2011-03-14 00:49:12
今、私にできること。
テーマ:ブログ
今日、
月に一回行ってるネイルサロンに行ってきた。
こんなときに不謹慎かな、不謹慎だろうと思ったけど、
できるだけ普通の生活を送った方がいいと言われたから、
病院に行くついでに思い切って外に出てみた。
確かにいつもの日曜日よりは人は少なかったけど、
街は、私が思ってた以上に普通に動いていた。
節電的にどうなのかなとか、
倫理的にどうなのかなとかいろいろ思ったけど、
その光景はいつもと何も変わらなかった。
それでも未だに余震があるので、
電車に乗るのはすごく怖かった。
特に地下鉄は、乗ったら最後、
今地震が来たらもう地上に出て来れないんじゃないかと、
いつもなら乗車後すぐに寝てしまう私も、
寝るどころか終始胸がドキドキしていた。
時間があったので途中、マクドナルドにも寄った。
こんなときにジャンクなものを食べても
美味しくないだろうと思っていたけど、
一口食べたらめちゃくちゃ美味しくて、
それはそれは美味しくて、かぶりついて食べてしまった。
帰り道で父からメールが入り、ずっと連絡が取れなかった、
岩手の親戚全員の無事をやっと確認できた。
心からホッとした瞬間に、
思わず道ばたでグシャグシャに泣いてしまった。
それこそ亡くなった方に不謹慎なのかもしれないけど、
家族親戚が一同に無事で本当によかったと、
人目も気にせず嬉しくて泣いた。
こんな風に家族を想って泣くなんて、
正直自分でも不思議な感覚だった。
最初の地震があったとき、私は家にいて、
お風呂から上がったところで、
まさに髪を乾かそうとドライヤーのスイッチを入れたところだった。
容赦のない大きな揺れに慌ててドライヤーを投げ捨て、
サン太(ペットの犬)を抱えてベッドの布団に潜り込んだ。
狭い部屋だから、ベッドの上が何もなく一番安全な場所だった。
ラックの上にある洋服の入った箱や、棚の上にあるゲーム機や、
そこいらで物が散乱してる中テレビをつけると、
すぐ目に飛び込んできた地震情報。
情報と呼ぶにはあまりに情報の少ない、
更に畳み掛けるように続く地震速報について行けず、
まるでパニック映像を見てるような気分になった。
震源地、被害の大きい所は東北で、津波警報と地震速報が鳴り響き、
都内は交通網が完全にダウン、様々な情報が行き交い街はパニック状態。
震える家の中で、半裸状態濡れた髪のまま震えるサン太を、
震えながら抱き抱えたまま、呆然と、ただテレビを見続けていた。
落ち着きと言うよりも、終わりのない余震の揺れに慣れてきた頃、
お店のシャンデリアが気になって、サン太を抱えたまま、
自転車を店へと走らせた。
新橋はいつもよりも人が溢れていて、
しかしながらテレビで見ていたよりも
パニックになっていなかったのには驚いた。
店のドアを開け電気を付けた瞬間に目に飛び込んで来たのは、
ボトル棚から大量に落ちて割れたボトルの破片だった。

カウンターの中もグラスが落ちてガラスが散乱していて、
肝心のシャンデリアは無事だったものの、
あまりに衝撃的な光景にまたもや呆然としてしまった。


何から手をつけていいかわからない状態で、
それでもとにかく片付けなければと自分を奮い立たせて、
数時間かかって掃除をした。
割れたグラスの破片で手を何度か切った。
片付けが終わると、
近所の付き合いのある店を見て回った。
自分と同じような被害が出ていたら、
きっと人手がいるだろうと考えていたけれど、
意外な程何もなく周りは普通で、
当たり前のように営業していた。
なんだか気が抜けて家に戻ると、あまりにも現実離れした、
その日の被害状況がテレビで延々と告げられていた。
たまに携帯から不気味に鳴り響く緊急地震速報の音と、
ずっと続く余震が怖くて怖くて、
ほとんど眠れずに翌朝を迎えた。
長いこと更新していなかったブログを、
こんな形で更新することになるとは思わなかった。
今、電気を消して節電をしつつ、
布団にくるまってこのブログを書きながら、
私にできることは何だろうかと考えている。
間違った情報が行き交う中、
テレビの向こうではたくさんの人達が、助けを求めている。
ネットの向こうではたくさんの人達が、支え合おうとしている。
被災者の声を聞くと、心が芯から痛み、
胸をぎゅっと掴まれたように苦しくなり涙が出てくる。
今、私にできることー。
募金はした。
節電もしている。
だけどそんなことよりも、
今すぐにでも現地に飛んで行って、
目の前にある水を、おにぎりやパンを、布団や毛布を、
ほんのちょっとでもわけてあげられれば、
手をほんの少し伸ばしてあげられれば、
一人の命でも救えるのではないだろうか。
日本経済の為にとは言え、
明日からまたいつものように仕事をしていても、
その間、寒さと飢えに苦しみ、
一人きりで助けを求めている人がいるかもしれないと考えるだけで、
とても仕事なんか手につかないのではないか。
今、私にできることー。
散々考えた。
でも、焦っても仕方がない。
だって現実にちっぽけな私は何もできないんだから。
今、私と同じ気持ちのみんなができるのはー、
とにかくできるだけの節電をしながら正しい情報を待って、
きっと自分の気持ちを形にして表すことができる時が来るはずだから、
もちろん更なる地震に備えながら、そのときの為の準備をして、
それまでは普通に仕事をして生活をするしかない。
日本が止まってしまうのは、最悪の二次災害なのだから。
ボタン1つで暖がとれて、
スイッチ1つで灯りを点せて、
蛇口をひねれば水が出るし、
暖かい布団で眠ることができる。
それらは、当たり前のことなんかじゃないんだ、
と言うことは、きっと誰もが再認識したことだと思う。
今生きられる喜びを、食べられる幸せを、噛み締めて、
前を向いて生きて行かなければいけない。
どうか、被災地の方たちは生き延びて、
なんとか今を凌いで欲しい。。。
私たちには想像もできない程、
辛いこと、苦しいことあると思う。
こんなところでブログを書くことも、
単に、私の自己満足の為なのかもしれない。
それでもきっと、
こんな私でも何かの力になれることを、
覚えておいてください。
もうすぐ桜が咲く。
日本の美しい桜が、こんなときでも、この美しい国に咲く。
桜前線が南から列島に咲いて行くように、
日本の気持ちも一人一人に繋がって、
最後には1つになれれば・・・。
心は見えないけれど、
心遣いは見える。
思いは見えないけれど、
思いやりは見える。
宮沢章二「行為の意味」より引用。
今日のネイルアートは、
自分自身に勇気を付ける為に、桜にしてもらった。

一緒に日本を、生きましょう。
月に一回行ってるネイルサロンに行ってきた。
こんなときに不謹慎かな、不謹慎だろうと思ったけど、
できるだけ普通の生活を送った方がいいと言われたから、
病院に行くついでに思い切って外に出てみた。
確かにいつもの日曜日よりは人は少なかったけど、
街は、私が思ってた以上に普通に動いていた。
節電的にどうなのかなとか、
倫理的にどうなのかなとかいろいろ思ったけど、
その光景はいつもと何も変わらなかった。
それでも未だに余震があるので、
電車に乗るのはすごく怖かった。
特に地下鉄は、乗ったら最後、
今地震が来たらもう地上に出て来れないんじゃないかと、
いつもなら乗車後すぐに寝てしまう私も、
寝るどころか終始胸がドキドキしていた。
時間があったので途中、マクドナルドにも寄った。
こんなときにジャンクなものを食べても
美味しくないだろうと思っていたけど、
一口食べたらめちゃくちゃ美味しくて、
それはそれは美味しくて、かぶりついて食べてしまった。
帰り道で父からメールが入り、ずっと連絡が取れなかった、
岩手の親戚全員の無事をやっと確認できた。
心からホッとした瞬間に、
思わず道ばたでグシャグシャに泣いてしまった。
それこそ亡くなった方に不謹慎なのかもしれないけど、
家族親戚が一同に無事で本当によかったと、
人目も気にせず嬉しくて泣いた。
こんな風に家族を想って泣くなんて、
正直自分でも不思議な感覚だった。
最初の地震があったとき、私は家にいて、
お風呂から上がったところで、
まさに髪を乾かそうとドライヤーのスイッチを入れたところだった。
容赦のない大きな揺れに慌ててドライヤーを投げ捨て、
サン太(ペットの犬)を抱えてベッドの布団に潜り込んだ。
狭い部屋だから、ベッドの上が何もなく一番安全な場所だった。
ラックの上にある洋服の入った箱や、棚の上にあるゲーム機や、
そこいらで物が散乱してる中テレビをつけると、
すぐ目に飛び込んできた地震情報。
情報と呼ぶにはあまりに情報の少ない、
更に畳み掛けるように続く地震速報について行けず、
まるでパニック映像を見てるような気分になった。
震源地、被害の大きい所は東北で、津波警報と地震速報が鳴り響き、
都内は交通網が完全にダウン、様々な情報が行き交い街はパニック状態。
震える家の中で、半裸状態濡れた髪のまま震えるサン太を、
震えながら抱き抱えたまま、呆然と、ただテレビを見続けていた。
落ち着きと言うよりも、終わりのない余震の揺れに慣れてきた頃、
お店のシャンデリアが気になって、サン太を抱えたまま、
自転車を店へと走らせた。
新橋はいつもよりも人が溢れていて、
しかしながらテレビで見ていたよりも
パニックになっていなかったのには驚いた。
店のドアを開け電気を付けた瞬間に目に飛び込んで来たのは、
ボトル棚から大量に落ちて割れたボトルの破片だった。

カウンターの中もグラスが落ちてガラスが散乱していて、
肝心のシャンデリアは無事だったものの、
あまりに衝撃的な光景にまたもや呆然としてしまった。


何から手をつけていいかわからない状態で、
それでもとにかく片付けなければと自分を奮い立たせて、
数時間かかって掃除をした。
割れたグラスの破片で手を何度か切った。
片付けが終わると、
近所の付き合いのある店を見て回った。
自分と同じような被害が出ていたら、
きっと人手がいるだろうと考えていたけれど、
意外な程何もなく周りは普通で、
当たり前のように営業していた。
なんだか気が抜けて家に戻ると、あまりにも現実離れした、
その日の被害状況がテレビで延々と告げられていた。
たまに携帯から不気味に鳴り響く緊急地震速報の音と、
ずっと続く余震が怖くて怖くて、
ほとんど眠れずに翌朝を迎えた。
長いこと更新していなかったブログを、
こんな形で更新することになるとは思わなかった。
今、電気を消して節電をしつつ、
布団にくるまってこのブログを書きながら、
私にできることは何だろうかと考えている。
間違った情報が行き交う中、
テレビの向こうではたくさんの人達が、助けを求めている。
ネットの向こうではたくさんの人達が、支え合おうとしている。
被災者の声を聞くと、心が芯から痛み、
胸をぎゅっと掴まれたように苦しくなり涙が出てくる。
今、私にできることー。
募金はした。
節電もしている。
だけどそんなことよりも、
今すぐにでも現地に飛んで行って、
目の前にある水を、おにぎりやパンを、布団や毛布を、
ほんのちょっとでもわけてあげられれば、
手をほんの少し伸ばしてあげられれば、
一人の命でも救えるのではないだろうか。
日本経済の為にとは言え、
明日からまたいつものように仕事をしていても、
その間、寒さと飢えに苦しみ、
一人きりで助けを求めている人がいるかもしれないと考えるだけで、
とても仕事なんか手につかないのではないか。
今、私にできることー。
散々考えた。
でも、焦っても仕方がない。
だって現実にちっぽけな私は何もできないんだから。
今、私と同じ気持ちのみんなができるのはー、
とにかくできるだけの節電をしながら正しい情報を待って、
きっと自分の気持ちを形にして表すことができる時が来るはずだから、
もちろん更なる地震に備えながら、そのときの為の準備をして、
それまでは普通に仕事をして生活をするしかない。
日本が止まってしまうのは、最悪の二次災害なのだから。
ボタン1つで暖がとれて、
スイッチ1つで灯りを点せて、
蛇口をひねれば水が出るし、
暖かい布団で眠ることができる。
それらは、当たり前のことなんかじゃないんだ、
と言うことは、きっと誰もが再認識したことだと思う。
今生きられる喜びを、食べられる幸せを、噛み締めて、
前を向いて生きて行かなければいけない。
どうか、被災地の方たちは生き延びて、
なんとか今を凌いで欲しい。。。
私たちには想像もできない程、
辛いこと、苦しいことあると思う。
こんなところでブログを書くことも、
単に、私の自己満足の為なのかもしれない。
それでもきっと、
こんな私でも何かの力になれることを、
覚えておいてください。
もうすぐ桜が咲く。
日本の美しい桜が、こんなときでも、この美しい国に咲く。
桜前線が南から列島に咲いて行くように、
日本の気持ちも一人一人に繋がって、
最後には1つになれれば・・・。
心は見えないけれど、
心遣いは見える。
思いは見えないけれど、
思いやりは見える。
宮沢章二「行為の意味」より引用。
今日のネイルアートは、
自分自身に勇気を付ける為に、桜にしてもらった。

一緒に日本を、生きましょう。











