいです。

ダンスには2つの側面があると思います。
一つは、音楽の一種として、感情を共有し、他人とつながるための手段です。
リズムに合わせて一緒にステップを踏めば、共感できて、仲良くなれます。

もう一つは、自分を表現するための手段です。
音楽に乗って身体能力を発揮することで、自分を表現することができます。
男女が組んで上手に踊れば、見るものを魅了します。

だから、社交ダンスにも二つの楽しみ方があります。
社交の手段としての楽しみと、表現する手段としての楽しみです。
ダンススポーツは、後者になるのでしょう。
ただ、表現するダンス、つまり人に見せるダンスは、それなりに練習が必要です。

私も以前、ダンススポーツをやっていたのでわかるのですが、その練習場所を確保するのが結構大変です。
練習会場がある都会ならいいのですが、地方には少ないです。
どうしても、一般人向けのダンスパーティに参加して二人で練習することになります。
そうすると、周囲からひんしゅくを買ってしまうのです。
盆踊り会場で、バレエダンサーが練習しているような感じになるからです。
パーティの主催者も困ってしまいます。

私の知り合いの競技ダンサーは、ダンス教室のフロアを一カ月単位で借り切っていました。
生徒のいない時間帯を自由に使わせてもらうのです。
結構な出費になっていたはずです。(うろ覚えですが、月に10万円くらいだったかな?)


でも、誰からも非難されないので、それが一番、いい解決法のような気がします。
フィギアスケートの練習から見れば、安いのかもしれません。


ちなみに先日、観た映画では、ヒロインが自宅にダンスフロアを持っていました。
(夫の生命保険で自宅を改造した、という設定でした。)

ダンスパーティで、「どうして競技会に参加しないのか?」とよく女性に聞かれます。
「以前は出ていたけど、どうしても勝てないので辞めました。」と答えています。
(実際、そうでした。)

お金もそれなりにかかるし、パートナーと練習時間を合わせるのもめんどくさいですし、いろいろ理由はあります。
なにより大きい理由は、競技会に参加するとなると、勝利を目指して、がんばなければならないからです。
がんばるのがなぜ、良くないか、というと、心の余裕がなくなって、優しくなくなるからです。
最近のパーティでは、二人で一生懸命に練習しているカップルをよく見ます。
一生懸命なのはいいのですが、勝利への執着で頭の中がいっぱいで、壁の花や染みになっている女性や男性に対して、気配りがなくなります。
そうなると、パーティが盛りあがらず、楽しくないのです。
最近、社交ダンスファンが減っているのは、この理由が大きいと思っています。
本来、踊ることによって、みんなでその場を楽しむべきパーティが、目標を達成するための手段の場になっています。

ヒマラヤで60代の日本女性の遺体が見つかったそうです。
50代から登山を始めて、山の魅力に、取りつかれたようです。
そういえば、以前、彼女がテレビで紹介されていました。
彼女も冒険家の三浦さんのように、困難に向かって挑戦する女性だったのでしょう。

今の社会では、何か目標を定めて、それに向かって挑戦し、自分の能力を最大限に発揮することが、一番良いことだと考えられています。
一言で言えば、「自己実現」です。
私は、それは、一種の洗脳だと思っています。
確かにそういう時期があってもいいです。
若い時代、いくらでも能力を発揮できるときに、背伸びして、目標に向かって努力することは悪いことではないです。
でも、いくつになっても、そういう姿勢でいるのは、どうかな~、と思います。
人間にはもっと大切なことがあります。
それは、人や自然に対して、優しく接すること、愛情を育むことです。

現代人の多くが、仕事でも私生活でも何か目標を定め、そのために努力しています。
その分、心の余裕をなくし、愛情や優しさが、社会から失われていると、私は思います。
このままでは、ぎすぎすした社会になって、みんなが不幸になります。
昨日パーティで踊った女性は、60歳前後でした。
お兄さんは、学生時代、競技ダンスの全日本大会で、優勝したことがあるそうです。
東京に住んでいて、時々、銀座の「東宝」に踊りに行くらしいです。

「お兄さんに同伴してもらって、あなたも東宝に行けばいいじゃないですか?」と言ったら、
「私は踊りが下手で、スタイルも悪いから。」と自信なさそうに答えました。

そこで、「いや、それだけ踊れば大丈夫ですよ。スタイルは気にしなくていいです。きれいなドレスを買って、ぜひ、行ってください。こんな田舎の体育館で踊るより絶対に楽しいから。」と私は言いました。

「じゃあ、兄に頼んで行ってみようかな~」と嬉しそうでした。
私が彼女の背中を押してやったことになります。

思うのですが、女性に自信を持たせることも、男性の役割かもしれません。
その逆もありますけどね。

土曜日はずっと練習相手と踊ったのですが、相手のいない女性が何人かいたので、「ちょっと待っていてね。」と断って、壁の花の女性たちと数曲踊りました。
練習相手は、「あなたは優しい。」と言いました。

優しいとは思いませんが、せっかくパーティに来て、誰とも踊らない女性はかわいそうです。
自分には魅力がないのかな~、と自信をなくすでしょう。
それは社交ダンスファンとしてまずいです。
最近、パーティでも、自分のパートナーとしか踊らない男性が増えているような気がします。
そうなると、パートナーのいない女性たちは、フロアから去っていくでしょう。

そうならないように、パートナーのいる男性も、女性に声をかけてほしいです。
リーダーのいる女性は少しの間、我慢してくださいね。

目標依存症

テーマ:
三浦雄一郎さんが、史上最高齢の80歳で世界最高峰のエベレストに登頂したそうで、世間から賞賛されています。

私はどうかな~?と思っています。
彼は、「目標依存症」なのだと思います。
何か目標がないと、生きていくことができないのです。
それって、麻薬中毒患者とかアルコール依存症とあまり変わりません。

彼によると、「目標を持って生きれば、わくわくできる。」らしいです。
逆に言うと、目標がないとわくわくできないのです。
実際、目標をなくした時、彼は生き甲斐をなくし、すごく太ったそうです。
80歳にもなって、そういう生き方しかできないのは、人間として未熟だと思います。

エベレストに登るには最低250万円かかるそうで、装備やら食糧やらを整えるには、総額で500万円くらいかかるんじゃないでしょうか。
彼は、スポンサーを募って、それだけの金額を用意したみたいですが、誰にでもできることではありません。

高齢者にそういうお金のかかる挑戦を期待する人は少ないのではないでしょうか。
私は、老人には、「年寄りの冷や水」のような目標を持ってもらうよりも、人生の経験から得られる深い智恵を若い人に教えることを期待します。
本来、老人の「老」にはそういう意味があります。

目標など持たなくても、人生は楽しめるし、生き甲斐もあると思います。
つまるところ、彼は、高度経済成長時代の「常に目標に向かって前進する」生き方しか、知らなかった人のような気がします。
女性タレントが自宅に男を連れ帰り、セックスの最中に旦那が帰宅したそうです。

修羅場です。
刃傷沙汰にならなかったようで、自分を抑えた旦那さんは偉いです。

こういう場合、米国のある州では、妻を射殺してもいい、という法律があるらしいです。

「うなぎ」という映画では、役所さん演じる夫が、その場で妻を刺殺していました。

こちらの国会議員も妻の留守中に、愛人と自宅で楽しみ、その写真まで撮って、マスコミで公開されました。

自宅で浮気するのは止めた方がいいと思います。
昨日見た映画の中で、ヒロインが
「ダンスを一緒に踊れば、愛を表現することができる。」というシーンがあります。
私も、確かにそうだな、と思いました。

「愛」とは何か?
残念ながら、日本語ではっきりした定義はないようです。
もともとキリスト教の概念みたいで、日本人には、あまり親しみのない言葉です。
英語の「LOVE」を「愛」と訳したみたいです。

小林司という心理学者は、愛を次のように定義しています。

「愛とは個人、もしくは複数の人に対して、相手の幸せと成長に心づかいをし、共感的に相手を理解し、優しく扱って、親密感と愛着を抱き、すべてをありのままに受容して許し、無条件で自分を与え、ともに成長すること。」

えらく長い定義です。
 
 エーリッヒ・フロムによれば、「愛とは与えること」だそうです。

私は、愛とは「生きている喜びを共に分かち合う心」だと思っています。
人に対してだけではなく、植物や動物などの自然に対しても向けられる感情です。

この感情と利己主義は正反対の位置にあります。
自分のことにとらわれていると、相手に対する愛はなくなります。
個人主義の社会では、この愛がとても大切だと思います。
だから、個人が尊重される、キリスト教の社会で、強調されるのでしょう。

社交ダンスなどのカップルダンスを踊るためには、常に相手の動きに注意しなければなりません。
自分に執着すると踊れません。
ダンスを踊ることは愛を育むために、良い訓練になると思います。

今、テレビで、厳島神社近くの海で取れるアナゴを紹介しています。
「あなご飯」、おいしいですよ。

世界にひとつのプレイブック

テーマ:
久しぶりに映画館で見てきました。
この映画、以前から見たかったので。
(試写会に申し込んだけど、はずれました。)

http://playbook.gaga.ne.jp/

おもしろかったです。
私もそううつ病の気があるのですが、その症状をうまく描写していました。
ダンスファンには興味が持てると思います。
主人公たちが踊ったダンスは、フリースタイルで、ラテンアメリカンでもスタンダードでもありません。
それでも楽しく見れます。
競技ダンス志望の女性が、コンペに出るために、相手を見つけるのに苦労するのは、日本でも米国でも同じみたいです。

ちょっと驚いたのは、私のサークルにいた男性が、競技ダンサー(確かアマチュアA級)の女性と一緒に見に来ていたことです。
その女性はカップルを昨年解消したと、聞きました。
力量に雲泥の差があるのに、男性が少ないので、競技会に参加するには組まざるを得ないのでしょう。
映画の内容と良く似ている状況みたいです。

映画の中でかかっていた曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=yzdqQVMpBms