大学3年間、イタリアンのカフェ(夜はバー)でバイトしていた頃、
バイトの先輩と、大ゲンカしたことがある。
彼は、アッサムだったかアールグレイだったか忘れたが、
なんかの紅茶を出す時は、一杯目はストレートで飲んだほうが美味しいから、
一杯目が終わって、お客さんが二杯目を注ぐ頃を見計らってからミルクを出すように、と
何度も私に指示をした。
(紅茶はポットでサーブしてました)
レモンかミルクはおつけしますか、と聞いて、ミルクお願いします、と言われてるのに、
一杯目でミルクを一緒に持っていかない意味不明さと、彼の押しつけがましい接客が、
私には何とも気持ち悪く、
だいたい彼と一緒のシフトじゃないときは、その指示は無視してたのだけど、
たまたま同じシフトの時に、私がしれーっと紅茶と一緒にミルクを持っていたのを見て、
彼が、「何度言ったらわかるねん!」と、きれた。
ケンカ売られたら、そりゃあ買うっきゃないよね、というお年頃やったので、
キッチンで、お客さんそっちのけでぎゃあぎゃあ言い合って、
俺の言うこと聞けないなら帰れ!と怒鳴られ、あぁもう帰りますわ!と店を出たところで、
タバコ買いに出ていたシェフと出くわし、
お前の言い分もわかるけど、もうちょっとうまいことやれやーと諭され、
くっそーと悔しい気持ちでいっぱいで、(たぶんすごいムスっとした顔で)
すんませんでした、と謝りに店に戻った。という話。
でも、今でも、私がお客さんだったら、そんな押し付けがましい接客カンベン、と思ってる。
なんでそんなことを思い出したかというと、
先週、中学校で2時間分の授業を担当させてもらったから。
私が大事にしていること、大事にしてきたことを、中学生に話してほしい、
という友人の先生からのオーダーだったのだけど、
私は、私という存在や私の考えを押しつけるのが、どうにもこうにも嫌で、
ワークショップ的なあれこれ考えて考えて、一度決めてはやっぱりやめ、
よーしこれでいこう!と決めた当日も、参加者の様子を見ながら、少し変えた。
結果的には、ちっとも満足はしてなくて、
まだまだ経験不足やなーと勉強させてもらったのだけれど、
満足してない一番の理由は、
最後の最後で、私という存在が少し大きくなってしまったからなんやと思う。
いや、私が勝手に思っている妄想かもしれなくて、
そうであれば、とってもハッピーなのだけれど、
あなたと私は別物で、あなたはあなたでよいと思うんよ、という時間で構成しようと考えてたのに、
終わりが中途半端だったのだ。とっても。
少し話はずれるけれど、教育系の仕事をやりたい!と意気込む人たちは、
どちらかというと、僕の、私の考えを伝えたい、という人が多いように思う。
今の教育のこういうところが、今の若者のこういうところがだめで、
だからこういう教育があなたたちには必要です!みたいな。
(もちろん、すべての人がそうというわけではありません。私の勝手な感覚値です)
でもそれって、先に生きてる人が気づいてしまったことを、
若い人に押し付けてるだけじゃないか、と思ったりする。
もっと効率的に生きるには、こっちのほうがいいよって。
でも、もやもやーっともがく時があって当然よくって、
大人から見れば未熟な教えてあげたい存在の小学生や中学生、高校生は、
みんなそれぞれ必死に生きてて、
本当のところ、答えなんて必要なわけじゃないんだと、私は思う。
私が先週会った中学1年生たちの何人かは、
今の気持ちを絵に描いて名前をつけてみて、と言うと、
茶色いクレヨンを塗りたくって、ドロドロ、と書いてみたり、極限、という名前をつけてみたり、
あるいは、家族全員嫌いで話したくなくて、家帰ったらずっとネットしてる、
という話がでてきたり。
でも私はそれに対して、何らかの解決策を提示したいわけじゃなく、
本人たちが望むのであれば、隣にちょこんと座って、
気が済むまで話を聴いてみたかっただけで、
もしかしたら、それができなかったから、消化不良なのかもな。