ーとんとん機音日記ー

山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記


テーマ:



三重県内の器械製絲
ー明治35年頃を中心に-

                   養蚕・製絲・機織の文化 発見プロジェクト
                                染織工房 草間の藍甕



 まず、三重県での製絲分野における先駆的な存在として、三重郡四郷村室山の伊藤小左衛門の存在がある。伊藤小左衛門は文久2年(1862年)に製糸業を始め、明治7年(1874年)に個人の立場で器械製絲を試み、群馬県の官営富岡製糸場などを参考にして研究を重ね、極めて上質な生糸を器械製絲で生産するようになる。また、伊藤小左衛門の興した器械製絲場の伊藤製糸場は、民間での器械製絲の先駆的な存在のひとつと云われ、かつ、「富岡日記」を記したことで知られる富岡製糸場に学んだ士族女子の伝習工女 和田英が指導的立場で関わった、長野県松代郡西條村の六工社(ろっこうしゃ)と同じ時期の起業であるということも注目に値する。

 言い伝えられるように桑を植えるところから始めたとされる三重郡四郷村室山の伊藤小左衛門の存在は、いわゆる当時の養蚕地帯を起業の背景として興ってきた製糸業とは一線を画す存在であり、加えて、生糸をつくる製絲には、概ね、普通糸製絲と優等糸製絲があるが、伊藤小左衛門の伊藤製糸場に於いて培われた生産スキルは、日本の器械製絲による優等糸製絲の先駆け的な存在であり、郡是などが進んでこれを取り入れたことなどを考慮すれば、三重県の伊藤小左衛門が、後年の世界に誇る日本の生糸の品質の生みの親のひとりであると言えなくもない。

このような伊藤小左衛門という先駆的な存在に刺激されて、三重県下では、個人規模から400釜以上の釜数を持つ大規模工場までの、さまざま器械製糸工場が明治35年頃までに各地で勃興していった様子が伺える。





 上掲の表1(明治35年頃の三重県内の製絲場の規模)を参照すれば、企業家の資本規模に応じて、さまざまな規模の製絲場が起業されている様子が確認できる。
また、起業された工場の資本規模が、用いられる動力の形態に反映しているように思われる。
資本規模が大きいところ、また先進的なところでは、概ね汽力(蒸気機関)が用いられ、小規模なところでは水力や、動力コストが安い人力が用いられている。
そして、別格なのは、三井組の三重製絲場の例で、その規模も突出している上に、動力では、汽力と電力が併設されており、最も先進的である。

 この三重製絲場は、・・・


明治29年6月三井家によって三井三重製糸所として操業を始めた。ところが明治35年横浜の原富太郎、さらに翌年5月四郷村の伊藤家と経営者が移り名も合名会社三重製糸所となり、工場敷地7881坪・従業員400余名で一年間の生糸生産高11200貫、建並ぶ工場・倉庫は全部洋風煉瓦(れんが)造りにして近郷に誇る大工場であった。〔*引用001・・・「三重製糸工場の変遷 」(地区広報三重No.10)三重地区郷土史編さん会〕


・・・というようなものであった。
 時代の変遷と、三重県内の保存活動が大きくならなかったためか、わが国の近代化産業資産の建物群として最もふさわしい、この三井三重製糸所跡の建物は、残念なことに現在ではもう失われている。
 明治29年と言う時期に、電力による動力装置を備えた製絲場設備というのは、世界でも先進的な類に数えられるのではないだろうか。
そのようなものを保存しなかったのは、三重県の文化財行政の不明と言う他はない。

 また、小左衛門の伊藤製絲場は、その後、昭和13年に室山製絲株式会社として改組され、同16年に亀山製絲株式会社室山工場となり、平成7年頃、明治初頭から日本の製糸産業とともに奔り続けてきた、その歴史ある操業を停止した。

 小左衛門が、伊藤製絲場を営み優等糸製絲を行なっていた頃の製絲設備を、史料より伺ってみると、鐡製の繰糸器を備え、初期には、釜数74釜、女工数111人の規模のものだったところを事業拡大して、釜数は150釜、繰糸式は共撚式で行い、繰湯は蒸気、動力は汽力というような内容の設備を、繰糸工女は180人、揚返工女は15人という従業員で操業している。
この製絲場設備の変化は、明治33年に最初の工場が火事で焼失し、明治36年に再建しているから、その事情によるものかもしれない。

 また、釜数150釜を180人の繰糸工女でローテーションを組み運営しているので、多分30人一組となって6組の編成で夫々交替し、常時5組が繰絲に従事するかたちで運営されたのであろうか。

 いづれにせよ、三重県内においては、日本の優等糸製絲の先駆け的な存在である伊藤製絲場の設備や技術が、製絲場の起業時に参考にされたであろうことは十分推察できる。
 明治三十五年頃の統計によれば、三重県の器械製絲場の数は、長野県・岐阜県・愛知県・京都府に次ぐ、国内第五位の製絲場の数を誇り、県内の製絲場は器械製絲112、座繰製絲27という内容であった。




 結局、これは、各県ごとの動力を伴った製絲技術の受容の程度を表しており、そこが興味深い。

 又当時の、器械製絲に於ける動力源には、汽力(蒸気機関)・水力(水車)・人力(足踏み式人力)の三種類があった、そして、器械製絲と同時に存在した座繰製絲というのは旧来の手回し式座繰り器を用いた製絲法である。

 明治三十五年頃では、「製糸工場の動力につきては、水力人力共に減少を告げたりと雖(いえど)も汽力においては、百三十六箇所の増加を到せり・・・(以下省略)」というように、全国的に、器械製絲では足踏み式の製絲器(ダルマ製絲器)を用いた人力での製絲や水力を用いた製絲の設備から汽力(蒸気機関)を用いた製絲器械への移行してゆく現象が現れた時期であった。

 その後の明治三十八年頃では、全国的な兆候として、電気や瓦斯を動力源とする製絲場も現れてきているのと同時に、水力を用いた製絲場は著しく減少した。
 又同時に、座繰り器を用いた製絲も玉絲用を残して減少し、座繰り製絲を行なっていた小資本でできる最も小規模な製絲場は、足踏み式の製絲器(ダルマ製絲器)を用いた器械製絲へと移行するものが多くなり、その結果として、当時の動力源別の統計では、人力の製絲場が汽力に次いだ存在となり、その数は、それぞれ、汽力1248・人力1202・水力948・電気6・瓦斯2の、計3407という国内の製絲場数となって顕われている。

 そのような、人力への回帰とも言える現象が起きているのが面白い。
つまり、資本力による製絲場の淘汰が起きているのと同時に、小資本でも新たに参入しようとする流れも起きているから出てきた現象なのでしょう。

 また加えて、表2に示す、群馬県での座繰製絲場数は、とても特殊な現象です。
たとえて言うならば、長く急な坂道を自転車で登ってゆくようなもので、その横を、自動車が簡単に追い越してゆくというような光景です。


 三重県では、伊藤製絲場に代表されるような素封家を母体とした製絲場が牽引力となり発展しますが、最終的に中央の資本力により淘汰されてしまいます。しかし、後年の片倉製絲のビジネスモデルのように、初期の頃から企業体の中での蚕種製造も視野に入れた製糸産業のプロトタイプの萌芽を認めることができようかと思いますので、そこが独創的なところです。

 その意味で、明治というこの時期の三重県というところは、豊田佐吉に先行して、最初に実用化された足踏み式人力織機を製造した松田繁次郎の存在など、時代を先取りした個性的な人材を生み出しているのですが、それが大きな企業体として育たなかったことが多いように思われます。
また、県内でも、そういう人材に対して、あまり評価を与えていないような気もしますから、そこが、残念ですね。




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- 明治期の製絲場を発見 -



さて、糸取りや、機織の合間を縫って、
いろいろ養蚕の準備のことがありますので、
気がつけば一日が終わっているような毎日ですが、・・・。

最近、ちょっと気になる事案を見つけたので、その調査にも時間が必要だから、だんだん予定が目まぐるしくなってきました。
・・・と申しますのは、先ごろ、3月10日に近くの八幡地域住民センターで、津市主催の「景観まちづづくり講演会」というものが開催されていましたので、ちょっと覘いてみましたところ、パネラーでいらっしゃっておりました方から、製絲場として使われていた建物が残っているという興味深い事をお聞きしたのがきっかけです。

その方は、その製絲場跡について、それ以上の情報を御持ちではなかったものですから、私のほうでいろいろ文献上で追跡してまいりますと、興味深いことが幾つか浮かび上がりました。


最近では、群馬県の官営富岡製絲場跡の建物群を世界文化遺産に登録しようとする働きかけが行なわれたことから、養蚕・製絲にまつわる近代化産業遺産に注目が集まっています。

今回、わたしが興味深いと感じているものは、“官営富岡製絲場”のような、明治のレンガ建築でもなく、例えば、三重県にありますような、旧伊藤製絲場の流れを汲む操業を停止した亀山製糸室山工場のように瀟洒な洋館風の建物群でもありません。

それは、例えば、“富岡日記”の著者 横田(和田)英が官営工場の器械製絲技術を習得し、郷里に帰って製絲の殖産に努めた松代六工社のような、日本人が器械製絲技術を咀嚼し、それまで培った日本の技術の上に、さらに工夫を加えて技術を受容してゆく中で生まれてきた、純国産器械製絲機による製糸工場の姿です。

そのように発展を遂げたものとして、松代六工社の近在では、長野県須坂地方の水車動力を用いた器械製絲や、後年の片倉製絲を生んだ、諏訪湖周辺から下諏訪地方を中心にして発達した、いわゆる諏訪式繰糸機と呼ばれるかたちに結実していったものが良く知られていますし、この諏訪式が日本の製糸産業に与えた影響は大きなものがあります。





例えばこの地方の早期の事例では、長野県諏訪郡下諏訪町下の原の呉服雑貨商 中村平助が、明治五年に御手洗汐に径五尺の水車を仕掛けて,十釜の器械製糸を始めたと伝わる例があると聞きますから、日本人は、単に、外国から機械を輸入して、それに頼って近代化し、近代産業を興したのではなく、その原理を咀嚼し、自国の技術の中に溶け込ませていった(受容した)という過程をたどって、今日の日本の技術の基盤を築いてきたのだと思うと、感慨深いものがありますね。

だって、この下諏訪町下の原の中村平助の水車を用いた器械製絲は、明治五年というのですから、これは官営富岡製糸場が設けられた年ですよ。!!

こういう方面の話題になると、熱くなってしまうから、
つい話題がそれてしまいましたが、・・・





今、わたしが着目して調べている製絲場も、そのように国内の技術で造られていった器械製絲場の系譜に連なるものなのです。
そして、わたしのところが文献上で見当を付けた事例と、その製絲場跡が同じものなら、ちょっと面白いことになるのです。

その内容の概要は、すでに、着実な地域文化発掘活動に理解がある地域の方々や、地域づくりに尽力されていらっしゃる方や議員さんにだけ御知らせしてはおりますが、もし仮説付けたとおりならば、後日に、その詳細をブログでも、お知らせする事もあろうかと思いますけれど、それまでには、もっと地道な検討作業が必要です。






加えて、冒頭で、とても興味深いと申しましたのは、三重県の旧一志郡内では、奈良県と伊賀地方とに接した、郡内の最山奥部の旧一志郡太郎生村から、器械製絲場ができ始めて、それが川下の平野部に波及してゆくのです。今では、まったく逆のイメージで旧太郎生村やこの辺りも過疎地ですから、当時の中勢域の情報や経済や文化伝播の流れを考える上で、面白いなと感じた点なのです。

これを、昔の事としてしまうのではなくて・・・、
現代の情報や経済や文化伝播の流れの主軸を変えられる何らかの着眼点が見つけられれば、限界集落化した過疎地に時代の最先端の位置づけを与えることができるかもしれませんね。

だから、そういう意味でも、レンガ建築や洋風建築という近代化産業遺産がもつステレオタイプなイメージを見事にバシッと裏切っているような、伝統的な杉皮葺きで杉皮壁という、この製絲場跡の建物が、今、私の中では、すっごく、Alternativeで、Rockで、かっこいい存在なのですよね。




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ーとんとん機音日記ー-小黒田谷不動社-01

3月20日は、小黒田谷不動社で御祭りがありました。

当日までは、寒かったり雨が降ったり、また、風が強かったりと、
「御祭りは、大丈夫かな。?」と心配したのですが、
御神威でしょうか。

朝から、カラリと晴れました。

この社は、相地集落と非浦集落で、祀っている御社です。

神主さんはいなくて、その時の相地と非浦両集落の自治会長さんが神主さん役を務めます。

御祭りの準備は、(多分小字ごと)集落の中が幾つかの組みというグループに分かれていて、その代表の方を組長さんと呼んでいますが、・・・その組長さんたちが集まって、朝から準備をするしきたりになっているのですが、わたしは、当日の御供え物などの受付を頼まれていたので、境内の掃除の御手伝いをする為に、朝の7:30に行ったのですけれど、・・・皆さん早くて着いた頃には、もう準備作業が始まっていました。


ーとんとん機音日記ー-小黒田谷不動社-02

ーとんとん機音日記ー-小黒田谷不動社-03


境内の掃除や榊や紙垂の付け替えや、あらかたさまざまな準備を終えると、ご神前に御供撒き用の紅白のシトギ餅を御供えします。

昔は、祭典を終えるまで御供えして、その後、お下がりを撒くという事だったのでしょうが、今は10個づつくらいをビニール袋に入れたものを撒くので、少しの間、このように御供えしてから、袋詰め作業を行ないます。


ーとんとん機音日記ー-小黒田谷不動社-04

ーとんとん機音日記ー-小黒田谷不動社-05



両集落の自治会長さんが集落の皆さんの御健康と安穏を祈念の後、それぞれが社へ御参りします。

それが済んだら、子供たちも、お楽しみの“御供撒き”です。


ーとんとん機音日記ー-小黒田谷不動社-06
ーとんとん機音日記ー-小黒田谷不動社-07


後片付けが済んだ後、みんなで、直会・・・というか、
慰労会・・・みたいな、世間話の会。

あんまり、堅苦しくはない形ですが、敬神の気持ちと、
神社に御奉仕する気持ちがいっぱいです。

「みなさん、ごくろうさまでした。」




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What the hell did “whacko DPJ(Democratic Party of Japan)” do to us ?



“Meltdown”
presented by“whacko DPJ(Democratic Party of Japan)”.!!


「放射能放出量 文科省が試算中止 震災5日後 公表遅れの一因か 
2012年3月10 東京新聞


“Caesium”
presented by“whacko DPJ(Democratic Party of Japan)”.!!



「SPEEDI最悪予測 文科相ら「公表できぬ」 内部文書」


“be exposed to radiation.”
presented by“whacko DPJ(Democratic Party of Japan)”.!!



「3・15が「運命の日」 SPEEDI生かせず 民間事故調」

Hey “whacko DPJ(Democratic Party of Japan)”!!

『文科省の「SPEEDI」試算中止の決定の経緯に関する情報の公開を。!!』
中川秀直氏





Hey “whacko DPJ(Democratic Party of Japan)”!!






『全都道府県にがれき受け入れ要請…首相表明』
○微量でも不要な汚染の拡大をなぜ行なうのか。?
「問われるのは、国民同士の連帯感の持続だ。すべての国民が復興の当事者と自覚してほしい」
『その前に、問われるべき民主党の国民を被爆に導いた責任。!!』
復興は、民主党を潰してから、
責任ある政権政府の元で進めるめきですよね。!!



『問われるのは、国民同士の連帯感の持続だ。!!』

「はぁ。?」わたしたちは、民主党と連帯した覚えなんかないですよ。?

民主党さんは、議事録も残さないで、なんでも政治主導で決めて、
実際に、救援物資も届かず、毛布もなくて、
寒いところで、震えながら助けを待っているときに、
悠長に大掛かりな「東日本大震災復興構想会議」を立ち上げて、
水も漏らさない緻密な復興プランを練られたのでしょう。

いまさら、民主党方針に対する一国民の微力な一助を、
期待されても困りますよ。

民主党方針に協力することと、被災地復興に協力することは別物です。
そして、これ以上、日本の国土に汚染を広げないこと・・・。
どこでも、だれでも、平等に厳格な安全基準が担保されることを、
被災しなかった側が、死守するのも、
重要な被災地への協力です。

民主党さんのように、国民みんなで被爆して、国民の平等をまもろうなんて、
天才的なオープンマインド・カルトには、申し訳ないですが参加できません。


それに、このような有害性の高い物質で汚染された時には、
その汚染が拡大しないように、
封じ込めることが鉄則ではなかったでしょうか。?

汚染を封じ込め、かつ、そこに暮らしていた人、
または、そこに暮らす人々の安全性を担保しながら、
生活再建・地域再建の方策を考えることが、
このたびの場合の再建案を立案するにあたっての条件ですよね。

確かに、とっても難しい問題ですけれど、
たまたま、不幸な偶然で、そのときに政権を担当していたのが、
自分たちに手に負えなくなれば、国民が協力しないからだと、
それを人のせいにする、前代未聞の無能政権だったからといって、
『じゃぁ、すぐには影響が出ない線量だから、・・・』
『とにかく、他所へ運び出しちゃいましょう。』というのは、
してはいけないことです。

おかしいでしょ。だって、除染の場合も、
ものすごい量の廃棄土でしょうけれど、
この場合、廃棄物仮置き場に溜め置いていても安全なのでしょう。?

コストからしても、この場合も、
廃棄物埋設処理場を近くに設けたほうが、合理的でしょう。
なぜ、そうされないのですか。?

なにか、まだまだ隠していることがあるのですか。?
それとも、難しいこと、難易度の高いことを考えると、
とんでもないことを、口走りそうになるので、
国民の健康被害の危惧なんて考慮しないで、
一番簡単で、なるべく、何もしなくていいようにしたいのですか。


ほんとに、詭弁を弄して、都合のいい事を言わないで下さいませね。!!

復興が立ち往生しているのは、実行不可能な民主党マニフェストと同様な、
民主党の復興プランのせいでしょう。


それに、こういうことがまかり通れば、・・・
最終的には、除染廃土を、全国に分散して、
少しづつ済崩し的に、法律で規制値を緩めて、
そのうえで合法的に埋設処分すれば、・・・

最終処分場なんか最初から設けなくてもいいですものね。

「頭いいですね。民主党の悪巧みブレーンの方々って・・・。!!」


Hey “whacko DPJ”!!

Don’t blame us.!!

「がれき受け入れは都道府県に文書で要請」記者会見


what the hell is going on in japan??




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-3・11の主体は、国民にある。-


もうすぐ、3月11日を迎えようとしています。
あの日から、一年も経ったというのは、今も信じられない。
なぜかというなら、あのような大きな震災と原発事故の深刻な複合災害が起きて、日本の政治の杜撰さ、無責任さが暴露されたというのに、何も変わらず、ゆがんだ日常へとわたしたちは着地してしまっているからでしょう。
わたしたちは、その歪を夢うつつのまま日常として受け入れてしまって、危うい安心の日々に気づかないようにしている。


3月11日の、あの日の映像は、わたしたちの平穏な日常を破壊し、その後の福島第一原発事故の進展は、被曝という非日常を身近なものにした。
そして、その経験から生まれた生存への危機感は、民主党という政党の誠実さの無い政治に対する怒りに変わり、
このような日本であってはいけないと、誰もが思ったのではないでしょうか。・・・だというのに、首相と内閣のメンバーは交代したものの、未だに、あの国民の生命と安全を第一に行動しなかった民主党が政権の座に居座り続けている。・・・このようなゆがんだ日常を、わたしたちは疑問も無く受け入れてしまっていいのでしょうか。?


幸いにして、わたしは、直接被災しなかったし、高濃度の核種汚染は、わたしが住む地域にまでは及ばなかった。けれども、あの3月11日以降、原発災害から直接的な被災をした人たちも、そうでない人たちをも、共に蝕んでいるのは、核種飛散による汚染から生じる内部被曝の潜在的な危険性である。
これは、まず、当時の民主党菅政権が、政治主導によって、議事録も残されていないというような無責任な対応を繰り返したことや、国民に対して、想定できる最悪のシナリオを開示して、国民の個々が自己防衛措置をとれるように、国民の命や健康を第一とした策を執らず、自分たちの政権が覆されないことを第一として、多くの事実や、専門的な見地から発せられるアテンション情報を、隠蔽するか、打ち消すようなことばかり繰り返してきた。



未だに、「風評被害」なんていうことが言われるけれど、「30年以上経ってみないと、統計学的な結果も判らないことについて、“安全だ”というのは、単なる無責任な推測でしかない。」というのに、民主党菅政権が政治主導する政府は、「大事をとって国民の命や健康を優先するよりも、自分たちができるだけ何もしなくていいような対策を繰り返したのです。」・・・だから、「風評被害」というのは、このような「民主党政権の無責任な安全風評」が発端になった「国民の逆選択」の結果であるのですから、つまり、その被害を起こした張本人が民主党政権なのですよね。

なのに、「このような無責任な民主党政権の安全風評を信用せずに、警戒心を持って、最大限に安全な方を選択して食材を購入する人々の情報交換を、“風評”と罵倒し、“だから、汚染された地域の農作物が売れなくなって、生産者が困り、これでは復興も遅れてしまう。”とは、なんというばかばかしい詭弁でしょうか。?」

はっきり、言い返して置きますが、「核種汚染した被災地の、生産者が困り、被災地の農業が復興できないのは、民主政権の当初の行いのせいです。」

もし、これが当初から、核種飛散によって汚染された地域全体の出荷を全部停止して、丹念に安全性について精査して、買う側が納得できるコンセンサスを作って行っていたら、今のように、政府が安全だということなんて誰も信用しないということも起きなかったでしょうし、個々の生産地と数値(線量)を明記して、買う側の選択に任せるシステムを構築することに動いていたなら、もっと流通を通じての、被災経済の牽引力となるような消費動向が生まれたことでしょう。

また、数値(線量)が高い地域の再建や、地震津波被災地の再建などでも、移住を求め、早期に生活再建を果たしたいという人たちを認め支援しつつ、被災者の生活再建に親身になって対応しえてゆくような姿勢であれば、「3・11」を経験した、日本は、もっといい国になる可能性も生まれたでしょう。

しかし、現実には・・・
核種飛散によって汚染された地域全体の、農作物や、森林資源や、水産資源に対する安全性について、多かれ少なかれ疑惑が生じ、だれも信用しないという状態が普通の事となってしまっていますから、
本当に、「日本という国の食品の安全性は失われたのだと思います。」


●たね蒔きシャーナル「食の安全は確保されるのか~セシウム新規制値」



このような状況で、汚染された土地で農業を続けるというのは、どのような気持ちなのでしょうか。
先祖伝来の土地から離れ難いという気持ちもわかります。
そして、どこか汚染されていない土地に移り早く生活の再建を行いたいという気持ちもわかります。

そのどちらへも、手厚く救済の手を差し伸べることが、国の責任ではないでしょうか。
それを、除染という利権事業にすり替えてしまっているのは、許されることではありません。

仮に、除染が選択の余地がない手段だったとしても、“除染で出た汚染土砂の仮置き場もつくれず”そして、“その膨大な汚染土砂を最終的に処分する方策もないまま、地元住民の方理解と合意も十分とりつけないままで、なぜ除染を強硬的に急いだのか、合理的な理由も見つけられません。”

これは地震津波被災地でも、同じです。
被災者の生活再建と、地域の復興再建は、切り離せないものであることは、自明のことです。
ひとくちに、“地域の復興再建”といっても、甚大な被害を受けたところでは、それこそ、多種多様な問題を抱えて、自治体自体も身動きできなくなっていることが推察されます。

復興、復興と、イメージだけを先行させる政府。

そして、暗部で取引される、瓦礫処理・除染処理の利権。

けれども、政府や利権共同体の為に復興するのではない。

復興は、被災された方が被った、ほころびて、剥き出しになった感情をいたわるように包み込んで、自分を何とか支える為に弔う作業なのだろうし、その事と、道路を直し、橋を架け、家を建てて、ビルや工場を再建し、もうひとつの自分の町や村をつくる作業の中に関わることとは、不可分なのでしょう。

だから、復興の主体は、住民にあるのでしょう。

しかし、この住民の主体性というところに絡んで、
仕掛けられた罠が在るのです。


民主党政権は、“新しい公共”という考え方を悪用して、住民の再建復興のやる気とか、住民参加の除染とか、ボランティアによる除染とかいう方向にもって行きましたが、「なぜ、被害を被った人が、こういうことを行わなければならないのですか。?」、「なぜ、累積被ばく線量が管理されるべきであるような作業をボランティアで行えるのですか。?」また、「生活基盤どころか、その個人の生活基盤の元となる街自体が失われたところで、最低限のインフラを整備してもらっても、住民だけで今後どうやれというのですか。?」・・・このような根本的なところの認識が壊れている政権の政治では、国民にとって害になっても、利になることはありそうもないですね。

また、こういう対応から、民主のいう捉えどころがなかった“新しい公共”というものの本質が、よくわかりました。

結局、“新しい公共”というものは、高尚な理屈は全く表面的な看板で、目的とするところは、政府や行政が、目的に応じて住民を使役することができるようにして、自分たちの仕事をもっと楽にするということに他ならないということですね。
ボランタリティーセクター(市民社会)とか、“新しい公”とか、そういう言い方をすると、何か先進的でモダンな感じが漂いますが、意思決定の主体(主導権)が住民に無く、政府や行政が主導した方向に沿わされて、税も労役(作業)も負担させられるのなら、1300年時代をさかのぼり、大宝律令の租庸調の時代に逆戻りです。

こんなひどい国に、いつから日本は転落したのでしょうか。?


今の日本には、『騙されてはいけない。!!』 だだ、その事があるのみです。


「ラブ・ミー・テンダー 騙されちゃいけない。!!」
「巧みな言葉で一般庶民を騙そうとしても、・・・」
「ほんの少しバレてる、その黒い腹。!」




このように考えてゆくと、一見関係なさそうですが、・・・

民主党の鳩山政権のときに言い出した、『新しい公(新しい公共)』という事と、菅政権のときに、菅直人氏が「これからが本当の始まりだ」と言った『税と社会保障の一体改革』事が組み合わさって運用されるようになると、これはもう尋常な事態ではありません。

このような二つが表裏一体となれば、本来ならば、『国のシステムを、その基幹から変更する事態』ですから、もっと着実な、もっと慎重な、もっと様々方面から、時間をかけて、検討を重ね、公開されて、議論されるというような、できるだけ公正な検証のプロセスを経て、最終的に国民投票規模の直接的な民意による意思決定を行って可決されることが望ましいほど、大変な出来事なのです。



なぜ、国民は増税も甘んじて受けて、その上にさらに、従来では自治体が担っていた仕事を負担して“住民参加で公共サービスの提供主体となって働らかなければいけないのでしょうか。”



これまでの行政が中心となった「公」に対して、地域住民、非営利組織、ボランティア 、民間営利企業などの「民」がアイデアを出したり、実際に協力・参加したり、「協働」したりしてニーズにあった社会的サービスをより効果的・効率的に提供することをめざす体制を、ここでは「新しい公」と呼ぶことにしよう。・・・というように東洋大学教授の今村肇氏は、記していらっしゃいますが、・・・。

しかし、一見すれば、この理想的に感じる社会の姿を、実際に、わたしたちの社会のシステムとして受け入れる前に、はっきりしておかなければならないことは、議会の位置づけ、「官(政府や地方自治体)」の位置づけ、「民」が出したアイデアが負う責任、また、簡単に、官と民との協力・協働をいいますが、そのときの主導権(主体)は、どちらにあるのか。?どちらがより上位なのかというようなことや、
さらに、また、住民の主体性的な「公」への参加を言うのなら、その主体性を担保するものは、「公」の予算配分決定権が直接的に住民側にあるというところだと思うのですが、・・・

そういう、住民の主体的な意思決定を突き詰めてゆくと、これはもう直接民主主義の形になります。
だから、議会と、住民が主体的に決めた意思との関係性にまで言及していないと、住民の代議による議会で結滞された意思の内容と、住民が主体的に決めた意思の内容が相反するものになったときに、どのようにすべきなのか?。そういうところが明確でないと、実体の無い住民の主体的な意思の社会への反映という、絵空事に踊らされて、住民はていのいいただ働きをさせられるどころか、それが義務となれば、大宝律令の時代に逆戻りと揶揄しましたような、税の他に「庸」という労役が加えられただけに等しいことなりますよね。

だから、いいましたように、これは、『国のシステムを、その基幹から変更する事態』なのです。

そういうふうに「今」を捉えれば、天皇制に対して物申すという立場を執ってきた人が多い、民主党が、なぜ、皇族減少の危機を理由として、皇室典範の改正に着手し変えてしまおうとしている訳も解ってきます。

また、そのように思いをめぐらせれば、今更ながらに痛感いたしますのは、わたしの世代などは、日本の歴史をちゃんと教えられていなかった。ある意味で、歪曲して教えられていたと言うことです。

もう100年以上も前の出来事ですが、明治維新ということがあって、それから国会を開こうとする自由民権運動ということがあって、そして、第二次世界大戦を隔てて、今の日本が在るわけですけれど、
明治維新を起こした草莽の志士たちも、自由民権運動を起こした人たちも、森田節斉という方に師事して、その思想的な影響を受けた方が多いのですよね。
そこから、日本型の、皇室を護持し、天皇陛下を中心とした民主主義の形が生まれてきたのですが、その背景には、もうひとつ、アジア人蔑視・植民地主義の西欧世界への対抗という意味もあった訳です。

そのような日本型の民主主義の形を、わたしたちは国民の中から生まれてきた運動によって手に入れて、そして、さらに洗練されたものにしてゆく過程で、ヨーロッパから始まった第二次世界大戦に巻き込まれ、敗戦によって、それが中座してしまっています。

今、日本の現状が、民主党が主張するように、ほんとうに、『国のシステムを、その基幹から変更しなければならない事態』であるのなら、わたしたちは、その中座してしまった位置を省みるべきではないでしょうか。?

また、そのような国の姿の基幹からの変更に対して、
わたしたちは枠の外に立って、ただ眺めているだけでいいのでしょうか。?

そうは思っても、わたしたち、一般の立場のものは、
日々の生活に忙しく、実際に何かするのは、大変なことです。

あの3月11日から、・・・。
福島原発の事故が起こって、放射能災害が現実のものになると感じられたときから、わたしは関東圏に住む親しい人たちに、内部被爆の危惧と食品の安全性の問題を伝え、できることならば一時的にでも避難することを勧めてきましたし、友人知人のネットワークレベルですが、自分のところでも一時避難を受け入れてきました。

そして、このブログでも、初期の頃から、食品の安全性について民主党政権がしてきたことに対する疑問や、なぜ、子供たちをそのリスクから庇う事を国の力でなさないのかと問い、何もしない政府の助けを待つよりも、現実立ち返って個々が個々のつながりで、子供たちを一時疎開させられる道を探すべきだと発言してきました。

でも、わたし個人は、反原発などの思想活動をしているわけではないので、そういうつながりを避ければ、何もできなかったことに等しいと思います。

つまり、わたしは、反原発・脱原発などの問題は、まず、生産者・消費者に共通する問題として、食品の安全性の問題について、解決する手立てを立ててから後のこと、・・・。
現実的に、困っている、地震津波災害も含めた、被災者・一時避難者の人たちの、今後の生活再建の道筋に見極めができてから後のことでいいと思っているのです。
また、そういう、国民の生命と健康を守り、こういう大きな災害時にどのように被災した人々の生活再建を救済して行けるのかということを作り上げる過程で、自ずから結論が出てくることだと考えています。

そして、わたしは、このような、子供たちを核種汚染のリスクから守ったり、国民の基盤である食の安全性ということに、主義主張が偏向した勢力の力が加わり過ぎることは、良くないことだと思っています。
できれば、そういうことを避けて、国民の良識として、また、日本の文化のかたちとして、どの立場でも納得できるプレーンなものであるのが望ましいと思うのです。

ずっと昔に読んだ本に、農薬のことが書いてありました。
農薬浸けの農業といわれた頃、農家では、出荷するものには農薬を使い、自家用のものには、あまり使わなかったそうです。
このことを、無農薬・減農薬栽培があたりまえの、今の消費者の目で見ると、とんでもないモラルハザードの問題のように思いますが、当時の農家では、出荷を受け入れて購入してくれる側から、虫食いがあったり、疵があったり、色艶形がそろわないものは買って貰えないということで、コストと労力が余分にかかるのに、幾度も消毒を繰り返したそうですが、・・・その後、消費者側が、安全な食材ということを重視するようになって、無農薬・減農薬のものを求めるようになったので、今日があるわけです。確かに管轄省庁の機関の側からの安全性についての規制や監視というものも一助にはなっていますが、やっぱり、食品の安全性というのは、生産者側と消費者側の協力によって作り上げられてきたものなのです。

今回の核種の広域飛散の場合のようなときにも、生産者側と消費者側の協力によって、日本の食品の安全性を守ることが大事です。
また、核種の農地汚染によって、大なり小なりの被害を受けた農家の救済をどうするのか。・・・とか、農業を続けることが不安になるほどの汚染を受けた農家の移転を助けることはできないのか。・・・という点でも、生産者側と消費者側の協力によって進めて行かなければ、大変なことになります。

なぜなら、民主党政権の今までの対応でもわかるように、国は、現実的な被害を矮小化して、このような生産者の救済に着手することを避けています。そして、その結果、消費者側は“安全だ”とされる汚染された食材を購入しなくてはならなくなるという、最も危険で最悪な、悪循環が始まっています。

ほんとうなら、国などが監督する食品の安全基準は、生産者と消費者をつなぐ信頼として機能すべきものですけれど、民主党政権が設けた安全基準が実施されている今では、生産者と消費者との信頼の絆を断ち切り、お互いが、相手のことを疑りあうような、逆のこととなって機能しています。

わたしは、このブログでも、民主党を辛らつに批判していますが、・・・
それは、民主党が、そういうことを平気でする人たちだからです。

しかし、いままで時間をかけて培ってきた、生産者と消費者をつなぐ信頼の絆が、そういう一政党の悪意によって断ち切られるということは許すべきではないと思います。
そのような信頼の絆を大事にしなければ、原発災害の被災地や、核種汚染が重なった地震津波の被災地での、農林水産業の復興など、有り得ないと思うのです。

3・11の、あの日から、もう一年が経ちます。
日々の暮らしに追われて、それぞれが大変な私達ですが・・・

政治家の人たちだけに任して、・・・

静かに黙っているときではなくなってきたと思います。

食品の安全性のこと、子供たちのこと、・・・

べつに、どこかに主催団体の思惑が隠れているようなデモなんかに参加しなくていいですが、
わたしたちにできることをやりましょう。

ブログでもいいです。Twitterでもいいです。

わたしたちの曽祖父の世代が成し遂げた自由民権運動のように、
「3・11」からのレジスタンスをはじめましょう。

生産者と消費者。被災者と被災しなかった人が、それぞれできるだけ積極的に発信しましょう。

そして、生産者と消費者の絆。被災者と被災しなかった人の絆を、自分たちでつくりあげましょう。

ほんとうに、今、『国のシステムを、その基幹から変更しなければならない事態』であるのなら、それは、わたしたちが、わたしたち自身の手で行なうべきです。



「3・11」からのレジスタンス

あの「3・11」から、日本をどうしてゆき、
これからどんな日本をつくってゆくのかという主体は、
わたしたち国民にあるのだと思います。


東京から逃げ出した外国人
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真に畏れ多きことながら・・・
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散りぬる菅公の梅の華。
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復興とは。?
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この慟哭が聞こえないのか。?
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腹黒い魂 ‐ deep political machinations. ‐
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コトバニ、ナラナイ。
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晴れわたる空の碧さ
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『良心の叫び。』が、聞こえますか。?
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いただきましたコメントへ。
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・・「考えるな。!! 心を殺せ。!! 口を閉ざせ。!!」
・・Gag あるいは日本国憲法への冒涜
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ちいさな蟻の穴から広がって。
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なゐふるかみのかしこきこと。
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-すめらみこと-という、希望。
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               2012年3月10日
                 あの3月11日のことを想い、眠れない夜に・・・

                       
     
                              染織家 福田 いくよ


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