高知長宗我部祭りレポート・前夜祭編
2012-05-28 20:47:40 テーマ:雑記またしても久々の更新になってしまいました…すみません(-"-;A
先々週の日曜日、無事に高知県から帰ってまいりました!
向こうはそれほど暑くもなく、また天気も大きく崩れる事無く、お祭りを楽しんでくる事が出来ました。
今回から2回ほど写真を紹介させて頂いて、最後にアメンバー記事で社会学を学んだ人間としての
考察&高知で発生した驚くべき事件の報告をさせて頂きたいと思います。
写真紹介とはいえ文章大目ですが、お付き合い頂けましたら幸いです。
(*なお、今回の写真は私が全部自分で撮ってきたものになります。
今更改めて書くのもアレかもしれませんが、無断転載、再利用、再配布はご遠慮下さい)
まずは19日、前夜祭である「長宗我部フェス」の紹介をば。
「長宗我部フェス」は前年と同じく、長宗我部氏の居城・岡豊城の跡に建つ歴史民俗資料館で
行なわれました。
グッズ販売と高知県のご当地グルメの出店が沢山出ていて、ステージの催し物が始まるまで
財布片手にグッズコーナーをうろついていた記憶があります(^▽^;)
フェス参加の目的は、その時点では大きく3つでした。
まず、長宗我部氏について学ぶ「長宗我部TERAKOYA」への参加。
次に、出陣式再現の見学(これが第一目的でした)。
そして、北九州から遥々来て下さった「大友宗麟鉄砲隊演武」の見学です。
当初は「何で大友宗麟の鉄砲隊が長宗我部フェスに来るんだろう……」と不思議がりつつ
日程を見ていた私ですが、16日のヒストリアを見て、北九州の元・大友家領地の人々が、
対島津家(薩摩)との戦いに四国から加勢してくれた長宗我部氏に――そして戸次川の戦いで
命を落としてしまった長宗我部元親の長男・信親に多大な感謝を寄せて下さっている
事を知りまして……
戸次川合戦における四国勢の出兵が、大友氏救援の為であるという事は私も知っていたのですが、
それを豊後(大分)の人々が今でも感謝して、お祭りまで催してくれているとヒストリアで知った私は、
この「大友宗麟鉄砲隊演武」を見学するのをフェスの楽しみの1つにした訳です。
まずは「長宗我部TERAKOYA」。
これは「長宗我部氏について簡単に学ぼう」という勉強会でありまして、
私も改めて学びたい&同行者の父(*歴史に物凄く疎い)に聞かせたいという目的で参加しました。
「勉強会」となると何とはなしに気後れしてしまって、写真は撮れなかったのですが、
長宗我部氏の土佐統一について本当に楽しく、判りやすく学ぶ事ができました。
元々はほんの小さな領土しか持たなかった地方領主だったのに、
それが土佐統一、ひいては四国統一ですからね……改めて学んだとはいえ、
大きな映像で示されると、やはり驚かざるを得なかったです。
そしてこの「長宗我部TERAKOYA」、実は関東で開催されているものが中心だとの事。
(↑情報集めの苦手な人間なのです……我ながら情けない……)
是非、また参加してみたいです(-_☆)
そしてその場に来て下さっていた、長宗我部元親を主人公とした漫画『オキザリスの旗―長宗我部元親伝』
の作者の方にサインを頂いていると、時間はあっという間に出陣式再現の時間に。
(『オキザリスの旗』を描かれている井出圭亮さんは、とても穏やかで腰の低い紳士的な方でした!
これからのご活躍をお祈り申し上げますo(〃^▽^〃)o)
TERAKOYAでも学んだ土佐の領主たちの紹介が終わると、いよいよ出陣式再現のスタートです。
歴史民俗資料館の方の詳しい説明を聞きつつ(ex.結婚式の三々九度は出陣式が由来のようです)、
資料館の方々が演ずる出陣式を見学していました。
今回(?)の再現出陣式の主役は、館長さん演ずる元親の父・長宗我部氏中興の祖である長宗我部国親。
元親役は、女性館員の方でした……まぁ、戦国屈指の美男で「姫若子」ですし……(;´▽`A``
写真は、式の最後に「鬨の声」を挙げる長宗我部軍です。
撮影位置の所為で画像が荒くて申し訳ありません……背後のステージには七つ方波見をデザインした陣幕も張られています。
やはり歴史民俗資料館主導だからでしょう、パフォーマンスというよりは「再現」を重視した出陣式でした。
写真を撮りまくっていた人間の言う事ではないかも知れませんが、
この式が命と国を賭けた戦いの前に行なわれる「式典」である事を改めて認識させられたように思います。
ステージから長宗我部軍が退場すると、続いては民俗資料館前での鉄砲隊演武です。
大友宗麟が有名なキリシタン大名だったからでしょう、鉄砲隊の方々は全員大き目のロザリオを着けていて、
細やかなこだわりを感じました。
写真は民俗資料館前に整列する鉄砲隊の皆さん。
「九州の大名の憧れ」だったという大友家の旗も見えています。
演武は、一丁一丁の鉄砲の紹介&発砲→戸次川の戦いをイメージした一斉射撃→
長宗我部信親とその家臣への弔砲→東日本の被災地へのエール射撃の順で行なわれました。
鉄砲は大きさ(主に口径)の順に紹介され、最後には口径3cmという戦国版バズーカ砲・大筒も登場しました。
この段階で発射音を聞いた時は、個人的に一番小さい馬上筒に一番驚かされましたので、
「バズーカ砲は意外に『派手』じゃないのか…?」と勘違いしそうになったのですが、
この勘違いは翌日の本祭で、大筒により吹っ飛ばされる事になります(笑)
一斉砲撃は途轍もない迫力で、道路は一時、白煙で埋め尽くされる事になりました。
鉄砲隊の方のお話では、今は火薬の質がよくなっているからそこまで煙が留まらないけれども、
戦国時代はこの白煙がもうもうと漂い続けて、まさに「弾幕」の状態になっていただろうとの事です。
ちなみに鉄砲隊の方の解説によりますと、織田信長よりも早くこの鉄砲を戦に取り入れたのは、
大友宗麟であったとの事です。
更に大友宗麟は日本で初めて、「国崩し」と名付けた大砲を戦に使用したとの事。
思いもよらず、大友宗麟についても勉強できてしまった日でした……
この鉄砲隊演武の後、私達はご当地グルメだという立川蕎麦を食べつつ、
ステージで行なわれた仮装大会&ご当地ヒーローショーを見学しました。
立川蕎麦は太め&固めで、そういうタイプのお蕎麦が大好きな私には最良のお昼でした(*^▽^*)
ヒーローショーも、普段あまりそういうものに興味の無い私も面白く見れてしまうものでしたし。
この日は本当に、一日満喫できたように思います。
やがてフェスも終了し、私達は例年のように岡豊城跡を散策。
今回は地元ボランティアの方とお会いできたのもあって、岡豊城について様々な話を聞く事が出来ました。
お城の入り口で「虎口」というものがあるのですが、これは自然の地形を生かしていて、
敵が侵入した時に迷いやすい&敵を発見し易く撃退し易いよう坂の下の方に作られているそうで、
建築物に目をあまり向けない私にとっては大変勉強になりました。
(ちなみにその撃退方法は、「坂の上から岩を落とす」が中心だったそうです)
しっかりと作られている新しい時代のお城も面白いですが、地形を最大限に生かした
完全なる「中世」のお城というのも興味深いものです。
(なお、岡豊城にはまだ「天守閣」が導入されておらず代わりに「詰」というものが存在します。
戦国後期に建てられた浦戸城には、小さいながらも天守閣が存在しています)
こうしてお祭りは、5月20日の長宗我部祭りへと続きます。駆け足なレポート、失礼致しましたσ(^_^;)
次回の本祭レポートも見て頂けたら嬉しく思います(^-^)/
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