良いお年を

昨日のパーティで隣に座った女医さんが、「来年は、パーティ用のドレスとラテンシューズを買いたい。」と言いました。

まだ、ダンスを始めたばかりの初心者です。

一人でダンスショップに行くのは不安だということで、私が付きそうことになりました。

女性が美しく着飾るのは、いいですね。
裸の女性も好きですが、ドレスアップした女性はそれ以上に好きです。

女性にとって社交ダンスの楽しさは、ドレスを着こなすことにあると思います。
男性にとっても目の保養になります。

日ごろはなかなか派手な衣装を着る機会はないですからね。

前にも書きましたが、地元でスタイリストをしている女性が、ドレスを着たい女性のために、定期的に食事会を開いています。

でも、ドレスを着て、立ってパクパク食べるだけでは、冴えないです。

やっぱり踊ってスカートのすそをひらめかせないと、ドレスを着る意味がないような気がします。

今年もそろそろ終わりです。
皆様、良いお年をお迎えください。
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ダンスの競技会に参加するには、パートナーが必要です。
自分の配偶者になってもらうのがベストですが、それが無理な場合は、他の異性と組まなければなりません。
ただ、その場合、配偶者と組む場合より、出費が増えます。(あくまで一般論ですが。)
どうしても、見えを張ったり、身なりを整える必要性にかられるからです。
妻とか夫なら、安上がりで済むのですが、他の異性だといろいろ気もお金も使います。

ヴェルナー・ゾンバルトは、「資本主義」という言葉を世の中に広めた社会学者です。
この人が書いた「恋愛と贅沢と資本主義」という本があります。
中世の貴族たちの家計簿を丹念に調べて、書かれました。
それによると、私たちが生きるこの社会は恋愛と贅沢を基本的前提としており、それが資本主義の隆盛の基礎をなしている、というのです。
そして、この場合の恋愛とは、制度に縛られない、非合法な恋愛のことらしいです。
なぜ、恋愛、それも非合法恋愛なのでしょうか。
彼の知的確信によれば
非合法恋愛に血道を挙げている男性は、金に糸目をつけずに愛人に貢ぎ、それが資本主義の生成と隆盛を支えている、のだそうです。

要するに、男の浮気こそが経済を発展させる原動力である、ということです。

確かに、日ごろは安い定食屋にしか行かない男でも妻以外の、魅力的な女性と食事する場合は、それなりに値の張るレストランに行こうと思いますもんね。
多くの男性が覚えのあることだと思います。
また、女性も、夫以外の異性を意識して、ファッションや化粧品にお金をかけるんじゃないでしょうか。

今の日本に最も足りないのは、男女のロマンスとエロスだと思います。
世界でも類を見ない「色気のない社会」になっています。
だから、消費が盛り上がらないのです。
一つにはみんなが仕事ばっかりして、恋愛をする暇がない、からです。

みんなが仕事を休むようになれば、物資やサービスの供給は減ります。
そして、休むことによってできた余暇を男女関係に利用すれば、需要が増えます。
人はロマンスやエロスのためには、お金を惜しまないからです。
そうなれば、供給と需要の関係が変わり、物資やサービスの値段は上がっていきます。
デフレが終息するわけです。

社交ダンスは、配偶者以外の異性と疑似恋愛を楽しむことのできるレクレーションです。
浮気まではいかないけれど、それなりに「非合法な恋愛」気分を味わうことができます。
(実際に浮気する人も少なくないですが。)
異性に自分のいいところを見せようと、みんな何となく財布のひもが緩みます。
着飾るための衣装、個人レッスン、その他もろもろに気前よく散財します。
ゾンバルトの理論の通りです。

デフレを終わらせ、日本の景気を良くするためには、みんなが社交ダンスを踊ればいいのです。
フランス文学者の鹿島茂さんが言うように、「社交ダンスが日本を救う。」です。
特に、お金をそこそこ持っている中高年には、趣味として楽しんでほしいです。

まだまだ書きたいことはありますが、年末なのでここで一応、おしまいです。

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踊り納め

今日は踊り納めでした。

地元の小さなダンスホールから、「良かったら参加してください。」とお誘いがありました。

こういう風に声をかけてくれるって、とても幸せなことです。
人生で最も幸福なことの一つかもしれません。

私が社交ダンスをやって良かったのことの筆頭は、そういう親密な人間関係を築けたことです。
いろいろ考え方はありますが、社交ダンスって、つまるところ、人とのつながりを作る一つの手段だと思います。

初めて出会った男女が(同性同士でもかまいませんが。)音楽に合わせて一緒に踊ることにより、急速に親しくなれます。
初対面の女性に、いくら私が口八丁手八丁で話しかけても、心を開いてもらうのはなかなか難しいです。
でも、音楽を利用すれば、それができます。
言葉は論理を伝えますが、音楽は感情を伝えることができるからです。
人は、理屈で説得されて他人と親しくなることはあまりありません。
まずは、同じ感情を共有し、共感しないと人とのコミュニケーションは難しいです。

一緒に踊れば、同じステップを踏むことにより、容易に共感できます。
これがダンスの効用です。

言葉が生まれるずっと以前から、人類はダンスを利用して、人間関係を築いてきました。
今は、脳科学の分野でもその効果が確かめられています。

日本では人とのつながりが築けず、寂しい思いをする人が増えています。
音楽とかダンスを利用して、みんなが幸せになってほしいと思います。

さっき、テレビで「さよならはダンスの後に」をやっていました。
倍賞姉妹で歌って踊っています。
今日、この曲でチャチャチャを踊りました。

http://www.youtube.com/watch?v=65MCdZlz2F4
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この手の話題ってすごくアクセス数が多いので、続編です。
(半日で200人以上ってなんかすごいです。)
社交ダンスファンは、この点に問題意識を持っているのかな~て思います

先日、公民館のパーティに行ったら、5組の競技ダンサーが踊っていました。
せっかく5組揃ったのだから、たまにはパートナーチェンジするのかな~と思って見ていたら、全く、なし、です。
黙々と踊るばっかりです。
ちっとも雰囲気が盛り上がりません。
受験直前の予備校の教室、と言えばわかりやすいかな?
みんながライバルで、冷え冷えとした感じ。
隣の受験生が風邪ひいて休むと、妙に嬉しくなるっていう、まさに競争社会って雰囲気です。

一人で参加する女性が何人かいましたが、全然、相手にされません。
しかたないので、(というか私も相手がいないので。)私が彼女たちの相手をしました。
それなりに楽しかったので、まあ、悪くないのですが。

「みんなでパーティを盛り上げよう。」という、意欲のないフリーライダー(ただ乗りする人)ばかりになると、こういう雰囲気になります。
つまり人が集まる意味がなくなるのです。
こういう集団を「烏合の衆」と言います。
このような状態になったために、地元のダンスホールは閉店しました。

ダンスパーティ、というのは、みんなの参加意識が必要です。
「盛り上げて楽しもう。」という神輿をみんなで担ぐのです。
それが嫌なら、自宅で、踊っていればいいのです。

要するに、パーティって「一人(二人かな?)はみんなのために、みんなは一人(二人)のために。」っていう精神が大切なんだと思います。
パーティのマナーも、この精神を持てば自然にわかるはずです。

ちなみにカラスって、鳥類の中では最も知能が高いそうです。
カラスだってみんなのことを考えて行動するのかもしれません。
宅急便のお兄さんが、荷物を自宅に届けてくれるのですが、なかなか私がいないので、結局、三回も来てもらいました。
すごくもうしわけない気分になりました。
こんなに親切な運送業者は、外国には存在しないんじゃないでしょうか。

デフレを脱却する究極の秘策があります。
国民が決意さえすれば、割に簡単なことです。

東日本大震災では、多くの物資やサービスが突然、被災地から消えました。
あの時、日ごろは、存在して当然の品物やサービスに対して、そのありがたみを感じた人が多かったはずです。
生理用品ワンパック手に入れるなら、いくらでもお金を払ってもいい、と思った女性がいたかもしれません。
つまり物資やサービスの価値が一気に上昇したのです。
相対的にお金の価値は劇的に下落しました。
極端すぎますが、あの状態を再現すれば、デフレは終焉します。
理論的には正しい方法だと思います。

方法は全く難しくありません。
みんなで仕事を休めばいいのです。
日本中の人が、モノの生産やサービスの提供をやめれば、お金の価値は下落します。

古代ギリシャの時代、労働するのは奴隷でした。
市民は奴隷の作った品物やサービスを享受して、哲学を論じ、人生を楽しみました。
理想的な人間らしい生活を送っていました。
現在の日本は、言い方は悪いですが、奴隷が多すぎるのです。
だから、奴隷自身の価値も落ちるし、彼ら(私たち)が作る製品や提供するサービスの価値も落ちているのです。
これが、デフレの大きな原因です。

つまり、提供される製品やサービスが、あまりに過剰なので、私たちはそれらに対して全くありがたみを感じません。
それらを作りだす労働者の価値も落ちて私たちの給料が上がらないのです。

だから、解決法は、日本人が奴隷のように働くのをやめて、人生を楽しめばいいのです。
その結果、おそらく、何もかもが不足して、不自由な社会になると思います。
何となく嫌な感じがしますが、それがデフレ対策には有効です。

要するに、今の日本はあまりに快適すぎるのです。
その快適さを作りだしているのは、私たち労働者、サラリーマンです。
勤勉な日本人が一生懸命に働いてこの快適な社会を作り出しています。
そのことが、物品やサービスの価値を落とし、相対的にお金の価値を高くして、デフレを招いています。
私たちは自分で自分の首を絞めているのです。

せめて正月三が日くらい、ライフラインに関わる仕事や人の生死にかかわる仕事をしている人を除いて、みんなで休みませんか、って言いたいです。
そのために、おせち料理っていうのがあるのですから。

きっとモノやサービスの価値、そしてそれらを提供してくれる人々の価値がよく理解できると思います。
そうなれば、お金の価値は相対的に落ちていきます。

この続きはまたいつか。

先日のダンスホールの閉店パーティにも何組かの競技ダンサーカップルが参加していました。
隣のカップルを見ていたら、数曲、二人で踊った後、
女性が、「ありがとう。後は他の女性を楽しませてきてください。」と言っていました。

ちょっと感動しました。

もうひと組のカップルは最初から最後まで二人で踊っていました。
それも両方ともあまり楽しくなさそうな暗い顔で、この二人は一体何のために参加したんだろうか、と思いました。

「社交したくないカップルを巻き込んで、無理してパートナーチェンジする必要はない。」という考えもありますが、
私はやっぱりパーティではいろんな人と踊って親睦を深めた方がいいと思います。

たとえば、こういう場面を考えるといいです。
ある料亭で、一人で食べると2万円かかるが、10人以上だと割引きが効いて、一人1万円で食べられるとします。
そこで、費用を安くあげたい人が、10人いるグループに加えてもらって一緒に食べることにしました。
こういう場合、その人は周囲の人と一緒に会話し、楽しみながら食事する義務が(暗黙のうちに)生じます。
ところが、全く会話せずに、一人で黙々と食事し、終わったら、さっさと帰ったとします。
この行為はどう見ても、マナー違反で、礼儀を欠いています。

ダンスパーティを催すには、それなりにお金がかかります。
でも、たくさんの人が参加することにより、それを安い価格にすることができます。
また、価格だけでなく、みんなが楽しめるように、いろいろ苦労があります。
だから参加者は、みんなで楽しい雰囲気を盛り上げ、みんなで「愉快なパーティ」にするための、神輿を担ぐ必要があります。
パートナーチェンジせず、二人だけでずっと踊るのは、先の例で一人で黙々と食べる無礼な男と同じです。
それなら、二人でどこかの会場を借りて、思う存分に踊ればいいのです。
ある意味で、そのカップルは集団に属して、義務を果たさず、そのおいしい権利だけを食べようとする「フリーライダー(ただ乗りする人)」だということになります。

フリーライダーをいかにして排除するか、これは集団にとってとても大切なことです。
そういう人が増えたら、集団が機能しなくなるからです。
会社組織に管理職がいるのは、それが理由の一つです。


ちなみに私は会社で、「完全なるフリーライダー」と言われています。

「ラストダンスは私に」です。

http://www.youtube.com/watch?v=d0LY00PJa_g

昨日、麻生金融担当大臣がテレビに出演して、デフレ脱却についていろいろ話していました。
日本では、終戦後、昭和20年からデフレ不況を経験していなくて、対策に苦労しているらしいです。
政治家にとっても、経済学者にとっても、無知、未経験の世界なんだそうです。

私はそんなに難しくない話だと思います。
デフレの原因は、はっきりしています。
(多くの経済学者やエコノミストは、デフレの原因についていろいろ言っていますが、多くは的をはずれているように思います。)

デフレの真の原因は、人々が「お金を何より大切なもの。」だと考えているからです。
みんながお金が人生で最も大切なものだと考えれば、お金の価値はどんどん上がり、結果的にモノやサービスの価値は下がります。
これが本当の「デフレの正体」だと思います。(藻谷浩介さん風に言えば)
誰でもわかる、当たり前の話です。
つまり、日本人の拝金主義が、お金のバブルを生んでいるのです。
この問題は、人々の価値観に深く関わっており、経済学者やエコノミストの視点では、かえって難しいのかもしれません。

だから、デフレの対策もはっきりしています。
お金より大切なものがある、と人々に教え、それをみんなが手に入れられるような政策を実施すれば良いのです。

では、お金よりも大切なものとはなんでしょうか。
これもはっきりしていて、それは愛情です。(あえて断定します。)
愛情なくして人は生きていけませんから。

だから、人々が愛情に包まれた生活を送れるようにすればいいのです。

たとえば、もうすぐ正月ですが、今年も元旦から多くの店が開店すると思います。
法律で正月の営業を禁止して、三が日はみんな自宅で家族と過ごせるようにするのです。

一年のうち、たった三日でも家族水入らずで生活すれば、家族の愛情が深まります。
「働いてお金を稼ぐよりも、家族で一緒に過ごした方が絶対に楽しい。」と思う人が多く出てくるでしょう。
そして、家族一緒におせち料理を食べたり、近くの温泉に出かけようと言うことになれば、その時に、お金が使われるのです。
つまり、お金の価値が相対的に低くなって、モノやサービスの価値が上がったのです。

また、「1月の成人の日には、全国でダンスパーティを催すので、二十歳になる男女はパートナー同伴で参加すること。」という法律を作ります。
すると、突然、ドレスやタキシードの需要が、爆発的に発生します。(振り袖業界は苦戦しますが。)
ダンス教室にも若者が殺到するでしょう。
とにかく、相手を探さないといけないので、外食とかデート代などにお金が必要になります。
小金を貯め込んでいる爺さん婆さんは、かわいい孫のためなら、と、お金を出してくれるはずです。
たったこれだけのことを企画するだけで、日本中で膨大なお金が動くことになります。
銀行に眠っていたお金が、モノやサービスと交換されるのです。
「金は天下の回りもの」という、本来のお金の姿に戻ります。

そういうことを繰り返していけば、だんだんお金の価値は下がっていって、デフレは解消されるはずです。
これが、最も効果のある、デフレ対策だと私は思います。

この続きはまたいつか。

仕事納めで飲んで酔っぱらいました。
酔うとシリーズ日記を書きたくなります。

経済の専門家でも何でもないけど、素人なりに、デフレ脱却法を考えてみました。
意外に、素人の方が、本質が見えたりする場合もありますからね。

価格と言うのは基本的に、需要と供給の関係で決まります。
(中学校で習ったことです。)

需要が多ければ価格は上がるし、供給が多ければ、価格は下がります。
この二つのバランスがとれた所で、価格が決まります。

日本でデフレが続いている、ということは、需要よりも供給の方が多い、ということです。
つまり、需要が足りなかったか、供給が多すぎたから、と考えられます。

ですから、デフレを止めるには、需要の多い、人々が欲しがる、モノやサービスを提供するか、あるいは、供給を絞ればいいのです。
ただ、供給を絞るのは、難しいです。
鎖国でもしない限り、海外から安い製品がたくさん輸入されるからです。
(このことはまたいつか考えます。)

ところが、安倍新総理は、そういうことは考えずに、お金をたくさん刷って、お金の価値を下げればいいと考えています。
それは間違っていると思います。
お金の価値を下げる、というのは、目盛を変えるだけで、本質的な問題解決にはなりません。
(たとえば、お金の価値が半分になれば、100円の目盛が200円に、500円の目盛が1000円になるだけです。)

企業は常にお金以上の価値を持つ、モノやサービスを提供すべきであって、そうじゃないと生き残れません。
ただ、これを見つけるのが難しいのです。
私はここでも社交ダンスがヒントになると思います。

社交ダンスの個人レッスン料は高いです。
40分で5000円以上する教室もあります。
それでも、個人レッスンを受けたい生徒は多いです。
もちろん裕福な人もいますが、そうじゃない人もたくさんいます。

映画「Shall we ダンス?」でビルの清掃員をしながら(違ったかな?)、個人レッスンを受ける女性を渡辺えり子さんが演じていました。

以前のパートナーに「どうやってレッスン料をねん出していますか?」と尋ねたら、
「食事のおかずの量を減らして安いものにしている。」そうです。(家族にとっては迷惑な話ですが。)

また、ダンスショップのオーナーをしている女性に、
「最近は不景気だから、ドレスは売れないでしょう?」と聞いたら、「そんなことないよ。」と言っていました。
私が見ている前でも10万円以上するドレスを買う女性がいました。

つまり、本当に欲しいものやサービスを提供すれば、人はお金を払う、ということです。
狭い趣味の話だから、一般化はできませんが、価格を下げなくてももうかっている業界はあります。
ずっと価格が下がり続けているモノやサービスは、基本的に人々の需要に答えていないのだから、撤退するのが正解だと思います。
商売人なら、誰でもそう考えるはずです。
ところが、日本の企業は儲からない業界からなかなか撤退しようとしません。
税金を使ってまで、その市場で生き残ろうとします。
これが良くないなあ、と思います。

この続きはまたいつか。

インフレで大丈夫なのか?

テーマ:

昨日、灯油を買いに行ったら、18リットルで1600円以上しました。
たしか、10年ほど前は1000円前後で買えた記憶があるのですが。
かなり値上がりしています。

これから、資源や食糧の値段が上がりそうです。
外国からの輸入に頼っている日本から多くのお金が出ていくでしょう。

安部政権は、お金をどんどん刷ってインフレにする、と言っています。
大丈夫なんでしょうか。

そもそも日本経済の輸出依存度は13%に過ぎないそうです。
自動車や電機のメーカーが「円高は困る」と大声で言っているから、庶民は「円高は悪い。」と思っていますが、本当にそうかな、と思います。

輸入品が買えなくなることの方がよほど困るんじゃないでしょうか。
日銀OBがインフレに備えて、金(きん)を購入しているそうです。
庶民にはそんな防衛策はとれません。


下手したら、物価がどんどん上がっても、給料は上がらない、という悲惨な状況になります。


明治の初めに、日本各地を旅行した英国人女性、イザベラ・バードは、日本の中高年女性が、「女」を捨てていることに驚きました。
カップル文化の英国では、女性はいくつになっても性的魅力をアピールしますが、日本女性は、女として魅力的に見えなかったのです。
(この時、彼女は40代後半でした。自分と同世代の日本女性の色気のなさにあきれたのでしょう。)

当時の日本人女性は結婚したら子供をたくさん産んで、子育てと家事、農作業に追われ、体がぼろぼろになるまで働いて、末っ子の孫を見たら、満足して死んでいったのだと思います。
平均寿命も短かったし、夫のために性的魅力を磨くなんていう、発想自体がなかったはずです。

女性週刊誌によると、最近、アダルトビデオに自ら出演する、中高年女性が増えているそうです。
熟女ブームで、中高年女性が男優と絡むAVが良く売れているらしいです。

ただ、希望者が殺到して、女優(?)は全く不足していないので、それほどお金にはなりません。
手取りで1作品7~8万円が相場で、名前が売れている人でも1本30万円くらいだそうです。

彼女たちはお金が目的で出演しているわけではありません。
「子育てが一段落し、気づけば夫とはセックスレス、このまま女として終わるのか~」という焦燥感から決意する女性が多いそうです。

ちょっと驚きですが、気持ちはわかります。
日本には、中高年女性が女として扱われる場面が少ないのです。

江戸時代には、女性の文化といえば、遊郭や芸者さんなどの花柳界が中心で、普通の中年主婦が女性をアピールできるような場があまりなかったのでしょう。
フランスなんかには、マダムの文化がありますね。

明治維新からもう160年以上たつけど、そういう文化が花開いたという話はあまり聞きません。
というより、日本には、中高年が、男と女として性を意識しながら楽しむ文化がないですよね。
結婚して子供ができたら、男と女と言うよりは、お父さんとお母さんとして接し、家庭内から性的要素は取り除かれます。
子供が多く、寿命も短い時代ならこれでもいいのでしょうが、高齢化社会では、物足りない気がします。

そろそろ、日本でも、そういうカップル文化を作ってもいい時期のような気がします。
今さら、一夫多妻の社会には戻れませんからね。
社交ダンスはそのためのヒントになりそうです。
なんと言っても、女性は踊る姿がきれいです。
「女」という時は、人が踊る姿の象形文字からできた、と聞きました。

女性が裸であえぐシーンも嫌いじゃないですが、(むしろ好きですが)それ以上に美しいドレスを着て舞う姿は魅力的です。
踊りの中でも特に、カップルダンスがお勧めです。
ロマンスを表現するにしても、エロスを表現するにしても、男女で一緒に踊ると、見る人を感動させます。
(そこまでいくのが、大変なんですが。)
社交ダンス、これからも消えずに残ってほしいです。

これで私のカップル文化に関する話は終わりです。
独断と偏見に満ちた文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
何かご賛同できる点があれば、幸いです。

私の大好きなダンスの動画です。いつか女性をこんな風に踊らせたいと日夜努力しています。
(していないけど。)

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&feature=related&hl=ja&v=sTU55Lwc-Y4