先週土曜日の「サワコの朝」に作家の伊集院静さんが出演していました。

彼の両親は二人ともダンス教師で、ダンスホールを経営していたそうです。

ミラーボールがホールに取りつけられた日に、両親が踊っているのを見て、「いい雰囲気だなあ~。」と思ったらしいです。

その時の曲がこれ。「さよならはダンスの後に」

http://www.youtube.com/watch?v=65MCdZlz2F4

1965年、私が4つの時に流行った歌です。
倍賞千恵子さん、歌がとっても上手です。

当時のダンスホールは男女の出会いの場で、とても熱気があったそうです。

で、長男だった伊集院さんが、そのダンスホールを継ぐ予定だったらしいです。

結果的にそうなりませんでしたが、そういう環境にいると、男女の機微やロマンスもわかるのかもしれません。
作家の素養がその頃、できたのかも。
二人の女優と結婚する男性なんて、そんなに多くありません。

うらやましいなあ~
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微笑みの国

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「にっぽん微笑みの国の物語」は今年の正月番組で放送されて、もう2回目の再放送だと思います。
何度見ても、いろいろ考えさせられます。

明治の初め、日本に来た外国人たちは、日本人の笑顔に魅了されました。

「この民族は、笑い上戸で、心の底までも陽気である。」
「この日出ずる国ほど、安らぎに満ち、命を蘇らせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国はどこにも他にはありはしないのだ。」と書いています。
確かに当時の庶民の写真を見ても、みんな心の底から笑っています。

この笑顔から判断すると、明治の初期まで、日本人は今より幸福だったのではないか、と思います。
もちろん、今よりもずっと貧しかったでしょう。
でも、経済的には恵まれていなくても、心から笑えるような安心を感じていたのではないでしょうか。

何が安心感をもたらしたのか、明治11年に日本を旅行したイザベラ・バードの旅行記の中にヒントがあります。
彼女は「旅の途中で、人々の不潔さと貧しさ、自我のないことに衝撃を受けた。」と書いています。
(彼女は、旅行を続けるにつれ、日本は、「エデンの園」「アルカディア(桃源郷)」だと言っていますが。)

この「自我のないこと」がキーワードだと思います。
当時の西欧社会はすでに個人主義が支配していました。
日本にはまだ、個人主義は芽生えていなかったのしょう。

集団の利益よりも自分の欲望を優先する個人主義は、結果的に人を孤立させ、不安にします。
不安を感じると、人は笑うことはできなくなります。
自由であることは同時に、孤独であることでもあります。

世界各国に外国語で落語を紹介している、ある落語家は、「日本人ほど笑わない民族は、世界にいない。」と言っています。
笑わなくなった、現代の日本人は、この140年間、個人の自由を追い求め過ぎたのかもしれません。
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娘が飼っていたハムスターが死にました。
餌をやっても出てこないので、寝ているのかな、と思っていました。
たった4ヶ月の命でした。

昨日までうるさいくらいに走り回っていたのに。
今は静かに目を閉じて死体になっています。
生と死は誰の目にもわかるコントラストです。

娘は泣いています。

生命って不思議です。
死があるから、生が輝きます。

生きている時間を大切にしなければいけないと思います。
無駄に過ごしてはいけません。

娘もそのうち理解できるでしょう。
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地元のテレビ番組で、私と同世代、50歳前後のおっさんたちが、チームを組んで、ヒップホップを踊る様子を放映していました。
スポーツジムで、インストラクターの踊りを見て興味を持ったそうです。

観客を前にエグザイルの曲に乗ってダンスを披露していましたが、見ていて何となく「痛い。」感じがしました。
曲のリズムに体がついていっていないのです。

中学校でダンスの授業が必修になりました。
66%の学校が、ヒップホップなどの、現代的なリズムで踊るダンスを取り入れているそうです。
動きが早いので、教える先生はたいへんです。

ある中学校の教頭先生(56歳)がエグザイルの曲で、生徒にダンスを教える様子をテレビで紹介していました。
DVDで、振付を研究して、みんなが帰った後に一生懸命に練習していました。
まさに悪戦苦闘です。
生徒に言わせると、「動きがぎこちない。」
本人は「予想以上に体が動かない。」
指導している様子を見て、思わず笑ってしまいました。
でも、ダンスがきっかけで、先生と生徒の距離がちかづいたそうです。

娘を連れて、地元のヒップホップ教室を見学しましたが、娘は三回通って、あきらめました。
「動きが速過ぎてついていけない。」そうです。
私も無理だと思いました。

社交ダンスを踊れとは言わないけれど、もう少しゆっくりしたリズムのダンスを教えた方がいいんじゃないでしょうか。
また、中高年は年齢相応のダンスを踊った方がいいです。

http://www.youtube.com/watch?v=nY6_sUuWHoY

ダンス依存症

今週は、水曜、金曜、土曜、そして今日と4日、ホールやパーティ、サークルでダンスを踊りました。
私は「ダンス依存症」なのかもしれません。
休日には、最低、1時間は踊らないと、休んだ気になりません。
踊ることが好き、ということなのでしょうが、なぜ、そうなのか、と言うと、踊っている間は、気分が軽くなるからです。

日ごろの嫌なことを忘れて、心の底から笑えます。
おそらく、脳の中に安心ホルモンのセロトニンが分泌されているのでしょう。
触れ合って踊ることにより、愛情ホルモンのオキシトシンやバソプレシンも分泌されているかもしれません。

人類は、脳の肥大化により、自意識を持ちましたが、同時に、自分にいつか死が訪れることも知りました。
この死の恐怖をいかに克服するかが、人類の課題となりました。


「悪の遺伝子」というのはない、と前回の日記に書きましたが、「暴力遺伝子」は存在します。

確か、セロトニンの分泌に関係する遺伝病だったと思います。
安心ホルモンであるセロトニンが足りないため、常に不安にかられるのです。

不安にかられた人間は、心に余裕をなくし、周囲の人々のことを思いやることができません。
窮鼠猫をかむ、の心境になって、暴力をふるったり、罪を犯したりします。
これが「悪」という概念なのでしょう。

だから、社会から悪をなくし、明るく楽しい社会にするには、人々の不安をなくす必要があります。
そのためには、社会の格差をなくし、生まれてきた以上は、最低限の生活は保障するべきです。
子供には、愛情を注いで、「自分はこの世界で生きて良いのだ。」と自信を持たせなければなりません。
人を孤立させるのが一番、良くないです。
太古の昔から、人は孤立するとそれが死に直結することを知っているので、大きな不安を感じます。
(いくら、経済的に援助しても、遺伝的に組み込まれたプログラムなので、不安は消えません。)

もう一つは、音楽を利用して、脳内にセロトニンを分泌することも大切です。
人と一緒に歌ったり、踊ったりすることにより、一体感を味わい、安心できるからです。
本当に安心できると、心から笑うことができます。
これが幸せだと思います。

日本人から笑顔が消えている、と言われます。
一つの理由は、みんなの心に不安があるからでしょう。

高齢者は老後の不安がある故になかなかお金を使おうとしません。
これが経済を停滞させています。
北欧のように、「一生、お金の心配はしなくてよい。」と社会保障を充実させれば、経済は活性化するはずなのですが。

政治経済のことを言ってもしかたないので、とりあえずは、歌ったり踊ったりして気を紛らわすしかないです。
日本人は踊る機会が少ないです。
踊ることを禁止している風営法が存在すること自体、間違っています。

生まれつきのワルはいない

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尼崎の連続殺人事件の角田という女性は、生まれつきそういう凶悪の遺伝子を持っていたのだろうと思っていました。
そう考えないと、あれだけ多くの人を無慈悲に殺せるわけありません。

しかし、脳科学者によると、生まれつき悪に染まった人間などいないそうです。
つまり、人間の本性は、基本的に「善」なのです。
「性悪説」は間違いで、「性善説」が正しい、ということです。

なぜ、彼女はあのような極悪非道になってしまったのでしょうか。
雑誌の情報によると、子供のころから親に全く愛情をかけてもらわなかったそうです。
父親は遊郭に入り浸りで、母親も彼女を育てる気はなかったらしいです。
彼女には、愛情深くケアしてくれる人がいなかった、ということです。

人間には運、不運があります。
人の運命を分けるのは、愛情をかけてケアしてくれる人がいたかどうか、だと思います。
特に小さい頃にそういう人の存在が重要です。
愛情不足の環境で育つと、人は幸せになれないし、下手すると犯罪者になります。

日本の子供は世界で最も寂しい思いをしている、という調査がありました。

http://www.ryuji.org/column/20090330_kodomo.php

いろいろ原因はあると思いますが、一つには、親が忙しすぎる、ということがあると思います。
このままだと、子供たちが大人になった時、幸せに暮らせるかどうか、疑問です。
企業の経営者は、小さい子供の親である従業員に対して、仕事の負荷を小さくして早めに帰宅させる、などの配慮が必要ではないでしょうか。

子供の頃に限らず、人間は死ぬまで、愛情に包まれて生きることが幸せのキモだと思います。
どんなに経済的に恵まれていても、物質的に豊かでも、温かい愛情のない世界に、人は耐えられません。

家族を守るために

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どうにか、スローフォックストロットを一曲、音をはずさずに踊れるようになりました。
(かなり長い時間がかかりました。)

どういう踊りになっているのか、自分ではよくわかりませんが、相手の女性が気持ちよさそうに踊るので、まあ、それなりに形になっているのでしょう。

今日は、チャップリンの映画の主題歌、「スマイル」で踊りました。

この歌、いいですね。
優雅です。

http://www.youtube.com/watch?v=Q9mW8bJ0tP0&feature=related

全く話は変わるのですが、尼崎の連続殺人事件の話を聞いていると、家族を守るためには、何か武器を持つ、というのも必要かな、と思いました。
警察が頼りにならないのなら、自分の身と家族は自分で守らなければなりません。

米国の銃社会を非難するばかりでしたが、何となく理解ができるようになりました。

家に日本刀でも置くかな~でも、銃刀法違反になりますね。

世界で最も卑猥なダンス

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昨日は、仕事で疲れたので、自宅で食事した後、ダンスホールに行きました。
思い切り踊ったら、気分転換になりました。
一人で静かに飲むのもいいけれど、踊った方がストレス発散になります。

「踊ってはいけない国、日本」という本を読んでいます。
最近、警察が若者の踊り場である、クラブを摘発する事件が相次いでおり、これに異を唱えた本です。
いろんな人の意見が載っていますが、私が納得したのは、
「ダンスを取り締まるのは、表現の自由を奪う、憲法違反である。」というものです。

ディスコやクラブだけでなく、社交ダンスを独立して取り上げた章もあります。
社交ダンスの弾圧の歴史を知るために、本屋で立ち読みするといいと思います。

風営法って、社交ダンスを規制するために作られた法律、と言っても過言ではないみたいです。
いろいろ理由はあるのでしょうが、男女が密着して踊るのが、公序良俗を乱す、と考えられたからでしょう。

明治の初期、初めて社交ダンスを見た日本の武士は、「性交の踊りである。」と喝破しました。
日本人だけでなく、植民地を支配する白人たちのダンスを見たアフリカの黒人たちも、「こんな卑猥な踊りはない。」と驚いたそうです。
客観的に見て、社交ダンスは世界で最も卑猥なダンスでしょう。
男女がこんなに肌を密着させる踊りは、世界に類を見ません。
「公然わいせつ」という言葉は社交ダンスのためにあるようなものです。
明治の元勲、伊藤博文なんかは、鹿鳴館で踊りながら、我慢できずに、相手の女性を別室に連れ込んで狼藉を働いています。

「(卑猥な)社交ダンスが認められているのだから、クラブのダンスも認めるべきだ。」という意見もあります。
まっとうな意見です。

我々が太陽の光を浴びて暮らせるのは、古事記によると、アメノウズメが踊ったからだそうです。
アマテラスを、太陽を再び、呼び戻すために、夜の中で「踊り狂い」神々がそれを見て笑いあったからです。
(相当、卑猥な踊りだったらしいです。陰部をさらして踊った、なんて記述もあったようです。)
つまり、真夜中に踊ったからこそ、この世界に朝が来たのです。
「このような素晴らしい神話を持つ国が、夜踊ることを禁止するのは、滑稽である。」

全くその通りだと思います。

この本、またいつか取り上げたいと思います。

日本は幸福か?

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サークルでスローの練習をしています。
昨日は、スウィングをやりました。
ワルツのスウィングが横方向であるのに対し、スローのスウィングは前後方向です。
みんな慣れていないので、なかなかうまくいきませんでした。

ワルツと同じで、スウィングがないと、スローは踊れません。
(スウィングのない、ワルツ、スローを踊る人もパーティではよく見かけますが。)

以前、「日本は幸福(しあわせ)か?」(1997年)という本を読みました。
夫や息子を過労死でなくした妻や母親の声を集めたものです。

最近は過労死の話をあまり聞かないので、もうそういう時代遅れの風習(?)はなくなったのだと思っていました。
とんでもなかったです。
若い人の間で、過労死や過労自殺が増えているそうです。
過労自殺した人の52%を20代、30代の若者が占めています。
27歳で過労自殺した、IT企業の社員を紹介していました。
一日に23.5時間、連続して勤務し、数時間寝て、再び出勤する生活が続いたそうです。
「女工哀史」よりひどい働き方です。

そういえば、以前、私の職場にも、元システムエンジニアの男性が来ました。
重度のうつ病で、障害者手帳を持っていました。
結果的に精神が安定せず、辞めていきました。
システムエンジニアと言う職業は、うつ病の薬を飲みながら働くのが普通なんだそうです。

こういう話を聞くと、日本は本当に先進国なのかな、と思います。
日本を代表する自動車工場をを視察に来たドイツ人が、早々に視察を切り上げて帰国したそうです。
「ドイツは一応、先進国だから、ああいう働き方を従業員にさせるわけにはいかない。」と言ったらしいです。

社交ダンスに若い人が来ない、と嘆く人がいますが(私もですが)、社交ダンスに限らず、どんな趣味のサークルにも若い人はあまり来ないようです。
みんな仕事に忙しくて、趣味どころではないのです。

趣味や家族との団らんを楽しむ暇もなく、働くばかりで過労死や過労自殺が多発する日本って、本当の意味で幸福な国ではないと思います。

つながり依存

テーマ:
テレビで「つながり依存」を取り上げていました。
四六時中、パソコンやスマホを通じて、ソーシャルメディアにアクセスしないと、精神的に落ち着かない人々です。
世界中に5000万人以上、いるそうです。
常に書きこんだり、レスポンスを確認しないといけないので、仕事も勉強も全く手に付きません。
職場を解雇されたり、学校を退学したりする人もいるようです。
今年の一月、ローマ法王が、「チャットやツィートを控え、一人静かに考えなさい。」とツイッターで世界の人々に警告したそうです。

私もこういう風にソーシャルメディアに書きこんでいるので、重度ではないかもしれませんがつながり依存なのでしょう。

つながり依存の人が増える理由の一つは、現代人が、人とのつながりを失い、孤立しているからだと思います。
もし、自分が周囲の人々としっかりつながって、孤立感を感じなければ、こういう依存症にはならないと思います。

人間は、脳が肥大化した結果、自意識を持つようになりました。
あるとき、自分が自然の一部ではなく、世界の中心にいることに気がつきました。
アダムとイブが「知恵の実」を食べた瞬間です。
その時、人は自分が一人、世界から孤立しているという孤独感を味わったのでしょう。
その孤独感を和らげるために、音楽が生まれたそうです。
宗教や言語もそれに続いて生まれました。
それとともに、自分自身の人生よりも重要なものがあるかもしれない、と考えるようになりました。
たとえ自分が死んでも、大切にしたいものができたのです。
孤独から逃れるために、一人で生きるのではなく、共同体の一員として生きる道を人は選びました。
自意識を超えて、共同体との一体感を味わう時に、人は幸せな気分になります。

ところが現代人は、この一体感がなかなか味わえません。
資本主義の社会では、人は利己主義に生きることを前提にしているからです。
個人の自由を最大限に追求し、気ままに生きることは快楽です。
でも、それは孤独で寂しい人生でもあります。

ソーシャルメディアで人とつながり、孤独感をいやすのも悪くないでしょう。
でも、私は音楽を有効に使った方がいいと思います。
周囲の人と、一緒に歌ったり、踊ったりすると、自分が一人ではなく、大きな存在の一部である、ということを実感できます。
孤立感から解放され、何となく幸せな気分になります。
私は趣味がダンスなので、踊ることを特に勧めます。
特に社交ダンスは相手と触れ合って踊るので、一体感が増します。