-3・11の主体は、国民にある。-
もうすぐ、3月11日を迎えようとしています。
あの日から、一年も経ったというのは、今も信じられない。
なぜかというなら、あのような大きな震災と原発事故の深刻な複合災害が起きて、日本の政治の杜撰さ、無責任さが暴露されたというのに、何も変わらず、ゆがんだ日常へとわたしたちは着地してしまっているからでしょう。
わたしたちは、その歪を夢うつつのまま日常として受け入れてしまって、危うい安心の日々に気づかないようにしている。
3月11日の、あの日の映像は、わたしたちの平穏な日常を破壊し、その後の福島第一原発事故の進展は、被曝という非日常を身近なものにした。
そして、その経験から生まれた生存への危機感は、民主党という政党の誠実さの無い政治に対する怒りに変わり、このような日本であってはいけないと、誰もが思ったのではないでしょうか。・・・だというのに、首相と内閣のメンバーは交代したものの、未だに、あの国民の生命と安全を第一に行動しなかった民主党が政権の座に居座り続けている。・・・このようなゆがんだ日常を、わたしたちは疑問も無く受け入れてしまっていいのでしょうか。?
幸いにして、わたしは、直接被災しなかったし、高濃度の核種汚染は、わたしが住む地域にまでは及ばなかった。けれども、あの3月11日以降、原発災害から直接的な被災をした人たちも、そうでない人たちをも、共に蝕んでいるのは、核種飛散による汚染から生じる内部被曝の潜在的な危険性である。
これは、まず、当時の民主党菅政権が、政治主導によって、議事録も残されていないというような無責任な対応を繰り返したことや、国民に対して、想定できる最悪のシナリオを開示して、国民の個々が自己防衛措置をとれるように、国民の命や健康を第一とした策を執らず、自分たちの政権が覆されないことを第一として、多くの事実や、専門的な見地から発せられるアテンション情報を、隠蔽するか、打ち消すようなことばかり繰り返してきた。未だに、「風評被害」なんていうことが言われるけれど、「30年以上経ってみないと、統計学的な結果も判らないことについて、“安全だ”というのは、単なる無責任な推測でしかない。」というのに、民主党菅政権が政治主導する政府は、「大事をとって国民の命や健康を優先するよりも、自分たちができるだけ何もしなくていいような対策を繰り返したのです。」・・・だから、「風評被害」というのは、このような「民主党政権の無責任な安全風評」が発端になった「国民の逆選択」の結果であるのですから、つまり、その被害を起こした張本人が民主党政権なのですよね。
なのに、「このような無責任な民主党政権の安全風評を信用せずに、警戒心を持って、最大限に安全な方を選択して食材を購入する人々の情報交換を、“風評”と罵倒し、“だから、汚染された地域の農作物が売れなくなって、生産者が困り、これでは復興も遅れてしまう。”とは、なんというばかばかしい詭弁でしょうか。?」
はっきり、言い返して置きますが、「核種汚染した被災地の、生産者が困り、被災地の農業が復興できないのは、民主政権の当初の行いのせいです。」
もし、これが当初から、核種飛散によって汚染された地域全体の出荷を全部停止して、丹念に安全性について精査して、買う側が納得できるコンセンサスを作って行っていたら、今のように、政府が安全だということなんて誰も信用しないということも起きなかったでしょうし、個々の生産地と数値(線量)を明記して、買う側の選択に任せるシステムを構築することに動いていたなら、もっと流通を通じての、被災経済の牽引力となるような消費動向が生まれたことでしょう。
また、数値(線量)が高い地域の再建や、地震津波被災地の再建などでも、移住を求め、早期に生活再建を果たしたいという人たちを認め支援しつつ、被災者の生活再建に親身になって対応しえてゆくような姿勢であれば、「3・11」を経験した、日本は、もっといい国になる可能性も生まれたでしょう。
しかし、現実には・・・
核種飛散によって汚染された地域全体の、農作物や、森林資源や、水産資源に対する安全性について、多かれ少なかれ疑惑が生じ、だれも信用しないという状態が普通の事となってしまっていますから、
本当に、「日本という国の食品の安全性は失われたのだと思います。」
このような状況で、汚染された土地で農業を続けるというのは、どのような気持ちなのでしょうか。
先祖伝来の土地から離れ難いという気持ちもわかります。
そして、どこか汚染されていない土地に移り早く生活の再建を行いたいという気持ちもわかります。
そのどちらへも、手厚く救済の手を差し伸べることが、国の責任ではないでしょうか。
それを、除染という利権事業にすり替えてしまっているのは、許されることではありません。
仮に、除染が選択の余地がない手段だったとしても、“除染で出た汚染土砂の仮置き場もつくれず”そして、“その膨大な汚染土砂を最終的に処分する方策もないまま、地元住民の方理解と合意も十分とりつけないままで、なぜ除染を強硬的に急いだのか、合理的な理由も見つけられません。”
これは地震津波被災地でも、同じです。
被災者の生活再建と、地域の復興再建は、切り離せないものであることは、自明のことです。
ひとくちに、“地域の復興再建”といっても、甚大な被害を受けたところでは、それこそ、多種多様な問題を抱えて、自治体自体も身動きできなくなっていることが推察されます。
復興、復興と、イメージだけを先行させる政府。
そして、暗部で取引される、瓦礫処理・除染処理の利権。
けれども、政府や利権共同体の為に復興するのではない。
復興は、被災された方が被った、ほころびて、剥き出しになった感情をいたわるように包み込んで、自分を何とか支える為に弔う作業なのだろうし、その事と、道路を直し、橋を架け、家を建てて、ビルや工場を再建し、もうひとつの自分の町や村をつくる作業の中に関わることとは、不可分なのでしょう。
だから、復興の主体は、住民にあるのでしょう。
しかし、この住民の主体性というところに絡んで、
仕掛けられた罠が在るのです。
民主党政権は、“新しい公共”という考え方を悪用して、住民の再建復興のやる気とか、住民参加の除染とか、ボランティアによる除染とかいう方向にもって行きましたが、「なぜ、被害を被った人が、こういうことを行わなければならないのですか。?」、「なぜ、累積被ばく線量が管理されるべきであるような作業をボランティアで行えるのですか。?」また、「生活基盤どころか、その個人の生活基盤の元となる街自体が失われたところで、最低限のインフラを整備してもらっても、住民だけで今後どうやれというのですか。?」・・・このような根本的なところの認識が壊れている政権の政治では、国民にとって害になっても、利になることはありそうもないですね。
また、こういう対応から、民主のいう捉えどころがなかった“新しい公共”というものの本質が、よくわかりました。
結局、“新しい公共”というものは、高尚な理屈は全く表面的な看板で、目的とするところは、政府や行政が、目的に応じて住民を使役することができるようにして、自分たちの仕事をもっと楽にするということに他ならないということですね。
ボランタリティーセクター(市民社会)とか、“新しい公”とか、そういう言い方をすると、何か先進的でモダンな感じが漂いますが、意思決定の主体(主導権)が住民に無く、政府や行政が主導した方向に沿わされて、税も労役(作業)も負担させられるのなら、1300年時代をさかのぼり、大宝律令の租庸調の時代に逆戻りです。
こんなひどい国に、いつから日本は転落したのでしょうか。?
今の日本には、『騙されてはいけない。!!』 だだ、その事があるのみです。
「ラブ・ミー・テンダー 騙されちゃいけない。!!」
「巧みな言葉で一般庶民を騙そうとしても、・・・」
「ほんの少しバレてる、その黒い腹。!」
このように考えてゆくと、一見関係なさそうですが、・・・
民主党の鳩山政権のときに言い出した、『新しい公(新しい公共)』という事と、菅政権のときに、菅直人氏が「これからが本当の始まりだ」と言った『税と社会保障の一体改革』事が組み合わさって運用されるようになると、これはもう尋常な事態ではありません。
このような二つが表裏一体となれば、本来ならば、『国のシステムを、その基幹から変更する事態』ですから、もっと着実な、もっと慎重な、もっと様々方面から、時間をかけて、検討を重ね、公開されて、議論されるというような、できるだけ公正な検証のプロセスを経て、最終的に国民投票規模の直接的な民意による意思決定を行って可決されることが望ましいほど、大変な出来事なのです。
なぜ、国民は増税も甘んじて受けて、その上にさらに、従来では自治体が担っていた仕事を負担して“住民参加で公共サービスの提供主体となって働らかなければいけないのでしょうか。”
これまでの行政が中心となった「公」に対して、地域住民、非営利組織、ボランティア 、民間営利企業などの「民」がアイデアを出したり、実際に協力・参加したり、「協働」したりしてニーズにあった社会的サービスをより効果的・効率的に提供することをめざす体制を、ここでは「新しい公」と呼ぶことにしよう。・・・というように東洋大学教授の今村肇氏は、記していらっしゃいますが、・・・。
しかし、一見すれば、この理想的に感じる社会の姿を、実際に、わたしたちの社会のシステムとして受け入れる前に、はっきりしておかなければならないことは、議会の位置づけ、「官(政府や地方自治体)」の位置づけ、「民」が出したアイデアが負う責任、また、簡単に、官と民との協力・協働をいいますが、そのときの主導権(主体)は、どちらにあるのか。?どちらがより上位なのかというようなことや、
さらに、また、住民の主体性的な「公」への参加を言うのなら、その主体性を担保するものは、「公」の予算配分決定権が直接的に住民側にあるというところだと思うのですが、・・・
そういう、住民の主体的な意思決定を突き詰めてゆくと、これはもう直接民主主義の形になります。
だから、議会と、住民が主体的に決めた意思との関係性にまで言及していないと、住民の代議による議会で結滞された意思の内容と、住民が主体的に決めた意思の内容が相反するものになったときに、どのようにすべきなのか?。そういうところが明確でないと、実体の無い住民の主体的な意思の社会への反映という、絵空事に踊らされて、住民はていのいいただ働きをさせられるどころか、それが義務となれば、大宝律令の時代に逆戻りと揶揄しましたような、税の他に「庸」という労役が加えられただけに等しいことなりますよね。
だから、いいましたように、これは、『国のシステムを、その基幹から変更する事態』なのです。
そういうふうに「今」を捉えれば、天皇制に対して物申すという立場を執ってきた人が多い、民主党が、なぜ、皇族減少の危機を理由として、皇室典範の改正に着手し変えてしまおうとしている訳も解ってきます。
また、そのように思いをめぐらせれば、今更ながらに痛感いたしますのは、わたしの世代などは、日本の歴史をちゃんと教えられていなかった。ある意味で、歪曲して教えられていたと言うことです。
もう100年以上も前の出来事ですが、明治維新ということがあって、それから国会を開こうとする自由民権運動ということがあって、そして、第二次世界大戦を隔てて、今の日本が在るわけですけれど、
明治維新を起こした草莽の志士たちも、自由民権運動を起こした人たちも、森田節斉という方に師事して、その思想的な影響を受けた方が多いのですよね。
そこから、日本型の、皇室を護持し、天皇陛下を中心とした民主主義の形が生まれてきたのですが、その背景には、もうひとつ、アジア人蔑視・植民地主義の西欧世界への対抗という意味もあった訳です。
そのような日本型の民主主義の形を、わたしたちは国民の中から生まれてきた運動によって手に入れて、そして、さらに洗練されたものにしてゆく過程で、ヨーロッパから始まった第二次世界大戦に巻き込まれ、敗戦によって、それが中座してしまっています。
今、日本の現状が、民主党が主張するように、ほんとうに、『国のシステムを、その基幹から変更しなければならない事態』であるのなら、わたしたちは、その中座してしまった位置を省みるべきではないでしょうか。?
また、そのような国の姿の基幹からの変更に対して、
わたしたちは枠の外に立って、ただ眺めているだけでいいのでしょうか。?
そうは思っても、わたしたち、一般の立場のものは、
日々の生活に忙しく、実際に何かするのは、大変なことです。
あの3月11日から、・・・。
福島原発の事故が起こって、放射能災害が現実のものになると感じられたときから、わたしは関東圏に住む親しい人たちに、内部被爆の危惧と食品の安全性の問題を伝え、できることならば一時的にでも避難することを勧めてきましたし、友人知人のネットワークレベルですが、自分のところでも一時避難を受け入れてきました。
そして、このブログでも、初期の頃から、食品の安全性について民主党政権がしてきたことに対する疑問や、なぜ、子供たちをそのリスクから庇う事を国の力でなさないのかと問い、何もしない政府の助けを待つよりも、現実立ち返って個々が個々のつながりで、子供たちを一時疎開させられる道を探すべきだと発言してきました。
でも、わたし個人は、反原発などの思想活動をしているわけではないので、そういうつながりを避ければ、何もできなかったことに等しいと思います。
つまり、わたしは、反原発・脱原発などの問題は、まず、生産者・消費者に共通する問題として、食品の安全性の問題について、解決する手立てを立ててから後のこと、・・・。
現実的に、困っている、地震津波災害も含めた、被災者・一時避難者の人たちの、今後の生活再建の道筋に見極めができてから後のことでいいと思っているのです。
また、そういう、国民の生命と健康を守り、こういう大きな災害時にどのように被災した人々の生活再建を救済して行けるのかということを作り上げる過程で、自ずから結論が出てくることだと考えています。
そして、わたしは、このような、子供たちを核種汚染のリスクから守ったり、国民の基盤である食の安全性ということに、主義主張が偏向した勢力の力が加わり過ぎることは、良くないことだと思っています。
できれば、そういうことを避けて、国民の良識として、また、日本の文化のかたちとして、どの立場でも納得できるプレーンなものであるのが望ましいと思うのです。
ずっと昔に読んだ本に、農薬のことが書いてありました。
農薬浸けの農業といわれた頃、農家では、出荷するものには農薬を使い、自家用のものには、あまり使わなかったそうです。
このことを、無農薬・減農薬栽培があたりまえの、今の消費者の目で見ると、とんでもないモラルハザードの問題のように思いますが、当時の農家では、出荷を受け入れて購入してくれる側から、虫食いがあったり、疵があったり、色艶形がそろわないものは買って貰えないということで、コストと労力が余分にかかるのに、幾度も消毒を繰り返したそうですが、・・・その後、消費者側が、安全な食材ということを重視するようになって、無農薬・減農薬のものを求めるようになったので、今日があるわけです。確かに管轄省庁の機関の側からの安全性についての規制や監視というものも一助にはなっていますが、やっぱり、食品の安全性というのは、生産者側と消費者側の協力によって作り上げられてきたものなのです。
今回の核種の広域飛散の場合のようなときにも、生産者側と消費者側の協力によって、日本の食品の安全性を守ることが大事です。
また、核種の農地汚染によって、大なり小なりの被害を受けた農家の救済をどうするのか。・・・とか、農業を続けることが不安になるほどの汚染を受けた農家の移転を助けることはできないのか。・・・という点でも、生産者側と消費者側の協力によって進めて行かなければ、大変なことになります。
なぜなら、民主党政権の今までの対応でもわかるように、国は、現実的な被害を矮小化して、このような生産者の救済に着手することを避けています。そして、その結果、消費者側は“安全だ”とされる汚染された食材を購入しなくてはならなくなるという、最も危険で最悪な、悪循環が始まっています。
ほんとうなら、国などが監督する食品の安全基準は、生産者と消費者をつなぐ信頼として機能すべきものですけれど、民主党政権が設けた安全基準が実施されている今では、生産者と消費者との信頼の絆を断ち切り、お互いが、相手のことを疑りあうような、逆のこととなって機能しています。
わたしは、このブログでも、民主党を辛らつに批判していますが、・・・
それは、民主党が、そういうことを平気でする人たちだからです。
しかし、いままで時間をかけて培ってきた、生産者と消費者をつなぐ信頼の絆が、そういう一政党の悪意によって断ち切られるということは許すべきではないと思います。
そのような信頼の絆を大事にしなければ、原発災害の被災地や、核種汚染が重なった地震津波の被災地での、農林水産業の復興など、有り得ないと思うのです。
3・11の、あの日から、もう一年が経ちます。
日々の暮らしに追われて、それぞれが大変な私達ですが・・・
政治家の人たちだけに任して、・・・
静かに黙っているときではなくなってきたと思います。
食品の安全性のこと、子供たちのこと、・・・
べつに、どこかに主催団体の思惑が隠れているようなデモなんかに参加しなくていいですが、
わたしたちにできることをやりましょう。
ブログでもいいです。Twitterでもいいです。
わたしたちの曽祖父の世代が成し遂げた自由民権運動のように、
「3・11」からのレジスタンスをはじめましょう。
生産者と消費者。被災者と被災しなかった人が、それぞれできるだけ積極的に発信しましょう。
そして、生産者と消費者の絆。被災者と被災しなかった人の絆を、自分たちでつくりあげましょう。
ほんとうに、今、『国のシステムを、その基幹から変更しなければならない事態』であるのなら、それは、わたしたちが、わたしたち自身の手で行なうべきです。
「3・11」からのレジスタンス
あの「3・11」から、日本をどうしてゆき、
これからどんな日本をつくってゆくのかという主体は、
わたしたち国民にあるのだと思います。
東京から逃げ出した外国人
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真に畏れ多きことながら・・・
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散りぬる菅公の梅の華。
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復興とは。?
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この慟哭が聞こえないのか。?
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腹黒い魂 ‐ deep political machinations. ‐
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コトバニ、ナラナイ。
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晴れわたる空の碧さ
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『良心の叫び。』が、聞こえますか。?
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いただきましたコメントへ。
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・・「考えるな。!! 心を殺せ。!! 口を閉ざせ。!!」
・・Gag あるいは日本国憲法への冒涜
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ちいさな蟻の穴から広がって。
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なゐふるかみのかしこきこと。
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-すめらみこと-という、希望。
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2012年3月10日
あの3月11日のことを想い、眠れない夜に・・・
染織家 福田 いくよ