自然の叡智(アメ版思考の部屋)

信州安曇野有明山麓から日々思うことを書き綴っています。


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 昨日の午前中のNHKラジオ番組で鶴見俊輔氏の教育論が話されていた。「親はどうあるべきなのか」という話の中で鶴見著『教育再定義への試み』(岩波現代文庫)の中の親子の会話が引用されていた。
 
 私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子高真史が自殺した。
 『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校四年生のときで、高真史(一四歳)の自殺は、その後二年たって彼が小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、
 「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
とたずねた。私の答は、
 「してもいい、二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなかったら、その前に首をくくって死んだらいい」
<略>
 私は中年まで、自分は子どもをもたないと決断してきた。考えは変わって、子どもをもってから、彼に、君は自ら望んで生まれてきたわけではないから、君はおれを殺していいと言ってきた。(同書p151・p152)

 子と親の相互間の会話、父親は自己の思うところを述べ、子は自己の問いに父親の意見を重ね、自分なりの答えを出してゆく。
 理性的な人間を理想とするとするならば、それぞれの場における理性が展開される。社会的な理性、親の理性、そして子である自分の理性がそこにある。
 国民が不幸になる社会的理性はまず考えられず、自分を不幸に陥らせる理性的な行動も考えられない。カント的にいうならば、国民全体が幸福になれる理性的な行動を全員が一致して行えるか、という話になる。
 そもそも「強姦する」という意志決定をすること自体が私には考えられず、戦争に参加することになり、敵がまさに知人家族に銃を向け襲撃しつつある状況下にあれば撃退する行動にでるのがその場の理性的行動のように思われる。
 殺人はまさにその場における人を殺す自己判断を許とする自己の発現でどこまでも歴史身体の正統であって今まさに自己の正当判断である。
 この親子の血脈がどのような正統的な理性を理想とするのかはわからないが、この子にも「強姦をしたい」欲求がほとばしり今まさに挙行に及ぶという機会がおとずれるのだろうか。
 その時の理性的な判断は「自殺」なのだろうか。

話は変わるが、今回の共謀罪の趣旨を盛り込んだ法律の成立に対する話で、ある紙面に次のような話が掲載されていた。
 
 ひどい話である。この法律が、テロリズム集団のみならず、捜査当局が拡大解釈して、私たち「一般人」にも捜査が及ぶ可能性があるとの懸念に対し、政府はあいまいな説明をくり返し、熟議しないまま成立させた。
 
という文頭の言葉に続き、ある年配者の話として
 
 「戦時下の言論弾圧のもとになった、治安維持法を思い起こさせる。あのころより当局の盗撮技術などは、格段に進歩しているから恐ろしい」
 
という感想があり、他に
 
「結局国民がこういう政権を選んでいるんですよ」
 
と自嘲する者の言葉も紹介されていた。
「私たち一般人」と結局の「国民」はたぶん同じ者たちなのだろう。悪の凡庸そのものが見える今の日本なのだろうか。
 私たち一般人は、テロには加担しないし、議会制民主主義を一つの道具として位置づけ科学的社会主義国家を樹立することを理想とし、今の国家を転覆するなどいうことも考えておらず、爆弾闘争もしない。自己主張するために街宣車のボリュームを上げ人々を畏怖させる行為などは断じてしない、まして非公然活動、またはそれに類推されるようなことも考えもしないし、そしてそのような人間を匿うこともない、と宣言できる。
 最近話題になっている非公然活動家のような人を発見したならば国民の義務として当局に通報します。
 このような私たち一般人をどのような理由で捜査機関は捜査するのだろうか。できるものならやってみろと当局に言いたい。
 私たち一般人は、ある意味今の国家にとっては理想的な人間像ともいえる。私には、「強姦したい」という犯意は決して生じない。だから自殺もしない。
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