以前、競技会に出ていた頃、私と組んだパートナーは、東証上場企業の重役の妻でした。

今、時々、練習している女性も、海外に多くの拠点を持つ多国籍企業の役員の奥さんらしいです。
(本人は社名を明らかにしませんが。旦那さんは海外赴任中です。)

二人ともお金には不自由していないようで、いくらでも個人レッスンを受けることができます。

広島大会の開会式で、挨拶をした女性は、以前はかなり力のあった国会議員の妻です。
(最近は落ち目ですけど。)

社交ダンスを趣味として楽しむ人って、やっぱりお金持ちが多いんだなあ、と思います。
近くのダンス教室兼ホールで時々、発表会をやりますが、デモをやる生徒の社会的地位をしっかり紹介します。
お医者さんとか、大学教授、企業の重役、もしくはその配偶者が多いです。

もともとボールルームダンスは、ヨーロッパの貴族のレクレーションでした。
乗馬やゴルフなどと同列に並ぶものです。
経済的に恵まれない人は、楽しめない趣味でした。
そういう意味で、社交ダンスって文化資本の一つなのでしょう。
文化資本とは、学歴や文化的素養といった金銭によるもの以外の個人的資産を指します。
バイオリンが弾けるとか、外国語が話せるみたいなことです。
それなりの環境で暮らさないと習得することができません。

ただ、最近は不景気が長引いて、趣味にお金をかけられる人が少なくなっています。
ダンスファンが減っていくのも仕方ないのでしょう。

というか、この業界の人にとっては、下々の庶民に踊ってもらってはあまり好ましくないのかもしれません。
あくまでセレブの趣味にしたいのでないでしょうか。
でも、日本は欧米のように階級社会ではないので、ビジネスモデルとしては、きついような気がします。

以前、こんな日記を書きました。

http://ameblo.jp/ballroomdance/entry-10696141456.html
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鴬谷

ダンスホールの受付でチケットを買い、それをお目当ての女性ダンサーに渡します。
女性ダンサーはそのチケットの半分を靴下にはさみ、一緒に踊ります。
ダンスホールが引けた後に、男性はチケットの半分をもっていけば、ダンサーと甘美な一夜と過ごすことができます。
これが米国のタクシーダンサーで、この風習が日本のダンス教室でも残っています。
初めてダンスを習う人は、このチケット制に違和感を持ちます。
どうしてそんな変な風習を続けるのか私は疑問なんですけど。

それはともかくとして、先日、東京の鴬谷を紹介していました。
ラブホテルがたくさんあるんですね。
鴬谷の住民は「ラブホテルの町ではない。」と言っていましたが。
確かに歴史のある町です。

ダンスホールもありますね。
踊った後、ラブホテルに繰り出したカップルもかなりの数、いるんじゃないでしょうか。

私も若い頃、鴬谷のラブホテルを利用したことがあります。
相手はダンス関係者ではありませんでしたけど。

そういえば、こちらでもダンスホールがありますが、昔は、近くにラブホテルがたくさんあったそうです。
今は、場所が変わって何となくいかがわしさがなくなりました。

日本の社交ダンスは、健全性を表に出すために、スポーツとしてのダンスを志向するようになりました。
でも、清い川には魚は住めません。
ダンスから、出会いの場としての要素を取り除いたら、あまりおもしろくないと思います。

映画「Shall we ダンス?」を作った周防監督も言っていましたが、
社交ダンスのおもしろさは、「いかがわしさ」にあると思います。

「下心をベールに包んで、異性と踊る。」・・・これが社交ダンスの醍醐味なのです。
これがないと、よほどの暇人を除いて、誰もダンスなんか踊らないと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=M9dNmRF_22M
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社交から性交へ

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以前、サークルに来ていた男性は60代で、離婚して独身でした。
最近、ダンスを通じてパートナーが見つかったみたいで、おめでたい話になりそうです。

そういえば、少し前にダンスを教えた中年女性も、半年ほど前に、結婚しました。
このところ、社交ダンスで出会って結婚する中高年カップルがこちらでも増えているようです。

50歳になって思うのは、突き詰めて考えると、人生と言うものは人との出会い、縁によって大きく変わる、ということです。
縁を通じて多くの人と良いネットワークができれば、幸福な人生を送ることができるし、その逆もあります。

日本人は人と縁を結ぶことは、どちらかというと運任せみたいなところがあります。
年頃になれば、誰かが適当な異性とのご縁を持ってきてくれるだろう、という受け身の姿勢です。

つい最近までお見合い、という、とても合理的な縁結びのシステムがあったので、それに期待する心理があるのでしょう。
ところが、だんだんそういう縁を結んでくれる世話好きな人が少なくなってきました。
いろいろ理由があるのでしょうが、一つにはプライバシーに踏み込みにくくなったこと、そして人の移動が激しくなったことです。

お見合いおばさんとかおじさんが少なくなれば、自分で縁を見つけないといけません。
ここで必要となるのが「社交」の能力です。
社交とは、「自分で縁を見つける行為」と言えます。
引っ込み思案で社交は嫌い、という人はいつまでたってもパートナーを見つけることができなくなります。
今の若い独身男女が苦労しているのは、まさにこの点です。

意外ですが、フランスでも昔はみんなお見合いで結婚していたそうです。
人の移動が激しくなって、個々の若者の素性を把握することが難しくなり、お見合いが廃れたのです。
代わりに登場したのがダンスです。
ダンスを上手に踊れる男女は、相手を見つけるのが容易でした。
当時のフランスの絵に、踊っている男女をうやらましそうに見る男性たちを描いたものがあります。

男女の縁に限らず、ビジネスにおいても、社交の能力は必要です。
日本人が今まで社交の能力を、あまり重要視してこなかったのは、狭いムラ社会で長い間暮らしてきたからです。
そこでは、社交性より、協調性が重要視されました。
古くからの知り合いといかに波風を立てずにうまくやるかが、処世術でした。
人の移動が激しくなると、欧米のように社交能力を問われるようになります。

見知らぬ相手でも、とりあえずは相手を信用してみる。これが社交の基本です。
何事にも慎重な、日本人にはなかなか難しいですが、これから必要な能力だと思います。
相手を疑ってばかりいては、ダンスも踊れないのです。
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命より大切なもの

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アパートの隣の部屋に私の娘と同い年の女の子がいます。
どうみても、私の娘より、隣の子の方が大人びて見えます。
理由ははっきりしていて、隣の子には妹がいるからです。
私の娘は一人っ子で、「姉としての自分」を知らないのです。
「妹か弟が欲しい!」と以前、よく言っていましたが、あれは、自分が精神的に成長したいと言う心の叫びだったのでしょう。

同じことは私にも言えていて、私は今まで部下を育てたことがありません。
つまり、「上司としての自分、先輩としての自分」を知らないのです。
だから、同い年のサラリーマンと比べると、自分が精神的にとても幼いことを痛感します。

人間は集団の中で、与えられた役を演じたり、役割を果たしたりして、自分と言うものを確立していきます。
人の心と言うのは、他者との関係の中でしか育たないそうです。
心、すなわち自意識を確立するには、鏡としての他者が必要です。
だから、孤独の状態が長くなると、だんだん自分の意識が薄くなっていきます。
心が少しずつ消えていくような感じがします。
この状態に耐えられなくて、自殺する人もいます。
自殺しなくても、人は生きる気力をなくして死にます。(本当です。)

以前、こんな日記を書きました。

http://ameblo.jp/ballroomdance/entry-11078436328.html


「人間にとって、最も大切なものは、自分の命」だと思っていましたが、これは間違っているようです。
最も大切なものは、「自分と言う意識、つまり心」です。
いくら命があっても、意識をなくして、植物人間になってしまったら、生きている意味はあまりありません。

心をしっかり保つには、社会の中で何らかの役を持つということが必要だと思います。
昔は年を取ったら、若い人に自分の経験から得た知恵を伝えるという大切な役割がありました。
しかし、今はそういう需要はあまりありません。
かといって、高齢になると、仕事を得て、何らかの社会的役割を果たすと言うのも難しいです。

たとえ役割をなくしても、人間でさえあれば、誰にでも与えられている役があります。
それは男であり、女である、という性役割です。
年を取ったら、この性役割を演ずる、というのも悪くないと思います。
「もう、色恋沙汰は卒業だ。」などとは言わずに、恥を捨てて、男や女を演じれば、再び自分の心がよみがえるでしょう。

その点で社交ダンスなどのカップルダンスは趣味として悪くないと思います。
男は男らしく、女は女らしく、性的魅力を前面に出して踊ると、何となく意識がしゃきっとします。

大企業志向の大学生

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消費税の関連法案が衆議院を通過しました。
しかたないと思うんですが、問題は、大企業が消費税分の値上がりを下請けである中小企業に転嫁することです。
ますます中小零細企業は経営が厳しくなるでしょう。

大学生の就職戦線についてテレビで報道していました。
ほとんどの大学生が大企業に就職したがるので、競争が激しいそうです。
中小企業に就職することを視野に入れれば、みんな就職できるらしいです。
しかし、それはあくまで理論上です。
「私は結婚もしたい、子供も欲しい。だから大企業に就職したいのです。」とある学生が言っていたそうですが、これはある程度、正しいです。
はっきり言って、中小零細企業は労働条件が悪いのです。

昨年就職した大学生は、大企業が7万人、公務員が8万人、中小企業が19万人、派遣社員や非正規社員が11万人だったそうです。
大企業に入社できたり、公務員になれた大学生は幸せです。
その他は少なくとも労働条件では苦労するでしょう。

今年夏の大企業のボーナスは、バブル後最低だそうですが、それでも平均77万円(35歳前後でしょうか?)だそうです。
中小企業はこんなボーナスは払えません。
会社によるでしょうが、せいぜい50万円くらいじゃないですかね。
ボーナスのない会社もあります。
私の前の勤め先は、35歳で97万円だそうです。

東京に本社のある大企業と、地方企業では賃金が全く違います。
東京の一人当たり実質平均所得は747万円なのに対し、全国平均は435万円です。
地方と東京では一日1万円くらい、収入が違うわけです。

こういう統計を見ると、どうにかして、大企業に入社しないと、一生を通じて、経済的に苦労することは目に見えています。
問題は同じ仕事をしていても大企業と中小企業で、賃金が大きく違うことです。
ヨーロッパでは基本的に同一労働同一賃金なので、こんなことはありません。

何とかしないとあまりいいことはないと思います。
ある調査によると、老人が死ぬ間際に、誰かが迎えに来ているらしい、と感じた周囲の人が40%以上いるそうです。
(東京大学発行の学術誌に載ったらしい。)
これは周囲の人の観察なので、実際に、お迎えを見た死者はもっと多いと思われます。
迎えに来たのは、既に亡くなった家族や親族がほぼ8割です。

意識が混濁して、幻想を見たのだろう、と思いたいのですが、そうでもないらしいです。
まだ意識ははっきりしており、しっかり話せる状態で、「お迎え」を見たケースが多いです。
その場にいた家族も一緒に「お迎え」を見た例もあります。

にわかには信じられない人が多いと思います。
死ぬときには、あの世から迎えに来てくれるとは、昔から言いますが、私は一種の気休めだと思っていました。
そもそも、あの世(死後の世界)が存在するとか、肉体は死んでも、霊魂は残る、というのは、科学的ではありません。

でも、最近の脳科学で、脳と心は違うことが分かってきました。
脳は一人ひとりの頭蓋骨の中に収まった器官で、それぞれが独立した存在です。
しかし、心は、ネットワークの中にしか存在できません。
独立した心などと言うものはなく、誰かとの関係の中にしかないそうです。

そうなると話が変わってきます。
たとえ肉体は死んでも、ネットワークは残る可能性があるからです。
わかりやすく言うと、私のパソコンが壊れても、インターネットに接続する方法はあります。
私の父は死にましたが、父と息子と言う関係は、私が死ぬまで残っています。

独立した心はないのだから、死後の世界はない、と断言する科学者がいましたが、
逆に言うと、だからこそ、死んでも何かが残る可能性があるかもしれません。

私はこの手の話はあまり信じない方なのですが、この調査を見て、いろいろ考えさせられました。

飲食店でダンスを踊ることを禁じている風営法に対して、批判の声が上がっています。

日本の当局が、ダンスに対して拒否反応を示すのは、歴史的な経緯があります。
日本人に限らないのですが、男女が一緒に踊っていると、セックスしたくなるからです。

飲食店でダンスを踊ることを禁じている風営法に対して、批判の声が上がっています。

日本の当局が、ダンスに対して拒否反応を示すのは、歴史的な経緯があります。
日本人に限らないのですが、男女が一緒に踊っていると、セックスしたくなるからです。


http://ameblo.jp/ballroomdance/entry-11269808964.html

わが国には盆踊りと言う季節のイベントが昔からありましたが、これは一種の乱交パーティでした。
風紀の乱れを憂えた江戸幕府は何度も「盆踊り禁止令」を出しています。
昭和30年くらいまでは、盆踊りで一緒に踊った男女が盛り上がって、近くの草むらでセックスしていたそうです。
その時に、子供ができて結婚した夫婦も多かったらしいです。
(そういう意味では、一種の婚活パーティだったと言えます。)

しかも、「ええじゃないか」という踊りが幕末に民衆の間に流行り、これが倒幕の原動力の一つになっています。
作曲家の小室 哲哉氏は「ええじゃないか」は最高のダンスミュージックだと言っています。
民衆が踊り始めると、内乱に発展する可能性を秘めているので、政府は警戒するのです。

私の家の近くに、ラテンダンスを教える南米料理の店がありました。
私も何度かサルサを習いに行きました。
チリやペルーから来た男性と彼らを目当てにした若い女性が多くいましたが、結果的に閉店になりました。
店の中でハーブの販売が行われていたそうで、男女関係のトラブルもあったみたいです。

社交ダンスは、紳士淑女の踊りなので、そういう淫らな男女関係はない、と言いたいところですが、そうとも言えません。
明治の元勲、伊藤博文は、鹿鳴館で行われた舞踏会で、女性と踊って、劣情を抑えきれず、隣の部屋に女性を連れ込んで、狼藉を働きました。
伊藤博文と言えば、紙幣の顔にもなった、日本の偉人です。
そういう偉い彼でさえも、女性と踊ったら、セックスしたくなってしまったのです。

日本の当局がダンスを恐れる理由がよくわかります。
昔、当時の大蔵省の官僚が通った、「ノーパンしゃぶしゃぶ喫茶」よりも、スキャンダルにつながる可能性が高いからです。
ダンスは人間の理性を麻痺させ、本能のままに行動させる一種の麻薬かもしれません。

幸い、社交ダンスは風営法の対象からはずれたみたいです。


禁欲か快楽か?

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宗教とは価値観の体系である、というのが私の考えですが、間違った宗教や価値観を信じると、不幸になることがあります。

今、先進国の人々が信じているのは、キリスト教の一派である「禁欲プロテスタント」と呼ばれる価値観(宗教)です。
日本人の多くはクリスチャンではありませんが、明治維新後、西洋の影響を受けて、同じ考えに洗脳されました。

これは、「神に仕えるがごとく、仕事に励み、倹約によって資本を増やすことこそ善である。」というものです。
要するに、一生懸命に働いて、お金を貯めることが大切なことで、浪費したり、快楽を追求することは良くない、という考えです。
この考えが経済を発展させ、物質的に豊かな社会を築くことができました。

でも、この価値観だと、人生を楽しむことが難しくなります。
まじめだけど、一緒にいても少しも楽しくない人間が大量生産されます。

昨日、書いた、「卵子の老化」もこの「禁欲プロテスタント」の価値観が元凶だと言えます。
若い女性たちは、異性とセックスして子供を生むよりも、働いてお金を稼ぐことを優先します。
そうすると、結果的に子宝に恵まれなくなります。

5男9女の子供を作ったビッグダディは、禁欲せずに、やりたい放題で、セックスに励み、大家族を作りました。
(これはこれで問題がありそうですが。)

どちらが正しいとは言えませんが、私は子供に恵まれた方が幸せだと思います。

ギリシャに端を発したヨーロッパの経済危機も根本的には宗教、価値観の違いがあるそうです。

ドイツやイギリスなど北部ヨーロッパは、プロテスタントです。
他方、ギリシャやイタリア、スペインなどはカトリックです。
(ギリシャはギリシャ正教かな?)


カトリックの価値観は、「労働は神から与えられた罰であり、食べていくためにしかたなくやる必要悪である。」というものです。
勤勉な北部ヨーロッパの人から見れば、南ヨーロッパの人はみんな怠け者に見えるでしょう。
価値観が違うのに、同じ通貨を使っても、うまくいくはずがありません。

私は、禁欲プロテスタントの価値観は好きではありません。
一度きりの人生は楽しんだ方がいい、と思うからです。

若い頃、ごく少数の女性と遊んだのですが、どういうわけか誰も妊娠した人はいませんでした。
ある女性は、他の男性とセックスして一発で妊娠しました。
不思議だな~と思いました。

結婚してその理由がわかりました。
私の精子の数が少なく、元気もないことがわかったのです。
産婦人科医に言わせると、「これじゃあ、妊娠は無理。」でした。
要するに、オスとしては、存在価値はあんまりないってことですね。
不妊治療の甲斐あって何とか、一人だけは授かりましたが。

今日は、テレビで「ビッグ・ダディ」と「卵子の老化」に関する番組をやっていました。
対照的な内容で、いろいろ考えさせれました。

ビッグダディは、自制心の足りない、下半身の緩い男だと少し軽蔑していましたが、考えようによっては偉いのかもしれません。
5男9女の父親として、大家族を作った功績は侮れません。
少なくとも、子供たちは幸せそうでした。

最近の女性は、仕事に没頭するあまり、子供を作る時間と余裕がないそうです。
その結果、卵子が老化し、妊娠しにくくなるのです。

若い時代は、仕事よりも子供作り(要するにセックス)に没頭するのが理にかなっています。
男たちも若い女性の肉体に引きつけられます。
若い女性の生殖行為は、社会への貢献でもあります。

江戸時代の商家では、母親が、「若い時は二度ない。」と言って娘たちに男と遊ぶことを奨励したそうです。
今の時代には、あまり褒められる行為ではありませんが、生物学的には正しいです。

たぶん、現代の仕事中心の価値観が間違っているのでしょう。
若いころ、一生懸命に努力して、それがあだになって赤ちゃんを抱くことができない女性はかわいそうです。
立つ瀬がない状態です。
失われた時間は帰ってきません。

http://www.youtube.com/watch?v=_YaURw7lpO4
ロシアで、19世紀の宮廷舞踊が若者の間に流行っている、とテレビで報じていました。
昔の貴族の衣装に身を包んだ若者たちが、舞踏会で優雅に踊っていました。
ダンススポーツのように難しい踊りではなく、少し練習すれば誰でも踊れるような、テンポの遅いゆったりしたダンスです。
「ダンスを踊れば、女性はレディに男性はナイトになりきることができる。」とドレスを手作りしている女性が言っていました。
(ブラザーのミシンで縫っていました。)
ダンスの練習場は、ロマノフ王朝時代に建てられた貴族の館でした。
ロシアではこの宮廷舞踊を教えるダンス教室が急増しており、愛好者は数万人に及ぶそうです。

最近、ダンススポーツは若い人には向いていても、中高年には向いていない、と思うようになりました。
マスターするのが難しすぎるのです。
たとえば、チャチャチャをそれなりに踊れるようになるには、かなりの練習時間が必要になります。
ウォークの練習からやらないと、体重移動がスムーズにできません。
ある世界的なトッププロのレッスンビデオで言っていましたが、サンバのリバースターンをマスターするのに、2000時間を要したそうです。
2000時間って、日数にすると84日間です。
たぶん半年以上、リバースターンの練習ばっかりやったのではないでしょうか。
これは極端ですが、ダンススポーツはパーティで踊れるようになるまでに、時間と労力、そしてお金がかかりすぎるのです。

ボールルームダンスは、本来、舞踏会(ボール)のためのダンスです。
競技会のためのダンスではありません。
日本でも、ゆったりした音楽に合わせて優雅に踊る舞踏会ダンスが流行ればいいと思います。

別の話ですが、以前、テレビでロシアのスパイ養成学校を紹介していました。
その中で、若い男女が社交ダンスを習っていました。
必修科目らしいです。
今でも諜報活動にダンスは役に立つんでしょうか。