何事も、ご自身の「心」で決めること | 不思議なことはまだまだ起こる

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不思議なことはまだまだ起こる。
この言葉が私の頭の天辺からつま先までを抜けた。
この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

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有難うございます。
電波と、私たちの気は、性質が良く似ています。
不必要なエネルギーが溜まってしまうと、不具合が生じることもあります。
浄化スプレーなどをティッシュに含ませ、拭いてみては如何でしょうか。
調子が戻るかもしれません。
ささっ、本文を読んでくださいませ。

 私は、神社やお寺に伺うようになってから、お賽銭として納める金額を上げたことがあります。(微々たるものですが・・・)
その時は、経済的に豊かだったからではありません。
寧ろ、その逆の時でした。
神社やお寺の空気はいつも清く強いもの。
その空気を、神職、住職の方々が整えて、来る人を迎えてくださっているのだと改めて感じたからでした。
これからも、この場所で、手を合わせ、この空気を感じたい、微々たるものではありますが、今ある姿を保って頂く為、今の私が出来る範囲で、納めさせて頂きますとの思いでした。

以前、神社やお寺に納めるお賽銭について、質問を頂いたことがありました。
「お賽銭は、幾らぐらいが良いんでしょうか」
私は、「お心じゃないでしょうか」と申し上げました。
「う~ん。ですので、大体のところで幾らぐらいなんでしょう」
「貴方の心を、私が金額に出来るでしょうか」
「それは、分かります。ですが、大体幾らぐらい納めたら・・・」と、仰ったので、私は、ご無礼ながら言葉を被せました。
「幾らぐらい納めたら・・・というのは、この金額以上を納めたら、何かしらのことをして頂ける、そのラインを知りたいということでしょうか。私は、心だと申し上げたと思います」
心の中では、『分かりますって言いながら、何にも分かってないじゃない』と思っていました。
自分の心を人に決めて貰うということは、あってはならないことだと思います。
それぞれの「心」は、それぞれが持っているもの。
一番大切なものを、人に委ねることは、ご自分の心を見失うことになります。

私は、お賽銭のお金が無くなった時、「あっ、今日は、もう無い!」と思い、本殿の前で手を合わせ、足を擦りながら「今日は、ここまで歩いて来ました。日差しも強かったです。今度、来た時に納めますね」と、思い切り言い訳をして、神社を後にしたこともあります。
「無いものは無い」「出来ないものは出来ない」そんなことぐらい、神様は分かってくださっています。
そのような日でも、いつもと変わらず沢山のエネルギーをくださいました。

私は、苦しいと思っていた時に納めた金額で今があるとは思いません。
その時、傾けた心が今であると思っています。
全ては、心だと思います。

沢山の方に読んで頂きたく、参加させて頂いております。
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心より感謝申し上げます。

KADOKAWAさんよりお話を頂き、
ブログが本になる運びとなりました。
これも一重に、皆様が私のブログを後押ししてくださった
お陰でございます。
心より感謝申し上げます。

浄化の習慣

発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA

http://www.blue-planet.tokyo.jp
私たちは宇宙の一員であり、学びの達人である。We are the members of the universe.