ひつじの手帖

2013年5月から200日間ブログ。200日経過後は、つれづれに綴ってます。
豊橋や伊勢の身近なことを。


テーマ:
湘南T-SITEにて、7月いっぱい開催中の

ホリバサミとして出展しています.

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タイトルは Citrus Love

ドライレモンをUVレジンでコーティング.
ケース全面に天然石シトリンを散りばめて.

ピアスとiPhoneケースのセットで楽しめます.

iPhoneケースはファッション.
特別な日に装うドレスのように.


Dressed to be happy !


7/24にはイベント、ボヘミアンナイトがあり ロバートハリスさんが出演されます.

湘南T-SITEをグルリと巡るのも楽しいですよ.

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iPhoneケースが展示されているラウンジは、ゆったりと くつろげますし、涼みがてら.

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個性的なiPhoneケースいろいろ.

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ジュエリーのレベル.
スパイダー


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海のゴンズイみたい.


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手編みのケース、かわいいです.


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湘南の夏、相模湾の白波〜


藤沢駅から無料シャトルバスがでてます.

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豊橋の湊町神明社は、池でザリガニを釣ったり、広場でソフトボールに興じた小学生時代の遊びの場でした.

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この池泉回遊式の庭園が山田宗徧による築庭ということを聞いてはいたものの、
茶人がなぜ神明社に庭を造ったのだろうか?と不思議な思いを抱いたまま数十年.


先日、MIHOミュージアム「大茶の湯釜展 極 茶の湯の主」にて、
千利休→千宗旦→山田宗徧と伝わった「四方釜(よほうがま)」を目にしたのがきっかけ.

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宗徧が吉田藩(豊橋)に居を構えて茶の湯を指導していたことを身近に感じ、
宗徧が生きた時代の風に触れてみたい思いが強く沸き起こってきました.

宗徧は寛永4年(1627)に京都に生まれ、6歳で小堀遠州に師事し、18歳にて千宗旦に入門.
26歳で宗旦から皆伝を授けられると同時に四方釜を賜り四方庵と名乗ります.
28歳(26歳との説もあり)の明暦元年(1655)に吉田藩(愛知県豊橋市)城主 小笠原忠知に召し抱えられ、吉田藩茶道方となり、1697年までの42年間、吉田藩に居を構えました.

宗徧流ホームページには、イラストで解りやすく宗徧が紹介されています.

→茶道山田宗徧流不審庵_宗徧ものがたり


「豊橋百科事典」(豊橋市文化市民部文化課/平成18年発行)には、
「宗徧の作庭としては、臨済寺の枯山水・草庵式露地や湊町神明社の池泉回遊式蓬莱庭園がある」と記されます.

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湊町神明社の境内にある湊築島弁天社は国登録有形文化財に2008年に指定されました.

文化庁国指定文化財等データベース

リーフレットには「正徳4年(1714)、吉田藩おかかえの高名な茶人・山田宗徧により池泉回遊式庭園が築庭され、池中に蓬莱之島を築き、この島に弁天社を移築しました。」
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と、記されていますが、1714年には宗徧は他界しています.

どういうことでしょう?
どうやら校正ミスのようです.

「豊橋百科事典」を参照すると
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湊町公園
「園内の池泉回遊式の蓬莱庭園は、寛文3(1663)年に、茶道宗徧流の始祖 山田宗徧作と伝えられている。」とありました.

***
宗徧自作の道具が残されているようですが、なかなか実物を目にする機会は少ないです.
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画像は「とよはしの歴史」より.

普門寺さんに宗徧自作の琵琶「小々波」が現存するようです.

***
また宗徧の吉田藩での住まい跡に石碑がたっています.
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かつての吉田城の東側、現在は豊橋公園の陸上競技場の南西となる場所.

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吉田ニ十四ヶ町の人口は、
正徳2年(1712) 7219人

現在の豊橋市人口は平成22年度国勢調査(2010) 376,665人ですが、江戸時代の吉田24町に該当する区域を八町小と松葉小の豊城中学校区と大雑把にくくり集計してみると、10,500人.
 松葉校区6,724人/2737世帯
 八町校区3,809人/1484世帯

宗徧が吉田に居を構えていた当時は、現在の7割位の人口だったのですね.


石碑は「滝川宗興 謹書」とあります.
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宗徧築庭と伝わる弁天社には「滝川一興」寄贈の朱色の幟が多く見受けられました.

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タキカワ整形外科クリニックと宗徧流は縁がありそうです.

→タキカワ整形外科クリニック

***
宗徧は1697年(70歳)に吉田から江戸は本所へ居を移し、わび茶を広めました.

利休百年忌にあたる元禄3(1690)年に「茶道便蒙抄」を発行しています.
吉田藩に居を構えながら、千家茶法について積極的に発信していたのが驚きです.

都市町人が台頭し、人形浄瑠璃や歌舞伎狂言が確立した創造の時代、元禄文化(1688-1707)が花開き、初代市川團十郎が活躍する江戸で、千家流わび茶を広めた宗徧.

吉良上野介(義央)との交流もありました.

赤穂浪士の討ち入りの直前、元禄15年(1702) 12月14日に吉良邸では茶会が催されていました. 大石内蔵助が討ち入りしたのは、茶会の翌朝(12/15) 5時~6時頃.

討ち入り直前の茶会メンバー
  正客  小笠原長重 (*元 吉田藩藩主1690~1697/1702年当時は武蔵国岩槻藩藩主)
  次客  大友義孝
  詰     品川伊氏
  亭主  吉良義央
  半東  山田宗偏(*吉田藩の茶道頭を1697年まで務めた)

宗徧が吉田藩茶道方時代に使えた藩主は、小笠原忠知・長距・長祐・長重の4代.
正客の長重と宗徧は旧知の仲.

豊橋ゆかりの人物が2人もいるのに、忠臣蔵と宗徧の因縁について、地元で耳にしたことがありません.

一体何人の豊橋っこが、これを知っているのだろうか?

まだまだ知らない地元のことが沢山あるのに気づかされます.

***
宗徧が吉田藩に居た42年間に、吉田の町づくりが完成し、向山大池が作られ、その水が吉田城下の総堀に流入され、吉田方の灌漑用水にも利用されました.

宗徧が吉田を離れた2年後の元禄12年(1699)から、御衣祭(おんぞまつり)が始まります.
遠江国岡本(浜松市三ヶ日町)の初生衣神社で奉織された御衣が、それまでの奉献ルートだった遠州灘経由から変更され、吉田藩(湊町神明社)を経由して伊勢神宮へ奉献されるようになりました.
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町の暮らしが安定し繁栄する中、吉田で盛んだった詫び茶のしつらえはどのような趣向だったのでしょうか?
京都に次いで茶の湯が盛んだったかもしれません.

明治以降の近代の茶の湯とは違い、女性は少なく、武家中心の茶の湯だったとは思いますが、どんな花が生けられていたのか? どんな菓子とともに楽しんだのか?

350年前の豊橋の人々の美意識、暮らしを想像すると、ワクワクします.
あの頃の美意識で、現代の豊橋に暮らしたならば、何をどんな風に楽しむだろうか?

平成の元禄文化や如何に?!

過去から学び、今を楽しみ、未来を創造する愉しさを味わって行けたらという思いが沸々と湧いてきます.


宗徧をとりまく年表.
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千宗旦が67歳のとき18歳で弟子入りした宗徧は、宗旦からみれば孫のようでもあり若いのに頼もしい存在だったのでしょう.

下剋上を知らない宗徧が、下剋上の世に利休により大成された わび茶を極め、町人文化が花開く元禄の世を謳歌した時代にタイムスリップしてみたいです.

綺麗さびの遠州と、乞食宗旦と呼ばれたほどの清貧だった宗旦に学んだ宗徧.

さび、わびを探求した宗徧が利休、宗旦から受け継いだ四方釜が象徴するように、胴は四角で角のある釜の、その肩は柔らかな曲線をなし、やや小ぶりで、凛としている.
その佇まいから、華美ではないけれども品のある茶の湯を想像します.

***
宗徧の著作が愛知県図書館デジタルアーカイブで公開され、PDFがダウンロードできます.

→茶道便蒙抄

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茶道便蒙抄、山田宗徧、
巻五 道具置き合わせ図解
元禄3年(1690) 利休百年忌の年に刊行.

茶道人口が増え、初心者の要望に応えて出版された千家茶道の最初の公刊本なだけあって、図録が充実しています.
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ミホミュージアムで始まった茶釜の展覧会、
「極 KIWAMI 大茶の湯釜展」
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内覧会にお邪魔してきました.

茶釜の最高峰 重要文化財9点が全て揃ったのは前代未聞、名品100点が並び圧巻です.


展覧会図録は淡交社から出版され、茶釜バイブルになること間違いなしの充実の内容.
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展示品撮影NGでしたので、新聞記事や図録から画像をお借りします.

展覧会主催に名を連ねる京都新聞の6月2日記事
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「信長、秀吉、利休 愛した名品一堂に」の見出し通り、茶釜の歴史、利休以前と利休以降の釜に対する評価の系譜も伺えて、茶釜に詳しくなくても、この展覧会を観れば茶釜に対してうんちくを語れるようになれそうです.


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利休から織部へ伝わった「笠釜」
室町時代の天明釜(栃木県佐野市にて鋳造)
利休が織部へ宛てた書状と供に伝わる名品.

織部は「へうげもの」と評された人物ですが、利休が見極めた丹精な形は現代に通じるモダンさがあり、この釜が織部の茶碗とともに茶席にあった姿を想像すると、その時代の先端を行く現代アートな空間のよう.


「山上宗二記」も出展されていて、利休以前と以降の名物釜の評価を伺い知ることができます.
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名物の筆頭に記された「平雲」は、漫画へうげもの でインパクトあるエピソードの 織田信長に攻められた松永弾正久秀が 自刃を決意した際に こっぱ微塵に割ってしまった平蜘蛛の釜.

このエピソードへの考察が、ミホミュージアム館長に今春 着任された茶道研究家 熊倉功夫先生の論文の一部にあり、展覧会図録に収録されています.

兎に角、ミホミュージアムへ脚を運んで観ていただきたい名品ばかりなので、図録から画像をお借りするのは、次の一点までとします.


桃山時代の「四方釜」
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利休→宗旦→山田宗徧と伝わった逸品.
宗徧は吉田藩(愛知県豊橋市)の茶頭を勤めた茶人なので、この釜が吉田藩での茶席を温めたのを想像すると俄かに身近に感じます.

ミホミュージアムでの展覧会は、2016-6-4から7-31まで.

I.M. ペイの建築も美しい自然豊かな山の中で、日本の金属工芸の「極」を味わってみてはいかがでしょうか.
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