よく、人生の使命を知りたい!
人生の青写真を知りたい!
使命に生きたい!
私の使命は●●だ
とかとか…。
そんな話が、スピリチャルの世界では当たり前のような
話になってますけれども、
どうなんですかね?
使命というと、何かたいそうな事を成し遂げる様な
大志を抱くようなそんなイメージが浮かびますが、
そもそも、人生とは何かを成し遂げるためにあるものなのだろうか?
という根本的な問いはどこにいったのだろうか?
使命に生きる人生は、さも素晴らしい事の様に思えるけれども、
本当なのでしょうか?
使命を知らないで一生過ごすのは、不幸なのだろうか?
使命を知って一生過ごすのは、幸せなのだろうか?
使命を知ったけど、それを出来ないで過ごすのは、幸、不幸 どちらなのだろうか?
私達のもつ思考というスーパーコンピューターは
一瞬で過去のデーターベースより記憶や感情をくみ上げで
仕分けという作業をもっともらしく、してくれます。
そもそも、誰が、幸せか、不幸せを決めているかといえば、
エゴであり、思考でしょう。
それを超えた部分には何があるのでしょうか?
何かを成し遂げたりする人生は、
”成し遂げるための人生”というラベルが貼付けられ
次から次へと、成し遂げる事を繰り返す必要がでてくるのではないだろうか?
と同時に、何も目的をもたないない生き方とは、 一般的概念を持ち合わせるものにとっては、
とてつもない、恐怖であり、許しがたいものであるだろう。
自分でも書きながら、強烈な恐れや不安が沸き上ってくる。
強烈な不安や恐れがあがって来たからといって、
イコール 私は、不幸とか不完全であるは
実は、妄想ではないのではないだろうか?
目的や使命に生きるというのは、
ある種の、不足からの要求であり、エンドレスのループへの始まりではないのだろうか?
前回同様、答えは分かりませんが,
どうでしょうね。
目的や使命という、概念そのものの、
意味ずけを少しずつ放棄すると、 何かが見えてくるのでは、ないでしょうか?
目的や使命がなくても、幸せであっていいでしょう。
幸せであってはいけないと決めているのは、自我と思考なんですから。
ぶっちゃけ、最近よく思うのは、いちいち、いろんな事を考えなければ、
素直に幸せで在れるのに、なにかと、考えたい習性は人間のギフトと同時に、
デメリットであると。
やりたい事があれば、単純にやればいいし、
なりたい自分があれば、追い求める代わりに、今なればいいんでしょうね。
いかに、思考とエゴと仲良くするかと同時にそれらと切り離して物事をみるかが、
目的や使命に生きる人生よりも、楽なのかもしれませんね。
伊勢 2011年12月!
72のカバラの天使コースパート2
詳しくはこちら!
http://ameblo.jp/b75/entry-11047100456.html




