ーとんとん機音日記ー

山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記


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ーとんとん機音日記ー-手仕事01


ちょっと思いついて、手仕事と集落について考えてみた。

このようなところについて、私の中で、ひとつの原風景となっているのは、東南アジアなどで目にした、高床式住居の下が、機場(はたば)として使われている風景で、その周りには、鶏や犬や猫がいたり、子供たちが遊んでいたりする状況なのだと思う。


ーとんとん機音日記ー-手仕事03


機織も、髙機、居座り機、backstrap-loomと織機が換わるにつれて、自分の手足の延長というような感覚が強くなる。
特に、居座り機や、backstrap-loomは、からだ全体を使って織るという感じが強い。

だから、出来の良し悪しは、生理的に身体的な感覚として、
作業の中から伝わってくる。

このような生理的な身体感覚と不可分な仕事をするには、
集落という場所がいいように思う。



ただ、これには確かな論理があるわけでもない。
直感的に、そう思うのだけれども、・・・


物とか、場所とか、そういうものが、ひとの感覚と親和性を帯びてくると、
どこか、私の延長という感じ方が生まれるものだから、
わたしの集落、他所の集落、わたしの在所、他所の在所というような、
わたしという存在を感じる意識と土地の風土が深く結びついた感覚が、
個々の集落という意識を形づくってきた、
また、そこに暮らす人それぞれの、そういう土地と結びついた意識が、
集落という生活の場を守ってきた。

そして、そのような意識が、その土地の文化とか、郷土愛というものを生んだのだから、集落に由来する意識というものは、なんてクリエイティブな力を秘めていることなのだろうかと驚いたりもする。

ーとんとん機音日記ー-手仕事02


そういう風に、わたしが明確に考えるようになったきっかけは、
やはり、養蚕をやろうと思ったということの影響が大きいだろう。

ただ、最初は、もっとフレキシブルに、購入する分と、自分で作る分を組み合わせて使いたいとも思っていたけれど、しかし、もし、その方向性を選んでいたのならば、そのようなクリエイティブの形に気づきもしなかっただろうなと、今にして、思う。

なぜなら、自分の好きそうな色んな糸を、あちらこちらに注文して、
自分のアイデアの流れのままにまかせて、
色んなものを織ってみるのも楽しいことだけれど、
今は与えられた限られた条件の中から、
何を生み出せるだろうかと格闘するところが面白い。

つまりは、桑を植えた土地が生みだした、良しも悪しもを、素材としてゆくことでしか、何も生み出してゆくことができないのであろう。
この凄くリアルな条件に、さて、さて、わたしは、これから、どのように対峙してゆけるだろうか。

その答えは、きっと、土地の風土や、
日々を営む、集落の中の暮らしにあるのだろうと思う。


ーとんとん機音日記ー-手仕事04


○ - Workshop の御案内 ー ○
● backstrap loomで織る Workshop


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ーとんとん機音日記ー-野生動物の食害01


山村で、作物を育てようとすると、・・・
まず、鹿囲いを廻らせて、食害対策をやらないと、あっという間に荒らされてしまうということは、以前にも記事にしました。
このような獣害対策には交付金が下りて補助金等の手当てがなされているのですが、・・・。

例えば電気柵なんかの場合、約半分の費用に対する補助があるわけですが・・・、けれども、高齢化して、集落の耕地を耕作維持してゆくのだけでも負担に感じている部分がある実情では、そんなに資金を投入してまで農業を続けようという考えなくなってゆく傾向があります。
実際、この状態では、生産し、営業し、収入に結びつけるということ自体が大変なのです。

ほんとは、自家用に使う分だけでも、耕作維持がされていると、やっぱり集落の雰囲気が明るくなるのですが、このごろでは、ひどい獣害によって、そういうことも難しくなってきています。

山村では、限界集落化という深刻な問題をかかえている上に、
「ひどい獣害によって暮らすこともできなくなる。」・・・というようなところが出てきても不思議でない状況なのです。


ーとんとん機音日記ー-鹿



政府が野生動物の食害被害の深刻化に対して、重い腰を上げてくれたのはいいのですけれど、
でもよく読むと、これは、鳥獣対策の効果を調査し、監視し、行政評価を下すというようなことですから、実際の被害の現場の苦悩からは、遠く離れた立場からの発想だと感じます。
例えば、一晩で、畑全体を荒らされてしまいますと、予定していた収入が得られないのですし、果樹などの場合だと、もっと、数年にわたる影響が出ることもありますよね。
そういう現場の苦悩に対して、とても温度差があると思います。

・・・と、そのように言っているわたしも、数年前までは、こういうことは実感できていませんでした。実際のところを申しますと、「耕す立場になって、はじめて実感できたこと」でした。


人を怖がって、めったに里に姿を見せることがなかった、猿・鹿・猪・熊などの野生動物が、今日では頻繁に現れるようになってきました。

たとえば、わたしが住んでいる集落では、主に鹿が居ついて、人間の姿を見ても、なかなか逃げないので、「奈良公園状態」と冗談でいうような事になっています。

民俗誌を紐解けば、山村では、鹿皮の山袴が衣料のなかにあったり、猪の皮の腰当や、猪皮の綱貫(ツナヌキ)というような皮沓がみられます。
この綱貫(ツナヌキ)というのは、北米先住民族のモカシンのようなものですが、特に近畿地方では、綱貫は、百姓沓として庶民の履物でしたから、猪皮の綱貫は、山村の産物のひとつといってもいいかもしれません。これらは、野生動物の皮が生活の為の資源として使われていた一端の例ですが、また、それら野生動物の肉も諏訪明神の「鹿食免(かじきめん)」があるように、ひろく食べられていたようですね。




このような、農耕文化に重なってあったはずの、狩猟文化や、焼き畑文化、そして、農耕でも山間部の天水田といわれる田圃や、匂い米(香り米)なんかも、忘れ去られてゆこうとしている日本の民俗文化なのですけれど、今、野生動物の食害対策での捕獲駆除にからんで、狩猟文化を再び見直そうという動きが起きています。

単に、駆除で、殺すのではなくて、“鹿肉や猪肉や熊肉を、山の恵み、山の幸として活用しよう。”というようなことですが、それは近代化によって画一的になっていった“生命観”の多様性を取り戻すというような日本の伝統的な文化のルネサンスでもあるように思います。

わたしも、先日、うちの集落の谷郷さんから、鹿肉のしぐれ煮と鹿肉をいただきました。
猪や鹿の肉は、臭みがあるというような先入観をもっていらっしゃる方が多いようですけれど、新鮮な状態で、ちゃんと処理されていれば、あまり気になりませんし、御味は濃厚で、とてもおいしいのですが、けれども、猟をされるかたも、高齢化で、だんだんに少なくなってきているのが実情ですから、駆除を行なうと同時に、鹿肉や猪肉や熊肉を食料として活用してゆこうとするなら、猟ができる人の育成も必要になってきます。

ーとんとん機音日記ー-野生動物の食害02



そして何よりも必要なのは、地域の風土や生物資源を活用した、地域の生活文化の再評価と復興です。
例えば、その流れで言うのなら、このような、捕獲駆除した鹿肉や猪肉や熊肉を、どのように活用してゆくのかというところでは、食肉として流通に乗せるということや、加工食品にして商品化するということなどの都市部の市場を意識した方向性と、地産地消の地域食として再度の定着化を図るというような方向性があろうかと思うのですけれど、・・・

そういうところも、持続した需要が伴うものとするためには、考慮すべき点だと思います。

いずれにしても、この試みは、未だ、端緒についたばかりです。
そういう位置から、山村の獣害対策と狩猟文化を結びつけて考えるシンポジウムが、宮崎県西都市の銀鏡(しろみ)・上揚(かみあげ)地区で開催されると、九州民俗学会さまのblogで紹介なさっていらっしゃいました。




ーとんとん機音日記ー-焼畑と狩猟の恵み

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ーとんとん機音日記ー-焼畑と狩猟の恵み02



わたしは、このようなかたちで、日本の源郷というイメージが濃い、宮崎県の椎葉村や銀鏡地区などから、山村の焼畑文化や狩猟文化を見直す発信がされるということは、とても意義が深いことだと思います。



ーとんとん機音日記ー-狩猟文化



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ーとんとん機音日記ー-雪01


きれいだけれど、・・・

「えらいこっちゃ。!!」

灯油が、きれちゃったのに、どうしよう。


ーとんとん機音日記ー-雪03




きのう、やっぱり買いに出ればよかったな。

お昼頃までには、なんとか出れるかな。

積雪、約30センチ。



とにかく、これから自動車のまわりの雪を除雪します。


ーとんとん機音日記ー-雪02


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ーとんとん機音日記ー-民族の布展-001



養蚕の準備に取り掛かる前に、小さなxhibition を企画しました。

このような企画展の場合、だいたい、企画する側の主張の導線、論理の導線というものがありまして、「どのような方向性で観ていただきたいのか。」というような趣旨というものがありますけれど、色々考えた末に、今回は、あえて、そのようなものを設けないことにしました。

山村生活ぎゃらりぃーの告知記事にも記したことですが、
この企画は、・・・

“布”をテーマとした展示の場合、色や模様や技法というところに興味を持つ人が多く訪れますが、企画している側の、私が想うところというのは、そのようのものを成り立たせている“暮らし”という部分について、織物を通して考えて欲しいというようなところなのです。

・・・というようなところから出発しているのですけれど、

同時に、わたしも、いうまでもなく、「一度止まってしまい断絶した文化を隔てる溝」のこちら側の世代なのです。

だから、“溝を隔てた、こちら側からでは、「昔のことを、見直そう。」と、どのようにがんばってみても、文化として連続性を持っていた溝の向こう側のリアリティーに遠く及ばない。”と何時も切実に感じているわけですが、そこの辺りは、それぞれ温度差があるようで、そのような部分を感じない人もいたり、引っ掛かりを感じない人もいたりする訳ですけれど、わたしは、そこを絶対に誤魔化したくないところだと考えます。



ーとんとん機音日記ー-民族の布-003


そのような位置から、わたしは山村で養蚕を行って、絹を織っているわけなのですが・・・。

その現場には、いろんな矛盾が、ゴロゴロと、いっぱいあるわけですね。

まぁ、伝統と、現代とか、手作りとか、プロダクツとか、

「機械と、手仕事…。」どっちがいいのか。?・・・とか、色々と。


結局、つくるっていうことは、それらの矛盾を乗り越えないと、伝統的なことも、新しいことも始まらないと思いますから、時折、このように愛おしい布を取り出して、眺めながら、いろいろ想いを廻らせるうちに、何か予感が訪れることを待ってみたりするのです・・・。

つまり、今回は、そのような企画です。


わたしは、カタ、カタ、カタ。と座繰器で、糸をひいていたり。
backstrap loomで、なにか織りながら、待っていようと思います。

遠い土地の人々の暮らしと、日本の暮らしの重なり合いが、
織ることや布を通して見えてくるでしょうか。?

そして、わたしたちは、どのような暮らしを求めるのでしょうか。?

「みなさんは、どんな兆しの訪れを待ちますか。?」






ーとんとん機音日記ー-民族の布展-004

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「三重県の座繰製糸についての一考察」


当記事中の製糸にまつわる用語について

動力(蒸気機関など)を伴う製糸機械(reeling machine)が導入された明治期の文献等に於いては、
それを指して“器械”と表記し、製糸機械を用いた製糸の事を“器械製糸”と呼称していました。

製糸の分野では、現在でも当時の表記法や呼称を踏襲し、製糸機械(reeling machine)による製糸を“器械製糸”と言い習わしていたりします。しかし、それでは現代的な“ことばの感覚”とは乖離が著しく、「機械」と「器械」を明確に言い分かつ現在の言葉の用例に沿えば理解に混乱をもたらします。
事実、製糸を扱う、各々の専門領域でも、製糸機械(reeling machine)を用いる製糸について、
器械製糸と機械製糸が鼎立して用いられており、例えば、製糸機械という用語を用いながら、そのれを用いて行なう行為について器械製糸という言葉を用いている例もあり、このような「機械」と「器械」の表記の適用についての事情から考えれば、明治期という過渡期の誤謬を、そのまま受け継ぎ慣用化して、現在でも混在している事情が伺えます。
だから、現時点に於いても、この製糸機械(reeling machine)を用いる製糸について慣用例に従い、「器械製糸」という言葉を当てはめて用いた場合、座繰器や踏転製糸器を用いた人力による製糸の形態を、どのように呼称すれば良いのかという問題は未解決にして放置せざるを得なくなってしまいます。

そして、その事に加え、何よりも、そのような状態では製糸にまつわる実態が一般の方に向けて発信する場では伝わりに難いという実情を鑑みて、当記事においては製糸技術を以下に示すように分類し記載しております。


● machine
・機械製糸(蒸気機関・水力などの動力機関を伴う。)
【動力を伴う機械(machine)を用いた製糸 ⇛ 機械製糸】

● instrument
・器械製絲(人力によって駆動する専用の道具を用いた製糸)
【人力で動かす器械(machine)を用いた製糸 ⇛ 座繰製糸】
【人力で動かす器械(machine)を用いた製糸 ⇛ 足踏(ダルマ・踏転器)製糸】
【人力で動かす器械(machine)を用いた製糸 ⇛ 玉糸製糸】〔玉繭・屑繭を用いた〕

● silk reeling techniques
・手繰(手挽・手引)製糸(簡単な道具は用いるものの、主として、ひとの手技に頼って行なう製糸)
【丑首繰り法】
【丑首座繰り法】
【奥州流胴繰り法】
【三丹流手繰法】
【手挽き紬糸】〔玉繭・屑繭・出殻繭を用いた〕





三重県での、過去の養蚕と座繰製糸の事情を調べています。

以前に、工房がある一志郡や、伊賀地方(那賀郡)、北勢地方などでは黄繭種の飼育が盛んであったということにふれましたが、同じ三重県内でも、南勢地方では売り繭をしていた長野、群馬県の製糸家の多数が、アメリカへの輸出生糸の生産をしていた関係から白繭を要望したので、南勢地方では白繭種が主流だったそうです。

このような事が判ってくると、養蚕製糸といっても、一様でなく、輸出向・国用向(国内織物用)ということがあったという点が思い起こされます。

例えば、昭和十年の時点で、座繰り製絲場が2乃至3工場あったことが確認できる那賀郡の場合、別の史料に照らし合わせれば、輸出向0・国用向3工場とあるので、那賀郡には国内織物用の製絲に携わる座繰り製絲場が3工場あったことが確認できます。

他の史料も加えて、昭和十年ころの那賀郡の器械製絲場の実情にせまれば、座繰り製絲場x1、座繰りと玉絲製絲場x1、玉絲製絲場x1の、計3工場があったことが浮かび上がってきました。

座繰製糸というと群馬県というイメージができあがっていますが、その改良座繰製糸結社で有名な群馬県では、そのような結社での製糸も大正初頭頃から順次、座繰りの器械製糸から、機械製糸に変化していったそうですし、この同時期になると群馬県では座繰製糸場は消えて、前橋や渋川を中心にした玉糸器械製糸場があるのみになってしまっています。

だから、昭和の恐慌も乗り越えて、座繰製糸を行っていた三重県の、この状況は面白いですね。

そして、さらに調べてゆくと、当時、三重県で飼われていた黄繭種の品種もわかってきました。

また、その品種の由来をたどると、明治の頃に選定された品種で、この品種の開発者の方の苦労を記したものを読むと、生糸輸出全盛で白繭種主流の当時では、黄繭種は見向きもされなかったのに、優秀な黄繭種ができたと云う事がもれると、同じような名前をつけた粗悪コピーが出回ったりして大変な目にあわれたそうです。

黄繭種なんかには興味もなかった人が、売れるとなると目の色を変えて、
粗悪コピーしてくるなんて、最低ですね。

このようなことは、今も昔もあることですが、・・・
志の有無が、そこの両者を分かつのでしょうね。





三重県で黄繭種が飼われ、また、戦争で座繰り製糸が途絶えるまで、それらが残った理由を考えれば、・・・

ひとつは、和装関係の地場産業である伊賀組紐があったということが関係してくると思います。

このように、伝統的工芸産業の素材との関係で器械製糸を見てみると、伝統的工芸産業の産地の近辺や、産地に素材を提供している昔からの関係があるところでは昭和十年頃になっても座繰りの器械製糸場が残り、そうでない輸出生糸が主流のところでは、それまでに座繰り製糸は機械製糸に移行してしまい、機械では糸が引けなかった屑繭の整理産業という形で器械の玉糸製糸が行なわれるというような構図があったように思います。

このような、すでに三重県では廃絶してしまったことについて調べるのは、時間と、根気と、手間隙がかかって、「疲れるな。」と思うことも頻りなのですけれど、やっぱり、調べてゆけば、自分の方向性とかが、はっきり自覚できる面も現れてきたり、意外な事実にも出会えるので、面白いですね。




フロンティアの背後に隠された志と地道な努力。
粗悪コピーにもめげない、タフなメンタリティー。
ピュアな志に満ちた先人の行ないは、時代を超えて勉強になりますね。


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