シッティングバレー


みなさま、おはようございます☆
実は先日この本を読みました。
シッティングバレーに関する本です。

健常者 ←→ 障害者



最近は差別をなくそうということで、「障害者」を「障碍者」なんて表記するようになりつつありますが、私は気持ちの問題だと思います。
差別意識をなくすことが目的。
NHKのテレビ放送で「障害者」の表記をやめろとクレームがきたらしいですが、やはり問題は実生活で差別を受けていないかということではないでしょうか!?

なぜ私が...

この本に書かれていた方の大半は事故や骨肉腫で片足を失ったり、歩行が困難になった方々です。
先天的でないがゆえに、不自由なく生活をしていた時とのギャップに苦しんだはずです。
なんていうか、人の一生ってわからないものです。
不条理だと思います。
世の中理屈に合わないことって多いです。
そもそも理屈で成り立っているんじゃない。


不条理な世の中を生きる

障害者と健常者。
括りがおおざっぱすぎますが...(それに関しては後程詳しく)
人生という道があるとすれば、
片やガタガタ道を懸命に突き進む。
片や舗装されたキレイな道をひた走る。
当然進む距離も違う。
もし、進んだ距離でしか人を評価できない世の中だとしたら、それは差別ではないでしょうか!?


成果主義になりつつある

残念ながら、余裕のない世の中になっている。
少子高齢化、20年後には65歳以上が3人に1人...
当然定年も引きあがるでしょうね~、、、詳しくはわかりませんが。
雇用問題、主に人件費の削減ですが、正規雇用はあってないようなもの、、、
正社員という名目で働いている人が、フタを開けてみると、、、実は固定給にしたことによって、歩合でもらうより安くなっている、厚生年金や医療保険もない・・・
近年アルバイトやパートを増やすところが増えているのも現状。
パート社員とかいって、社員並みの仕事が要求されます。
もちろん身分の保証なんてありません、できません。
チョット余談になるんですが、これからは共働きが増えるのではないでしょうか?
昔みたいに旦那さん一人で家族を養える時代でもなくなってきているのかなと思います。
結婚するのに年収500万は必要なんて言われていましたが、時代が違うでしょ!

話はそれましたが、要は世の中余裕がない中、障害者の保証までしなくてはならない。
健常者からしてみれば、自分たちが支えているという気持ちがでるのも無理はなく、少なからずそういった気持ちが差別を生んでいるのではないでしょうか?


実は障害者が増えている

高齢化が進むということは、間違いなく身体障害者も増えます。
そして、時代の流れというんでしょうか、精神障害者や発達障害者が増えているのも現状。
精神障害者保健福祉手帳所有者、320.1万人
日本の人口1億2千万と考えると40人に1人の割合。
これは知的障害者を除く発達障害者も含まれます。
緩やかな増加傾向になっていることは事実。
ここ7・8年で20万人ほど増加したという統計もありました。
ザックリ言ってしまうと、身体や知的のような目に見えた障害ではない。
そもそもなぜ増えたのか!?
一つは社会情勢の影響でうつ病などをはじめとした精神疾患が増えてきた。
もう一つは発達障害の研究が進んだことで、昔は障害とみなされないようなことが、障害と認定されるようになった。
そして先ほどもチョット触れましたが、健常者と障害者の括りでは説明がつかない人もいます。
障害者ではないけど、、、何か生きづらさを感じている。
ワケワカンナイ病??
最近新型うつ病なんてのもあるくらいですからね。
患者「うつ的な症状がある」
医者「う~ん、、、」(即座にうつ病とは診断できない)
患者「オレ、うつ病っすよね?出勤できる状態じゃないので、診断書書いてもらえますか?」
医者「。。。書きましょう。抑うつ状態ということにしておきます。今の段階でうつ病という診断はできません。」
ただ本人はうつ病患者と同じくらいつらいんだと思います。
この辺は躁うつ病などの気分障害とも関連が深いと思うのですが、思った以上に身近に精神の障害者手帳を持っている人はいます。
また発達障害が生きづらさになっているケースもあり、自覚症状だけでは客観的な診断ができない場合も多く、医者も判定が難しい・・・
今後精神不良者が多くなれば、間違いなく手帳を持つ人も増える。


健常者と障害者の定義がわからなくなる

まぁ、現実的に障害者手帳を持っていれば障害者ですが、それが保証や雇用に関わるとなると審査をきちっとしなければなりません。
身体障害者は一般的に1~6級まであり、かなり明確な基準が設けられています。
聴覚障害者が聞こえないふりをして等級を上げるという可能性は否定できませんが、ほぼごまかしは利かないでしょう。
ところが精神障害者となると非常に難しい。
レントゲンを撮ってわかるようなものではありません。
犯罪者に行うような精神鑑定も、医学の世界では絶対的な根拠にしない。
認可されていない検査もありますが、果たしてそういった検査が決め手になるのか!?
患者との対話で医師が判断するしかないのが現状。


精神障害と発達障害への偏見

お前ホントに障害者か!?
高齢者を支えていく中、障害者まで支えるとなると、「ホントに障害者なんですか!?」
ごもっともな疑問です。
もはや障害者という括りがワケワカンナイものになってきている。
障害の判定が厳しいのと同様、日常生活でどの程度支障をきたしているかの判定も厳しい。
精神障害者=コワイ、何するかわからない、いい身分ねぇ~
発達障害者=空気読めない、自己中、自分の世界にこもりっぱなし、なんで他人の気持ちわからないの~??

こういった意見が出てきてもおかしくないんですね。
これは実際本人の努力次第で変えられる部分もあるので、必ずしも障害が免罪符にはならない。
それも踏まえたうえで、何かしら不自由があるとしたら、結果論になってしまいますが、生きづらさを感じているとしたら、障害者保障とまではいかなくとも配慮が必要かと思います。


健常者と障害者の混在

私はシッティングバレーに今後の社会が目指すべき何かがあるような気がしました。
健常者も参戦できるんです。
また障害の度合いに応じた人数規定もあったりと、かなり公正を重視しているように思います。

障害自体に魅力は感じない。
誰だって健常に生まれたい、育ちたい!
でも現実は違う。
そんなのフェアじゃない!!
そう言ってしまえばそこまでです。
健常者にはわからない世界がある。
言葉じゃないんです、感覚なんです。
女性の出産の苦しみを男性に伝えることができるでしょうか?
障害者の不自由を健常者に伝えることは不可能。
でも共存しなくてはなりません。

相互理解のためにも今後障害者と健常者が混在するスポーツの発展に期待します。


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