高畑裕太絶叫のデジャヴ | 自転車に家族を殺されるということ

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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

芸能界のことを書くのはあまり気が進みませんが、

強いデジャヴ(既視感)を感じたのでちょっと書きます。


タイトルの通り、高畑裕太が前橋警察署を釈放後、

マスコミの前で絶叫したあのシーンのことです。




あの絶叫の仕方・・・

私の母を殺した加害者と全く同一だと気づきました。


リハーサルをしたであろう間の取り方、発声の仕方・・・

どれをとっても、見事なくらい全く同じでした。



※プロフィールにも書いていますが、

 加害者は公判で下記パフォーマンスを演じました。


弁護士:「東様に今ここで謝りたいと思いますか?」
加害者:「はい!思います!」
弁護士:「では今ここで謝りますか?」
加害者:「はい!謝ります!(ここで私の方を回れ左して、90度お辞儀し)東様!このたびは!東令子様を死なせてしまい!申し訳ございませんでしたぁぁぁああっ!」



不起訴決定となれば、後から訴追される恐れはないし、

マスコミをにらみつけたあの表情も納得がいきます。


もう失うものもなければ、今さら演技する必要もない。

最低限の儀式さえ終えれば、本心も顔に出るわけです。


そんな風に普通の人は、ごく当たり前の感覚で、

「あーあ、こいつは何も反省していないな」とわかります。


しかし裁判官の世界はそうではありません。


しつこいですが、わかりやすく戯画化した例を繰り返すと、

「うるせえな!悪かったって言ってるだろ!」

こんな発言を被告人がすれば、普通の人は普通の感覚で、

「こいつは何も反省していない・・・ふざけているのか?」

とわかりますが、少なくない裁判官は、

「あ、謝罪の発言あり。被告人に1ポイントプラス」

と判断して、情状酌量の判決文を書く場合があります。

(もちろん人としての普通の感覚を持つ裁判官もいます)


実際、私の刑事公判時の裁判官はそんな典型例でした。


普通の人がみて、普通にわかる、ごく当たり前のことを、

少なくない裁判官は理解しない(できない)ことがある。

そして被害者や遺族は、驚きと怒りと深い絶望を味わう。


そういう裁判官は1人でも減ってほしいと切に願います。


またはそういう裁判官は、きちんとマイナス査定や処分で、

降格もありえる人事制度を整えてもらうことはできないか。

普通の企業なら、当たり前に実施していることです。


私が、例の絶叫シーンを最初にテレビで見た時に感じた、

なんとも説明できない嫌な感覚は何かと考えていましたが、

加害者との同一性だったと気づいた時に納得しました。


反省していない単なる演技は、声と表情でわかります。


どうしようもなく醜い魂の持ち主というものも存在します。


しかしせめてそんな醜い魂がゲラゲラ笑うことのないよう、

裁判官には普通の感覚を身につけてほしいと思います。