2012年03月30日

146.初夏の同和鉱業片上鉄道を訪ねる 1979/6/9

テーマ:電車運転士

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 同和鉱業片上鉄道は赤穂線の備前片上に近い片上から山陽本線の和気を経由、吉井川の流れに沿って鉱山のある柵原までを結ぶ33.8キロの路線で、柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を港のある片上まで輸送するのがおもな目的でした。吉井川に沿う風光明媚な沿線風景に加えて、元国鉄のキハ04・07などの気動車をはじめDD13タイプの機関車が牽引する鉱石列車・客車列車・混合列車など、撮り鉄には非常に魅力的な鉄道でした。当時住んでいた姫路から接続駅の和気までは1時間程度で行ける距離にあり、日帰り鉄をするにはもってこいの条件でしたが、なぜか姫路在住の時には一度も訪問しておらず、引っ越したばかりの多治見からわざわざ出向いています。今から思うと何てもったいないことをしてしまったんだろうと理解に苦しむ行動でした。最盛期には鉱石列車が頻繁に運転され、活況を呈していましたが、1987(昭和62)年の10月31日限りで収入の多くを占めていた鉱石輸送がトラックに切り替えられた後は、経営は悪化の一途をたどり、命脈尽きるかたちで1991(平成3)年6月30日限りで全線廃止となりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 和気から柵原方面に向かう列車内の光景です。この頃は沿線の輸送手段のひとつとして十分に機能しており、地元住民にも利用もそれなりにあったようで、こんな微笑ましい光景が当たり前のように繰り返されていました。このように、ロングシートを寝台代わりのように使用することを自分の中ではC寝台と呼んでいました。
【1979.6.9 キハ311車内】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 交換のため上り列車を待っていたら霧の向こうから客車列車が姿を見せました。通学対応の輸送力列車として朝と夕方に運転されており、片上鉄道の名物のひとつとなっていました。客車は国鉄の譲り受けではなくホハフ2000というオープンデッキが特徴の自社発注車で、塗色がブルーに白帯と14・24系寝台車に似ているため、片上のブルートレインと呼ばれていました。

【1979.6.9 備前塩田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ロケハンしがてら乗車した列車は美作飯岡(「みまさかゆうか」で「いいおか」ではありません)で下車し、次の吉ヶ原で交換して来る列車を待っていたらキハ300・700・310の3両編成が来ました。片上鉄道に所属するすべての型式の気動車で組成されていました。先頭のキハ300型は元国鉄キハ04、2両目のキハ700型はキハ07、最後部のキハ310型はキハ04タイプの自社発注車です。キハ300・700型は前照灯が腰部2灯に改造され、正面窓がアルミサッシ化されていますが、種車の雰囲気を十分に残しています。キハ310型は正面2枚窓・張り上げ屋根などによりキハ04タイプながらも独特の外観となっていました。右側に写っているとんがり屋根タイプの駅舎は片上鉄道の駅舎の共通設計のようで、美作飯岡以外の駅でも見ることができました。

【1979.6.9 美作飯岡】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 美作飯岡から少し戻って、列車の中から目星をつけておいた鉄橋で列車を待ちました。キハ310型の単行が鉄橋を渡って来ましたが、朝霧がまだ残っていた関係で霞が強く、残念ながら綺麗なシルエットにはなりませんでした。

【1979.6.9 周匝(すさい)~美作飯岡】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 美作飯岡から次の目的地の備前矢田に向かいました。列車を降りると車掌と駅長が帳票のやり取りをしていましたので、カメラを向けてみました。主要駅には駅員が常駐し、乗客や乗務員とコミュニケーションを交わす場面も多く見られ、数多くの温かみを感じるシーンに触れることができました。

【1979.6.9 備前矢田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この頃はまだトム・トラを連ねた長編成の鉱石列車が健在でした。この鉄道の建設目的を象徴するような列車で、1日に数本の設定があったように記憶しています。山深い雰囲気を強調したかったため、列車が小さくなってしまいました。鉱石列車だけは線路端で編成写真を撮るべきだったかなと少しだけ悔いが残りました。

【1979.6.9 河本~備前矢田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 河本~備前矢田には短いトンネルが連続するポイントがあり、片上鉄道の定番撮影地のひとつとなっていました。本当はもっと引き付けたかったのですが、当時は望遠は135mmしか所有しておらず、これが精一杯の構図でした。

【1979.6.9 河本~備前矢田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 少し戻った苦木~杖谷で列車を待ちました。キハ310・700型の2両編成が午後の斜光線を受けて山間を進んで行きます。

【1979.6.9 苦木~杖谷】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 和気を境に沿線風景は一変します。南部の清水~中山には小さな峠越えがあり、長編成の鉱石列車には後補機が付いていました。機関車牽引列車は鉱石列車と客車列車のほか、混合列車や混合列車に気動車をぶら下げた列車も運転されており、興味は尽きませんでした。

【1979.6.9 清水~中山】(電車運転士)


 1991(平成3)年に惜しまれつつも廃止された片上鉄道ですが、吉ヶ原付近に開園した柵原ふれあい鉱山公園に12両の車両が保存されており、そのうちの9両(DD13-551・キハ303・キハ312・キハ702・ホハフ2003・ホハフ2004・ホハフ3002・トラ814・ワム1807)は動態での保存となっています。公園内には展示運転線があり、毎月第1日曜日に展示運転が実施されているのに加えて、旧吉ヶ原駅も改修を受けて展示運転線の駅舎として使用されています。自分はまだ訪れるチャンスに恵まれていませんが、往時を偲ぶには十分な施設のようです。        

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2 ■撮影ネタ豊富

趣のある車両が変化に富んだ風景を走る片上鉄道は、一日じっくり時間をかけて撮影してみたい路線でした。自分の経験では、周匝~美作飯岡で半日ほど時間を費やして撮影した程度です。残念なことに、以前は中小私鉄にはあまり興味を持っていなかったため、これだけのネタがあることに気が付いていなかった勉強不足に反省。(出札掛)

1 ■一級の雰囲気のローカル私鉄

 懐かしい片上鉄道の写真をありがとうございます。ちょうど同じ頃、片上鉄道を訪れており、まだ貨物が現役で、トラを連ねた長大な鉱石列車に驚いた記憶があります。多少オリジナルから形は崩れていたとはいえ、ディーゼルもバラエティに富んでいましたし、さらに客車列車もあり、と、今にして思えば一級の雰囲気のあるローカル私鉄でしたね。
 てっきり姫路に住まわれた頃に行かれていた、と思っていたのですが、大学に入られてから初訪問とは意外です。かくいう私も、同時期に行って以来、次の訪問は廃止直前でした。
 当時は(今も)、非電化より電化されているローカル私鉄の方が好みですし、名古屋からはちょっと行きづらい場所なので、訪問回数は限られていますが、じっくり狙うと面白い鉄道だったでしょうね。(駅長)

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