2011-12-21 19:04:08 posted by babynikkan

生きる練習帳

テーマ:電子ブックス

百円高い時給を求めるよりも


■仏教は、受身の哲学である、と批判する人たちがいます。現状維持のまま、自分の心が変わるのを待って、行動をするという点で、受身だといわれます。果たしてそうでしょうか。これは「空」や「無我」のまちがった解釈によるものだと、私は思います。「空」「無我」は、固定的な考えや行動をしないということです。固定や固執は、一方に偏しており、他方への配慮がありません。つまり融通がきかないので、進歩も発展もないのです。


■「空」や「無我」は、何もないことではないし、自分が弱いことでもありません。流動しつつ自由自在に考える自分という存在はあります。この自分は、自主自律の自分ですから、自覚と自発という積極的なこころの働きに支えられて、日々行動できるものです。したがって、仏教は現実を見つつ、社会とのバランスをとりつつ、自分を変革していくことで、解決をしようとする実践の哲学である、と見た方が正しいのです。


■たとえば、若者の中には、アルバイトを探す場合、時給の額に執着して、百円でも高い仕事を求める人がいます。これは利害損得を考える勘定高い人であり、世の中では人々から警戒されがちの性格をもつと見られます。勘定高い人は、人の心と心の触れあい度が低く、互いに話しあって信頼しあうということがおろそかになりがちですから、時給が百円高い・低いとこだわっています。


■しかし、与えられた仕事や職務に価値と興味を感じて働けば、自分という存在は、お金に執着せずに、自由無碍に仕事に打ち込め、やがて、熱意や誠実さが周囲の人に伝わり、高く評価されていきます。その結果、待遇がよくなったり、給与が上がったりして、本人に帰ってきます。その返ってくるものは、執着によって生じたものではなく、自由無碍の態度が生んだ「実り」だと言えましょう。



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